第1章 眠れる赤熊
プロローグ
「よし、これで100万人か」
僕はモニターをみながらつぶやく。一人で作業することが多いせいか、独り言がすっかりくせになってしまった。
現実世界でも独り言が多いよ、と指摘されて愕然とした覚えがある。
そう、ここは現実世界ではない。仮想世界だ。しかも、ゲームの世界。
ゲームの中とはいえ、執務室はいつ来ても居心地がいい。
エターナル・ワールド・オブ・カオス(EWC)
このゲームは本格的な没入型VRゲームのパイオニア的な作品で、サービス開始から100年を経たいまでも人気がある。
僕もベータテスターのときから参加している。
科学技術が進み、人間は寿命という枷を克服した。
もはや加齢はファッションでしかない。永遠ともいえる寿命を手に入れた人類が直面した問題――――それは、退屈だった。
旧世紀の人間からしたら、喧嘩を売っているように感じるかもしれない。けれども、科学の力で病気からも寿命からも労働からも解放された人類にとって、永遠に続く日常を飽きさせないことが、急務だったのだ。
ゆえに、様々な娯楽が生まれ続け、趣味にふけることがよしとされた。僕はゲームが大好きなオタクだが、旧世紀ではネガティブな言葉だったらしい。
勤労が美徳とされた旧日本では趣味への没頭は忌避されたのかもしれない。
まあ、寿命に縛られていた昔の人間にとって、100年もゲームをし続けるなんて狂気の沙汰なのかもね。気持ちはわかる。
「実際はゲーム時間で400年以上生きているんだけどね」
誰に説明するのでもなくつぶやく。
EWCを含めた没入型VRゲームの画期的なところは、時間加速だ。
たとえば、現実世界の1時間を、ゲームの世界では2時間にすることも可能である。
EWCの時間加速は4倍に設定しており、現実世界の時間で100年間ゲームをプレイしてきた僕は、ゲームの中では400年過ごしている計算になる。
もちろん、ときどきログアウトしてはいるが、生活の拠点はすっかりゲームの中になっている。そりゃあ、引きこもりやオタクが増えるわけだね。
生活の糧のために労働が必要だった時代なら立派な社会問題になっていただろう。しかし、今の時代は、労働すら趣味の一つに過ぎない。
と、まあ、そんなわけで100年間(実質400年間)も引きこもってゲームをしていた僕に何ら異常はないのである。
「いやいや、誰に言い訳しているんだろうね、僕は。……100年間の引きこもりはさすがに母を心配させてしまったけれど」
で、話を戻そう。とうとう100万人を達成した。この100万人というのは、僕が建国した国の国民の数である。
EWCはやりこみ要素がとにかく満載で、国王になるもよし、海賊になるもよし、伝説の傭兵になるもよし。あらゆる楽しみ方が用意されている。
その中で、僕は建国プレイを選択した。
その理由は、僕の趣味を反映した国を作りたかった。それだけだ。
最初は1000人もいればいいかな。と思っていたのだけれど、思ったよりも面白くて、気づいたら100万人の国民を作り上げていた。
「1から創造するのは大変だったなあ」
文字通り更地から国を創った。国民も一人一人手数をかけて創造した。
だから400年もかかったんだけれどね。
そうそう国名を言っていなかったね。
「僕が創った国。それは――――」
実は僕、共産趣味者なんだよね。だから趣味を反映した国を創ったのである。
――――ソビエト連邦である。
ソビエト連邦——正式にはソビエト社会主義共和国連邦——というのは旧世紀に存在した世界初の社会主義国家だ。
いろいろ悪く言われているけれど、弱者を搾取から救おうとした理想 "だけ" は評価されていいと思う。
いや、だからこそ、共産主義という思想は、麻薬のように世界に広まったのだろう。その結果、資本主義と世界を二分するまでになった。
結果的にソビエト連邦は崩壊してしまったが、だからこそロマンを感じるのだ。旧日本人の血を引く僕的に "もののあわれ" みたいな魅力をもっていた。
「あくまで共産趣味者だから、現実にテロルを起こしたりはしないけれどね」
共産主義も立派な趣味になり果てていた。
貧困も差別も撲滅された世界で、イデオロギーなんてファッションと何ら変わらない。
人口100万人を達成したからといって、何か特別なイベントがあるわけでもない。
今度は目指せ1000万人、なんて壮大な野望を燃え上がらせていた。
このまま退屈な現実から目をそらすための趣味に没頭する生活が続くのだと思っていた。
――――でもそうはならなかった。
くつろいでいたクレムリンの執務室で、コンコンという音が鳴り響く。
ドアがノックされたのだと気づいた。でも、国民はすべてNPCだ。決められたルーティン以外の行動をとることはない。
だから、ドアがノックされることなどありえない。
「書記長閣下! 緊急事態が発生しているとのことです! ベリヤ国家保安委員が至急面会を要請しております!」
「はあ!?」
そして、ドアの外から声をかけられている。執務室はセーフティーゾーンだ。
NPCから唐突に邪魔をされる、声をかけられることなどありえない。
突然の出来事に、僕は無様に慌てたなあ、と懐かしんでしまう。
そう、この時をもって、僕の、僕たちソ連の物語が始まったんだ。
そこに広がるのは、民衆が搾取され、差別に苦しみ貧困に喘ぐ、くそッタレな異世界。
この物語がどういう結末を迎えるのか、僕にも分らない。
だから、せめて一緒に楽しもうじゃないか。
そうそう、僕の名前は、久津谷鉄男(くつやてつお)っていうんだ。
"靴屋の鉄の男" ってことで、ついたあだ名が『鋼鉄の男(スターリン)』
安直だよね。
そして、この世界で僕は、本物のスターリンになったんだ。ゲームのだけれど。
さあ、革命をはじめよう!
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