其の壱
準備体操をしているとクスクスという笑い声が聞こえてきた。誰かは解らない。何故かみんな影のように黒く、目と口だけが鮮明に見えている。
とても異様だった。周りの景色は昼間であるにも
「勉強もできない。運動もダメ。努力しても成果が見られない。ホントに馬鹿じゃん」
目に涙を溜め込みながら、それでも必死にみんなに追い付こうと手を振って足を無理矢理に前に出し続けた。
「どんなに頑張っても無理なものは無理でしょ? ホントに同じ脳みそ入ってる?」
周りの景色がまるで街灯のない夜道を走っているように見え始めたが、前を走っている人達の背中だけを見つめながら走った。
「また
いつもより足が重く、息切れも早く圧迫されて、脇腹に違和感を覚え、限界を感じ始めたが、今日は昨日の自分よりも成長していると信じて足を踏み出し続けた。
「「「「「アハハハハハハハハハハ――」」」」」
激しい
歩くことさえも辛くなり、どうしようもない胸の苦しみに胸に手を当てながら倒れてしまった。
そこで、瑠美は目が覚めた。
ジリジリと鳴り続けている目覚まし時計の音が部屋に響き、さらには頭の中で反響していた。息がとても荒くハァハァと何度も深い呼吸を繰り返していた。パジャマのままで走ったかのように汗でびっしょりとなっており、身体は数キロ走ったかのような疲労を感じていた。
そして、本当に涙を流していると気付くのはとても早かった。コンコンという音と共に真理が引き戸を開けて顔を出した。泣いたことに気付かれないように急いで涙を腕で乱暴に拭った。
「おはよう瑠美。起きられた?」
真理は歩いてカーテンを開け部屋の中に朝の光をもたらした。彼女が上を見上げると窓の外、二階のベランダの真下辺りに蜘蛛の巣があったが、そこに蜘蛛はいなかった。
「おはようママ……うん……大丈夫……」
瑠美は呼吸を整えて返事をしたつもりだったが、真理はすぐに何かを感じ取った。
「何かあったの?」
真理は急ぎ足でベッドまで駆け寄って瑠美のおでこに手を当てた。
「何でもないよママ……何でもない……」
「確かに熱はないわね……あら? どうしたの!? 汗びっしょりじゃない!?」
瑠美は自分でもどう答えて良いのか解らなかったが、本当のことを言うしかないと思った。
「えっと……あの……夢の中で走ってた……からかな?」
瑠美は無理して作り出した笑顔で答えたが、火に油を注いでしまったようだった。
「今日はお休みしましょ。夏休みになって毎日練習して身体が悲鳴を上げているのかもしれないわ。今日はお医者さんに――」
「ママ! やめて! 私はもう昔の私じゃないの!」
瑠美が大きな声で怒鳴り、真理は一瞬後ろに身体を引いて苦痛に歪んだ表情を作った。部活を始めてからというもの、いや、中学生になってから瑠美の感情の起伏が激しくなった。反抗期になったのかもしれないと真理は思っている。
「瑠美……」
しかし、自分にもそういった経験があった。どうしても反骨を押さえることができない。それは自分も同じことを両親にしてしまった後悔があるのだから理解できる。
今は余計なことを言わないで見守っていよう。そう思った。
「ごめんなさいね。でも……無理はしないでね」
瑠美は俯き、目を泳がせていたが、しっかりと真理の目を見た。
「ママ……怒鳴ってごめんなさい……」
真理は小さな体の瑠美を包み込んでおでこにキスをして
「良いのよ。私が少し心配し過ぎただけよ」
っと言った。瑠美も真理に抱きつき
「ママ、あのね――」
っと言いかけたが、突然、視線を感じてその方向に視線を移した。しかし、そこにはパパに買ってもらった姿見に映る自分が自分を見ていただけだった。
「どうしたの? 何かあったの?」
真理は瑠美の頭を撫でながら尋ねたが、彼女はただ姿見に映る自分自身を見ていた。
「う、うん。何でもない……何でもない……」
瑠美にこれ以上追及することは良くないと思い留まった。少しばかり心を落ち着かせるために深く息を吐いた。
「さぁ、部活に行く前にシャワーだけでも浴びなさい。ご飯も食べていかないと体力が持たないわよ」
「うん」
「じゃあ、行きましょうか?」
「うん」
二人で部屋を出て行こうとした時、瑠美はまたしても誰か、いや、何かの視線を感じて振り返ったが、やはり視線を感じた場所には姿見があり、そこには自分が……
「あれ?」
「瑠美? どうかしたの?」
「どうして?」
真理が瑠美の表情を見ると眉間に皺を寄せ、何かを考えている様子だった。
「どうかしたの瑠美? やっぱり今日は――」
「姿見が……」
「ん? 鏡がどうかしたの?」
「私を見てる」
「え?」
「さっきも振り返ったら、私が私を見てた。今も……私が私を見てる」
真理はその言葉を聞いて鏡を見た。うろ覚えではあるが、確かに動いているような気がした。
「おーい!」
リビングの方からパパの声が聞こえ、二人は声のする方へ歩き出し廊下へ出ると、パパがリビングから歩いて来ていた。
パパはパジャマ姿で寝癖が酷く、百獣の王の
「ふふふ。パパ寝癖が酷いよぉ」
と笑って、先程まで心に棲みついていた不気味な感覚が少しだけ薄れた。
「あぁ、忙しくて髪を切る暇がなかったからな。おっと、瑠美、おはよう」
「おはようパパ」
「そうだ。ママご飯はまだかい? お腹ペコペコだよ」
「あら、ごめんなさい。今用意するわね」
「何かあったのかい?」
パパの言葉に二人はお互いの顔を見合わせたが、どう説明して良いのか答えに困っていたが瑠美は
「えっと……何でもないよ。多分……気のせい……」
っと言った。特に気にすることではないのかもしれない。そう思ったのだった。
「そうか、それより瑠美、今六時になるけど時間は大丈夫なのかい?」
「ああ! 早くシャワー浴びないと!」
瑠美がドタバタと廊下を走って浴室へと向かったのを見てパパと真理は温かい目で彼女の後姿を見ていた。真理はふと瑠美の部屋に視線を移した。先程と何も変わらない鏡を見たが、自分の姿が映っているだけだと思い、そのまま部屋を閉めた。
明るい陽射しが差し込む部屋を映しているだけだった鏡は、次第に墨を水に入れたように黒く染めていき光の届かない暗闇を見せていた。やがてそこに三つの目が浮かび上がり、音も立てずに動き出して窓の方を向いた。
瑠美は脱衣所に駆け込み、急いで脱いでシャワーを浴びて髪を「乾かす時間がもったいない」っと言ってリビングへと急ぎ足で向かった。リビングの扉を開ければ、すでに朝食の良い匂いが部屋に充満していて、瞬時にお腹と背中がくっ付きそうになった。
テーブルに座っているパパは新聞を読みながらコーヒーを飲んでいて、その隣にいた真理も一緒にコーヒーを飲んでいた。真理はリビングに来た瑠美を見て立ち上がりながら
「それじゃあ瑠美が来たことだし、朝食にしましょう」
っと言ってキッチンへ歩いて行った。瑠美はパパの正面に座って頬杖をついて久しぶりにパパを眺めていた。その視線に気が付いたパパは新聞を折り畳みながら
「どうしたんだい? じっとパパを見て」
っとにこやかな笑顔で話し出した。瑠美はニコニコしながら
「だって、パパがいるお家に戻ってくれて嬉しいなって」
その言葉に含まれる意味をパパは深く理解していた。寂しい思いをさせているのは真理だけではなく瑠美にしても同じように思っていてくれるのだと。
「ごめん瑠美、ママの誕生日には帰ることができなかったけど、来月の瑠美の誕生日にはどんなことがあっても家に帰るよ」
「ホントに!? ホントのホント!?」
「もちろんだよ。今年は必ず帰る」
その言葉に瑠美は胸の高鳴りの音が頭にまで響くほど嬉しくかった。そこへ真理が朝食をトレイに乗せてテーブルに置き始めた。
「良かったわね瑠美」
「うん! パパ! 絶対帰って来てね!」
「あぁ、今年はもうプレゼントを決めてあるから楽しみにしててくれ」
「うわぁ―、何々? 教えて?」
「誕生日の日に解るよ」
そう言って朗らかな笑顔をくれたパパに瑠美は心洗われた。昨日の夜に泣き寝入りした自分も、嫌な夢を見て真理に怒鳴ってしまった自分も、鏡が常に自分を映していたことも、この時ばかりは彼方へと忘却してしまった。
「楽しみに待ってるからね。約束だよ」
瑠美はそう言って右手の小指を出してきた。それを見てパパも右手の小指を出して
「「指切り拳万、嘘吐いたら針千本飲まーす、指切った」」
っと約束を交わした。徐々に高くなっていく気温と同じように、瑠美の気持ちは高ぶっていった。真理は二人を見て優しく微笑み
「それじゃあ、早く朝食を食べて、瑠美は部活に行かないとね」
っと言いながら椅子に座った。
「はーい」
瑠美の元気の良い返事に二人はお互いの顔を見て笑っていた。そしてパパは久しぶりの真理のご飯に目を向けると今にも舌なめずりをしそうな表情になっていた。
