其の壱
今更ながら後悔先に立たずと言う言葉が頭に浮かんでいる。実際に練習をすることになったは良いのだが、踊ることがこんなに大変なことだと思っていなかったので困り果てていた。
神前祭を二日後に控えているというのに、この有様では人前に出ることなんてできるはずがない。そう思っているのだが、周りのとても温かい声援のおかげで、未だにこの場に留まっている。
平日は学校が終わってから、土日は昼頃から公民館を借りて練習しているのだが、神前祭の巫女の仕事を甘く見ていた。
運動神経は良い方だと思っていたのだが、それとこれとは違うらしい。リズムに乗ることが出来ず、美鬼と瑠美とワンテンポズレてしまっていた。それだけならまだ良い。
はっきり言ってセンスがないと自負できる。綺麗に踊っている二人と比べるとまるで子供が見様見真似で初めてラジオ体操をしているくらい滑稽なのである。本当に泣きたい。
それでも瑠美は
「大丈夫だよ。まだ時間あるし、それにそこまで卑下しなくても十分上手いと思うよ」
慰めに聞こえる言葉が心に突き刺さって逆に傷つく。瑠美は初日から完璧に踊りをマスターして、凜には
「瑠美ちゃん毎年出てくれない?」
麗には
「瑠美ちゃんはすごいね。私なんか覚えるのに結構苦労したのにぃ。完璧だね」
自分の評価をここで語っても良いのだが、ただの慰めの言葉が羅列されるだけなので割愛させていただく。瑠美は本当に何をやっても全て完璧にこなすことが出来て羨ましい限りである。さすがマイラブラブリーエンジェルだ。汗でシャツが身体に張りついている彼女を見るとエクスタシーを感じてしまう。
「じゃあ、いったん休憩しよっか?」
一通り踊って待望の休憩時間となった。汗がダラダラと額から流れているのを首に巻いたタオルで拭いた。
荷物を置いているステージの前に行って、リュックに入れておいた冷たいペットボトルを開けて、半分ほど飲んで水分補給した。
「ぷはー! 生き返る―!」
「黒木さん、おじさんみたいだよ」
そう突っ込んでくれた瑠美の微笑みは、体の底から自分を元気にしてくれる気がする。水分と瑠美分を補給したので残りの練習も頑張れる気がしてきた。
「いやー何かこう自然とセリフが出てくるんだよねぇ。でも、汗を流すって気持ちが良いね」
「そうだね。激しい動きはないけど、踊ってる時間が長いから本番は大変だね」
「本番のことは言わないでぇー! 私まだ完ぺきに踊れないからー!」
「そんなことないよ。別に無理してリズムに合わせなくても良いと思うよ。私と美鬼ちゃんに合わせれば良いじゃん」
「簡単に言うけど……それができないんだよねぇ」
「頑張ろうよ。今日合わせてあと二日もあるんだから」
「瑠美ちゃん、もう二日しかないの間違いだよぉ」
「マイナス発言は駄目だよ。もっと気楽にいこう」
「う、うん」
紗理奈は美鬼を見ると、練習を見に来ているはじめと楽しそうに話していた。それにしても彼女は汗一つかいていない。人間ではないと思うと不思議な感じがするが、はじめと話している時の美鬼は普通の女の子のようだと思う。それに今は二本の角がないのでただの可愛い生命体である。
話している二人を見ている麗はどう思っているのだろうか。この間に立ち聞きしてしまった内容を考えてしまうと快く思っていないのは知っているが、美鬼と一緒にラーメンを食べに来ていたりしていた。
隣の第二多目的ホールから演奏の音が漏れて聞こえてきた。神前祭の踊りの為の演奏である。公民館の第一多目的ホールで踊りの練習。第二多目的ホールでは尺八、三味線、和太鼓などの和楽器の練習が行われていた。
演奏を見学で聞いた時は迫力に押し潰されそうになり、さらにプレッシャーが圧し掛かってきた。本番は生演奏となるので、自分一人だけ失敗できないと思うと心が廃れていく。
「みんなお疲れ様―」
凜が大きなバスケットを抱えて入ってきた。
「休憩中かしら? 丁度良かった。みんなで食べてね」
凜がバスケットを開けるとおにぎりにサンドイッチ、から揚げ、タコさんウィンナ―、ゆで卵が入っていた。
「うわー! ありがとうございます! 瑠美ちゃん、行こう」
「うん」
紗理奈は凜の差し入れを毎日の練習での楽しみにしていた。腕によりをかけている凜の料理はいつも美味しい。紗理奈達の他にも演奏者の人達の分も作っている。それを一人で作っていると考えると相当な手間と時間をかけているはずである。
「今日は運動会みたいになっちゃったけど良かったかしら?」
「凜さんの料理はどれも美味しいので気にしませんよぉ」
「紗理奈ちゃんはいつも元気で、食べっぷりが良いから私も作り甲斐があるわぁ」
「えへへ。食べるのは得意なんです。いただきます!」
「どうぞ。瑠美ちゃんも遠慮しないで」
「はい、いただきます」
「麗、はじめ、美鬼ちゃん、一緒に食べましょう」
「「「はーい」」」
凜に呼ばれて麗、はじめ、美鬼も集まって本当に運動会の昼食の団欒をしているみたいになった。
「いただきんす!」
パクパクとおにぎりを平らげる美鬼は休むことなく次々に口に運んでいく。本当に良く食べるものだと驚いてしまう。ラーメンを食べている時もそうだったが、鬼って食事代がかさむのではないかと少し宮部家の家計の事情が心配になってしまう。
「旦那様、はい、あーん」
「う、うん。あーん」
美鬼がタコさんウィンナ―をはじめに食べさせた。とても恥ずかしそうにしているはじめの顔は少し赤くなっているように見える。
それを見ている凜も麗も穏やかそうに見えるが、内心ではどう思っているのか本心を知りたいと思った。
「美味しいでやんすか旦那様?」
「うん、美味しいよ」
「わっちにもやってくださいまし」
「え!?」
「あーん」
はじめは目を閉じて待っている美鬼から目線を逸らしてみんなを見た。当然温かい目をしている女性四人の顔を見て、はじめは「あーん」と言ってタコさんウィンナ―を美鬼に食べさせた。
「旦那様、ありがとうございんす」
「美鬼ちゃん、みんなの前は恥ずかしいよぉ」
「わっちらが幸せな所を見ると、みんな幸せになりんす」
はじめは苦笑いを浮かべながら美鬼の頭を撫でて「はうー!」を頂きました。それにしも美鬼は一体どこからそんなわけの解らない法則が出来上がるのか理解できないが、最近は美鬼が幸せそうならそれで良いのではないかと思ってきていた。
それでも、今どうなっているのかは気になっているので、話をいつかしようとは思っているがタイミングが掴めないでいた。本当は寂しくて辛くても元気でいるふりをしているだけなのではないかと思ってしまうのだ。
「じゃあ、食べてから軽く通しで踊ろうか」
麗の言葉に紗理奈は現実に引き戻され閉まったので、この世の終わりのような絶望した表情になった。それを見た瑠美が
「黒木さん、嫌そうな顔しないで」
「う、うん……」
そこに麗が
「紗理奈ちゃんは別に下手じゃないのよ。まだ心から踊れていないだけだよ」
「そうなんですか?」
「うん、それにね、本番では操られているみたいに勝手に体が動いてくれるよ」
「でも……やっぱり自信なくて……それに明日から神社で練習ですよね……私が足を引っ張って演奏止めちゃうかも……」
ガックリと頭を下げた紗理奈の肩に瑠美が手を置いて
「じゃあ、明日休みだし、水木神社の練習に行く前に、家に来て練習する?」
「え!? 瑠美ちゃんの家に行って良いの!?」
「うん、私も不安だし、家に来て欲しいなぁって思って」
「行きます! 死んでも行きます!」
「黒木さん、死んじゃ駄目だよ」
「えへへへ」
初めて行く瑠美の家を想像しながら、今日は遠足に行く前の高揚感にも似た高鳴りで眠れないかもしれないと思った。
デレデレした緩んだ顔になっている自覚症状があったので、すぐに顔を戻そうと努力して見たが、口角が上がっていて戻りそうにない。それを見ていた美鬼が紗理奈の耳元で囁いてきた。
「クレイジー最高レズ」
「え!? 美鬼ちゃん! そんな言葉どこで覚えたの!?」
