其の陸(加筆修正版)
美鬼はゲームで負け続けていても口は悪いが、楽しんでいるのが解るほど聞いていて心地良い。
「あぁぁぁぁぁ! こんちくしょう! もう一回でありんす! このわっちが負けるなどありんせん! はよ次!」
「ははは――じゃあねぇ、美鬼さん、今度はこの鬼ごっこにしませんか?」
「ふふふ、構わんでありんす。鬼ごっこはわっちの十八番。わっちがぬしの泣きっ面を拝む未来が待っているのが見えるでありんす」
鋭い八重歯で笑っている美鬼は、何処か幼さ、紗理奈自身と同い年ではないかと感じさせるのだが、時折、ほんの少し、大人びた表情を見せる。その時が、一番美しく、そして艶やかであると思った。さと美が紗理奈と瑠美の方を振り向き
「お姉ちゃん達も一緒にやろうよー」
っとお誘いをしてくれた。美鬼も一緒になって
「何人、何百人になろうとテレビゲームであれ、わっちが負けるはずありんせん! かかって来いやぁ!」
っと捲し立ててきた。それを見た紗理奈は
「私そのゲーム得意なんだよねぇ。ヨーシ美鬼ちゃん、ぎゃふゅーんって言わせてあげる! さ、やろうやろう!」
っと言って立ち上がり、さりげなく瑠美の手を掴んだ。
「うん。負けないからね」
そう口にし、笑顔になった瑠美は一段と可愛い。ゲームでは本物の鬼である美鬼が何の因果か解らないが鬼となった。しかし誰一人捕まえる事ができずにタイムアップを迎えてしまった。
逃げる側のプレイもしていたが、何故か誰が鬼でも一番最初に捕まってしまうといった結果だった。鬼になっても捕まえる事ができず、美鬼はゲームというか、遊びのような勝負事には運がないのかもしれないと思った。
とても悔しがっていたが、それでも彼女が見せていたのは本物の笑顔だったような気がするのだ。ツンとして眉間に寄せていた皺の表情は、何処か遠くの山に登山にでも出かけてしまったのかようだ。そして今は一陣の風もない水面が限りなく水平になった湖のようなだった。
恋人なのであろう、はじめに見せている笑顔とはまた違う、友達に見せる笑顔。そう、恐らく初めてできた人間の友人に見せた、純粋な笑顔。きっとそうだっと紗理奈は心の中で思ったのだった。
ゲームに興じている時間はあっという間に過ぎ、十一時半を回ったところでお風呂へ入ることになった。
あきこは最後の一切れのローストビーフを喉に通してから
「私は最後で良いから、先に紗理奈達が入りなさい」
っとあきこが口にした。瑠美は
「そんな、お仕事をされてお疲れでしょうから、先に入られて下さい」
っと言ったのだが、あきこは
「そんなこと気にしなくて良いのよ。やっと私の時間だから、お酒を飲みながら海外ドラマの続きを見ないとね」
そう笑顔で答えられたので、紗理奈は順番を決めようと口を開いた。
「じゃあ、誰から入ろっか?」
その言葉にさと美がすぐに返事を出した。
「私もドラマの続きが気になるからお母さんと一緒に見るね。お姉ちゃん達が先に入って良いよ」
さと美の言葉にあきこが反応をして声を出した。
「じゃあさと美、今日はシーズンフィナーレまで見て、明日から新シーズン見る?」
「見たい見たい! 見よ見よ!」
そう夜中にはしゃぎ始めた妹はソファーに座っているあきこの隣に陣取り身を乗り出してテレビに釘付けとなった。
「じゃあ、そういうことだから紗理奈達から入りなさい」
「解った。じゃあ、誰から入る?」
紗理奈の問いかけに美鬼がやけにニコニコしながら答えた。
「では、ここはじゃんけんでありんすなぁ」
「「え!?」」
共鳴した紗理奈と瑠美は一斉に美鬼を見た。衣川館の弁慶の仁王立ちの如く雄々しい姿とその表情はとてつもなく可愛らしい生き物であると思わせた。
「今一度言おう、じゃんけんで勝負でありんす。勝った者から先に湯へ入る。良いな?」
少し困惑しながらも紗理奈は
「別に良いけど……」
っと答えた。瑠美は二人の顔を見て常套句を言った。
「じゃあ、最初はグー」
「「「じゃんけんぽん」」」
この掛け声で鬼である美鬼でもじゃんけんができるのだと紗理奈は少しばかり驚いた。最初のじゃんけんで美鬼がグーを出し、紗理奈と瑠美がチョキで負けてしまった。先程テレビゲームで負けたのが相当悔しかったのか、美鬼は勝ち誇った顔で拳を握り、天を、と言っても天井を仰いだのだった。
「じゃんけんでわっちは負けたことがありんせん。どうじゃ参ったか!」
そう勝利の笑みを零していたのだが、紗理奈にとっては別にお風呂に入る順番などどうでも良いことだったのだが、ほんの数時間前に幼少の頃の思い出を話していた時に泣いていた美鬼を思うとこれで良かったのだと考えるのだった。
「じゃあ、黒木さん、いくよ、最初はグー」
「「じゃんけんぽん」」
結果は一発で勝負が決まってしまった。瑠美がパーを出し、紗理奈はグーだった。美鬼をお風呂場まで案内した。
「バスタオルはこの衣装ケースに入ってるから、どれでも好きなのを使ってね」
「虎柄はないのけ?」
「そんな奇抜な柄は家にはないよぉ。どうして鬼って虎柄が好きなの?」
「うーん、ぬしは鬼門を知っておるけ?」
「きもんって何?」
美鬼は面倒くさそうに目を細めて口を噤もうとしたが、結局は溜息一つ吐いて答えてくれた。
「十二支ぐらいは知っておるじゃろ?」
「それは知ってるよ。子、丑、寅、卯、辰、巳……その後何だっけ?」
「はぁー。
「美鬼ちゃんすっごい! 瑠美ちゃんみたい!」
「こんなの当たり前でなんす。最近の小娘はこんなことも知らないで生きているでありんすか?」
「てへ」
「まぁ良い。鬼門とは方角で北東でありんす。北東は鬼が出入りする方角で、方角を十二支に当てはめれば、北東は丑寅。鬼の頭にあるのは牛のような角、下は虎柄の着物だったのでありんす」
「へぇーって、ん? 下は着物じゃなくてパンツじゃないの?」
「それは後世の人間が鬼に扮した際に着ていたものでありんす。最初に人間に姿を見せた鬼は女でありんした」
「へぇー! それって誰? 有名な鬼?」
「まぁその話は別にせんでも良いでありんす。まぁ、小話はこれくらいで、どれどれ」
っと言ってタオルを物色し始めたが、結局は
「しょうがありんせん。ではこの花柄で良いでありんす」
っとピンク色の花柄のタオルで落ち着いた。
「そういえば美鬼ちゃん着替えは?」
「持ってきてあるから大丈夫でありんす」
「え? 着替えあるの? だって美鬼ちゃん――」
何も持っていなかったと言いかけた時に、美鬼が右のポケットから、先程スマホが出現した小さな布の袋を出した。
「そういえば聞こうと思ってたんだけど、何それ?」
「これは鬼の巾着袋でありんす」
「巾着袋って何?」
美鬼は紗理奈の知識の無さにうんざりしているような顔になったが、それでも丁寧に説明してくれた。
「昔は延命袋と言っておって、健康長寿や魔除けなどに使われておった。しかし、これは鬼の巾着袋でありんす! 人間如きが作るそれとは訳が違いんす! 見なんし!」
っと言って巾着袋に右手の人差し指と親指を入れて取り出したのはなんと、さくらんぼの刺繍が入った可愛らしい着物だった。
「何その四次元ポケット的なやつ!? マジすごいんだけど!」
「ふふふ、この巾着袋にはわっちの嫁入り道具が全て入っているんでありんすからなぁ」
「そうなんだ! すっごーい! それで嫁入り道具って何?」
紗理奈は美鬼が上機嫌な表情から一変し、目を細め、面倒くさいといった表情へ変わったのが一目で理解できた。
「もうえぇ。湯に入りんす」
「何それー。もっと話聞きたいのに――」
「ぬしは知らぬことが多すぎて話すこっちが疲れるんじゃい」
「はいはい、もう解ったよ。じゃあごゆっくりぃ」
紗理奈は脱衣所から出てドアを閉めるまで美鬼の後ろ姿を見た。彼女のうなじを見ていたらやけに色気を感じてしまったのは言うまでもない。
美鬼がお風呂に入っている間に今夜瑠美に貸すパジャマをどれにしようか悩んだ挙句、一番お気に入りのピンクのネグリジェを着てもらうことにした。
瑠美は「すごく可愛いね!」っとお褒めの言葉を頂戴した時に紗理奈は「えぇー、そんなことないよ」っと言いながらも鼻の下が伸びていることに気付いていなかった。
「黒木さんって意外と可愛い系を着るんだね」
「えへへへ、外ではちょっとクールでボーイッシュな感じで決めて、家ではまったり可愛い系。どう? このギャップ? 萌える?」
「何が燃えるの?」
「いや、平気平気……気にしないで……」
瑠美は「萌える」の意味を知らないのか、それともわざとはぐらかしているのか解らないが、果敢に挑戦した自分を誇らしく思う馬鹿な自分がそこにいた。
「良く頑張った私!」
「……」
ふと気づけばさと美が呆れた顔でこちらを凝視していた。自分は何か変なことでも言ったのか?
思い当たる節がないので首を傾げるしかできなかった。美鬼が「良い湯でありんした。あきこ様、お先にいただきんした」っと濡れた髪をタオルで拭きながらリビングに戻ってきた。あきこは「良いのよ。次は誰なの?」っと口にしたので瑠美が
「あ、私です。お先にいただきますね」
っと言って立ち上がった。紗理奈も一緒に立ち上がり
「我が家のお風呂はこっちだよ。自慢のお風呂だからゆっくり入ってね」
っと口にしながらお風呂場に瑠美を連れて行った。紗理奈が用意した着替えを両手に持っている姿は、育ちの良さが表れていると思い、瑠美のご両親の教育に感心してしまった。
「バスタオルはここにあるから、どれでも好きなのを使ってね」
「解った。ありがとう」
そう口にした瑠美だったが、何故かにこやかな表情で立っている紗理奈に首を傾げ
「黒木さん、私、お風呂にはいりたいんだけど……」
その言葉でハッとなり
「あ! ごめんごめん。ついうっかり八兵衛しちゃった」
っと舌を可愛く出してその場を後にした。瑠美は「八兵衛?」っとハテナマークを頭の上に乗っけていた。それもそれで可愛かったし、ずっと見ていられるのだが、すでに変な空気になっていたので、名残惜しく心締め付けるほどの痛みを感じながら、理性をなんとか優先させて切り抜けることができた。
リビングに戻るとまだ少し濡れた髪の状態の美鬼があきことさと美の三人で海外ドラマを見ている光景に出くわして面喰ってしまった。
「すごく面白いでありんすなぁ」
「でしょー。第一話がすごいのよ! 今から見ましょう!」
「ありがとうござりんす奥方!」
どうしてそんなにすぐに仲良くなれてしまうのか解らない魅力を持った美鬼を少しばかり羨ましく思った。
そう、昔は友達を作るのが一苦労だった気がした。どうしてか避けられていたような気がした。そして、二人だけが自分に近づいてきたのだ。
子供の頃の大親友。しかし、その顔も、名前も思い出すことができない。いつも一緒に遊んでいた気がするのだが、そう確か、何段もある階段を上った――
「お姉ちゃん何で突っ立ってんの?」
「え? ううん、何でもない」
さと美に話しかけれてようやく現実に戻ってきた紗理奈だったが、今思い出そうとした懐かしい子供の頃の記憶をどうして思い出すことができないのか引っかかっていた。
ソファーはあきことさと美と美鬼の三人で独占しているので、瑠美がお風呂に入っている間はカーペットに直に坐ってテレビを一緒に見ていたが、いつも続きを楽しみしていたはずのドラマの内容が一つも入ってこなかった。
しかし、それを考えるのも瑠美がお風呂から戻ってくるまでの話で、瑠美が自分のネグリジェを着て戻ってきた時には忘れ去ってしまったのだった。
「お先にいただきました」
「良いのよ。最後は紗理奈ね。早く入ってらっしゃい」
そう言われた紗理奈であったが、彼女はあきこの言葉が右から左に流れてしまっていた。じっと瑠美の濡れた髪を掻き上げる仕草を目に焼き付けることに集中していた。
「紗理奈聞いてるの?」
「え? あ、うん。じゃあ入ってくるね」
紗理奈が下着を脱いでいる時にようやく自分が幸運を手に入れたことに気が付いてしまった。
そして、髪を洗い、トリートメントを付け、洗顔し、身体をいつも以上に丁寧かつ隅々まで洗って、気を引き締め、一度元旦のお参りにも近い合掌をしてから湯船に身体を沈めた。そして
「ここに瑠美ちゃんと美鬼ちゃんが……瑠美ちゃん美鬼ちゃんエキスを――吸収!」
紗理奈は勢いよく湯船に顔を埋め、お肌が少しだけ潤いに満たされた気がした。紗理奈が上がるとドラマはシーズンフィナーレになっていて、衝撃的な結末で終わりを告げたところだった。見終わってエンディングが流れ始めるとあきこが
「早く続きが見たくなるわねぇ」
っと舌鼓を打っていた。それを聞いた瑠美が
「このドラマ、次のシーズンで原作を追い越しちゃんですよ。この間ニュースで見ました」
っと口にした。
「え!? 原作って、これまだ完結してないの?」
「そうなんですよ。原作者が今書いてる途中みたいですけど、かなりの遅筆で有名な作家さんなんですよ。でも、ドラマの脚本は作者が共同で執筆しているので原作ファンも納得の作品なんですよ」
そして、その間にさと美が「お風呂入るね」っと言ってリビングから出て行った。あきこと美鬼は瑠美から原作とドラマの違い、登場人物の秘密などを耳の穴を大きく開いた状態で聞き入っていた。あきこが
「瑠美ちゃんは情報量がすごいのね」
っと言えば、美鬼も同じように
「ぬしは知らぬことなどないのけ?」
っと聞けば、瑠美はいつもの決め台詞
「知識の箪笥の中に入ってるんです」
っと言ったのだった。紗理奈は人差し指を唇に付けながら
「瑠美ちゃんのその頭脳が私にも欲しい」
っと言ったのだが、瑠美は微笑んだだけで何も言葉を返してはくれなかった。その時にさと美が
「上がったよぉー! はぁー! さっぱりしたぁ!」
っと大声でリビングに入ってきた。ミディアムボブの髪をバスタオルで隠した姿は、本当に自分が中学生の時と似ていると紗理奈は毎度思うのだった。暫くはリビングで談笑していたのだが、さと美があくびをし始め
「じゃあ、おやすみなさい。また明日です」
それに瑠美が
「おやすみ、さと美ちゃん」
っとエンジェルスマイルを披露すれば、美鬼は海賊が宝島を発見した時のような笑顔で
「良い夢を見るが良いでありんす。明日も一勝負しなし!」
っと言うのだった。さと美はそんな彼女の言葉にとても嬉しそうに答えた。
「解りました。おやすみなさい」
リビングから出たさと美の後姿を見送った後に紗理奈が
「じゃあ、私達も寝よっか?」
っと二人を見て口にした。美鬼はまだ先程のテレビゲームで紗理奈に負けたことが悔しかったのかこう言ったのだった。
「強敵であるぬしと一勝負したかったが、妹御との祭りごとに備えることにしんす」
「そうだね。今日はもっと大事な話があるもんね」
っと茶目っ気たっぷりに瑠美が言った。そりゃあ、美鬼の話を聞けるのだから好奇心が刺激される事案である。美鬼のことを少しでも知りたいという欲求が自分にもないわけではない。むしろ知りたいことだらけで、好奇心を煽られる、興奮に近い感覚に追い散るほどだ。紗理奈が「お母さん、おやすみなさい」っと言えば、続けて瑠美が
「あきこさん、おやすみなさい」
っと言って、美鬼も立ち上がってあきこの顔をちゃんと見て言葉を出した。
「奥方、おやすみでありんす……です」
「みんな、おやすみ。今日はありがとう。これから楽しんでね」
そう言われ三人は「はい」っと元気よく答えて客間に向かった――。
