ゴブリンアーク潜入作戦3



 集中していたものだから、背後で爆発が起きた時には、何事かと思った。


「ドラぁぁぁぁああああ!」


 ゴブリン・アークの出入り口から、ミニドラのような野太い鳴き声をあげて、爆炎が噴き出した。その中から、赤短髪の青年が飛び出してくる。

 続いて、細剣を手に金髪のゴージャス女が。


「おい無事か【不動】――って、なんだこりゃ」

「先駆けて救援を、と思いましたが……不要でしたわね」


 ふたりが周囲を見回し、そんなことを言う。

 改めておれも周囲を見る。

 まあ、ひどい惨状としか言えないだろう。吹き飛び、ちぎれ飛び、両断された魔物の死体の山だ。


「おいおい、まじか」


 赤短髪がやってきて、おれの正面に立った。すこし警戒する。また何を言われるやら、と。


「……やるじゃねえか。助かった」


 しかしそんな素直なことを言われて、おれは肩透かしを食らった。


「【門】と聞いて急いできたのですけれど……この様子を見る限り、先に【門】の魔力が尽きたようですわね」


 どこか呆れたように、金髪ゴージャスが言う。

 おまけに俺の全身を舐めるように眺め、「おまけに怪我どころか返り血もなし? 呆れた」なんて言うのだった。


 なんだてめえこのやろう、やんのかおらぁ。って気分だ。

 しかし彼女の言う通り、魔物の襲撃は少し前に終わっていた。では何に集中していたかというと、大きめの鼻クソがとれそうでとれなかったのだ。


「で、誘拐された子供は?」


 尋ねると、赤短髪と金髪ゴージャスは笑みを浮かべた。それだけで結果は分かった。

 出入り口から、ギルド員や冒険者たちが出てくる。少女を抱きかかえたおっさんが出てきて、最後にドワーフのおっさんが姿を見せた。


 全員が周囲の惨状を見てがやがやしていたが、おっさんは「ほう」とでも言いたげに眉を上げただけだった。


「さすが【不動】だな」

「さすが【白鬼】だな」


 言い返すと、おっさんはにやりと笑い、空いた手でおれの肩を叩いた。


「この通り、少女は無事だ。ゴブリン・ビショップの魔法で眠らされているようだ。ゴブリン・ビショップは討伐できていない。道をいくつか潰してきたから、追手はしばらくこないだろう。――ふたりは?」


 おれは首を振った。

 リシュルも、もうひとりも、姿を見せていなかった。さすがに心配になってくる。

 おっさんはしばし口を閉ざし、女性ギルド員に少女を預けた。


「随行員はここで待機。【怪腕】と【金花】は残って警戒を続けてくれ。俺たちは【銀弓】と【百屍鬼】を探しに行くぞ」


 おっさんのセリフに、おれと赤短髪が頷いた。





 何かあるとは思っていた。

 いきなり魔笛とやらで魔物が呼び集められ、【門】とやらが開かれたのだ。明らかに、誰かの手が加わっている。それも、悪意を持った誰かだ。


 おれたちは三方向に分かれて捜索に向かった。

 おれがまっさきに向かったのはリシュルの担当場所だ。


「……なんだこりゃ」


 そこでは、森が破壊されていた。

 木々が何本もへし折れ、吹き飛び、断ち割られている。


 明らかに、巨大な生物が暴れた後だった。それも、かなり力の強い。

 そして、木々に突き立っている矢が目についた。リシュルの弓だろう。ここで戦闘があったことは間違いないようだった。

 剣を抜き、警戒しながら歩いていく。奥へと進んでいくと――


「おや? あなたでしたか」


 女が立っていた。

 神官のように純白の、裾の長い法衣に、真っ黒な長髪を流している。手には身の丈ほどもある杖を。そしてもう片方の手は、リシュルの首を掴んで持ち上げていた。

 会議場で見た、【百屍鬼】と呼ばれた女だ。


「――なにしてんだ?」

「なにを、と聞かれると、困りますね。邪魔をした愚かな女を締め上げていた、くらいがしっくりきます」


 あまりに平然と、あまりに平坦と、女は言った。

 リシュルの目をやる。服は破れ、血の跡も見える。一見して命に関わるような怪我はないように思える。そのことにまずは安堵した。


「あんた、なにが目的だ? 救出を妨害したかったのか?」


 尋ねると、女はぽかんとおれを見返した。それから、おかしそうに笑った。


「ああ、いえ、失礼しました。そんなことはどうでもよいのです。私は、自分の研究の成果を試したかっただけなんですよ。少し、そう、少しだけ特殊な研究でして」


 女はリシュルを片腕で吊り上げたまま、俺の顔を見ている。まるで何でもない天気の話をするように。


「ちょうど良く、街でもそこそこの実力者が集まる機会が訪れたので、これは良いな、と。我慢できませんでした」


 にこり。

 満面の笑み。

 おれは悟る。

 こいつやばい人だ。


「だというのに、この女が――邪魔をしたんです。ですから、締め上げていました。でも」


 リシュルの目が、かすかに開いた。血濡れの口が、言葉を紡ぐ。


「――ジロー」

「貴方が来てくれた」

「――逃げろ」

「少しは試せそうです」


 ――――――背後で爆音。


「お?」


 そして俺の体が吹き飛ばされた。

 真横から、まるで殴られたように一直線に吹き飛んだ。空中で体勢を変え、俺はそれを見た。腕を振りぬいた体勢の、真っ赤な肌をした、まるで巨大なゴリラのような、そう、あれは、なんだ? なんだあの生き物。キモっ。