「旦那様のパソコンで見たでありんす。おぬしみたいな奴をそう呼ぶとな」
「私そんなんじゃないから! 私は可憐で純粋無垢な乙女ですー!」
「純粋無垢とはわっちのような乙女のことでありんす!」
「美鬼ちゃんのどこが可憐なのよ!」
「なんじゃと生娘!」
「はいはい二人共落ち着こうね」
はじめが二人の間に割って入って引き離してくれた。困っているような感じの顔ではなく、楽しんでいるように見えた。いや、嬉しいのかもしれない。美鬼がこうやって誰かと楽しそうに話しているのを見るのが。
多目的ホールの時計を見た麗が
「良し。腹ごしらえも終わったし、練習するよー」
「「「はーい」」」
こうして、この日も九時頃まで練習をして紗理奈と瑠美は凜の車で送ってもらい、はじめと美鬼は麗の車で帰るようだ。
車中はいつも凜が最近の美鬼の様子を話していることが多い。今日も嬉しそうに美鬼の事を話していた。
「美鬼ちゃん、最近は家に帰ってから話すのは二人と踊っていて楽しいって言うのよ。本当に二人と出会ってからあの娘は変わってきたと思う。二人共ありがとうね」
それに紗理奈が
「美鬼ちゃんが元から良い娘だからですよ」
「まぁそうかもしれないわね。本当に最初の時はどうなるかと思ったのよ。美鬼ちゃん、今とは雰囲気が違っていたからね」
それに対して瑠美が
「どんな感じだったんですか?」
「いつも強気で、傲慢な態度だったわ。誇り高き一族だからね。最初に会った時言われた言葉を今でも忘れはしないわ。
紗理奈は凜がこの話をしてくれるとは思っていなかった。言葉を濁されて他の話をされると踏んでいたが、凜は思っている以上に自分達を信頼してくれているのかもしれない。
家に着いて車から降りようとすると瑠美が
「じゃあ、明日来る時連絡して。七日町のバス停で待ってるね」
「解った! じゃあね瑠美ちゃん」
「じゃあね黒木さん」
車が見えなくなるまで見送って家に入ると靴が多いことに気が付いた。三つはあきこにさと美、靖子なのは解るのだが、残り三つが誰だか解らない。女性なのは解るのだが。
「ただいまぁ」
「「「「「「おかえり―」」」」」」
その声に聞き覚えがあり、すぐにリビングに入って懐かしい顔に再会した。
「佳代子叔母さん、久美ちゃん、えっちゃん、いらっしゃい」
「久しぶりね紗理奈ちゃん、大きくなったわね」
あきこの妹で専業主婦をしている叔母の佳代子がニッコリと笑いかけてくれた。
「でも、お母さん、さっちゃん可哀そうなくらいに成長してないとこがあるよ」
「久美ちゃんそれは言わないで!」
佳代子の長女で大学二年生の久美子の鋭い指摘にメンタルが少し削れた。それもそのはず、久美子は豊満なバストの持ち主なのだから。今年の正月には顔を合わせていなかったので、二年ぶりくらいに会った。
「紗理奈姉ちゃん、ゲームしようよ」
「良いよ。お風呂入ってくるから待っててね」
佳代子の次女のえみこは、さと美とゲームをしながら話しかけてきた。彼女はさと美と同い年なのだが、さと美よりも幼く見えるのは身長とかなりの童顔であるからに違いない。しかし、彼女も長女の久美子と同じく大きなバストで少しでも自分にくれないかと懇願したいくらいである。
「てか、どうしたの? 正月でもないのに家に来て?」
あきことワインを飲んでいる佳代子が
「そりゃあだって、紗理奈ちゃんが神前祭の巫女さんやるから来いってお母さんに言われたら何が何でも来るわよ」
「げぇ!?」
思わず男のような低い声を出してしまったが、大勢の人が見に来るだけでも緊張するのに、それに合わせて親戚まで来るとは泣けてくる。お酒が入って少し顔が赤くなっている靖子が
「紗理奈の晴れ舞台はやっぱり家族みんなに見せたくてね。嬉しいだろ?」
「う、うん……嬉しい……」
苦笑いを浮かべているのは自分でも解っているが、どうしても自信があるように振る舞えない。まだ一度もみんなと揃ったことがないのだから。
「あたしはお姉ちゃんより、美鬼さんと瑠美さんの踊りが楽しみだなぁ」