客間に入って早々、敷かれた三人分の布団を見た瑠美は
「じゃあ、美鬼ちゃんが真ん中ね」
っと言ったので、残念なことであるが彼女の隣で眠ることは叶わなかったが、一緒の空間にいることで彼女と同じ酸素を吸う度に嬉しさが込み上げくる。二人が布団に入ったのを見て紗理奈は「少し暗くするね」っと言って照明を暗くして布団に入った。
「何だか修学旅行みたいでウキウキしてきたよ」
紗理奈の言葉に美鬼は首を傾げて
「修学旅行とは何でありんすか?」
っと聞いてきた。瑠美は美鬼が修学旅行について知らないのを不思議に思っているようで
「美鬼ちゃん修学旅行って知らないの?」
っと口に出した。美鬼は分が悪そうに
「その、なんじゃあ、旦那様が秋口に、その、修学旅行に行くとは言っておってな、何のことが解らんかったが、とりあえず解りんしたとこたえたのじゃが――」
っと答えた。そして紗理奈は瞬時に、はじめが二年生で十月の中間考査の後、すぐに学園祭と修学旅行のハードスケジュールを熟すのだと思った。
「普通の旅行とは違うのでありんすか?」
「まぁ、旅行ちゃあ旅行だけど、どうしてその場で宮部先輩に聞かなかったの?」
「旦那様に無知と思われるのが……嫌でありんすから……」
全く鬼娘ってのは可愛い生き物だぜっと心の中で思ったが口にすることはなかった。それに自分でも答えることができる知識なので自信満々に無い胸を張った。
「修学旅行っていうのはみんなで旅行して、一緒に寝て、遊ぶんだよ」
「は? な、なななななな何じゃそれはぁぁぁぁぁぁ!? 許さん! 許せん! 許すまじ! 旦那様がわっち以外の女子と旅行など断じて阻止しなければなりんせん!」
美鬼の心が瞬間沸騰したので額には朱色に二本の角がニョキニョキと生えてきた。今ここに自分と瑠美しかいない空間でホッと胸を撫で下ろしたのだった。
興奮してしまった美鬼を見て瑠美が泥船を出してしまった紗理奈に代わって木船を出してくれた。
「修学旅行っていうのはね、学校行事の一つで、教育活動の一環なの。団体行動での秩序を理解させ、自然保護と歴史的建造物や書物による文化を見聞することによって得られる道徳観念を育成する行事ってところかな?」
「そのような可笑しなことをして、人間は面白いのでありんすか?」
「まぁ目的を言えば小難しい教育プログラムなんだけど、結局はみんなで楽しく思い出を作りましょうねって感じだよ」
「みんな?」
「そう、友達との、大切な思い出作り。結局グループ行動で男子と女子は別行動だし、泊まる部屋も一緒になることはないから、何も心配することはないよ……離れてしまう友達との、思い出作り……」
最後の方の言葉を言うのに詰まっていたことが気になったが、美鬼は瑠美の説明で納得したようで二本の角が見る見るうちに小さくなって消えてしまった。
「そうでありんしたか。旦那様がご友人と思い出を作りに行かれるのなら、それはしょうがないでありんす。楽しんできて欲しいでありんす」
ふと疑問に思ったことを紗理奈は聞いてみた。
「美鬼ちゃんは一緒に行かないの? この間みたいに人の影の中に入ってれば一緒に行けるじゃん」
「あ、あれは……実は……」
何やら分が悪そうに顔をしかめた美鬼を見て紗理奈は首を傾げた。
「宮部先輩と何かあったの?」
「いや……その……それより恋バナをするんでなんし!」
「えぇー、ねぇねぇ話してよぉ。これはもうすでに恋バナだよぉ」
美鬼は瑠美の方を見て救いの手を欲したのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。
「そうだよ美鬼ちゃん、私達を信じて話してみてよ。良いアドバイスが出てくるかもしれないよ」
紗理奈は美鬼の困っている顔を見れて少し楽しくなってきていた。にやけ面の紗理奈とニコニコと天使の笑みを浮かべている瑠美に挟まれた美鬼は頭を抱えていたがとうとう口を開いた。
「あぁーもう解りんした! その、実はこの間は……旦那様に黙って、学び舎に付いて行ってしまったのでやんす……」
紗理奈と瑠美は顔を見合わせてどういうことなのか解っていなかった。瑠美が
「えっと、つまり、宮部先輩の断りもなく影の中にいたってこと?」
っと聞けば、首をガクッと落としてしまった。
「……まぁ……そういうことでやんす……」
紗理奈は俯いてしまった美鬼の顔を覗き込んで聞いてみた。
「普段は影の中にはいないの?」
美鬼は紗理奈の方へ頭を上げて、まるで噛みつく勢いのある狂犬の目つきになっていた。
「当たり前でありんす。誰が好き好んであんな中に入るか!」
続いて瑠美が美鬼に質問を投げかけた。
「じゃあ普段は影の中にはいなんだね。美鬼ちゃんが影の中にいることに先輩は気が付かないの?」
「何を言うておる? 影の中に入っているわっちをどうやって感じるというのでありんすか?」
「つまり、美鬼ちゃんには妖力があるでしょ? 先輩には霊力があって、それで妖怪変化が何処にいるか解ったりするんじゃないの? 美鬼ちゃんのような強い鬼ならすぐに気が付くのかなって思ったの」
「それは無理でありんす。旦那様は霊力をあの――」
美鬼はそこで話を止めてしまい、下を俯き「他の話をしておくれやす……」っと言ったのだった。紗理奈は今思っていることをただ単に口に出した。
「それじゃあさ、先輩が学校に行ってる間って、普段は何処にいるの? あとあと、何であの日は学校までついて行ったの??」
「えぇと……普段は家でお義母様と一緒にいるでありんすが、あの日はお義母様が所要でお出掛けになりんした。それで、ほんの少し前まで夏休みというものでずっと一緒にいた旦那様がおらんくなって、離れるのが……辛かったのでやんす……」
「美鬼ちゃん純なピュアだね!」
「純な、ピュア? とは何ぞ?」
紗理奈の独特な語彙に首を傾げる美鬼を余所目に瑠美が質問を投げかけた。
「えっとね美鬼ちゃん、話を戻すね。夏休みの間は宮部先輩とずっと一緒だったの?」
「まぁ、そうでありんすな。しかし、それもほんの二週間ほどでありんした。とても短かったが、この町を二人で出掛けたり、悪さをする妖怪変化を探したり、倒したりしておりんした。それが、楽しく、何より、二人でいる一刻一刻が、尊く、嬉しく……それで、学校というものが始まり、旦那様と離れてしまう時間が……心の臓を闇に食らい尽くされるほどの痛みを感じておりんした……わっちは…旦那様から離れとうなかったのでやんす……」
「でもさ、少しは距離を置いた方が、相手を知ることができるって言うよ」
瑠美のその言葉に美鬼はさらに俯かせてしまった。
「わ、わっちだってそれぐらい……解ってはおる……しかし……誰とも知らん傍にいたいと……それに……」
「それに?」
「わっちは……見てみたかったのでやんす……」
「見たかったって何を?」
「旦那様が通っている、学校というものを、見て見たかったのでやんす……」
「どうして見たかったの? そんなに先輩のことが気になって――」
「そうではないでやんす……いや、それも一理ありんすが……旦那様から聞く学校というものに、わっちは強く惹かれんした。同じ空間に多くの人間がいて、学び、時には助け合い、貶され、悩み苦しみ、互いの成長を楽しむ場所を……」
「あり? 学校ってそんな場所だっけ?」
紗理奈が徐に口にした学校の定義に対しての疑問は無視され、瑠美は俯いた美鬼に言葉を掛けた。
「さっきも公園で言ってたよね。一人でいるのが、孤独なのが哀しく辛いって。美鬼ちゃんは、宮部先輩のような愛する人とは違う存在が欲しくなったんじゃない?」
「何を世迷言を抜かす! そんな者! わっちは欲しくなど――」
「ううん、欲しかったんだよね? 昔の、山にいた時、一緒に遊んでくれた友達のような、新しい友達が――」
「あやつらは友などではありんせん! 下等な者達が鬼のわっちと――」
「違うよね? 本当の美鬼ちゃんはそんなこと思ってない。一緒にいてくれた彼らは、美鬼ちゃんにとって、初めてできた大切な友達だった。言葉にしていないだけで、本当は友達だったんでしょ? それは、とても大切な――」
瑠美は美しき白い衣を身に纏った天女のような微笑みでその場を照らしたかのように見えたのは紗理奈だけであったが、美鬼も何かを感じたようで
「……そう……かもしれん……」
っと素直に答えたのだった。紗理奈がすかざず
「ねぇねぇ美鬼ちゃん美鬼ちゃん!」
っと声を掛ければ、俯いていた美鬼は面倒くさそうに自分を見てくれた。
「私達はもう友達じゃん、ね!」
「……」
何の言葉もなくただ遠くを見る時の目をした美鬼は、何かを考えているように思えた。紗理奈の言うことに瑠美も賛同してくれたようで
「そうだよ美鬼ちゃん、私達はもう友達だよ。何かあれば、私達で良ければ助けたい。だって、友達って好きな人とはまた違う、大切に思える人だから」
っと言うのだった。
「瑠美……ありがとなんし!」
美鬼は紗理奈の言葉よりも瑠美の方にばかり反応しているのは気のせいではないと思っているが、何でそうなってしまうのか少しだけ考えてやめた。それより気になったことを聞いてみる方がここは良さそうである。
「美鬼ちゃんがやんすって言う時は、辛いとか、悲しい時なんだね」
美鬼は紗理奈から言われた不意な言葉に「なっ」っと言って目を泳がせて動揺を隠せないでいる様子だった。
「でもそんな美鬼ちゃんが可愛いなぁって私は思うな」
紗理奈に続けて瑠美も
「私達の前なら気を張らなくても良いんだよ美鬼ちゃん」
っと言えば、美鬼の瞳はじっと右下を見つめ、何やら考え込んでいるようだったが、すぐに二人を交互に見た。
「わっちは、気など張っておりんせん。母上の……娘でありんすから……」
紗理奈は美鬼が母親の話で、また落ち込み始めるのではないかと不安が過ぎった。何か他の話題に変えようと考えて出たのは
「でも好きな人とずっと一緒にいたいって気持ちは私もすっごく解る。好きな人といる時間って、本当に一瞬で過ぎ去るだもん」
だった。美鬼の共感を得ようと発した言葉であったのだが、反応したのは美鬼ではなく瑠美だった。
「へぇ、黒木さんって恋愛経験豊富なの?」
穢れ無き眼から発せられる星屑の煌めきに酔いしれてしまいそうになったが、そこは何とか堪えた。
「いや、いやいやいや! 全然だよー。だって私、今まで彼氏いたことないんだよねぇ」
「へぇーそうなんだ。何だか意外だね、クラスで最初に黒木さんを見た時には、すごく大人しそうな印象だったけど、ゴールデンウィークが終わって髪を染めてきた時には、うわっ怖ってなったよ」
「え!? 私そんな、怖ってなってた?」
「そうだね。私は、あぁ、黒木さんってエンジョイな人なんだって思ったよ」
「私そんなんじゃないから!」
「エンジョイとは何ぞ?」
美鬼も会話に参加できるまでに回復したようで少し気が楽になった。もちろんのこと、質問には瑠美が答えた。
「簡単に言えば楽しむってことだよ」
「なるほどな。異国の言葉は難しくて敵わんでありんす。しかし、ぬしの見た目は確かに奇抜で素っ頓狂な昨今の女子だと思ったぞ」
「美鬼ちゃん! それ私に失礼!」
間髪入れずに突っ込みを入れた紗理奈の言葉に二人は瞬時に笑顔になった。
「ははは――」
それを見ていたら、紗理奈も自然と笑っていた。どことなく、ここにいること、三人でいることが、とても心地良かった。そして、さらに夜は更けていった――。
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