其の伍(加筆修正版)
ほんの少しだけ、美鬼との距離が縮まったと思える時間を過ごした気がした。三人が紗理奈の家に着いた頃合いには九時五十五分になっていた。黒木家の玄関前には涼花が咲き誇る一輪の花の如く美しく健気に立っていた。
三人の気配に気が付いたのか、いや、きっと美鬼の妖気を察したのだと思うのだが(何となくそう思った)彼女はじっとこちらを見てにこやかに笑っていた。玄関先まで来て美鬼が
「涼花、ご苦労」
っと声を掛ければ、涼花は春爛漫の言葉が思い浮かぶフリージアに似た笑顔で
「美鬼さん、どうもお疲れ様です」
っと返事をしたのだが、美鬼の後方から歩いてきた紗理奈の存在に気付くと、その表情は雨に打たれた菜の花を思わせる泣き顔へ変わり果てた。
「紗理奈さん! 良かった! 本当に良かった!」
涼花はその場で腰が抜けたように崩れてしまいそうになったが、辛うじて堪えたように見えた。
「え!? 涼花さん!? どうしたんですか!?」
紗理奈は突然泣き出した涼花の姿に動揺を隠せなかった。それは瑠美も同じ状態で、瞳孔が大きく開いていた。涼花はと言えば、まるで生まれたての小鹿のように震え縋るように声を出した。
「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! はじめさんに言われていたのに! 私! あなた達――」
「涼花、それは言わんでも良いでありんす。それより、何か来んしたか?」
涼花の言葉を不自然に遮った美鬼の問いかけに、ポロポロと頬に流れていた涙をハンカチで拭きながら涼花は答えた。しかし、妖怪変化でもハンカチを使うのかと思った。
「な、何も来ていません。時折家にも入りましたが、異常はありませんでした」
嗚咽が混じった返答よりも気になることが紗理奈にはあった。
「涼花さん、心配してくれてありがとうございます。それより、お札が貼ってあるのに家に入れたんですか?」
「えぇ、私は宮部家に仕える者ですから、お札の効果はありません。何も心配することなんてないですよ」
「そうなんですね。あの、さっき言いかけてた宮部先輩に言われ――」
「それより生娘、母上が帰っているか確認せんでもえぇのか?」
「ああぁぁぁぁぁ! 忘れてたぁぁぁぁ! 涼花さん! お母さんは帰ってきてますか!?」
「いいえ、まだご帰宅されていませんよ。この時間でもご帰宅されないところを見ると、紗理奈さんのお母様は、大変お忙しいんですね」
紗理奈は左の頬をポリポリと軽く掻きながら答えた。
「えっと、まぁ、お母さん、あんまり良く解らないんですけど……システムエンジニアやってて、遅い時は……次の日の朝に帰ってくるんです……最近は……ないですけど……」
紗理奈の脳裏を過ぎったのは、お婆ちゃんが作ってくれた夕食に不満げな顔をしている自分だった。あの時「お母さんのご飯が食べたい!」っと駄々を捏ねて、それに釣られてさと美まで駄々を捏ねてしまい、お婆ちゃんを困らせた時を思い出した。
「ごめんなさい。私、紗理奈さんを辛い顔にさせてしまったわ」
「別に良いんです。気にしてません」
そう言った紗理奈の無理矢理作った笑顔を見て、涼花は心配そうにしながらも笑顔を返してくれた。そうして美鬼が
「わっちは家の中で生娘達を守りんすが、涼花は警戒を続けなんし」
「はい! 解ってます!」
そう超えた涼花は、普段見せていた優しい雰囲気が春風に吹かれて消え去り、力強く、何よりも頼もしく感じさせた。紗理奈は
「あの、 さと美は? 妹は今、どうしてますか?」
「ご安心ください。妹さんはテレビを見ていますよ」
「はぁー、良かったぁー」
さと美が相変わらず呑気で普段通りであることが心の底から嬉しかった。しかし、姉がどんな恐怖を味わったかなど知る由もないことが少しばかり悔やまれる。一所懸命に守ろうとした事実をさと美が知ることはないのだ。
多分、人間で瑠美やはじめの他にこんな話をすることはないだろうし、死ぬまでこの話は胸の奥の扉に閉まっておくことにしよう。
向かいの家の石垣を見れば、通称刀と猫が吹き飛んだ時の凹みがないか確認したが、石垣自体が相当年季が入っているため解らなかった。
対して自分の家の周りを囲んでいるフェンスは少し凹んでいて、石垣のように頑丈そうに見えなかった。門扉を開けて玄関の扉の前に立ち、財布から鍵を取り出して開けた。
「ただいまぁ」
「お邪魔します」
「お邪魔しんす」
すでにテレビの音が聞こえていたので、さと美が無事であるのは解ったが、それでもちゃんと姿を見ないと落ち着かない。瑠美と美鬼を引き連れてリビングへ向かうと、さと美はソファーに座ってダラッと寝そべっていた。当たり前の光景がそこに広がっていて紗理奈はようやく心を撫で下ろした。
「ん? お姉ちゃん、何処行ってたの? 起きたらいなくてビックリしたじゃん。今日の食事当番あたしなんだから、一緒に買い物行かなきゃいけなかったのに――」
さと美が話しながらソファーから振り返ると何故か着物姿の姉の両隣には、超絶美人で妖艶な女性と赤い眼鏡をした知的で笑顔がキュートな女性が立っていた。
「お邪魔します。初めまして、小林瑠美です」
「お邪魔しんす。どうもお晩ですぅ。わっちは美鬼でありんす」
さと美は一瞬目が点になったが、すぐさま起き上がって身だしなみを整えて
「紗理奈お姉ちゃんのい、妹のさと美です。あ、あの、ごめんなさい。お姉ちゃんだけかと思ってました。いらっしゃい」
っと頭を下げて慌てていた。そりゃあ人は第一印象が大事なのだから仕方ないことだ。瑠美は笑顔で
「大丈夫です。こちらこそ、いきなりお邪魔してごめんなさいね」
っと言えば、さと美は「うわぁー。瑠美さん綺麗ぇ」っと本音を漏らしていた。
「荷物は何処に置けば良いでありんす?」
両手に持ったてんこ盛りに入っているエコバックを少し持ち上げた美鬼の言葉に紗理奈は慌てて
「あ! ごめんごめん、こっちに置いて。ありがとう美鬼ちゃん」
さと美は美鬼の持ってきたエコバックを差して
「その荷物何ですか?」
「喜べ娘! 今日は肉でありんす!」
「へ?」
紗理奈は一度部屋に行って着替えをしてから、リビングに戻って瑠美と美鬼が泊まることを母へ知らせる為に連絡を入れた。その間にさと美は冷蔵庫に肉を入れていた。
《突然だけど、学校の友達が泊まることになったの。良い……かな?》
その連絡を入れた途端に恐ろしい速さですぐに返事が来た。
《急すぎる! それならもっと早く連絡しなさい! もう家に着くから話は聞く》
まぁ当然の反応は仕方がない訳で、その返事のすぐ後に母が帰って来た。
「こんばんは。初めまして、紗理奈の母のあきこです」
「初めまして、小林瑠美です」
「お初にお目にかかりやす。美鬼でありんす……です」
「どうもー。いつも紗理奈がお世話になっております」
「全くでありんす……です」
「え?」
美鬼の発言にあきこは少し困惑していたが、すぐにテーブルの上に置いてあるエコバックの大量の食材に気が付いた。
「これはどうしたの?」
「みなで食事できるようにとお義母様がくれんした……です」
「え!?」
「お義母様はお優しいでありんすから……です」
あきこは美鬼が何を言っているのか解らず理解に苦しんでいる。当然、美鬼が事情を説明すると誤解を生む可能性があるので、瑠美が代わりに凜が提案してくれた話で説明した。
「えっと、私達、来月、水木神社の神前祭で巫女のバイトをするんですけど、今日は打ち合わせで、神主の宮部凜さんがそれを――」
