悪い奴ほど良く笑う

ある老婆の戯言

 人生五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。なんて言葉はもう昔のことである。今は高齢化社会である。人間八十年、九十年、いや、百年に届くまでに寿命は延びている。


 昔はお年寄りと言えば本当に皺だらけの顔で腰が曲がっていたわけだが、それが今ではどうだろうか。若者の元気はなく、お年寄りの方が未だ積極的に活躍している時代である。


 こんな時にこそ若者には頑張ってほしいと思うのだが、そうも簡単にいかない。右を見れば、ゆとりだの、さとりだのと言われている馬鹿者ばかりではないか。


 昔は人と人との繋がりは深かったはずなのに、今では隣人が何をしているかなどと言うことに興味がある者などいない。むしろ、隣人が犯罪者かもしれないと疑心暗鬼に襲われる始末である。


 世も末だ。馬鹿々々しいことこの上ない。余生を一人で過ごしているのは悪くはないが、やはり隣には誰かいて欲しい。それでも息子夫婦に自分を見てもらおうなどいうことはしたくない。


 なんやかんやと理由をつけて結局最後はデイサービスや老人ホームに入れられる人生なら、今はまだ自由を満喫する時間でありたい。


 若い時に夫が働いた分、自分も夫を支える為に良き妻であり続けた。今は余生をゆっくりとした時間で生きているのは悪くない。孫の顔はたまに見れば良い。嫁に似ていて可愛いとは思わない。気に食わない顔つきである。


 ろくでもない親戚が増えただけだ。これを夫が生きて知っていれば、怒鳴り散らして息子を止めたことだろう。それでも親の言うことを聞かないで駆け落ちのように結婚した。そう思っている。


 隣人にしてもろくでもない奴らばかりだ。夫が必死で稼いだ金をせびりに来ては、一言目には金、金だ。夫の金を自分の為に使って何が悪いというのだ。


 俺だ俺だと電話をしてくる馬鹿な連中にしてもどうかしている。そこまで金を手に入れて何をするというのだ。金は天下の回り物である。だから結局自分の努力次第でどうにかなるだろう。楽して稼ぐことなど出来る訳がない。その分のツケが回ってくるのが人生なのだから。


 あのアパートの住人にしてもそうだ。家賃を滞納している連中が多すぎる。世の中には仕事が溢れているというのに何をしているのだ。ブラックだのホワイトなどと会社を選んでいる場合ではないだろう。


 そんな文句ばかり言っている連中にろくな奴はない。金がないなら身体を売ってでも稼いで来い。お前が会社を選んでどうするのだ。会社が人を選ぶのだ。勘違いも甚だしい。


 この間善意で貸した金が未だに返ってこない。娘は何をしているのだ。利子を付けて返すなどと気前のよいことだけを口にして結局は連絡一つも寄こさない。自分の躾が間違っていたとでも言うのか。いや、社会に毒されてしまったのだ。そうとしか考えられない。


 人を忌み嫌っている連中など地獄に落ちてしまえば良いのだ。自分が何をしたというのだ。まっとうに生きているだけだ。馬鹿者どもめ。


 椅子に座って夜空を眺めていて少しは気持ちが落ち着いてきた。最近は怒りっぽくっていけない。それにしても、今日は訪問販売が来なくて気分が良い。毎日飽きもせずに来る馬鹿者だ。


 こっちはまだ呆けていないのだから、お前の言っている言葉の意味を理解できる。明日は警察にでも連絡して二度と家の敷居を歩けないようにしてやろうか。


 通帳の残高を確認して、その金額に安堵して金庫に閉まった。その時に「ミャー」っと鳴き声が聞こえたので庭を見ると野良猫が数匹忍び込んでいた。池にいる鯉に手を出そうとでもいうのだろうか?

 テーブルに置いていたお茶の入った湯呑みを持って掃き出し窓を開けた。


「あっちに行きな! うす汚い野良猫め!」


 湯呑みに入っていたお茶が野良猫に当たったように見え、それで野良猫達は石垣を乗り越えて出て行った。


「全く! ふざけんじゃない! 二度来るんじゃないよ!」


 その時、雷の音が響き渡った。夜空を見ると羊雲があるだけで雨雲など何処にも見えない。


「雨でも降るのかい?」


 それから暑いのに急に寒気を感じた。一度身体を振るわせて


「うぅー、風邪かねぇ?」


 掃き出し窓を閉めようとした時に、太鼓の音が遠くから聞こえてきた。


「何だい? こんな時間に? 太鼓?」


 一瞬雷鳴が光ったように見えたので、もう一度空を見た。そして、突風が吹いたと思ったら、二つの日の玉がゆらゆらと庭に浮かんでいる。


「ひぃ!」


 空からの太鼓の音はドンドン近づいているように思えた。また空を見ると、まるで小さな火がこちらに近づいているように見える。


「ありゃ何だい?」


 それは物凄い速さでこちらに向かってきていた。そして、それは炎に乗った巨大な銀色の猫だった。その背中に雷鼓を背負い、虎柄の褌をしていた。


「あぁぁ! お助けぇ!」


 掃き出し窓が閉まらない。ガタガタと何かが押さえつけられているようにビクともしない。


「ギャォー!」


「あぁぁぁぁぁぁ!」


 老婆の叫びは近隣に響き渡り、その声を聞いて空を見上げた男性がいた。雲の中に引きずり込まれていく老婆の足が見えたような気がしたが、酔いのせいだと思って気にしなかった。

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