「久しぶりのママのご飯。それでは、いただきます」
「「いただきます」」
小林家ではパパが一番初めに「いただきます」の言葉を口にする。そして、真理と瑠美がそれに続くのだが、最近はパパがいない二人での食事だったので、瑠美は少しばかり懐かしいとさえ感じていた。何よりもそれが当たり前だったのだから、それが変わることなどないと思ってさえいた。
朝食は豚肉の生姜焼きに千切りキャベツ、豆腐と若芽と麩の入った味噌汁、小さな山になっているご飯、それに加えて牛乳が飲み物となっていた。
朝食を抜きにするスポーツマンはいないということで、栄養のバランスを毎日考えて食事を作ってくれていることを噛み締めながら、瑠美は朝食を平らげた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様。瑠美大丈夫? 車で送るわよ?」
真理に言われてリビングの時計を見れば、針は六時半過ぎた辺りで、すでに残り時間が三十分も満たないものである事実が突き付けられた。
「パパが学校まで送っていくよ」
「ありがとうパパ。急いで支度するね」
「あぁ、解ったよ」
「あなた、寝癖は直してくださいね」
「あぁ、解ってるよ」
瑠美は両親の仲睦まじい姿を目に焼き付けてから急いで部屋に戻り、前日に準備してリュックに入れた替えのシャツと下着が入っているのを確認した。
そして、鏡を見た。やはり鏡の自分は自分を見つめている。気にすれば、ただ単にそう見えるだけなのかもしれないが誰か、自分ではない誰かに見つめられている視線を感じるのはどうしてなのだろう?
「瑠美―、パパが車で待ってるわよー」
「は、はーい!」
真理の声にすぐ返事をし、リュックを背負いシューズバックを手に持って玄関に向かうと、真理が玄関先で水筒を持って待っていた。
「今日も頑張ってね。でも無理はしないでね」
瑠美は水筒を受け取りながら
「うん、ありがとうママ」
っと答え、靴を履き玄関の扉を開けようとドアノブを握った時
「瑠美、最近怪我ばかりしているから、本当に気を付け――」
っと真理が一言口にした。
「もう! 解ってるから! 行ってきます!」
瑠美の怒鳴った声に真理は瑠美の後姿と怒りに身を任せた勢い良く閉まった扉を辛く悲しい顔で見つめた。瑠美は真理に言われた言葉で意固地になっていたため、とても険しい顔つきとなっていた。そして、上昇を始めた暑さにも苛立ちを隠すことができなかったのだ。
庭の片隅にある駐車場に駆け足で向かえばエンジン音が聞こえ、ステーションワゴンの四つドア全ての窓が開いていた。助手席に乗り込む時にはパパに何かあったこと悟られないように平常を装った。
「パパお待たせ」
「大丈夫だよ。良し、じゃあ行こうか」
パパはシフトをドライブに入れて発進させた。ふと玄関先を見れば真理がほくそ笑みながら手を振って見送っていた。
パパは道路に出てからすぐに窓を閉めてエアコンを入れた。車が走る度に入って来ていた風も心地良かったが、やはり快適なのは人が造りし物なのだと感じた。
普段は持久力を付ける為に自転車で通学している道は、文明の利器によって人間では出すことの出来ない速さで駆け抜けていた。
少子化の影響で、この町に会った小学校と中学校は閉校してしまい、学び舎は高校が三つあるだけになってしまった。
そのため、この町の小学生は新しくできた四つの市町村の子供を集めた小学校にバスで通っている。中学生は隣町か隣市にバスか電車で通学しているが、高校に入学する時には町に戻ってくる摩訶不思議な現象が起きている。
久しぶりにパパの運転する車に乗った瑠美は先程一気に沸点まで達した怒りを忘れ、嬉しさで笑顔になっていた。なぜなら
「ねぇパパ、今日の夜は何処にも出かけないでしょ?」
「あぁ、ママから聞いてるよ。大丈夫、今日は何があっても家にいるから」
「やったー! ねぇねぇ明日も家にいるの?」
「あぁ、休みは夏季休暇と返上した休みを合わせて九日あるから、何処かに出掛けるかい?」
「本当に!?」
「あぁ、家族との時間を、取り戻さなくちゃな」
パパに抱き着きたかったが、運転の邪魔になるので自粛したものの、誰が見ても意気揚々としている爛漫な顔で鼻歌を歌い始めた。
「何の唄だい?」
「これはね、最近聞いてる唄なの。ボーカロイドのミクちゃんの唄」