「えっと、ごめんなさい。ちょっと紗理奈」
あきこは手招きして紗理奈を呼んで、他の人に聞こえない小声で話を始めた。
「あなた、まさか……思い出したの?」
「思い出したって何を?」
「あの時のことを思い――いえ、良いわ」
あきこは突然に口を噤んでしまった。紗理奈が「何を――」っと聞こうとしたが、あきこは美鬼の方を向き話しかけてしまった。
「ありがとうございます。美鬼ちゃんのお母さんにお礼を言っても良い? あ! でも今日はもう遅いかしら?」
「別にこの時間でも大丈夫でありんしょう。夜に活動する者が多いせいでお義母様はこの刻もやすやすと安眠することが出来なんだ。それにわっちの母上ではありんせん。旦那様のお義母様でありんす……です」
「へ?」
あきこはとても困っているが、紗理奈も瑠美もどういって良いのか解らないのでスルーしてしまった。そんな美鬼は語尾を気にしているだけで、内容までは気が回っていないようで続けて
「大丈夫でありんす……です。今電話をしんす……です」
っと言うと彼女は後ろのポケットから虎柄の小さな袋を取り出すと、その中からスマホが出現する衝撃が紗理奈と瑠美の目を点にさせた。美鬼は慣れた手つきでスマホを操作して電話を掛けた。
「お義母様、美鬼でありんす……です。生娘――じゃなかった。紗理奈の母上様が食事のお礼を言いたいと――どうぞ」
あきこは美鬼から手渡されたスマホをすぐに耳に当てて
「もしもし黒木です――えぇ――」
っと話し始めた。その間にさと美が「じゃあ、あたし味噌汁とサラダ作るね」っと言って料理の準備を始めたので、瑠美も「私も手伝うね。一宿一晩の恩返ししないとね」っと腕まくりをしてさと美に続いてキッチンに入った。
「良いですよ。座っててください。今日はあたしが当番ですから」
「良いの。じっとしているのが苦手なだけだから」
「ありがとうございます」
そして、まな板と包丁をさと美が準備して戦闘態勢になった。紗理奈も一応は料理を作れるのだが、はっきりと言えるが、料理は母と一緒に作っており、修行中の身であるため、ここは焼肉の機材の準備をする裏方に回ることがみんなにとって幸せだと思った。
自分と違って何故かさと美は昔からお婆ちゃんと一緒に料理を作っていたこともあり、自分より美味しく作ってしまうのが、プライドを傷つかせる点である。
「わっちの包丁さばきをとくと見るが良い」
美鬼の包丁さばきはまるで料理の鉄人よりも凄い早さで綺麗に切られていた。そして切られた野菜はまるで食品サンプルのようだった。
さと美はなめこの味噌汁の為の豆腐を切っていた。他には何も入れないのは今日がお肉だと解ったからであろう。
瑠美は美鬼と一緒に野菜を切っていて、いつも料理しているのがすぐに解るほど手慣れていた。紗理奈はホットプレートやエコバックに入れていた焼肉のたれを準備していた。
「ごめんね、手伝って貰っちゃって」
それを聞いた瑠美が
「言ったでしょ? 一宿一晩の恩返しだって。気にしないで」
ふと見るとあきこは――未だに電話している。帰って来てからずっとスーツ姿のままで十五分は話しているのではないか?
「――気付いていました――えぇ――じゃあ今回は――解りました――私は忘れたことはありません。ありがとうございました――」
耳に少しばかり聞こえてきた「今回は」や「忘れたことはありません」というのは、以前にも凜と話したことや会ったことがあるのだろうか? そういえば、前回(凜があきこと話している最中)もそうだが、話している内容を良く聞いていなかった。
さっきもあきこは自分に思い出したのかと聞いてきたのは、どういったことなのだろうか?
あきこは話を終えると料理をしている美鬼達を見て、申し訳ない顔で
「ごめんなさいね美鬼ちゃん、凛さんとこんなに長話をしてしまって」
っと美鬼に話しかけた。美鬼はにっこりと紗理奈には向けてくれない笑顔で答えた。
「別に構わないでありんす。奥方はお義母様と積もる話がありんしょう」
「そう……そうね。スマホ置いておくわね」
っとあきこはそう言ってテーブルにスマホを置いた。美鬼は「解りんした」っと言ってブロックのお肉をフライパンで表面だけを軽く焼いていた。あきこは瑠美の方を向いて
「瑠美ちゃんもありがとう。お客様なのに料理のお手伝いをさせてしまって」
「そんなことないですよ。みんなで作るのは楽しいです」
瑠美がそう答えると、あきこはハニカミながら頭を下げて「ありがとう」っと口に出した。続けて
「瑠美ちゃんのご両親にもお預かりすることを一言伝えたいのだけれど、良いかしら?」
っと問いかけた瞬間に瑠美ははサンチュを水洗いしていた手を止めた。
「あ、あの、家は……」
彼女が言葉に詰まった時は何か秘密がある時だが、両親にも何か秘密があるのだろうか?
「……もう私から伝えていますので大丈夫です。お気になさらないで下さい。お気持ちは私から伝えます。ありがとうございます」
そう言って再びサンチュを洗い始めた。あきこはそれ以上何も言わずに
「解ったわ。今度瑠美ちゃんのご両親にはご挨拶しないといけないわね。紗理奈、さと美、私は着替えてくるから」
っと言って二人の「はーい」っと息の合った返事を聞いてリビングを出た。そして、紗理奈は少しばかり瑠美の寂しそうな横顔を見ていたが、徐にホットプレートの電源を入れて温め始めた。
あきこが着替えて戻ってきて、早々に冷蔵庫にあるお肉を見て開いた口が塞がらなくなっていた。木箱に入ったそのお肉は八個(ギュウギュウ詰めに入れた)もあり、ラベルには――
「えっと、美鬼ちゃん……このお肉の箱のラベル、松坂牛って書いてあるんだけど――」
「それはお仕事の礼で貰った物でありん……です。気にせんで口に運べば良いでありんす……です。とても美味でやんす……です」
「美鬼さん、お鍋これで良いですか?」
っと少し大きめの鍋を持ったさと美が美鬼に話しかけた。
「おぉ! これで丁度良いでありんす。ありがとなんし」
美鬼が見せた笑顔にさと美はパンチドランカーがアッパーを食らったかのように頬を赤らめていた。それを紗理奈は見逃すことなく見ていたのだった。
その直後に、さと美がなめこの味噌汁とチョレギサラダ(良くそんなものを作れるものだと思うのだが)を作り終えたのでみんなでテーブルを囲んだ。
食卓に高級そうな木箱に入った松坂牛が並び、いつもなら広く感じるテーブルが狭くなったような気がした。
ホットプレートは中心に配置してあり食材が投入されるのを待っている。まず初めにあきこがホットプレートに牛脂を満遍なくひいた。それから家主であるあきこが待ちに待った一言を声に出した。
「では、いただきます!」
「「「いただきます」」」
「いただきんす……です」
瑠美は味噌汁をすすって
「さと美ちゃんのお味噌汁美味しいね。良いお嫁さんになれるね」
っと言ったので、紗理奈はすかさず
「瑠美ちゃん! 私は瑠美ちゃんの味噌汁で胃袋を掴まれたい!」
っと口走ってしまったが、瑠美は笑顔で何も気にしていない様子で
「黒木さんは本当に面白いね」
っと笑ってくれた。その笑顔で少しばかりお腹が膨れた気がした。瑠美がおかずならば、何杯でもお代わりを要求してしまいそうだ。そして、一枚一枚がやけに大きなお肉がホットプレートの上に置かれた瞬間だった。
ジュルジュルと音を立てて肉汁が溢れ踊り始めた。部屋中に充満してくる匂いだけでよだれが口の中でじわっと溢れれば、ゴクリと喉を鳴らす音が脳内に響いた。
「奥方、わっちにお任せを。この肉はじっくり焼かずとも美味いでありんすです」
片面が美鬼によってすぐにひっくり返された。すでに十分に焼けている状態になっていることに一同は衝撃を受けた。そして、すかさず美鬼がみんなの皿によそってくれた。
「さぁ食べなんし……です」
箸で掴んだそのお肉は、肉汁で光を帯びているかのように美しく、プルプルと柔らかいのは端に掴んでいる感覚で解っていた。しかして、眺めているだけではいけない。ようやく心の準備が出来て口の中に頬張った。
それは、いや、松坂牛は、いや、高級牛は口に入れた瞬間に消えたり、溶けるなんて言葉の語源を初めて体験する事ができた。脳みそは嗅覚と味覚を全力に使ってそれを美味しいと認識した。
さと美とあきこ、瑠美を見れば、まさに頬っぺたが落ちている状態であった。そして、一斉に
「「「ウマ―!」」」
っと言う叫びが出た。紗理奈とさと美、美鬼はお肉を次々に焼いていたが、あきこと瑠美がちゃんと野菜も焼いてみんなによそってくれた。
瑠美が洗ってくれたサンチュに肉を挟み、サンチュ味噌を付けて食べると肉汁の旨味と味噌の風味が重なりさらに美味しかった。
「そういえば来月の神前祭であなた達、巫女さんのバイトするって言っていたけど、水木神社はその時にはもう修復工事は終わっているの?」
あきこの問いかけに美鬼はお肉を口にまるでリスのように頬張っていたので、代わりにお肉を喉に通したばかりの瑠美が答えてくれた。
「はい、来月の初旬には工事が終わる予定なんですよ。工事期間の練習は公民館を借りてやるんです」
紗理奈は改めて思ったのだが、もしかして本当に神前祭で巫女をやるのだろうか? それに巫女さんで練習とは何を練習するのか? 後で瑠美に聞いて確かめなくてはいけない。
「そうなのね。昔は神前祭とか縁日には良く水木神社へ行っていたけど、最近は忙しく行けなかったから、今年は久しぶりに行こうかしらね。紗理奈も出ることだし」
自分にも記憶がある。確かに昔は水木神社に縁日の時などに行っていたが、いつから行かなくなったのだろうか?
いや、むしろ地元のお祭りなのだから、毎年行っていてもおかしくはないはずなのだが、どうしても記憶が定かではない。
「ねぇお母さん、私も水木神社の神前祭に行ったことあるの?」
「何言ってんのよ。子供の時のあんたは毎年神前祭の出店でリンゴ飴を買ってってせがんでいたじゃない?」
「そう……だっけ?」
必死に思い出そうとしている紗理奈に対し、さと美は
「お姉ちゃん達の巫女さん姿見たいなぁ。すっごい楽しみ! 美鬼さんはきっとすっごく綺麗ですよねぇ?」
っと発言したことで、紗理奈は今考えていたことを全て忘却のゴミ箱へ捨て去って、目を真ん丸にしてさと美を見た。
「妹よお前もか!?」
「へ? 何が? お姉ちゃんどうしたの?」
「はぁ……ううん、何でもない。何も言うな妹よ――」
自分の最近の嗜好(思考)がおかしいので妹もかと思ったが、それは聞かないでおこう。これは自分の心の裏の扉に閉まっておくことにした。
食べ終われば、あんなにあったお肉と野菜を全て平らげておりテーブルがすっきりとした状態になっていた。
あと、少し驚いたのは健康的な細さを誇る身体をしている美鬼が大食いであったことなのだが、その彼女と同じくらいの量を妹のさと美も食べていたことだ。だから胸囲が姉である自分よりも大きくなるのかと少しばかり考えてしまった。
食後の片付けは紗理奈が自ら進んで食器を洗って、瑠美がその隣で洗い物を拭いていた。美鬼はと言えばさと美とゲームをして楽しんでいた。
あきこは食後少しばかりゲームをしている二人を見ていたが、客間に向かい布団を三人分敷いてくれてから、ゆっくりとワインを飲み始めた。それを見た美鬼が
「おぉ! 奥方、洋酒に最適な良いツマミがありんす。食べなんし」
っと言って立ち上がった。あきこは「え?」っと声を漏らしたが、美鬼はお構いなしにキッチンで放置されていた鍋から何かを取り出して、まな板と包丁を用意し、冷蔵庫の中から茶色の液体が入った瓶を出して、鍋から取り出した物を鼻歌を歌いながら切り始めた。
「そういえば美鬼ちゃん何か作ってたね」
瑠美の発言で紗理奈もようやく思い出した。
「あぁ! そういえばお鍋で何を作ってたんだろう?」
美鬼はかなり上機嫌なのが背中から伝わってくる。昭和の男性が背中で語っていたように美鬼の背中からも楽しいや嬉しいなどというのがこちらに伝わって来ていた。
切り終わったものを大きめの皿に盛りつけて、冷蔵庫から出した瓶に入った液体をスプーンで垂らして
「できたでありんす!」
っと発した。トレイに乗せてルンルン気分で持ってきたそれを見たあきこが驚いていた。
「これもしかして、ローストビーフ?」
「ご名答! わっちが調合した鬼族――じゃなかった秘伝のソースをかけた逸品でありんす。どうぞ、皆で召し上がりなんし」
今さっき食べたお肉たちが胃袋の中で消化されていない状態にも拘らず、このローストビーフが腹に収まるのか不安な表情を浮かべたのは三人だけで、たった一人、好奇の目で涎を垂れ流しそうな表情を浮かべる人物がいた。
「美鬼さん、食べても良いですか?」
「余るほどありんす。さぁ、召し上がりなんし」
「わぁ! いただきます!」
さと美が箸で一切れつまめば、恐らく「鬼族秘伝のソース」と言いかけていたであろうソースが部屋を照らす照明に彩られ、星屑のようにキラキラしていた。
赤みと表面の焼けたお肉のバランスは絶妙で美味しそうを優に超え、すでに美味しい視認できるほどであった。その一切れがさと美の口にパクッと消えていった。
「ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥマー! これ凄く美味しい!」
さと美の言葉を聞いた美鬼は満面の笑みを浮かべながら
「当然でありんす。このソースが肉に合わないはずがないでありんす」
っと鼻高々に答えたのだった。お腹が膨れているように思っていたあきこや紗理奈、瑠美も箸を手に持って、その誘惑のローストビーフをつまみ、三人同時に口の中に入れた。
「「「ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥマー!」」」
口の中に入れた瞬間に広がるソースに包まれた肉はしっかりと歯ごたえのある旨味を噛み締めさせる。そう、美味すぎるのだった!
あきこはすかさずワインを口に含み
「こんなにお酒が進むおつまみ久しぶりかも。ありがとう美鬼ちゃん」
っと美鬼に微笑みかけながら発した。
「わ、わっちは――まぁ、当たり前でありんす。紗理奈には、今日お世話になりんすから」
美鬼が頬を少し赤く染めたので、あきこは首を傾げた。
「紗理奈が何か美鬼ちゃんのお世話をしてくれるの?」
「えっと……こ、こ、恋……恋バナを――するんでありんす」
恥ずかしそうにその台詞を言った美鬼はとても、とても可愛く、性別問わず誰でも惹かれてしまうだろうと思った。
「まぁ、そうなのね。じゃあ、今日は三人で楽しんでね」
あきこはそう言ってローストビーフを一口食べてワインを口に含んで喉を通した。さと美は美鬼と一緒に再びゲームに興じていた。
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