其の壱

 暑さが落ち着くのがいつになるのか解ったものではない。当てにできない天気予報士は呑気に例年よりも暑いですねくらいしか言わない。神様も仏様もこの異常気象をやめる気はないのだろうかと思ってしまう。

 一度は涼しくなりかけていたのに元気にぶり返してきた。まるで地球が高熱の風邪を長引かせているとしか思えない。誰か何とかしてくれと叫んでも山の向こうにかき消されてしまう。

 いつになれば夏から解放されるのであろうかと日々悩み続けている。熱気の籠った教室の中で水分補給は欠かせない。何よりも制服が汗臭くなるのは嫌だ。


「担任の岡村先生ですが、お家のご都合で帰りました。しばらくお休みになります。岡村先生不在となる当面の間は、代理で先生が交代で――」


 しかし、話は次第にずれていき、関係のない方向へと進んで行った。そんなこと言われても夏だからどうにもならない。

 清涼スプレーの匂いが休み時間にどの教室からも匂ってくるのは仕方ないのだから、それを注意されても仕方のないことだと思うのだが、それをネチネチと話している先生には困ったものである。


「だからな。別に使うなとは言わない。それでもだ。汗は人間の身体から出てくるもんだぞ。別にそれが匂うのは仕方ない。でもだ。それを隠すためにさらに強い匂いで隠すのは良い事だとは思わない。だからな――」


 結局肯定しているのか否定しているのか支離滅裂である。これが終われば瑠美と一緒の時間が過ごせるというのに、いつまでこんな話をしているつもりなのだろう。

 前の席に座っている瑠美はどんな顔でこの話を聞いているのか見えないが、怠そうな自分とは真逆でシャキッとしているに違いない。担任でもないのに良くこんな長話ができるものだ。ツルツルになっている頭と同じで話の脈略が毛頭ない。


「――じゃあ気を付けて帰れよぉ」


 先生が教室を出てすぐに紗理奈が瑠美に向かって


「ねぇ瑠美ちゃん、今日もいつもの場所行く?」


「黒木さんが良いなら、私は行くよ」


「じゃあ、決まりね。行こう」


 クラスメイトの視線に酔いしれる瞬間である。成績優秀のクラス委員長と下校する黒木紗理奈。最近ずっと一緒にいる二人は注目されている。

 クラスメイト達が自分達のことを付き合っているのではないかと噂する日も近いことだろう。そんな妄想が頭の中で笑っていた。瑠美は歩きながらスマホをいじっていた。誰かに連絡でもしているのだろう。はじめか美鬼だろうか?


「イペタムはどうなったのかな?」


 っと言った紗理奈の問いかけに瑠美は


「麗さんが妖気を取り払おうとしたけどできなかったって宮部先輩が言ってたよ。だから、どうにもできないみたい」


「ねぇ瑠美ちゃん、いつ宮部先輩とそんな話してるの?」


「ずっと連絡してるからね。気になることはトコトン追求しないと気が済まないから」


 いつ見ても尊い笑顔を向けられて幸せな気持ちになった。まるでシンデレラが七人の小人と一緒に過ごしている中で生き生きと家事をしている時の笑顔のようだ。

 解っていることだが、自分でも何を考えているのか理解できない。でも、これだけは言える。抱きしめたい。

 今日も駄菓子屋でソフトクリームとコーラのセットで放課後の雑談タイムだ。これが最近は定番になっている。

 何処かのチェーン店に居座るよりも駄菓子屋にいる方が心地良いのだ。おばちゃんもほぼ毎日のようにくる紗理奈と瑠美の注文を解っているようで「いつもで良いのかい?」っと聞いてくる。もちろん注文はいつも同じなので「いつもお願いします」っと瑠美が答えるのだ。


「ぷはぁー! 暑い中で飲むコーラは最高だね!」


「本当だね」


 二人でいる時間が短すぎてもっと一緒にいれたら良いのにと思ってしまう。この間、家に泊まった時、瑠美の寝顔を目に焼き付け写真に収め家宝にすれば良かったと後悔している。

 ソフトクリームを食べ終わって瑠美の乗るバス停まで歩き出した。他に寄り道をしないので、解散はいつも少し早いがそれでも良い。


「じゃあ黒木さん、また明日」


「うん。また明日」


 一時の別れを嘆くことなどしない。明日もまた瑠美に会える幸せが待っているのだから悲観などしなくて良いのだ。玄関の鍵を開けて中に入ってすぐに


「ただいまぁ」


 っと声を掛けると


「「お帰り―」」


 聞き慣れた二人の声が帰って来たのでふと玄関の靴を見た。一つは妹のさと美の物だが、もう一つはさと美のよりも小さく、若者が履くには少しばかり地味な感じだった。こげ茶色の靴はきっと――


「お帰りぃ紗理奈ぁ。元気だったかい?」


「お婆ちゃん! 久しぶり! うんうん、元気だよ」


 母の母、自分にとってのお婆ちゃん、黒木靖子。会うのは実に正月以来だった。相変わらずイントネーションが所々訛っている。


「どうしたのお婆ちゃん? 急に来て?」


「なぁに、ちょっとね。気になる、夢を見ちまったもんだからさぁ」


「夢? どんなの?」


「後で話してやるよ。さぁ、ケーキ買ってきたから食うだろ?」


「うん」


 リビングに入って目に入ったのはさと美がテーブルでケーキを食べていて、靖子お婆ちゃんは洗面台で洗い物をしていた。


「お姉ちゃんおかえりー」


「ただいま」


 冷蔵庫から麦茶を出してコップに注いでから、さと美の隣に座ってテーブルの上の箱からケーキを物色した。チョコとモンブランよりも気分はイチゴショートだったのでそれに決めた。皿に乗せて


「いただきまぁす」


 の一言からケーキ口に含んだ。苺、クリーム、スポンジの三つが口の中で絡み合った。


「美味しー。お婆ちゃんありがとう」


「んあぁ良いんだよぉ」


 ニュースでは千倉アナによって事件が報じられていた。


『マンションの建設予定地で発見された男性五名、女性七名はいずれも意識不明の重体で、予断を許さない状況が続いています。一人暮らしの高齢者の相次ぐ失踪事件と関連があるとして、警察は十二名の身元の確認を急いでいます』


 三人でテレビを見ているとあきこが帰ってきた。


「ただいま」


 スーツ姿のあきこは、靖子がソファーに座っているのに驚いた。


「お母さん!? どうしたの!?」


「お帰りあきこ。ちょっと数日泊まるからよろしくねぇ」


「いや、急にそんなこと言われても困るわよー」


「まぁまぁ、ケーキ食うだろ?」


「もう! ケーキは夕飯を食べてからいただきます――ちょっと! こんなところに荷物置かないでよぉ」


「はいよ」


 あきこは着替えてからすぐに客間を準備して始めたので、紗理奈もさと美も手伝って少しでも孝行しようとした。

 部屋の準備をし終わって靖子の荷物を片付けた。それからあきこはゆっくりソファーで寛ぎながら靖子と話を始めた。


「で、お母さん、何しに来たの?」


「ココに線香あげに来たのさね。もうすぐ一年じゃろ?」


「そうだけど、急に何でなの?」


「いやぁ、ちょっとね……」


「お婆ちゃん、ありがとう。ココも、きっと喜ぶよ――」


 さと美はココの名前を出した時に少し声が震えていた。きっとココのことを思い出して泣きそうなのだろう。あれだけ懐かれていたら思う所があるに違いない。それにココは今でもさと美のことが好きなのだ。そう言ってあげたかったが、この話をしたらきっと一生馬鹿にされて終わる。


「ココがさぁ、枕元に来たんだよ」


「え!?」


 ココはさと美だけではなく靖子の所にも糸電話をしていたのか。靖子の言葉にさと美は不思議そうな顔をしていたが


「私の所にも来たの」


 紗理奈は心の中で知っているっと思った。靖子は皺くちゃな顔を笑顔にして


「そうかいそうかい。ココのやつ何だかやつれててねぇ、可哀そうだったぁ。お婆ちゃん逃げてって言ってたよ」


「私にも何か言ってたけど、覚えてないんだよね」


 その時突然あきこがテーブルを叩いて話を止めた。


「やめて! お母さん! そんな話をしないで! 解ってるでしょ!?」


 あきこの形相に靖子は何かを察したようで


「悪かったよ。でもね、そういう家系なんだよ。あんたも解ってるだろ? あきこ?」


 紗理奈もさと美も話が見えてこないので困惑していた。何よりあきこが怒鳴るのを久しぶりに見て、とても怖かった。紗理奈は恐る恐る聞いてみた。


「ねぇお婆ちゃん、家系って何の?」


「それはねぇ――」


「お母さんやめて!」


 あきこは目に涙を溜めて訴えたので靖子は鼻を啜った。


「まぁ、いつかお母さんから聞きなさい。おれからは言えねぇな」


 気まずい沈黙になり、誰も彼も視線を合わせることがなかった。そんな沈黙を破ったのはさと美だった。


「お婆ちゃん、ココのお墓にも行こうね」


「……そうだね。あの子は寂しいのかもしれないね。わざわざ会いに来てさぁ。もうすぐおれが行くから待っててくれたら良いのにねぇ」


「そんなこと言わないでよお婆ちゃん。あたしの花嫁衣裳見るまで死ねないって言ってたじゃん。それに日本は高齢化社会だよ。お婆ちゃんはまだまだ若いじゃん」


「そうだったね。じゃあ孫まで見ないとね。あははは――」


 あきこは静かに一度リビングを出て行った。紗理奈は何かを隠す母の背中に悲しさを感じたのだった。夜になってもう寝ようかなと思ってベッドに横になった時だった。


【今日も来たぞ生娘】


【美鬼ちゃん! 毎日ありがとう!】


 突然の糸電話に動じることなく返事が出来るようになった。


【今日もココが糸電話しないか来てくれたの?】


【あの猫又は色々と情報を知っているようじゃし、何よりあやつは火車を追っておる。目的は旦那様と一緒でやんす】


【何かね、今日お婆ちゃんが家に来てるんだけど、お婆ちゃんの所にもココが糸電話してたみたいなの】


【猫又はぬしの祖母には何て言ったんじゃ?】


【何か逃げてって言ったらしいよ】


【どういう意味じゃ? ぬしの祖母は狙われておるのか?】


【解んない。でも、さと美にも同じようなこと言ってたから関係ないと思うけど】


【まぁ良い。それしても旦那様と離れるのは辛い】


【会えない分、いっぱい甘えたら? 旦那様―! 抱いてくださいでありんすー】


【うっさいボケ! わっちはそんな淫らな女ではないわ! もう良い。じゃあ、何かあればまた話すかもしれん】


【うん解ったよ】


 それで話は終わり、ココが今何処で何をしているのか想像してみようとしたが、何も思い浮かばせることができなかった。寝られないのでスマホアプリで遊んでいたら


【急な用事ができたでやんす。今日は帰りんす】


【うん、ありがと美鬼ちゃん】


 その後ウトウトしてきたので眠りに就いた。いつもより早めの時間に起きてリビングに行くとすでに靖子が朝食を作っていて、当番だった紗理奈は茫然とした。


「お婆ちゃん、私が今日の調理当番だったんだけど」


「良いんだよ。世話になるんだからおれにやらせろ。トロロで食うかい? 納豆にするかい?」


「トロロにする」


 朝食を食べてから歯磨きをして学校に向かった。今日も時間通りである。瑠美が乗るバスはいつも七時四〇分に停車する。待ち伏せして今日も一緒に登校しよう。そう思っていた。そして、偶然を装って


「おはよう瑠美ちゃん」


「おはよう黒木さん」


 これを毎日続ければ運命の赤い糸で結ばれているのだと思い込んでくれるはずである。しかし、瑠美の心は紗理奈に向いてなど居なかった。


「昨日のニュース見た? 十二名の老人が見つかった事件」


「見たよ。意識不明の重体って言ってたね」


「実はね、十二名は意識不明なだけじゃないの」


「どういうこと?」


 瑠美は以前口裂け女の話をしたときと同じような間を作って雰囲気作りをした。じっと紗理奈を見つめてタイミングを見計らっている。そして


「発見された時には、生きてるなんて誰も思ってなかったの」


 再び間を作って瑠美は周りを見て誰も聞いていないのを確認して


「みんな干からびたミイラのようになっていたの」


 その言葉に紗理奈は疑問を抱いた。


「ミイラになってるのなら、生きてないじゃん」


「違うの。姿はミイラみたいになっているけど、脳に肺、心臓は動いていて呼吸して生きてる。きっと火車に生気を抜かれたの」


「火車にそんなことできるの?」


「うん、火車は生気を吸い取ってその亡骸を食べるの。火車に生気を吸い取られた人は十日後に死んでしまう。その前に火車を倒さないと」


「宮部先輩はこのこと知ってるの?」


「うん、でも次何処に火車が現れるか解らないから、美鬼ちゃんに頼んで必死に京狐さんを探してるみたい」


「そうなんだ。見つかると良いね」


 ホームルームが行われる時間になる直前に、矢部が教室に入るなり


「全校集会をやる。廊下に整列ぅ」


 体育館に行くとすぐに全校集会が始まって、校長先生が登壇して険しい顔で話を始めた。


「おはようございます。えぇ、皆さんには黙っていましたが、岡村先生がお休みをいただいていますが、えー、実はですね、岡村先生のお母さんが高齢者失踪事件に巻き込まれ、昨日意識不明の状態で発見されました」


 体育館に全校生徒のどよめきが起こった。校長先生は一呼吸おいて


「……岡村先生のお母さんの一刻も早い回復を祈りましょう。本日はこれで休校となります。気を付けて帰ってください。私がこんなことを言うものではないですが、この町は、今、おかしくなってます」

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