守り続ける者
天地様
八月が終わりを迎えると言うのに気温は三〇度を超えており、嫌気が差すほどにもう暑いのにはうんざりだった。ヘルメットの中が蒸れて汗が額から滴り落ちてくる。汗をタオルで拭って空を見ると、太陽は昔の唄にもあるが燦々として真っ赤に見える。
恋の季節だとか言っていても、結局今年も一人なのに変わりはない。毎日作業をしていると出会いなどない。夜のネオン街に出掛けて綺麗な若い女にちょっかい出すくらいが関の山。嫌になってくる。
もうすぐ終業時間になるので、気分は晴れやかになって来ている。それでも、現場の前で毎日飽きもせずに抗議活動をしている人達を見るとお前らは仕事しないのかと突っ込みたくなる。
こっちだって仕事でやっていることなんだから、仕方ないんだと言っても「良心は傷まないんですか?」などと口にされる。これで金を貰っているんだから一従業員の自分に何ができるというのか。
確かに昔はここら辺で遊んでいた記憶もある懐かしい場所である。それなりに地元が好きだし、ここ以外の土地なんて修学旅行で行った東京と京都くらいなものだ。
この町も昔とは随分変わってしまった。賑わっていたはずのデパートは潰れるし、観光に訪れる人達がこぞって泊まっていたホテルも潰れてしまった。デパートで良くおもちゃやゲームを買ってもらっていた記憶が鮮明に蘇ってくる。そんなことを油圧ショベルを運転しながら考えていた。
「今日もお疲れ様でした」
作業が終わってユニットハウスに作業員全員が集まっていた。この後はもう終礼をして解散。それからまずは一杯何処で引っかけるか考えようと思った。
ハウスを出て、終礼をしている最中でも、抗議の人達はまだ現場の外で「工事反対!」「自然を壊すな!」とかのプラカードを持ってこちらを睨み付けながら叫んでいる。
「本日も無事故でした。明日もよろしくお願いします。お疲れ様でした」
「「「「お疲れ様でした」」」」
これで労働から解放された。あとは現場から出るだけだが、抗議の人達がどいてくれるのを待つしかない。こればっかりはどうしようもないことだ。
仕方なく全員がユニットハウスに戻ってコーヒーを飲みながら喫煙したり、スマホでゲームを始めていた。この環境に慣れた強者はトランプを持ってきて遊び始めた。
「天地様の祟りが起きるぞ!」
「天地様の森を壊すな!」
「これ以上天地様達の土地を荒らしてはいけません!」
外の抗議の声が聞こえてきて
「てんちさまって誰ですか?」
新人の作業員が周りの誰かに聞こえるように聞いてきた。しかし、誰も答えようとしないので
「天地様ってのは、この土地で崇められてる神様みたいなもんだ。昔からここに住んでる人なら誰でも知ってる。森に住まう天地様がこの森を守ってるってな」
「あの、もしかして、昨日壊した小さな祠って……」
「天地様の捧げ物を置く祠だよ。新しいのはもう森の端っこに作ってあるのに、抗議はやむどころか余計に酷くなってきたのさ」
「天罰が下るぞー!」
外の声に新人はビクつきながら煙草を吸っていた。妙に肝っ玉の小さい男だと思ったが、自分も同じくらいの年だった時は、周りの大人達が怖かったなと思い返した。
自分もそのうちの一人であることに変わりはないだろう。額には大きな一文字の傷があるのだから。これでよくその手の人に勘違いされてしまう。父親に付けられたこの額の大きな切り傷は、今思い返しても嫌な思い出で一生思い出さなくても良い。何より、今でも心の傷も消えていない。
そういえば、この森で迷子になった時があった。父親が怖くて家から飛び出して、この森に逃げて迷子になった。その時に、自分を町まで送ってくれたあの男の子は今どうしているのだろうか。懐かしいことを思い出した。
町に向かう途中で他にも男の子の友達と一緒にベーゴマや鬼ごっこ、めんこで遊びながら帰った。あの時は、また遊ぼうと約束していたが、それが叶うことはなかった。
父親の家庭内暴力がきっかけで母親と一緒に隣町にいる親戚の家に逃げた。それでこの森に来ることがなくなってしまった。今あの子はどうしているのだろうか。
ズシャーン!
「何だ!?」
耳鳴りがするほどの爆音にハウスにいた全員がどよめいた。外で抗議をしている人達の声が悲鳴に変わり急いで全員が外に出た。
「嘘だろ……」
油圧ショベルがまるで逆さまになって落ちたように潰れていた。そして今、トラックが宙に浮いてユニットハウスに向かってきていた。
「逃げろー!」
「うわあー!」
宙に浮いたトラックは上下に回転しながらハウスに突っ込んでいった。作業員全員は信じられない光景に慌てふためき阿鼻叫喚の状態だった。
誰かは車に乗り込んで現場から逃げ去り、誰かはその場で蹲り震えたり、泣いていたり、でたらめな念仏を唱える者までいた。
さらに何度も激しい衝撃音はずっと続いていた。見れば次々に作業機材や何トンもある重機が宙を舞い真っ逆さまに地面に激突して鳴り止まなかったのだった。
「祟りだー! 天地様の祟りだー!」
新人はそう叫びながら走って逃げていた。早く逃げなければいけないのに足が動かない。震えている。全身の鳥肌が立っている。暑いのに寒くなってきた。
「危ない!」
空を見ると真っ暗で、まるで夜のようだった。いや、全然違う。夜よりも黒く、先が見えない。巨大な何かが上から落ちてきていた。避けようにも足が動かず、ただ声に出して呟いた。
「天地様お助けを……」
男は目を閉じて信じてもいない神に祈った。そして、彼の脳裏を過っていたのは、幼い頃に森で遊んだ男の子の笑顔だった。
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