「さと美うるさい!」
「ふふん、大丈夫、何だかんだ言って私達家族はみんな楽しみにしてるから、頑張ってねー」
久美子の何気ない言葉がやけに重く圧し掛かってくる。
「あ、ありがと。頑張るよ」
「あきこ、ビデオカメラで撮るんだよ。一瞬でも逃しちゃだめだからな」
「はいはいお母さん解ったわよ。何度も言わないで」
永久に残るような失敗はしたくない。というよりは、もう失敗できないような状況に陥ってきた。特に靖子の輝いている目を見ると出来損ないの踊りしか出来ない自分が恥ずかしくなってくる。
「ミャー」
ニコが紗理奈の足元に寄り添ってきた。それを見た佳代子が
「ニコって本当にココに瓜二つよね。私ビックリしちゃったよ」
それに釣られて久美子も
「私も。写真見ても模様も一緒みたいだしね」
さらにえみこも
「ココの生まれ変わりかもよ。さと美ちゃんもそう思うでしょ?」
「うん、ホントにココがまた家にいるみたい。お姉ちゃん、ありがとう。ニコを家に連れてきてくれて」
「うん」
「ミャー」
ニコは紗理奈にだけ解るようににっこりと笑って見せた。紗理奈は屈んで頭を撫でるとニコは喉をゴロゴロと鳴らして「ミャー」っと鳴いた。あきこがふと思い出したように
「今日もご飯食べてきたの?」
「うん、今日も凜さんが作ってくれた差し入れ食べたよ」
それを聞いた靖子はグラスに入ったビールを一口飲んで
「何かお返し考えなきゃいけないね。本当に宮部には世話になってばっかりだねぇ」
それに対して佳代子が
「お母さん、宮部さんだけじゃなく、オオサワさんも忘れちゃ駄目よ。私がお世話になったのはオオサワさんなんだからね」
「そうだねぇ。今は息子さんが後を継いでいるのかい?」
「ううん、今でも現役よ。息子さんは――」
「そんな話を子供達の前でしないで!」
あきこが強い口調で言ったので佳代子は話をとめた。少しばかり驚いているようだったが、次第に口角を上げて
「姉さん、怖い怖い。怒らないで。悪気はなかったのよ」
「はぁ。お願いだから、気を付けてね」
「はいはい」
話が解っているのは靖子で、他の紗理奈を含めた子供達は何の話なのかさっぱり理解できていないようだった。
「じゃあ、お風呂入ってくる」
荷物を部屋に置いてからお風呂に入って少し考え事をしていた。
「お世話になったってことは――オオサワって人も退魔師か何かなのかな――解んないや」
ふと考えていることが勝手に言葉になって口から漏れ出していた。しかし、どんなに考えても答えが見つかる訳もなく時間だけが過ぎて行った。
お風呂を上がってから、さと美とえみこの三人で十時半までゲームをした。疲れているせいもあってか、ゲームをしている間も眠気が襲ってきていた。大人しく部屋に行ってベッドに横になった。
目覚ましをセットして一応あきこにも連絡を入れて、瑠美との待ち合わせ時間に間に合うように準備は整った。
目を瞑ると、ここ数日の踊りで普段使っていなかった筋肉が悲鳴を上げていた。明日は初めてのお宅訪問、楽しみで仕方がない。瑠美の部屋がどんな風になっているのか想像しながら心地の良い夢を見られると思っていた。
長い廊下で先は暗闇で先が見えない。そして、自分は小さな両腕でぬいぐるみを抱きしめている。大好きな白い兎のぬいぐるみ。
ぬいぐるみが小さな腕から抜け出して、廊下の先へヨチヨチと不慣れな感じでピョンピョン飛び跳ねていった。それを必死で追いかけた。
廊下は何処までも続いているかのようで、いつまでも何処にも辿り着くことができない。兎が立ち止まっていた。その前には暗闇と同じ色をした服を着た誰かがいた。
暗闇と同化しているような服を着たその人は、ゆっくりとぬいぐるみを拾い上げてゆっくりとこちらに歩いてきた。そして、顔を見た。口角を上げて、目じりを下げて笑っているその人は、大きな口を開けて、ぬいぐるみを一口で食べた。
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