其の参
長い階段を上ぼると鳥居が数基あり、石畳に沿ってその間を進んで行けば、その先に修復されたばかりの水木神社があり、その右手側には渡り廊下で繋がった長屋があった。神社の前にある二体の狛犬の間を神前祭の巫女が踊るステージが設置されていた。
「この水木神社はね、天孫降臨からの天津神を祭っているんだよ」
「あまつかみ? って、ごめん、何?」
「簡単に言うと日本神話に出てくる神様だよ。日本の神社はね、天津神と国津神の二つの派に分類されているの」
「良く解んないけど……」
「まぁ参拝する時にそこまで見てる人はいないから気にしないで」
「うん」
長屋の玄関の標識には「宮部」と書いてあった。瑠美がチャイムを押してしばらくすると「はーい」っと声が返ってきた。引き戸が開けられると白い髪を後ろで束ねた麗がいた。
「二人共こんにちは。さぁ入って入って」
ふたりそれぞれ「お邪魔します」と言って中に入って、麗に導かれるままに奥に進んだ。瑠美の家でも広いと思ったが、それとは比較にならないほど広い家で幾つもの障子とドアがあり、紗理奈は興味津々に
「麗さん、お部屋って幾つあるんですか?」
「私も知らないんだよね。使ってない部屋もあるくらいだから余ってるよ。いつでも泊りに来て良いよぉ」
さらに奥に進んで障子が空いた部屋に通されるとそこには凜と美鬼がいて、美鬼は巫女装束に身を包んでいた。
「あら、二人共こんにちは」
瑠美と紗理奈は「こんにちは」と挨拶したが、美鬼は何も言わずにがっくりと首を落として
「どうして旦那様に最初に見てもらおうと思っていたのにお前らが来る! お前らわや!」
「わや?」
紗理奈が首を傾げるのを見て美鬼はさらに機嫌が悪くなっていった。角が仄かに朱色に光っているのでそう思った。
「今美鬼ちゃんの衣装合わせたのよ。二人も一度着てみてくれる? 頭飾りは明日で良いけど、衣装は今合わせちゃいましょう」
「「はい」」
「喜んで!」
紗理奈は先程まで感じていた明日の本番での緊張感が何処かに吹き飛んでしまったようだった。それから巫女装束の着てみて、結構様になっていると姿見を見て思った。
「うわぁー。本物の巫女さんみたい」
「紗理奈ちゃんも、みんな本物よ」
「そうだった。えへへへ」
凜の優しい突っ込みは、今美鬼が浴びせている目で訴えてくる死ね死ね光線を和らいでくれた。瑠美も巫女装束に着替えたが、姿見を見ることなく紗理奈に
「黒木さん、どうかな? 変じゃない?」
日本人に生まれて良かったと思う瞬間は、お米が美味しいと感じる時と和服美人に出会える瞬間の二つしかないと思った。赤い眼鏡がまた良いアクセントになっており萌える。
「全然変じゃないよ! むしろ尊死!」
親指を突き立てカッコよく決めたつもりだったのだが、凜も麗も瑠美も首を傾げていて、美鬼だけが「きゃははは」と笑い転げていた。その時、通路の障子からはじめの声が聞こえてきた。
「母さん、依頼者の方が見えたよ」
「今行くわ。白の間に通しておいて」
「解った」
はじめが立ち去ろうとする前に笑い転げていた美鬼が中座になってひとっ跳びで障子の前に行き勢いよく開けた。バタンッという音といきなり開いたことにはじめはびっくりしていて「うわぁっ!」っと声を出した。
「旦那様、見てくださいまし! わっちの巫女装束でありんすよ。どうでございましょう?」
はじめはワンテンポ空の状態だったが、意識を取り戻して
「……可愛いよ、美鬼ちゃん」
「でしょうねぇぇぇぇぇぇー! まな板女とはわっちは違って、出てるモノはございますから!」
「え!? 私!?」
勝ち誇った顔の美鬼は紗理奈を見た。はじめは紗理奈と瑠美を見て
「二人も似合ってるね。今年は美人さん揃いだね」
その言葉に瑠美は
「ありがとうございます」
紗理奈は
「どうも」
っと答えたが、美鬼は二本の角が真っ赤になって少し伸びた。
「旦那様! わっちを見てください! あやつらは目の毒でありんす!」
はじめに振り向いた美鬼の顔を見ることはできないが、まさに鬼の形相であろうと想像する。はじめは顔を引きつらせながら
「……えっと、じゃあ、僕は行くよ。じゃあ、練習頑張ってね」
「旦那様ぁー!」
今生の別れのように崩れ落ちた美鬼を見て笑いをこらえるのが必死だった。
「じゃあ、舞台で練習するから行こうか?」
麗の一言で瑠美と紗理奈は立ち上がったが、美鬼は寝そべってゴロゴロしていた。
「行くよ美鬼ちゃん」
紗理奈が美鬼を起こそうとしたら
「触るな! わっちは今日虫の居所が悪いんじゃ! ふん!」
何かに憤慨して一人でズカズカと行ってしまった。それを見た凜が
「美鬼ちゃん、外に出る時は角は引っ込めてねぇー」
っと叫んで立ち上がって
「じゃあ、私は仕事があるからこれで。二人共頑張ってね」
「「はい」」
玄関に行くまでに紗理奈はそれぞれの部屋が「静の間」や「火の間」と書いてあることに気が付いた。玄関で靴ではなく下駄を履くと心が引き締まった気がした。
舞台の脇では美鬼がへのへのもへじを木の枝で書いてうじうじしていた。見かねた瑠美が
「どうしたの美鬼ちゃん?」
「なんでもありんせん。ほっといておくれやす」
口を尖らせて紗理奈の方を見ると睨み付けられてしまった。
「さぁ、演奏者の皆さんもお疲れ様です。明日が本番となりますが、通しで練習できるのは今日と明日の朝しかありませんので、本番までに仕上げていきましょう!」
麗の言葉で活気づいて練習に励んだ。二回ほど通しで踊ったが、今日は昨日までの自分とは違っていて、美鬼やと瑠美と波長を合わせていた。
麗は神前の義という踊りで一人だけ違っていた。刀のような物でまるで型をとっているような踊りである。若さ伴っていない白髪が型を取る度に銀色に光って見え美麗だった。三回目の通しを初めていると頬に冷たい物が当たった、
「ん? 雨?」
紗理奈が空を見上げると淀んだ雲が風もないのに物凄い勢いで太陽を覆い、次の瞬間には小雨を振らせ始めた。麗はすぐに
「一旦中止しますよぉー!」
それから小雨は勢いを増して集中豪雨のような強い大粒の雨となって地面とぶつかり合っていた。。夏の雨はどうしてこうも空気を生暖かくさせて、ジメジメしてくるのだろうか。神社の屋根に避難していた紗理奈達の所に、渡り廊下からはじめがやって来て
「皆さんお疲れ様です。姉ちゃん、今日はこのあとずっと雨らしいよ」
「え!? 明日は?」
「予報だと明日はまた晴れるみたいだよ。気温が三〇度まで上昇するって」
「まぁ仕方ないか。雨でも神前祭はやるしかないもんねぇ。じゃあ、皆さん、お疲れ様でした。今日の練習はこれで終わりにします。明日の朝の練習ですが雨の状況を見て連絡します。お疲れ様でした。あ! 草履忘れないでくださいね!」
はじめが演奏者の人達を先導して渡り廊下を進んで行った。その後に紗理奈達も続こうとしたが、美鬼が立ち止まって雨をじっと見つめていた。
「どうしたの美鬼ちゃん?」
瑠美が声を掛けると美鬼は空を睨み付け
「この雨に妖力を感じる。しかも相当な力のな」
「どういうこと?」
「この雨は妖怪変化によって作られた物ということじゃ」
「この雨大丈夫なの!?」
紗理奈が大声を出したからなのか、それともただ単に何か嫌われたことをしたのか解らないが美鬼は舌打ちをして
「妖力で作られたといってもただの雨でありんす。なも心配することはない」
そう言って紗理奈にぶつかって渡り廊下を歩いて行った。瑠美は
「私達も行こう」
「うん」
渡り廊下を進んで着替えのある部屋に行こうと思っていたが、何処の部屋だったのか解らなくなり迷ってしまった。その内に瑠美は「あった」っと言ったので紗理奈は「良かったぁ」と答えたが、先ほどの着替えの部屋ではなく「白の間」と書いてあった。
「瑠美ちゃん、ここは――」
「しーっ」
瑠美はそういうと部屋の近くまで行って耳を澄ませ始めた。紗理奈も興味がない訳ではなかったので一緒に聞き耳を立てた。
「――解りました。神前祭がありますので月曜から調査させていただきます。宜しいでしょうか?」
「構いません。ありがとうございます」
凜と男性の声が聞こえてきたが、どうやら話はもう終わりに近いようなのだが。それでも瑠美が聞き続けているので紗理奈も一緒になって聞いた。
「良かったですよ。オオサワさんにもキョウゴクさんにも断られたので、ダメかと思いました。本当にありがたい」
「ですが、先ほども言いましたが、ご期待に沿えない場合があります。何しろ相手は恐らく山の神です。私達では対処できない時は、残念ですが工事は中止していただくしかありません」
「そんなこと言わないでくださいよ。お願いします」
「……尽力します」
これ以上何も得る物がないと思ったのか小さな声で「行こう」っと言って立ち上がった。紗理奈も慌てて立ち上がり後ろに付いて行った。瑠美は最初から着替えた場所を覚えていたのだろう。簡単に辿り着くことができた。
すでに美鬼は巫女装束から着替えていて、いつもの着物姿になっていた。暑いのか、擦れともわざとなのか、綺麗な鎖骨が見える肩だしの着くずれをしていて、花魁みたいだった。それに下半身もいつもの着物より短く太ももがこれでもかとプリプリしていた。
「おぬしら、何処をほっつき歩いていた?」
それに対して瑠美が
「ちょっと迷っちゃって」
「そうか。先に行ったりして悪かった」
「そんなことないよ。ありがと」
「……ふん!」
美鬼は虫の居所が悪いのかそのまま何も話すことなく腕組みをしながらほっぺを膨らませていた。着替えて終わった頃に麗がやって来て
「みんな、お疲れ様」
「「お疲れ様です」」
「お疲れでやんす」
麗は衣装を脱ぎながら
「雨で練習終わっちゃったけど、明日の朝に晴れたら最後の練習するからね。雨だったら本番一発勝負になるけど、今日の調子なら大丈夫だと思ってるからね。よろしくぅ」
っと着替えながら笑顔をくれた。その時、初めて麗の肌を見たが、背中に大きな何か絵のような文字のような物があるのに気が付いた。
「麗さん、背中のそれは何ですか?」
服を着ようとした麗は紗理奈の質問に驚いているようだった。特に美鬼は鋭い目つきで殺気立っているように思えた。瑠美は首を傾げており
「黒木さん、何を言っているの?」
「え!? だってあんな大きな模様みたいなやつが背中に――」
「麗さんの背中にそんなものないわよ」
「え!? そんな、だって――」
「紗理奈ちゃん、私の背中の紋章が見えるの?」
麗は先程までの朗らかな感じから一変して凍り付いたような空気を纏わせていた。紗理奈はどう答えて良いのか解らず「えっと……あの」っと繰り返すだけだったので美鬼が
「姉様の紋章が見えるのか聞いているのだ。どうなんだ?」
「……見えるよ」
美鬼と麗は顔を見合わせて目で会話をしているようだった。それから麗が
「紗理奈ちゃん、この紋章はね、宮部家の当主の証なんだよ。これを生まれた時に私はお父さんに書かれたの。でも、これが見えるのは限られた人だけなの」
「あの、それってどういうことですか?」
紗理奈はドンドン自分の血の気が引いていくのが解った。そして、悪いことをした時に感じる罪悪感が心に染み込んで感覚を麻痺させていく。麗はそんな紗理奈のことを察したのか表情を和らげて
「ごめんね、きっとまだ紗理奈ちゃんのお母さんから聞いてないんだよね? 昔のこと」
「昔のことって?」
「その内解るよ。どうしてこれが紗理奈ちゃんに見えるのかね。あぁー疲れたー。明日の本番頑張ろうね。午前中練習するかは天気次第だから、八時頃までには連絡するね。あと、お母さんが送ってくれるみたいだからちょっと待っててね」
っと言って服を着替えて部屋から出て行ってしまった。直後に瑠美が
「黒木さんに見えて、私には見えないのね。どんな紋章だったの?」
「えっと、何か文字みたいな、絵みたいなやつだったよ」
「そう……」
瑠美はそれ以上何も聞いて来なかった。美鬼は紗理奈をじっと睨み付けているだけで話しかけてすら来なかった。自分が限られた人間とはどういうことなのだろうかと考えても、何一つ解ることなどなかった。暫くしてはじめが部屋に来て
「みんなお疲れ様」
「旦那様!」
美鬼は咄嗟にはじめに抱き着いて彼の胸板で頭をこすりつけ始めた。
「寂しかったでありんすぇ。今日はこれからずっと一緒にいておくんなまし」
はじめは甘えてきた美鬼の頭を撫でて
「しょうがないなぁ」
「はうー!」
それから紗理奈と瑠美を見て
「母さん、少し時間掛かるみたいだから、居間にどうぞ」
はじめに誘われて居間に通された二人は「気楽にして良いよ。お菓子食べてね。今お茶用意するから」っと言われ座布団に横座りして、用意されていたお茶とお菓子を食べながらテレビを見ていた。
すでに廊下に見える大きな古時計の針は三時を過ぎており、凜は何時間話しているのだろうと思った。特に見たい番組があったわけではないが、二時間ドラマの再放送を見ていて紗理奈はつまらなかったが、瑠美は真剣に見ていた。
はじめは美鬼が隣にベッタリとくっ付いていても、何事もないようにお茶を飲んでいた。健全な男子であるなら、美鬼の露出した恰好に興奮しないのだろうかと思った。やはり美鬼のことを何とも思っていないのだろうか。
先ほどの麗の背中の紋章のことがあり、紗理奈は自分の見ている物がみんなにも見えているのかという不安に駆られていた。それにあきこが自分にまだ話していない昔のこととは何なのだろうか?
窓の外を見ると雨は止むどころか、さっきよりも激しくなっているような気がした。
『あなた達は、血の繋がった兄弟だったんですよ』
『そんな! 本当なのかい!?』
『あぁ、だから俺は……お前の為に……』
『兄さん! 僕の為に! こんなことを……』
『でも、俺は殺してなんかいない! 信じてください!』
この茶番劇に紗理奈は口を開いた。
「まだ一時間くらいあるからこの人、犯人じゃないね」
それに対してはじめが
「そうだね。いつも三十分前くらいに崖の上とかで推理始まらないと駄目だよね」
「ですよねぇー」
「でも、いつも定番だから良いよね」
「安心感ありますよね」
「そうだね」
はじめが紗理奈と会話しているのを聞いた美鬼は、頬っぺたをフグのように膨らませていた。何をそんなに怒っているのだろうか?
コマーシャルになって瑠美が
「先輩、聞いても良いですか?」
「何?」
少し戸惑っているようだったが、瑠美は恐る恐る
「聞いて良いのか解りませんけど、どうして凜さんと麗さんは、髪が……」
そこで言葉を詰まらせたが、はじめは何も気にしている様子はなく
「あぁ、母さんと姉ちゃんはね、霊力が強いんだよ。それで髪が生まれた時から白いらしいよ」
ケロッとして結構大切なことを言ったような気がしたが、瑠美はさらに
「でも、先輩も強いんですよね?」
「僕は全然だよ。父さんに叱られてばっかりだった。それに美鬼ちゃんに……あぁ、えっと……」
何を言おうとしたのか解らないが、美鬼がはじめの左の頬に手を置いて見つめていた。はじめは美鬼から目を逸らして彼女の手を掴んだ。瑠美は
「話したくないことなら大丈夫ですよ。それと、お父様のお話も、したくないですよね? すみません」
「良いんだよ。あと、父さんのことは別に話したくない訳じゃないからさ」
はじめの見せた笑顔は無理して作っているような気がした。その時、ドタバタと廊下を走っている音が聞こえて
「お待たせ―。ごめんね二人共」
凜が慌ててやって来てペコペコと頭を下げた。瑠美が
「気になさらないでください」
紗理奈も
「そうですよ。お仕事なら仕方ないですよ」
「申し訳ないわぁ。こんなに時間が掛かるとは思ってなかったからぁ。急いで支度するからね」
それに対して紗理奈が
「あの、でも、このドラマあと少しなんで最後まで良いですか?」
凜は「ふふふ」と笑って
「じゃあ、ゆっくり支度してくるわ。その間、何もないけど寛いでね」
「「はい」」
ドラマを最後まで視聴して凜に車で送ってもらった。道中では豪雨で車の視界が見えなくなるほどとなったが、暫くしておさまった。道路が冠水してしまうのでないかと心配になってしまうほど降り続いている。家に着いてドアを開ける前に瑠美に
「じゃあ、また明日」
っと笑いかけられた。今日もずっと一緒に入れて良かった。目にこの笑顔を焼き付けて
「うん、また明日」
車のドアに手をかけて走っても歩いても雨に当たる量は変わらないとテレビで見たが、それでも車を降りて走って家に入った。
この時はまだ知らなかったが、この豪雨によってマンション建設予定地の木々を切った場所から土砂崩れが起きて、工事現場を飲み込んだのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます