其の漆(加筆修正版)
「ところでさ、先輩の何処が好きなの?」
紗理奈が繰り出した効果は抜群の質問にまたしても動揺している美鬼はとても可愛かった。
「唐突になんでありんすか!?」
「いや、だって恋バナしようって言ってたじゃん」
「そうでありんすが……まぁ……強いて言うならば、初めて会った時、旦那様はとても悲しい目をしておりんした。それに引き寄せられるようにわっちは旦那様に近づいたのでありんす」
「何それ? 一目惚れしたってこと?」
「旦那様が放っていた霊力の波長が、わっちに触れたのでありんす」
「運命の赤い糸みたいで、すごく羨ましいなぁ」
頬杖を突きながらときめいている瑠美は乙女で可憐だと頭の中の妄想は膨らむばかりであった。紗理奈はこの話題ならば地雷原に足を踏み入れることはないだろうと鷹を括った。
「それでそれで? どっちから話しかけたの? 最初に言われた言葉って何?」
意気揚々とした紗理奈の勢いとは対照的な愁いを帯びた瞳が暗く淀んでいたのに、気付くことができなかった。
「旦那様から話しかけてくださった……待たせてごめんとな……」
「どういうこと? もしかして先輩にナンパされたの?」
「それは……言えぬ」
「じゃあ、最初はお互いを何て呼んでたの? 美鬼ちゃんは先輩をいつから旦那様って呼んでるの?」
矢継ぎ早に言われた質問に困惑しているというよりも、思い出したくないものをえぐられている。そんな顔だった。
「……最初から……美鬼ちゃんと呼ばれんした。わっちは……人間……っと呼んでいんした……そして……あ奴らを……殺した後から……」
紗理奈は思わず
「殺したって一体――」
誰をと続けて言いかけたところで、瑠美が首を横に振っているのが解った。そして、美鬼は天井を見上げ話しを続けた。
「わっちにはもう旦那様しかおりんせん。今生を共に生きられるのならば、わっちは旦那様の魂が器から抜けたその時……死を選ぶなんし……」
少しばかり予想外な方向に話が進んでしまったので、紗理奈は自分の気遣いの足りなさを悔やんだ。しかし、瑠美はこの話に興味があるのだろう。その瞳の輝きは、先程の乙女のときめきとは全く異なる怪しげなかが気を放っていた。
「ねぇ、美鬼ちゃん、先輩の何処に惹かれたの?」
「お優しいところでありんす。それは人でも妖怪変化であっても変わらないところなんす」
「でも、それは誰にでも優しくしているから、美鬼ちゃんにとっては気苦労が絶えないんじゃない? 例えば、京狐さんにも同じ態度を取る先輩にイライラしたりしないの?」
「旦那様は女狐など眼中にありんせん。何せあ奴は夫婦に命じられていたとはいえ、旦那様を殺そうとした不届き者でありんす」
「京狐さんが先輩を殺そうとしたの?」
「あ!」
美鬼は滑らせてしまった言葉を取り戻すことができないことに気が付き下唇を噛み締めた。
「京狐さんは誰に命令されて先輩を殺そうとしたの? 夫婦ってことは、二人が命令したの? それって、今水木神社が改修工事をしている理由なんじゃないの?」
この話をしたかったのではないかと思うほど、瑠美の言葉はすでに並べられた文章を読んでいるかのようにスラスラと出ていた。
「それは……わっちが……」
「京狐さんが先輩を殺そうとした時、美鬼ちゃんは何をしていたの? あの場所で京狐さんと戦ったのは美鬼ちゃんなんじゃないの?」
「よしゃれ……これ以上は話とうありんせん……」
瑠美がこのまま引き下がるはずはないと思っていた紗理奈だったが、瑠美は
「これ以上話せないなら無理しなくても良いんだよ」
っと口にしたのだった。グイグイと迫っていた先程の勢いが一瞬で冷めてしまった百年の恋のように消えてしまった。しかし
「……あの時……生まれて初めて唇を重ねんした」
っと唇に触れながら美鬼は話を続けた。
「女狐とあのげびぞうに殺されそうになった時……旦那様は身を挺してわっちを……皆を守るために……」
紗理奈は悩ましげな表情を浮かべる美鬼を見て、絶世という言葉が思い浮かんだ。恍惚とした表情は火照り、滑らかで艶のある唇は相手を求めて彷徨っていた。
「唇を重ねる前に、孤独で生きるより、二人で生きよう、そうおっしゃられんした」
紗理奈は言葉を選びながら話しかけた。
「ごめんね美鬼ちゃん、辛いこと……だったのかな?」
「これ以上は話すことができんが、少しはわっちのことが解りんしたか?」
「うん、少しずつだけ解ってきたよ」
「秘め事が多くてもか?」
それには瑠美が答えた。
「大丈夫、言えない秘密があるほうが、女性は綺麗だよ。それじゃあ話をかえるけど、鬼ってどれくらい生きるの? 美鬼ちゃんは五十年以上生きてるんでしょ?」
「まぁ鬼は永久の時を生きなんし。わっちは旦那様より長く、いや、気が遠くなるほど長い時を永遠に。歳を取ることもない」
紗理奈は再びその場の雰囲気から逸脱した感情で答えた。
「すっごいね! 年取らないってことは老けないんだ。私も鬼になりたい!」
そう言うと美鬼は下に俯きながら聞こえないような小声を出した。
「わっちは……こんなことを、言うべきはないのは解っていんすが……」
