其の弐

 校長先生の話で生徒たちの話題は、岡村先生の話ばかりだった。「ヤバい」だの「可哀そう」だの「マジ?」っと言った凡庸な単語が聞こえてくる。教室に戻り席に着くとすぐに先生がホームルームを開いた。


「校長のお話の通りです。岡村先生のお母さんの一日でも早い回復を祈りましょう。寄り道せずにまっすぐ帰りなさい」


 早すぎる九時前に下校時間となった。多くの生徒が教室に残って話をしていたが、瑠美は立ち上がって


「行きましょう」


 紗理奈は考えを巡らせながら立ち上がって


「瑠美ちゃん、先生のお母さん、このままだと……」


「先生のお母さんだけじゃない。他の被害者の猶予があと何日か解らない。早く火車を倒さないと」


「私達に何かできることはある?」


「歩きながら話しましょ」


 そう言って教室を出ようとした時


「瑠美ちゃん、紗理奈ちゃん」


 その声のする方に顔を向けるとはじめが鞄と竹刀袋を持って教室の入り口に立っていた。瑠美ははじめに駆け寄って


「先輩、少しお時間良いですか?」


「良いよ。僕も瑠美ちゃんに聞きたいことがあったんだ。ここじゃなんだから、とりあえず学校を出よう」


 学校の廊下をこの三人で歩いていることが不思議である。同じ学年ではないので、滅多に会う事がないはじめと一緒なのだからそう感じるのかもしれない。それに会う時はいつも私服なので、制服姿に違和感を抱いてしまう。瑠美が火車の説明をはじめにすると


「火車に襲われてから十日がタイムリミットか……」


「どれだけの時間が残されているのか解りませんが、多分、あまり残されていません」


 瑠美に続けて紗理奈も


「先生のお母さんだけじゃありません。他の被害者の人も……このままじゃ……」


「解ってるよ……どうにかしないと……」


「何か策はあるんですか?」


 瑠美の言葉にはじめは俯いて


「妖気の流れを追うしかない。被害者が見つかった場所から続いているはずだからね」


 学校の外は心とは裏腹の快晴で曇りなどない。集団下校にも似た帰る生徒達はまるで蟻の群れのように連なっている。はじめは


「母さんに電話するね」


「大丈夫です」


 瑠美の言葉の後すぐにはじめは凜に電話を掛けた。


「母さん――学校の先生のお母さんが失踪事件に巻き込まれて――うん――昨日のニュースの――意識不明の重体だって――そうだと思う――それで今日はもう休校になった――うん――火車に襲われるとね――」


 はじめが話している間に紗理奈が


「火車は猫又なの?」


「元々はというか、猫又の進化した姿ってところかな? 諸説あるけど、地獄への使者だったり、極楽浄土へ導いてくれる使者だったり。でも、今回の場合は前者だと思う。それか後者であって、操られているか」


「あの、三つ目の妖怪変化に?」


「多分ね」


「――時間がないと思う――解った。すぐ帰るよ――はい――」


 はじめが電話を終えて


「これから被害者が見つかったマンションの建設予定地に行ってみる。妖気を追って火車を止める」


「先輩、私達に出来ることはありますか?」


 瑠美の言葉にはじめは


「うーん、とりあえず今の所は大丈夫だよ。ありがとう。何かあったら連絡するね」


「解りました」


 やたら素直に瑠美がそこで話を追えたので、紗理奈は不思議に思ったが、自分の追っている妖怪変化はないから興味があまりないのかもしれないという考えに至った。そういえば気になることがあった。


「先輩、美鬼ちゃん、昨日の夜急な用事が出来たって言ってましたけど、何処に行ったんですか?」


「美鬼ちゃんには、調べに行ってもらったんだ」


「何をですか?」


「えっと、ちょっと母さんが依頼されたクモのことを調べてるんだよ」


「クモ?」


「その件は後回しになるけどね、今は火車を何とかしないといけない」


 バス停に着くと瑠美は


「じゃあ、また明日。何か解ったら連絡します」


「じゃあね瑠美ちゃん。また明日」


 紗理奈はいつもよりもトーンを落として言った。続けてはじめが


「瑠美ちゃん、ありがとう」


 っと言った。はじめと二人で同じ方角に帰るので紗理奈は何か話した方が良いのではないかと思ったが、何も言葉が思い浮かばなかった。

 先ほどまでは瑠美がほとんど話していたのもあるが、基本的に妖怪変化の知識もない、毎回巻き込まれるだけの不運な自分がいつも言うことは一つしかない。


「あの、先輩……」


「どうしたの?」


「あの、いつもありがとうございます。守ってくれて」


 はじめは穏やかに顔を緩めて


「いきなりどうしたの?」


「あの、その、前もその前も、ちゃんと言ってなかったと思って……」


「気にすることないのに。でも――」


 はじめは満面の笑顔になって


「――ありがとうを言ってくれて、ありがとう」


 この笑顔を美鬼はいつも見ているのかと思うと惚れてしまうのも解る。はじめは少し天然ジゴロな所があるのではないかと思った。普段見せないそんな顔を見せられると心を奪われてしまいそうになる。


「あの、聞いても良いですか?」


「何だい?」


「あの、美鬼ちゃんのどこが好きですか?」


 紗理奈の質問にはじめは口を噤んで、少しばかり困っているように見えた。美鬼はもう大切な友達だと思っている。

美鬼も同じ気持ちでいてくれるなら、自分は美鬼が泣くような所は見たくない。だから、はじめが本当はどう思っているのか見極めようと思った。


「僕はね、美鬼ちゃんが笑った時が一番好きだよ――」


「それを美鬼ちゃんに言ってあげたことありますか?」


 はじめは紗理奈から目を逸らして


「えっと、それは――面と向かって言ったことはないよ」


「どうしてですか? 美鬼ちゃんは冗談の中でも先輩の好きって、言葉でも態度でも示してるのに」


「美鬼ちゃんは、僕には勿体ないくらいの素敵だよ。可愛いって言うか、綺麗だし、こんな僕を好きでいてくれてさ――いつでも寄り添ってくれて――でもね」


「でも?」


「言葉にしたら、僕は本当に美鬼ちゃんのこと――」


 はじめは紗理奈の方を向いて


「美鬼ちゃんには言葉にしてあげれないけど、僕にとって大切な人だよ」


「私、美鬼ちゃんが泣くところは見たくありません。悲しませたりしないでください! 言葉にしてくれないと解らないこともありますよ!」


 紗理奈の言葉にはじめは少し驚いているようだった。それはそうかもしれない。毎日会っている家族同然の人と比べて、数回会った程度の自分からそんな事を言われているのだから。


「……そうだね……」


 はじめはそれ以外の言葉が見つからないのか黙り込んでしまった。紗理奈は続けて


「どうして言葉にしてあげないんですか? たった一言好きって言うだけですよ」


 はじめは黙って紗理奈の言葉を聞いて口を開いたが声には出していなかった。それでも、何て言いたいのか何となく口の動きで解った。


 ――言えないよ――


「どうしてですか? どうして言えないんですか?」


 はじめは返答に困っているようで眉間に皺を寄せて


「僕は歌う――彼女は踊る」


「え?」


 宮部家の仮住まいであるアパートの前まで来て二人は立ち止まった。はじめは言葉を探しているようで黙っていた。アパートの影の中にいる二人の雰囲気に丁度良かった。


「……甘えているのかも知れないね……いつか言葉にできる時がきたら、ちゃんと言うよ……」


 紗理奈が言葉を繋げようとしたが


「じゃあ、またね紗理奈ちゃん」


 はじめはそのままアパートに向かって歩き出してしまった。ここでもっと話を続けても良かったが、はじめも言えない何かを背負っているのだと思ってやめた。

 一人で道を歩く時間に色々と思うことがあり過ぎてパンクしそうだった。美鬼のことも、はじめのことも、瑠美のことも、岡村先生のお母さんに他の被害者のこと。

 はじめには心残りしかない会話で終わってしまった。そして、瑠美と校長先生の言葉が合わさって聞こえてきたような気がした。


「この町は、変なの」


「この町は、今、おかしくなってます」


「パレードからおかしくなってる。あのパレードは……」


 その時、背筋に今まで感じたことのないほどの強烈な悪寒が走った。そして、鮮明に脳裏に浮かんできたのは、満月の夜だった。

 多くの人が何処かに向かって歩いている。そこには確かに自分もいた。そして、ビルよりも巨大な人影が目の前に立っていた。それは確かに言った。言葉を発したのだ。確か――


「復古の時が来たのだ!」


「あたい達の悲願のため――死んでおくれ!」


 男と女のその声が頭に響いた。その後、何が起こったのか思い出せそうな気がする。その時、確か――


「おもろいなぁ。興味」


 その言葉で現実に戻って来た。家は目と鼻の先で一分もかからない距離だった。そして、今の艶めかしく色っぽい声がした方を見た。そこには京狐が腕を組んで立っていた。


「何考えてたん? ボケッとして危ないやろ? 危険」


「きょ、京狐さん? お久しぶりです……」


「あんな、忠告やで。思い出したらあかんでぇ。忘れてることが幸せや。忘却」


「な、何をですか?」


「そないなことよりな、ウチのお願いを聞いて欲しいねん。懇願」


「お、お願いって何ですか?」


 京狐は人差し指で下唇を触りながら、にっこりと笑って


「ウチと接吻してくれへん?」

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