異世界・ウォーズ エピソード6/おれの帰還
おれは少年にほいほいと付いて来てしまった。ノンケでも食べられてしまうのだろうか……。
冗談はさておき、この世界に来たことで身に着けたものがいくつかある。妙に頑丈な体とか、やけに強くなった筋力とか。
そして反対に、失ってしまったものもある。パソコンの中に集めていたあんな画像やこんな画像、ブックマークに並んだXビデオのお気に入り、携帯に保存していた初恋のあの子からのメール。あと警戒心だ。
ちょっと失ったものが多すぎで、一番伝えたかったものがついでみたいな扱いになってしまった。
アホみたいにデカい竜やらゴリラやらに殴られてもぴんぴんとしている体と、ちょっと殴ったら岩石が粉々になるような力を手に入れると、「まあ何とかなるっしょ」というパリピ精神を持ってしまうのだ。筋肉ですべてを解決する筋肉教という宗派が存在するらしいが、それに通ずるかもしれない。
先をゆく少年のあとを、おれはぴゅーぴゅーと口笛を吹きながら付いていく。
景色はだんだんと寂れていき、人通りは少なくなる。街外れに向かっていることはわかったが、たいして気にもならなかった。宿屋用のサンダルでここまで来ていることのほうが気になっていた。あと剣も忘れた。
寂れた家が多くなり、道端でホームレスのような人々を見かけるようになって、ここがスラム街に近い場所であることを察した。
少年が立ち止ったのはその時だった。
「ここ」
そして指さした先にあるのは、ずいぶんとお年を召した教会だった。もとは白だったであろう壁はすっかりと色あせていて、ひび割れまで見える。
だが教会の周りには青々とした木々が育ち、花壇では見事に花が咲いていた。等間隔に建てられた棒の間に張られたロープには、いくつもの洗濯物やシーツが並んで干されていた。それから、庭で駆け回っている子どもたち。
「孤児院……?」
「そ。僕たちの家だよ、ここ」
「買い物?」
「まあ見てってよ」
「人身売買はちょっと……」
「んな訳ないだろ!」
げしっと蹴られた。短パンからのぞく脚は枯れ木のように細かった。
少年はさっさと歩きだし、さび付いた門を開けて入っていった。ここで立っているわけにもいかず、おれも後をついていく。
気付いた子供たちが少年に群がってきた。やいのやいのと騒ぐ中で、少年は笑みを浮かべてひとりひとり相手にして、頭を撫でて、するすると通り抜けていく。ずいぶんと人気者だ。
一方、おれの周りは空白地帯だった。めっちゃ警戒されてる。すっげー警戒されてる。おれが失ってしまった警戒心を存分に持ち合わせてるこの子たち。
遠目にじろじろと見られる居心地の悪さを引き連れて、少年のあとを追う。
教会の正面入り口ではなくて、その脇の建物に向かっていった。中に入ると、大きな木の机がいくつも並んでいる光景が目に入った。うーん、中学校の技術の教室の雰囲気。木材とか切って棚作ったわ。
「ここ作業場なんだ」
「作業場?」
「そ。僕たちがいろいろ作ってるんだよ」
少年は壁を埋めるいくつもの棚に歩み寄り、そこから箱を抱えてこっちに持ってきた。それをテーブルの上に置く。覗き込んでみると、まあ、たくさんあった。
「図工の提出物……」
「ずこう? これはみんなで作ったやつ」
言って、少年がひとつずつ、大事そうに箱から取り出していく。
よく分からないが、たぶん獣人を象ったらしい人形、歪な小箱、何かの像を彫ったネックレス、いくつもの青い石を縛ってできたブレスレット……出るわ出るわ、子どもたちの手作りらしさがあふれている作品たち。やけに出来の良い櫛もあった。花柄と蔦が複雑に絡み合うモチーフが美しい。
「これ良いな」
言うと、少年がきっとおれを睨んだ。ただ、その頬は赤らんでいる。
「なんだよ」
「……なんでもない」
なんなんだよ……。思春期かよ……。
「とにかく、何か買っていってよ、お兄さん」
仕切りなおすように、わりと大きめの声で言われた。
「えーと、これを?」
「そりゃ、出来が良いってわけじゃないけど、みんな一生懸命に作ったんだ。それに、貰ったお金はこの孤児院への寄付ってことになる」
「ああ、そゆことね」
腑に落ちた。教会の運営費のためのものだったらしい。
寄付した人にお礼としてあげているのか、バザー的なとこで売るのか、そんな感じのためのものだったようだ。
幼稚園なり小学校なりで、子どもの作った野菜だとか花だとかを売っていたのを思い出した。
「……もちろん、無理にとは言わないけど。ひとつでも全然いいから、買ってくれると、助かる」
遠慮がちに言う少年に、おれは思わず苦笑した。
さっき助けてやったんだから買えよ! くらいは言われるかと思ったのだが、少年の顔を見るとそんな気はさらさらないようだった。
本当に善意でおれを助けてくれたらしい。
「なんだ、けっこう困ってんのか?」
「そりゃそうだよ。どこも孤児院はいっぱいだし、寄付なんて集まらないし、国からの補助金だって少ないんだ」
真剣な瞳に、おれは返す言葉もない。無限に金を生み出すチートとか、あるいは素晴らしい手腕で善政を執り行えるチートとか、摩訶不思議な力で世界が平和になるチートでもあればよかったのにな、と思う。
外からは、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえる。
急に信仰に目覚めたとか、あるいは世のため人のためという気持ちが芽生えたわけではなかった。
ただ、たまたま自分はここにいて、少しだけ感傷的になって、自己満足のために自分のできることをしようという気になっただけだ。
「よっしゃ、買おう!」
「アレク? どなたかいらっしゃっているのですか?」
なんて男気を見せたのだが、部屋の奥からやってきた女性に出鼻を挫かれた。わお、シスター! シスターじゃありませんか! しかも定番の黒と白の服! 天使にラブソングとか歌う感じ!