一筋の涙が美鬼の頬を伝ったのが一目で解った。それはとても大きな、大きな涙の雫だった。
「……人間に生まれてきたかった……」
その言葉が瑠美にも聞こえていたかどうかは解らなかったが、紗理奈は聞こえていないふりをしようと話題を変えた。
「じゃあ次はね、宮部先輩と最近キスしたのはいつ?」
「な!?」
暗くても顔が真っ赤になっているのが何となく解った。美鬼は恥ずかしがりながら
「しょ、しょ、しょれは……起床と……就寝の折には……毎日必ずしておりんす……」
「いやぁぁぁぁん! ラブラブじゃん! おやぁー? も、し、か、し、て、さぁ――」
紗理奈はぶっきらぼうに美鬼に寄り添って肩を引っ付けた。
「その先もぉー、先輩としちゃったぁ?」
ニンマリとしている紗理奈は、美鬼からしてみればまるで瞳から光線銃でも放っているのかと思うほど眩しく厄介な質問を聞いてきたと思ったことだろう。そんなことは紗理奈自身も解ってはいるが、それでも、こういった話を友人たちと話した経験のない彼女にとって美鬼とはじめの話は蠱惑的かつ魅力的で、魅惑的だった。
「しょれは……沽券に係わる話でありんすから……」
「別に良いでしょぉー! 教えてよ美鬼ちゃん!」
「うぅぅぅぅ――」
「ふっふぅーん。さてはもう――」
にやけた顔に手を当てる紗理奈は、まるでご近所の噂話を好んで収集する女性のようだった。
「あぁー! じゃかあしぃ!」
そう言って美鬼は瑠美を見ると少しばかり顔を赤らめているのが解り、紗理奈から見れば二人とも顔が真っ赤になっていたのだった。
「何となく解っちゃったぁー」
「うぅぅ――」
恥ずかしそうにしている美鬼を見ているのは楽しいが、これ以上はいけないと思い話題を再び変えようと思ったが
「ねぇねぇねぇ、どうして毎日キスしてるの?」
っと口が思っていることとは裏腹の言葉が先行して声になっていた。美鬼は鋭い八重歯を見せて怒った顔になった。
「うるさい生娘! わっちはいつもいつもいつも不安なんじゃ! だから唇を重ねてくれるだけでも確かめたいのじゃ。わっちのことを……本当に好いていてくれるか……旦那様が……わっち……捨てられてしまうのではないかと思うと……」
「美鬼ちゃん……」
紗理奈は美鬼は感情の起伏が本当に激しく、そう、まるで子供のような側面を見せたかと思えば、はたまた大人のようなことを考えていたりしているのだと思った。
「旦那様は誰にでも優しい。それにわっちは鬼でありんす。本当は……旦那様は、わっちではない人間と一緒になった方が、幸せかもしれんと……時々……考えてしまうのでやんす……」
瑠美は美鬼の布団に手を掛けた。
「宮部先輩は誰にでも優しい訳じゃないよ。確かに優しいけど、厳しいことも言うでしょ?美鬼ちゃんのことを大切に思っているからだよ。それにね、友達を作って欲しいっていうのは、美鬼ちゃんが孤独でいて欲しくないから言ってくれたんじゃないかな?」
「そう? なのか?」
「孤独でいるのは死んでる時と一緒だからね。自分の好きな人が、みんなに好かれて嫌な人はいないよ。むしろ誇らしいと思う。自慢したいんじゃないかな?」
美鬼は嬉しそうな顔になった。八重歯にしては長く鋭い歯を見せて
「誇らしいでありんすか? わっちのことを?」
っと言えば続けて紗理奈が口を出した。
「美鬼ちゃん綺麗だし、なんだかんだ優しいじゃない。料理も美味しいし、私が男だったら、みんなに見せびらかすね」
「自慢の嫁になる為に努力は惜しまん。わっちは旦那様の隣にいたいのでありんす」
紗理奈はエプロン姿の瑠美がいる生活を妄想して、それが口にも出てしまった。
「私もマイラブラブリーエンジェルには、ずっと隣にいて欲しいって思うなぁ」
瑠美がそれに対して首を傾げながら聞いてきた。
「それって誰なの? 黒木さんの好きな人って。私すごく興味あるなぁ」
「いや、それは……ちょっと……」
「じゃあ民主主義的に、ここは平等にいきましょう。黒木さんの話が終わったら、私の話もするから」
「いやぁー……このお話は、私の沽券というか人格を疑われるかもしれないことでして……」
しかし、瑠美の恋バナが聞けるのなら嘘の話をでっち上げようかとも考えた。しかし、卑怯な手を使うべきだと主張する自分の中の悪魔と、正直にありのままを話しなさいと訴える天使が格闘している最中に
「ほほぉー、面白くなってきたでありんすなぁ」
っと言って美鬼も参戦してきたので、このままでは二人に問い詰められてしまうと思った紗理奈は必死で逃げの言葉とどうやって話題を変えようか悩んだが、結局は何も考えることができずに掌を合わせた。
「もう、勘弁して下されお二方!」
美鬼は上の方を見ながら
「わっちはぬしのことを言うておるのではない」
っと答えた。
「え? じゃあ誰のことを言ってるの?」
「ぬしの恋い慕う相手は後で聞く。今、妹御の部屋から涼花ではない妖力を感じんす」
「「え!?」」
「行くぞ」
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