「今度パパにも聞かせてくれないか?」
「うん!」
瑠美が車窓を見れば、もうすぐ学校だった。楽しく平和な時間が過ぎるのはあまりにも早く、精進したい気持ちと憂鬱さが混在した思いが胸を締め付けさせた。パパは校門の手前に車を駐車させて
「何時に終わるんだい?」
っと聞いてきた。
「多分、お昼くらいかな?」
「じゃあ、終わったら電話をして。迎えに来るから」
「うん、解った。行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張ってな」
「うん!」
瑠美はそう元気良く言ったつもりではだったが表情は何か不安げな顔であったのをパパは解ったが、何も言わずに笑顔で見送った。
パパが車を出そうとした時、サイドバイザーの内側に蜘蛛の巣があるのに気が付いたが、そこに蜘蛛はいなかった。
瑠美はパパに見られているだろうと思ってはいたが、前に進みだす度に脚は鉄の重りを纏ったように重く歩幅は小さかった。心と連動した身体に少しでも抵抗する強い自分が急ぎ足にさせてくれた。
校舎に入れば他の部活動の生徒達がワイワイと談話していたが、瑠美は慣れた素早い動作で上履きに履き替えて女子更衣室へ向かった。
二階にある女子更衣室の前でドアノブを握っただけで足が震えていた。それでも、ドアノブはどうしてか強く握っていた。
躊躇している姿を誰かに見られる前に更衣室の扉を開けた。聞き慣れた声が聞こえてきたので、極力静かに扉を閉めて、声のする反対のロッカーの列に逃げた。
物音を立てて顔を合わせることがないようにしたかった。ロッカーに貴重品とリュックを入れて、タオルと水筒を取り出した。
その時だった、自分の部屋にいた時に似た視線を感じて振り向けば、壁に張り付いている姿見に映る自分が自分を見つめていた。
「あっれー? 小林さん今日も来たの? 玉井ちゃん、この子大丈夫なのぉ?」
「彰先輩、大丈夫ですよ。頭悪いだけなんです」
聞き慣れたその声が聞こえた方に振り向けば、そこにいたのは同じサッカー部の二年生の先輩である
「頭も悪いのに運動もできないのぉ?」
「彰先輩、小林さんは人一倍努力しているんですよ。報われないけど」
「「あははははは――」」
二人を押しのけて通り過ぎる、そんな勇気など持ち合わせていない。わざわざ彼女達を避け遠回りして更衣室を出た。
ずっと付きまとわれている笑い声から逃げた。廊下に荒くなった息を整えるために深呼吸をしてグランドへ向かった。
他の部活動で朝練のために集合しているのは男女混合の陸上部とテニス部、男子しかいない野球部がそれぞれ部活用具室にいた。
部活用具室と言っても、瑠美の通う中学校では部室と部活動で使用する用具を置く場所となっていた。瑠美が入学する少し前にクーラーを設置したので、夏でも冬でも快適な空間となっている。
すでに異常なまでに上昇し始めた気温によりただ外で立っているだけで汗が滴り落ちている状況であったが、彼らは部活用具室に入って少しでも直射日光から避けていた。
グラウンドは複数の部活動が出来るほど広かったが、サッカー部はゴールが校庭に二つしかないのもあり、午前と午後それぞれの時間で使用する平日を土日でリセットして交換するローテーションをしていた。
瑠美は女子サッカー部の用具室に辿り着いたが、用具室からは部員達の声が聞こえていたので扉を開ける事ができず、後付工事の屋根で日差しから自分の身を案じた。何よりもすぐにでも壊れそうな心を守った。
話し声は聞こえていたが、会話の内容までは聞こえなかった。それでも、自分のことを言われている、そんな気がして体育座りのまま太ももに顔を埋めた。暫くして
「小林さん? どうしたの? 気分悪いの?」
っと声を掛けられた。その優しい声でようやく顔を上げた。声を掛けてきたのはクラスメイトであり、同じサッカー部の
「ううん、ちょっと……その……」
瑠美は朝比が気にかけてくれることは素直に嬉しく思っていたが、それでも彼女が話しかけたことによる反動が怖かった。そう思った時だった。
「玉井さん、何してんの?」
朝比に話しかけてきたのは校舎から歩いてきた彰だった。その隣にはやはり洋子も一緒にいて
「あさちゃん、小林さんと何話してんの?」
っと朝比に声を掛けてきた。朝比は
「小林さんの具合が悪いんじゃないかと思って、声を掛けたの」
それに対して洋子が