 吹っ飛ばされたおれの背が木にぶつかり、その勢いのままへし折って飛んでいく。さらにもう一本にぶつかって、おれの体は木から地面へとずり落ちた。


「あら……死んだかしら」


 ……。


「【不動】なんていう割に、か弱いものね」


 …………。


「ねえ、あなたもそう思うでしょう、【銀弓】さん? あなたのおかげで、【門】と【鬼陣】の実地検証しかできなかったわ。本当に困ってしまう。ねえ、あなたも持ち帰って研究材料にしてあげましょうか?」


 よっこいしょっと。


「人体実験は専門外なのだけど……あなたを依り代にした憑依召喚なんて楽しそうね」


 いててて。死んでたぞこれ。トラックに引かれたときくらいの衝撃あったわ。あ、前の世界でおれが死んだ理由だから、あんまり洒落になんねーか。


「……」


 くそう、服破れてる。買いなおさないと。めんどくせ。


「…………」


 しかもなんだあのでかい赤ゴリラ。額に角生えてるし。こわっ。


「で、なんであなたは無傷なのかしら?」

「ひみつ」


 赤ゴリラの前に立ち、右腰に差しているもう一本の剣を抜く。握っていた剣はさっきの衝撃でどっかに吹っ飛んでしまったのだ。


「――興味深いわ。人間離れしたその頑丈さ」


 赤ゴリラが雄叫び、おれを殴りつけようとする。

 おれは右手でそれを受け止める。踏ん張った足が地面を削る。


「――その怪力」


 それから、赤ゴリラの腕に向け、剣を振る。

 悲鳴。

 血しぶき。

 腕がぼとりと落ちて、赤ゴリラが数歩後ろへ下がった。


「あなた、何者?」

「さっきも言ったろ」


 足を踏み込む。溢れるような力を、こめる。それだけで景色が流れ、一瞬でおれは、赤ゴリラの背後――首の真後ろの空中にいる。剣を振りあげ、その太い首にめがけて振り下ろす。

 着地。女を見る。血しぶきが空から落ちてくる。背後で、巨体が倒れる音。


「ひみつだこんにゃろう」


 女はしばらく、じっと俺を見つめ、それからにっこりと笑みを浮かべた。


「あなたに出会えた。それだけで大きな収穫だわ。とっても嬉しい」


 まるで、幼い少女のような邪気のない笑みだった。

 女は吊り上げていたリシュルを、おれに投げよこした。とっさに受け止めたその隙に、黒い渦巻の中に入っていった。


「また会いましょうね、ひみつさん」


 ……絶対ヤダ。

 ていうか、何だったんだあいつ。

 リシュルをそっと地面に落ろす。それから、改めて全身を確認した。

 あちこちに傷があって出血もしているが、大きなけがはないようだった。あの赤ゴリラと戦ったのなら、むしろ不思議なほどに軽傷だ。


「……ジロー」

「おう、無事かリシュル、傷は浅いぞ」

「逃げろと言ったろ、ばか」


 ええ……。助けたのに馬鹿呼ばわりかよ。


「お前を置いて逃げるわけないだろ」


 きりっと言うと、リシュルはかすかに笑みを浮かべた。


「ほんと、こういうときだけは、男らしい」

「褒めるならもっと素直に褒めてもらえますかねえ」


 笑いあう。だけど、本当に無事でよかった。


「すまない、ジロー……胸をみてもらえるか」


 突然、リシュルがそんなことを言い出した。


「なんだよ、誘い文句にしちゃ色気がないな」

「違う、ばか。あの女に何かされたんだ……おそらく、呪印だとは思うんだが……」


 ……呪印?

 おれはリシュルの胸元を見る。豊満だ。でかい。腰はほっそくくびれているのに、胸だけがこれでもかもアピールしている。素晴らしい。


「ジロー」

「はい、すいませんでした」


 怒られたので真面目にやろう。

 リシュルの服のボタンを外し、胸元を開ける。すると、胸の谷間のちょうど中心に、ソフトボールくらいの大きさの、真っ赤な魔法陣のようなものが刺青のようになっていた。


「……どんな形だ?」

「あー、丸い。真ん中が六芒星で、それぞれの頂点に小さい丸。で、六芒星の中には、あー、たぶん蛇かな。絡み合った二匹の蛇」


 説明すると、リシュルからの返事がない。

 不思議に思って顔を見ると、下唇を噛みしめて、眉を寄せていた。


「……どったの?」

「それは――」


 遠くで、おれたちを探す声がする。どうやらおっさんたちもこちらに向かっているようだ。派手に木をぶっ倒した音を聞きつけたのだろう。


「――吸魔印だ」


 重々しく、リシュルが言った。

 おれにとっては、なんのことかさっぱりだった。


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