ゴブリンアーク潜入作戦2
夜だ。この世界の夜はとにかく暗い。街灯なんてないし、信号機もビルもない。街から離れてしまえば、およそ灯りらしい灯りは存在しない。それが森となれば、もはや頼りになるのは月光くらいのものだ。
おれは指示された場所に座り込み、ぼうっと月を眺めている。
「ジロー、なにを呆けているんだ」
かけられた声に顔を向けると、木々の陰からリシュルが現れた。月光の輝きを吸い込んだような銀髪を後頭部でひとつにまとめ、さらりと胸の前に房を流している。緑を主体にした服の上に革の防具を身に着け、細い腰の後ろには矢筒が下がっていた。ショートパンツから伸びる脚はニーハイブーツで包まれている。
月夜の中で見るリシュルの姿は、いっそこの世から浮いた存在だった。あまりに整った容貌に、真っ白な肌。手に持ったかすかに発光している銀の弓。
「月の女神かよ」
「……なんだいきなり。安い口説き文句だな」
「月の女神は弓の名手なんだよ、確かな」
「照れる」
ちょっとそっぽを向かれた。かわいいやつである。
リシュルはさくさくとこちらに歩み寄り、俺が背もたれにしている木に寄り添った。
「グレアムからの伝達だ。変更なし、予定通りにやるぞ」
「そうか。潜入組は大丈夫かねえ」
「【炎爆】【怪腕】【金花】が行くんだ。小城も落とせるさ」
リシュルがこともなげに言うもんだから、おれは少しびびった。
え、城? 城も落とせるの? 戦争できんの?
「お前は大丈夫か、ジロー」
心配を含められた声で尋ねられ、俺はリシュルを見上げた。
「なにが?」
「お前は、あまり得意ではないだろう。こういった血なまぐさいことは」
「まあ、うん。得意じゃないな、たしかに」
そりゃ二十余年を平和に暮らしてたんだから、得意なわけもない。ようやく少しは慣れてきたが、進んでやりたいことでもない。
そのあたりをグレアムに見抜かれたのだろう。俺は潜入組から外されていた。戦力的には潜入した方が良いに違いないのだが。
「お前は、変わらないな」
しみじみと言われる。
「力を持つものは、みな驕る。好戦的にもなれば、その力を振るうことを快感に思う者もいる。お前のように、人並み外れていながら、人よりも優しいものは中々いない」
「照れる」
ふふっ、と笑われた。
何気に、リシュルとは付き合いが長いのだ。この街で一番の知り合い、とでも呼べるかもしれない。
「潜入組が、穏やかに成功してくれると良いんだが」
「バレると忙しくなるな」
「ああ」
基本的に俺たちは警戒が任務だ。潜入組は積極的には戦わず、できるだけ隠密に誘拐された子を探して連れ帰る。
しかし、もし潜入がばれた場合は戦闘しかない。周囲の警戒任務は変更され、俺たちは潜入組の帰路を確保するために動くことになる予定だ。
と、真っ暗な夜空に赤い信号弾が上がる。魔術で作ったものなのだろうが、見事なものだ。たーまやー。
「作戦開始の合図だ。うまくいくことを祈ろう」
ゴブリンの巣か。どんなとこなんだろう。できれば入りたくないな。
「さて、私も持ち場に戻る。ジロー、呆けて信号弾を見逃すなんてことにはなるなよ?」
からかうように言って、リシュルは森の中に去って行った。俺は歩くたびに浮き上がる尻を見ていた。いい尻してるんだよなあ。
……。
真面目なリシュルが、信号弾が打ち上げられるまでここにいたのはなぜか。
間違いなく、おれの様子を心配して来たに違いなかった。
惚れる。
/
森がざわつくのと、空に黄色の信号弾があげられるのはほぼ同時だった。
「あー、ばれたのか」
黄色の信号弾はゴブリンたちの動きに異常あり――つまり、潜入組が発見されたということだ。
最初の信号弾から三十分くらいは経っているだろうか。どのタイミングで発見されたのかは分からないが、できれば子供を救出した後だと喜ばしいのだが。
打ち合わせ通り、ゴブリンアークに向かうために立ち上がった時だ。森の中で甲高い笛の音が響いたことに気付く。まるで不協和音のように、やけに耳障りな音。長く一息で吹かれた音が止み、森は不自然なほどの静寂に包まれた。
「なんだ……?」
妙に気にかかる音だった。
とりあえずゴブリン・アークに向かうが、こう、妙な胸騒ぎが……。
ちょっと速足で向かえば、まあ、嫌な予感通りの展開だった。
「どうなってんのこれ」
「【不動】か! 手を貸してくれ!」
グレアムが鋭い角の生えた熊の攻撃をいなしながら叫んだ。
それだけではない。補助要員として来ていた幾人ものギルド関係者と冒険者もまた、それぞれが魔物と戦っている。ゴブリン・アークを前に切り開かれた広場では篝火がいくつも並んでいる。その灯りの中に、森に生息しているであろう、あらゆる魔物が集いつつあった。
意識を切り替え、左腰に差した長剣を抜いて場に加わる。
制服からして医療班であろう女性を襲おうとしていた鹿の右前脚を払い、体勢を崩した瞬間に首を切り落とした。吹き出る青い血を避ける。
「あ、ありがとうございます!」
「今のうちにあそこへ集まれ」
グレアムが人を集め、円陣を組みつつある場所を示した。魔物の急襲だろう状況にも関わらず、行動は冷静で迅速だ。
おれはそのまま、個別で狙われている人々を手助けしていく。魔物の数は多いが、ここに来ている冒険者たちは少数精鋭だ。時間が経つにつれて冷静を取り戻し、魔物を打ち倒していく。
やがて、場にいる全員がひと固まりの円陣を組んだ。
「で、どうなってるんだおっさん」
狼を切り伏せたグレアムに近づき、声をかける。
「魔笛だろうな。お前も聞こえなかったか、笛の音が」
「魔笛?」
「魔物を呼び寄せる魔道具だ」
通りで、こんな状況になってるわけだ。
「……だーれがそんなアホなことしたの?」
「さあな。悪戯ならまだいいが、計画的なものなら厄介だ」
森の暗闇から飛び出してきた影を斬り落とす。
「森フクロウを一撃とは。頼りになる。早いとこ中に潜らねばいかん。さっさと片を付けるぞ」
おれのことを褒めながら、でかい狼を丸盾で殴り殺すおっさんに少しビビる。おかしいな。あのおっさんもチートか……? あるぇ?
鬼のように敵をなぎ倒していくおっさんを中心として、全員で魔物を倒していく。おっさんの視野は恐ろしいほどで、的確な指揮によって危うげなくことは進む。
しかし、不思議なほどに魔物が途切れない。いくら魔物が活発になる深夜とはいえ、この森にはここまで魔物は生息していなかったはずだ。
「【門】があるのかもしれん」
おっさんが言った。
「門って、あの魔物を呼び出すやつ?」
「ああ。でなければ、ここまで数が多い理由が説明つかん。なにより、この狼は南方領を住処にしている。この森には生息していない」
「となると?」
訊ねると、おっさんはにやりと笑みを浮かべた。迫力溢れ、眼だけは笑っていない。
「【門】を破壊しない限り、魔物は途切れないということだ」
「最高」
この依頼受けるんじゃなかった。
「さて、【百屍鬼】と【銀弓】も来てくれると助かるんだが、なにをしているやら」
「それな」
まさか底なしの魔物に襲われることを予定していたわけもなく、ここにいる人員は少ないし、戦闘特化なんてこともない。魔法使いや治癒術師もいるが、数は少ない。こうして円陣を組んでいられる時間は、あまり残されていないだろう。
そしてなにより、ゴブリン・アークの中に潜った奴らの救援も必要なのだ。巣の中にいるゴブリンたちが集っていては、いくらなんでも脱出できないだろう。
少し、考える。
「【不動】」
おっさんがおれに呼びかけた。顔を見る。その瞳を見て、同じことを考えているのが分かった。
「……報酬、あげてくれよな」
「良いだろう、掛け合ってみよう。俺もそうしたかったんだ、丁度いい」
お互いに笑い合う。
「全員、ゴブリン・アークの中へ!」
戸惑いの空気が流れたが、おっさんがもう一度繰り返すと、全員が行動を始めた。説明がなくても、この人が言うなら。そんな信頼が見えた。
魔物を打ち払いながら、徐々にゴブリン・アークへ向かう。
まるで船の穂先だけが地中から飛び出ているようなその入り口は、地下へと続く大迷宮の入り口とでも言いたげだった。大人ふたりが並べばやっとの出入り口の中に、ギルドの非戦闘員から入っていく。
戦うものが減り、魔物の密度が増える。おっさんと二人して捌きながら、徐々に入り口へ向かっていく。
「……持ちこたえられるか?」
「おれの二つ名なんだと思ってんの」
言うと、おっさんはくくっと笑った。
「そうだったな、【不動】よ。お前がいるからこそ、この策を選べた。俺たちが戻るまで、頼むぞ」
「そっちこそ、さっさと連れて帰って来てくれよ」
「任せろ」
そういって、おっさんがゴブリン・アークの中へ入った。
もうすでに、周りには誰も残っていない。
俺が出入り口の前を陣取ると同時に、入り口が銀色の壁で覆われた。中にいる魔法使いによるものだろう。
作戦は簡単だ。
おっさんはゴブリン・アークの中へ潜入し、合流する。
ギルド員と冒険者たちは出入り口を塞ぐと共に、おっさんたちの退路を確保する。
そしておれは、ここに集う魔物とひたすら戦い、魔物がゴブリン・アークの中に侵入しないように守り切る。全員が合流出来たら、門を叩きに行く。
ね、簡単でしょ?
「やってらんねえっす」
ひっきりなしに森から出てくる魔物を前に、早くも心が折れそうになる。
おかしいな。リシュルと百屍鬼とかいうお姉さんがまだいるはずなのに。
手筈通りにここに集結しないことに不安を覚えつつも、俺はどうしようもない。
右腰に下げた長剣も抜き、なんちゃって二刀流スタイル。
ぞろぞろと雁首を並べる魔物を前に、大きく深呼吸をした。
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