第二章「力の流儀」異世界・ウォーズ エピソード5/リズの逆襲



 朝である。嘘だ。もう昼過ぎだ。


 さすがにごろごろするのにも飽きて、おれはベッドから抜け出した。閉じた鎧戸の隙間から、いっそ除霊されそうなほどの陽光が差し込んでいる。影と光のコントラストの中に、ふわふわと舞う塵が輝いていた。

 外が最高に良い天気なのは分かるが、おれは曇りが好きなんだ。


 手早く着替えを済ませ、宿屋内を歩き回る専用に用意したサンダルを履く。うーん、リラックス。部屋の隅に置かれた水甕から水を洗面器に移し、顔を洗って歯を磨く。使い終わった水は部屋の隅の排水溝へぽいっだ。


 おれが使っている前時代的な歯ブラシについてや、伸びる無精ひげの処理、あるいは宿屋の構造や調度品から読み解く異世界文化レベル講座を開講しても良いのだが、長くなるからやめておこう。細けぇこたぁいいんだよ!


 寝癖を適当に整えながら部屋を出る。

 廊下で、大量の洗濯物を抱えたリズに出会った。


「おう、おはよ」


 手を上げてにっこり挨拶。

 しかし、リズはおれを見ると途端に肩を跳ね上げ、口をわなわなと震わせて、ダッシュで階段を下りて行ってしまった


 ……あ、だめ?

 昨日は何事もなかったね作戦、だめですか。

 リズを泣かせた責任とらないとだめですか。


 ……。


 どうする、どうするよおれ。ライフカード出してよ、オダギリさん!





 リズの対応に困ったおれは街へ繰り出していた。いつものように食堂の長椅子で寝転んでいられるほどのメンタルはなかった。


 喧騒あふれる大通りを歩きながら、うーんと考える。


 どうしよう。なにかいい手はないだろうか。謝ったら機嫌治してくれるかな。

 だいぶ年下の女の子の機嫌をとる方法を考える、大人の男。しかし悲しいかな、男ってそういう生き物なのよね。


 昼下がりも過ぎた大通りは飽きれるほどに人であふれていた。冒険者、主婦、商人、なんか毛むくじゃらの人、いろいろだ。超ファンタジー。そんな人込みの中を歩きながら、おれは年下の女の子について悩んでいる。超平凡。うける。


 居心地が悪いというだけで出てきたものの、予定はないし、行く先も思いつかなかった。就職をしていないという生活は実に自由だが、暇だった。友達もいないし。


 ぶらぶらと街並みを眺めながら歩いていく。


 道の端には屋台や出店がずらりと並び、籠に山盛りにされた野菜やら干し豆やら、およそ見たことのないものばかりが並んでいる。時々、剣や斧などの武器があったり、怪しげな雰囲気の本とか薬品を黒尽くめのばーさんが売ってたりする辺りがファンタジーだろうか。


 ちょちょっと端っこに寄って、並んでいる商品を見ていく。そう、困ったときはプレゼント。単細胞の男が考える常套手段だ。つまりおれだ。


 民族工芸とでも言うような、不可思議なデザインのアクセサリーが並んでいたりする。それから、宝石のついた指輪。本物か? 色鮮やかな髪飾り。悪くない。木彫りで繊細な彫刻がされた櫛。いいね! インスタに上げたら大好評になりそうだ。


「おっさんこれいくら?」

「一万二千コールだ」

「高くない?」

「なに言ってんだ、ひとつひとつ丹精込めた職人の手彫りだぞ?」


 良く焼けた肌の色をしたおっさんが髭を撫で、がっはっはと笑う。それどこの日サロっすか。


「それにこいつはジュラムの木材を使ってるんだ。大事に手入れをしてやれば、それこそ何十年でも使えるぞ」

「ほほう。でもお高いんでしょう?」

「今ならなんと一万二千コールだ」


 変わってねえ……。


「兄ちゃん、彼女でも怒らせたんだろう?」

「なぜ分かった」

「へっ、男が櫛を買うのは、女のご機嫌をうかがいたい時と相場が決まってるのさ」


 わかる。


「女へのプレゼントでけちけちしたってしょうがねえだろう? ほら、こいつさえあれば一発だ! 買っていきな!」


 そう言われると不思議なもので、確かにそんな気がしてきた。


「それにこの櫛はなかなか仕入れられない限定品なんだ。今ここにある限り! 次はいつ並ぶかわかりゃしねえ」

「えっ、まじで? 5個しかないじゃん」

「そうさ、ジュラムの木は希少なんだ。知ってるだろ?」


 知らない……。

 しかしそう言われると、なんだかこの櫛がとても良いもののように思えてくる。出会いは一期一会という。これをプレゼントしてリズが喜んでくれるのなら、安い買い物ではないだろうか。ううん。


 腕を組んで悩んでいると、隣から中年くらいの男が身を乗り出して、櫛をひとつ取り上げた。


「おっさん、これひとつくれよ。母ちゃんを怒らせちまってよ……これで機嫌が直るなら安いもんだ」

「お目が高いねえ! これさえあれば今日の夜は仲良しこよしってもんよ。はい、毎度あり!」


 ……!

 売れた、だと……あと4つになってしまった!

 くそう、しっかりデザインを選びたかったのに!

 おれは慌てて櫛に目を落とした。ああっ、可愛い熊が鮭をくわえてる図柄の奴を持ってかれた!


「さて、兄ちゃんどうするよ? 早くしねえと売り切れちまうぜ?」

「ううむ」

「やれやれ、仕方ねえなあ。そんなに金がねえのか」


 櫛に一万二千は高い……しかし、そんなに良い物なら悪くない買い物なのでは……。

 悩んでいると、おっさんが手招きをする。顔を寄せると、小声で囁かれる。


「女に悩む仲間を見捨てちゃおけねえ。兄ちゃんになら特別に一万コールで売ってやろう」

「……! 良いのか?」


 おっさんは無言でウインクをして見せた。おぞましさに吐きそうになったが、なんて良いおっさんなんだ!

 そこまで言われちゃ申し訳ない。おれは覚悟を決めて財布を取り出そうとポケットに手を伸ばした。


「やめときなよ」


 手首を誰かに捕まれて、動きが止まった。

 思わず横を見ると、いつの間にか小柄な少年が立っていた。首元までの金髪がさらりと風に流れ、釣り目がちの瞳がまっすぐにおれを見ている。わお、異国の美少年。


「……なんでえ坊主。他人の買い物の邪魔しちゃいけねえと教わらなかったかい?」

「くだらない詐欺師の商売の邪魔はしろって教わっててね」

「お? 詐欺師?」


 思わずおっさんを見る。


「おいおい兄ちゃん、こんな子供の言うことを信じちゃいけねえよ。なにも分かっちゃいないんだ」

「こんな安物の櫛を一万コールで買うなんて馬鹿げてるよ。どう見ても偽物だし」

「おいガキ、何の証拠があって難癖つけてんだ? あ?」

「ほら化けの皮が剥がれた。見てよこれ、この顔がまっとうな商人に見える? ショバ代も誤魔化すようなモグリに違いないって」

「なんだとてめえ!」


 いきり立つおっさんと、ひょうひょうと受け流す少年のやり取りに、おれはぽかんと立ち尽くしていた。


 突然の出来事に、というより、よくもまあそうポンポンと口合戦できるものだと関心したのだ。頭の回転早いのね。


「ほら、こんなの放っておいて行こうよ、お兄さん」

「てめっ、待てこのやろ!」


 歩き出した少年に手首を引っ張られる。おれは大した抵抗もできずにそれに付いて歩き出した。


「覚えてろよクソガキめっ!」


 後ろからそんな捨て台詞が飛んでくるが、少年は気にも留めていないようだった。

 曲がり角をいくつか曲がった頃、ようやく少年は足を止めた。


「お兄さん、観光客?」

「え? いや、半年くらいここにいるけど」


 答えると、少年は呆れた顔を見せた。


「なのにあんなショボい詐欺に引っかかってたの?」

「あれ詐欺だったの?」

「……今までどんだけのんきな場所で生きてたんだよ。どう見ても詐欺でしょ」


 はあ、と息を吐き、少年は両手を腰にあて、やれやれと首を振った。


「あの櫛はどう見ても安物だよ。ジュラム材を使ってたらもっと鮮やかな木目をしてるし、光沢も出てる。彫刻の意匠も流行りをまねしてるだけだし、彫りが甘かった。素人仕事だよ」

「お、おう。でも、おっさんが途中で買っていったし……」

「そういう計画なの。あのおっさんも仲間なの。分かる?」


 心底呆れたように見上げられ、おれはえへへ、と頭をかいた。


「まじか。そんな漫画みたいな詐欺、ほんとにあるんだな。ぜんぜん気付かなかった」

「……良いカモだよ、ほんとに」


 そこまで呆れられると恥ずかしいからやめてほしい。


「助かったよ、ありがとな少年」

「……まあ、いいけど」


 ぶっきらぼうにそんな返事をされる。まさかこんないい少年がいるとは思わなかった。世は人情だ。

 うんうん、と感動していると、少年がおれの手をつんつんと引っ張った。


「ところでお兄さん、買い物しない?」


 悪戯っぽく笑うその声に、おれは身構えた。

 えっ……詐欺ですか!?



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