「そんな心配しなくて良いよー。でもドラマみたいだねぇ。サッカー部一年のエースが、出来損ないの
っと言えば、彰と顔を見合わせて
「「アハハハハ――」」
っと二人は笑い始めた。
「中村先輩! そんな言い方あんまりです! 小林さんは誰よりも努力してるんですよ!」
朝比がそう言えば
「実らないけどね。アハハハ――」
っと洋子が返した。
いつもこうなるのが嫌で堪らなかった。朝比が自分に構う度にこう言ったことを平気で言ってくる二人を見るのも、朝比がいつも辛い表情になるのも嫌だったが、何よりも自分自身が一番許せなかった。瑠美は何も言葉にすることなく立ち上がり、その場を去ろうとしたが、そこに彰と洋子が前に立ち塞がった。彰が
「何処行くんだよ?」
っと言って顔をやたらと近づけてきた。それを見た朝比が瑠美と彰の間に割り込んで
「中村先輩やめてください! 小林さんが何をしたって言うんですか?」
「何って? あのね、成績もスポーツも、御家柄も素晴らしい玉井さんには解らないことだからさ――そこを退いてくんない?」
いつも以上に険悪な雰囲気になってしまい、どうしたら良いのか解らなく混乱した瑠美は、次第に呼吸が速くなってきた。その時に
「あなた達、何をしているの?」
っと大声で叫びながらサッカー部顧問の木村弓子が走って四人の元にやって来た。木村先生の声はグラウンドに響いたので、他の部活動の生徒や顧問が部活用具室の方に注視していた。
「中村さん! 大泉さん! 一体何をしているのか聞いたのだけれど?」
分が悪そうにしていた洋子とは真逆に彰は不敵な笑みを浮かべ
「何もしてませんよ。小林さんが体調悪そうにしていたので、三人で心配していたんですよぉ」
っと辟易するほどの猫なで声を出して答えた。木村先生は彰と洋子を避けて通り、瑠美と朝比に近づいた。最初その表情は怒りを抑え込んでいる顔つきであったが、溜息を漏らすと可哀そうな小動物を見ているような顔を作った。
「小林さん、体調が悪いの?」
瑠美は過呼吸になった自分を何とか持ち直そうと強く、強く、強く自分に言い続けた。
――私は普通! 私は普通! 私は悪くない! 私は悪くない! 私は大丈夫! 私は大丈夫! ――
「あの……少し暑さにやられただけです……もう良くなりました」
しかし、そんな瑠美の頑張りたい気持ちとは裏腹に朝比は彼女の肩に手を置いて
「小林さん、今日は休んだら? 本当に無理したら来週の練習試合に出れなくなるよ」
っと言ってくれた。その言葉を鬱陶しく、そして何よりも、妬ましく思ってしまった自分がいた。それを表情に出していることを瑠美自身は解っていなかったが、木村先生も朝比も彼女の怒りで睨み付けた目を見ていた。
「玉井さん、本当に大丈夫だから、木村先生、今日もよろしくお願いします」
瑠美はそう言って朝比の手をすり抜けてサッカー部の用具室へ入って行った。用具室の扉を開ければ、一斉に瑠美へ視線が注がれた。
その視線から感じるのは嫉妬と同時に憐れみを帯びた悲痛な物だった。瑠美の後ろでは木村先生と朝比、彰、洋子が立っていた。木村先生が用具室に入ることなく声を上げた。
「さぁ! 練習始めるわよ!」
「「「「「はーい」」」」」
女子サッカー部員達はペットボトルとタオルを持って用具室から出て行った。瑠美は他の部員達に紛れてサッカーゴール付近に集合した。
木村先生がゴールを守る鉄壁のキーパーの如き面構えで声を上げた。
「皆さん、おはようございます!」
「「「「「おはようございます」」」」」
全員で木村先生に一礼すれば、木村先生は一人一人の顔を見て
「今日も暑くなってくるから、水分補給はこまめにしてね。周りの人の顔色も見て。サッカーはチームで戦う。チームで勝利し、チームで負ける。みんなで一つ、一人をみんなで助け合う。来週の練習試合に向けて今日も頑張りましょう!」
「「「「「はい!」」」」」
グラウンドに女子サッカー部の声が響けば、誰もが一度は振り向く。しかし、それは部活動をしている生徒や顧問の先生だけではなかった。白いブラウスにベージュのパンツを穿いた女性に擬態した妖怪変化が、遠いフェンス越しから瑠美を見つめていた。
百鬼絢爛(骨組み版) 赤城 良 @10200319
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます