第7話 ソ連の良心

「――以上です。不確かな情報ばかりですけれど、転移初日に現地住民と友好的な接触ができたのは幸いでした」


「ええ、ええ、そうねえ。姉妹も当初と比べて元気になっているようでよかったですわあ」 


 情報をまとめ終えたモロトフが、ちらりとベリヤを見ると面白くなさそうな顔をして口を開いた。でもお、と甘ったるく続ける。


「まあだ、わからないことばかりじゃないの。相も変わらず外務人民委員モロトフはお優しいですねえ。――この非常事態にもかかわらず国家保安委員会私のテリトリーに口をはさむなんてね」


 というベリヤの言葉に同意してモロトフに厳しい目を向ける顔もあれば、反対に力づけるように見つめる者もいた。転移後の混乱をいち早く切り抜けるためにも姉妹の情報の早急な入手を求めるベリヤと慈悲深いモロトフ――彼女は飢えた民衆のために空軍を使ってパンを降らせるほどである――は激しく対立した。



 結局は、姉妹の健康と安全を第一だと主張するモロトフの主張が通った形だ。なぜなら、スターリンが支持したから。ごく一般人パンピーの彼は尋問するのを躊躇ったのだ。

 それでスターリンを批判するものはいない。ただ、その感情をベリヤはモロトフに向かわせるだけだ。


 

 姉妹が悪意を持って偽情報デマを流す可能性だってあった。だから、国家保安委員会が尋問を行う予定だったのだが。幼い容姿をしているからという理由で同情したからと、話を聞くだけにとどめることになってしまった。

 情報の正確性を確かめないなど、プロとしてベリヤは許容できなかった。


 

 その言動から何かと反感を覚えられがちな彼女だったが、その手腕は確かであり、だからこそ横やりを入れたモロトフに向ける目は厳しいものがあったし、ベリヤを支持するものもいたのだ。


「こら、およしなさい」


 にらみ合う両者を宥めたのは、カリーニンだった。威厳あふれる顔――実際は胃が痛いだけ――をしているスターリンを見て、ベリヤも憮然として矛を収めた。


民族人民委員カリーニンが言うのなら、仕方がないですねえ」

 

 人をおちょくる図太さを持っているように見えて、その実小心者のベリヤはスターリンに嫌われるのを極度に恐れている。モロトフは感謝するようにカリーニンに目配せした。



 おっとり美人カリーニンは安堵の息をこぼす。ひとまずこの場は収まった。議場を見渡すと、どちらかというとモロトフに同心する者の方が多いように感じ取れる。

 それだけ姉妹の境遇に同情的だったということだ。トロツキーは珍しくベリヤの肩をもっているようだが。



 しかしこの裏には権力闘争が存在していることをカリーニンは喝破していた。それは、この後に続くであろう戦争で主導権を握るための争いだ。


 転移前の宿敵である米帝コメリカ合衆国と2度の冷戦を超えて矛を交えたソ連である。いまさらに戦争に忌避感などない。


 ――問題は、そのイデオロギーだった。


 ソ連は長きにわたり、ソ連一国で共産革命を成し遂げる一国社会主義と、革命を輸出し世界すべてをで共産革命を成し遂げる世界革命論に分派している。

 いままではトロツキーを除き一国社会主義を標榜していた。


 しかしここにきて国家転移と腐敗した異世界の登場である。ソ連の権力争いが本格化するだろう。特に、カリーニンはトロツキーが暗躍するのは間違いないと踏んでいる。


 一国社会主義か世界革命論か。


 どちらの路線を選ぶのか。スターリンの決断によってソ連の進路は決まるだろう。


(なんにせよ、私がみんなの中を取り持たないといけませんわね)


 癖の強いソ連の面々の潤滑油として機能する彼女は、ソ連の良心とよばれていた。

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