長い夜のはじまり



 今まで黙っていたことがある。

 何を隠そう、中学時代は演劇部の副部長であり、かつベッドメイキング部の主務だったおれは、ベッドメイクにかけては口うるさいのだ。


 出かけている間に取り換えられたベッドのシーツをぴんと伸ばし、マットの下に折り込む。かけ布団をそっと広げ、足元にはフットスローを広げる。仕上げに枕をちょこんと置けば、完成だ!


「……触らない方がよかったな」


 掃除のおばちゃんが整えてくれたままの方がきれいだったわ。なんか皺できちゃったし。

 おれは諦めてソファに腰を下ろした。


 室内の壁にはランプが下がり、まるで間接照明のような雰囲気を醸し出している。ちょっと薄暗いように思うが、この世界の宿屋なんて寝るためだけの部屋なのだから、そこまで明るくする必要もないのだろう。

 机の上には持ち運びもできるランプが置いてあって、こちらも間接照明2の役割を果たしていた。


 ――暇だ。


 食事を終えてさっさと部屋に戻ってきたはいいものの、することもない。娯楽になりそうなものは本しかないが、こんな薄暗いところで読む気分にはならない。

 しかたないからソファに座ったままぼんやりしよう。


 おれの夜の過ごし方はずっとこんな感じだ。ああダメ人間。


 あまりに時間の流れが遅すぎるので、腕立て伏せをした。百回を超えたあたりで飽きた。

 それから「こんなはずじゃなかったのに」の練習をした。自分でもなかなか上達した気がする。


 さすがにすることもなくなったので、久しぶりに剣の手入れでもしようかと思い始めた頃、ドアがノックされた。


 こんな時間に誰だこのやろうと思いつつドアを開けた。

 警戒心? 燃えるゴミの日に出しちゃったよ。


「アレクじゃん。どったの?」


 昼間に出会ってあんなことやこんなことでお世話になった美少年が、そこに立っていた。

 少年はやけに固い表情でおれを見ている。


「……お兄さん、ちょっと話せる?」


 話せるかと訊かれたら、もうめっちゃ暇なので、おれはアレクを招き入れた。ドアを閉めながらふと思う。

 こんな時間に何の用だろう。子供が出歩くには物騒すぎる。

 部屋に振り返れば、部屋の中心で突っ立ったままの、アレクの後ろ姿があった。


「お前もう夜だぞ? 大丈夫なの、門限とか」

「うん、たぶん」

「いいのか」

「だめだと思う」

「だめなんかーい!」


 思わず流れるようなツッコミをいれてしまった。おれはこれでも中学時代は漫才部のマネージャーを……いやこれ以上はやめておこう。


 アレクはなにも言わなかった。

 だからおれも何も言えなかった。


 沈黙を破るのってこわいよね。つい音をたてないようにしてしまう。

 どうしよう、気まずい。


 だから、アレクがこっちに振り向いてくれた時は、ありがたいと思った。


「ねえ、お兄さん」


 薄暗い室内の中で、ランプの灯りがアレクを照らしている。大きな瞳の中で、反射した炎が揺らめいていた。


「僕を買ってくれない?」


 おれはそっと額に拳を当てた。

 あれ? 今この人なんて言った? 狩ってくれない? バトルの依頼?

 なんだ? どこで選択肢を間違えたんだ? あるいは正解したのか?


「……あー、なんでそういうことになったんだ?」


 正直に訊いてみることにした。最近の若い子はようわからん。


 アレクは固い表情のまま立っている。

 買うとか、買わないとか、それ以前の問題に思えた。痩せすぎているし、なにより子どもだし。


「お金が必要なんだ。できるだけ、すぐに。僕に稼げる方法はこれしか思いつかなかったんだ」

「だからってお前、それはまずいだろ。何歳だよお前」

「自分にできることをやるしかないって、お兄さんも言ったでしょ?」


 あっ、それね、はいはいはい、あーそれね、あー、なるほどね、あー!


「言ったけど、ね? うん、言ったけど、お兄さん、そういう意味で言ったつもりはなかったんだよ」

「お願い。お兄さんにしか頼めないんだ。お金、あるんでしょ?」


 縋りつくものを探すように、アレクが歩み寄ってくる。

 おれは銃を持った犯人を落ち着かせようとする刑事のように両手を突き出して腰を引いた。


「よし、落ち着こう。いくらだ? いくらほしい」

「わかんない……シスターは教えてくれないから」


 なんだよそれ訳わかんねえよおれにどうしろってんだよ……。


 ちょっと泣きたくなった。なんで深夜に部屋で美少年に大人の関係を迫られているのかが理解できなかった。


 しかしアレクは胸元のボタンを外しながら近寄ってくる。

 おれは距離を保とうと後ずさり、突き出した尻がドアに当たった。退路ふさがってた。

 これがっ、孔明の罠――ッ!


「おい落ち着け! いいか、そもそもおれは男だ。お前も男だ。あとは……分かるな?」

「男同士はいやってことでしょ?」

「分かってんじゃーん! よかったー!」 


 ほっと一安心。


 思わず笑みを浮かべたところで、アレクが目の前に立った。そして、シャツを脱ぎ捨てた。


 ランプの中に住み着いた小さな炎によって照らされて、その裸体には陰影が浮かんでいた。鎖骨のくぼみ、浮き出た肋骨、それから、それから、かすかにふくらんでいる胸、とか。


「僕、女だよ」

「――あちゃー」


 孔明の罠は、隙を生じぬ二段構えだった。


 たしかに、そういうパターンがあることは知っていた。むしろお約束として期待していたと言って良かった。

 しかし、それでもおれが少年だと判断した理由もあった。


「……あー、アレク」

「ほんとはアレクシア」

「アレクシアさん? まずは、そう、服を着ようか」

「なんで? 僕のこと、買ってくれないの?」

「なんで買うことになってんの?」

「お金が欲しいから」

「それさっき聞いた」

「買ってくれないの?」

「お前は村人Aか」


 思わず額に手を当てた。それからもう、口ではどうにもならないと諦めをつけて、おれは落ちているアレクシアの服を拾った。


「まずこれを着ろ」

「でも……」

「いいから。まずは話を聞かせろこんちくしょー」


 アレクシアはしぶしぶと頷き、服をとった。おれに背を向けてからシャツを着ている。


 ――背骨は見てわかるほどに浮き上がり、アレクシアの腕が動くたびに、肩甲骨が薄い皮膚を押し上げている。まるで余計な肉はついていない。髪は短く切られているし、その服装も少年のものだ。


 だからおれは少年だと判断したし、本人から性別を打ち明けられた今ですら、少年のようにしか見えない。


 元通りに服を着たアレクシアが、眉尻を下げた表情でおれを見ていた。

 おれはソファを指さした。


「座れ」

「……うん」


 それから、ええと、この部屋には椅子がひとつしかない。しかし立って見下ろしているという状況も嫌なので、ベッドに座ることにした。せっかくのベッドメイキングが崩れるが、もういいや。


「それで、ええと。なにから訊こう」

「……お金が必要な理由とか?」

「いいね!」


 思わずいいねを押してしまったが、なんでおれは被告に誘導されてるんだ? いや、いいか。今さらか。

 ……長い夜になりそうだ。


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