なんてテンションは上がったが、シスターは老年の女性だった。
アレクと呼ばれた少年はびくんと跳ねあがり、油の切れたロボットのようにぎこちなく振り返った。
「……はい、シスター・グラシア、その、お客さんです」
「まあ、どのようなご用件で?」
グラシアはおれを見て、笑みを浮かべて歩み寄ってきた。そして、机の上に広がる子どもたちの細工品を見て、眉をきりりと吊り上げた。
「アレク、どういうことですか? あなた、また勝手に人を連れ込んで、無理やり売りつけようとしていたのではないでしょうね?」
「ち、ちがいますシスター! 無理やりじゃないです!」
「だったら何だと言うのです?」
厳しい表情のシスターに、アレクはわたわたと両手を動かして弁明しようとしていた。ずいぶん大人びて見えたが、母を前にしたときは、誰しも年相応になるらしい。――たぶん、このシスターが、この孤児院の母親役なのだろうと思った。おれの母ちゃんより怖そうだ。
おれはいつもよりもぐっと深く笑みを浮かべた。居酒屋のバイトで鍛えた笑顔は鉄壁だ。
「まあまあ、シスター、無理やり連れてこられたわけじゃありませんから」
言うと、シスターはおれの方に目をやる。
「まあ、お客様を置いて失礼しました。当院の院長でグラシアと申します」
「おれはジローです。ただのジロー」
「それで、無理やりではないとなると、いったいどういう事情で……?」
訝し気な彼女に、おれは「あっはっは」と笑い声をあげてみせた。
何を隠そう、おれは中学生時代、演劇部の副部長だったのだ。
「実は露店で櫛を探していたところ、悪徳商人に騙されそうになりまして。それをこの子が助けてくれたんです」
「あら、まあ」
アレクの頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でまわす。「うぐぅ」と声が聞こえた。いや聞こえない。
「市場には不慣れだったものですから、この子に良い櫛を売っているところは知らないかと訊きましたらね、良いのがあると言って案内してくれたんです。ええと、そうそう、これです」
と、おれは目をつけていた櫛を取り上げて見せた。
「おれも気に入ったので、ぜひこれを買いたいと話していたところなんですよ」
「そうだったのですか、それは、まあ」
目を丸くして驚いているシスターに、おれはにこにこと笑いかける。
「ですからそう怒らないであげてください。この子のおかげでとても助かりました」
ぐっしぐっしと少年の頭を撫でる。「ふぐぐぅ」と声が聞こえる。いや聞こえない。
「そうだったのですね。ごめんなさいね、アレク。私の勘違いだったわ」
「……いえ、いいんです、シスター」
すごく不満そうな声が聞こえるが、おれは「あっはっは」と笑って頭をぐしゃぐしゃにし続けた。
「とりあえずこの櫛を頂けますか? これは本当によくできてる」
シスターはにっこりと笑みを浮かべ、しゃがみこんでアレクに視線を合わせた。
「まあ、よかったわね、アレク。あなたの作った櫛を買っていただけるそうですよ」
「……お? これはこの子が?」
思わず訊き返してしまった。
「ええ、そうなんです。アレクは手先が器用で、素敵な細工物を作るんですよ」
へえ、意外と言っちゃ悪いが、才能があるってやつなのだろう。
しかしいい加減に手の下にある頭の震え方がすごいので、切り上げることにした。
「それは今後も期待ですね。ええと、そうだ」
おれは今度こそ財布を取り出し、中からお金を取り出した。
「これ、櫛の代金です」
差し出したお金を前に、シスターは目を開き、戸惑ったようにおれを見る。
「ジローさん、なにかお間違えでは? 多すぎます」
「実は悪徳商人にぼったくられそうになった金額なんです、これ。良い買い物もできましたし、多すぎるというなら、この子への謝礼を含めた寄付ということにしてください」
おれは少年の頭をぽんぽんと叩いた。
「この出会いも、きっと神の思し召しでしょう――私は信心深い身でして」
「――まあ!」
なんつって。
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