第二十一頁 勝者の責務
四人が地を蹴ったのはほぼ同時だった。
マークレルは曲刀を振り上げ正面に、対する魔術師のラードは三つの魔法を放って背後に飛び退いた。
ハローマとソーレイはそれぞれレイピアを正面に突き出した。
ソーレイは間合いの不利を悟り、襲い掛かるレイピアを一度弾いた。
ハローマは弾かれることを見越しており、弾かれた直後、一足飛びで一気に間合いを詰める。
ハローマは左手でそのままレイピアを持つソーレイの右手首を押さえる。
(しまった……!)
完全に有利な体制になりハローマは早くも「勝った」と思った。
しかし、ソーレイは柔軟であった。
押さえつけられた右手を逆らわずにクルリとそのまま一回転、その勢いを利用して回し蹴り、これをハローマの脇腹に喰らわせる。
「ガッ……!」
もろに喰らったハローマは辛うじて立ち続けることができ、一度距離をとる。
彼女の額には脂汗が流れていた。
「その程度ですか?」
ここぞとばかりにソーレイは挑発していた。
「……初手はハンデをあげただけよ」
しかし、ハローマは挑発に乗らなかった。
「その割には随分と辛そうですが」
「その余裕がどこまで持つか楽しみね」
言葉を言い終えたハローマは再び距離を詰める。
それに応じるようにソーレイも距離を詰めにいった。
今度は純粋な剣術勝負。
先ほど間合いを確認したソーレイは剣術の腕で負けているとはいえ一方的な展開には持ち込まなかった。
まずはハローマが刹那の間に様子見である五閃を放つ。
それをソーレイは身体に当たらないよう受け流す。
ハローマは続けて攻撃しようとする。
しかし突如ソーレイが視界から消えてしまい攻撃の手が一瞬緩んでしまう。
ソーレイは腰を低くしハローマの視界から逃れていただけだった。
この一瞬の隙を見逃すようではケリオスに次ぐ次席を名乗ることは出来ない。
ソーレイはハローマの胴を目掛けて渾身の突きを繰り出した。
「甘いッ!」
しかしハローマはソーレイの文字通り必殺の一撃を身体を捻ることで辛うじてかわしていた。
彼女はソーレイの動きに長年の経験から類似した状況を重ねていた。
故にギリギリの状況で回避が間に合ったのである。
今度はソーレイが窮地に陥った。
速さを追求して全身のばねを伸ばしきったその一瞬、ソーレイは一時的に無防備となる。
それに対しハローマはレイピアを持つ右腕が後ろ、左腕が前という上半身のばねを利用するには最高の体勢であった。
体勢から顔を突くことが見え見えだった為にソーレイは顔を傾けることで直撃を避ける。
しかし、顔を守っていた兜が外れ、纏まっていた髪が解けてしまった。
「……へえ、坊やじゃなくてお嬢さんだったか。綺麗な髪をしているじゃない」
その姿は誰が見ても少女であった。
「……だったら何だと言うんだ」
「降参よ」
ハローマは両手を挙げた。
「何!?」
ソーレイはその言葉が信じられなかった。
「事実を知っちゃった今、私はもうあなたと刃を交えられない。男の子であれば何の躊躇いも無かったんだけどね」
「お前は……私が女だからと言って手を抜くのか?」
「いいえ。女だからという理由で手は抜かないわ」
「では何故……!」
彼女は強い憤りを感じていた。
侮辱だと思ったからだ。
「あなたのような若い少女が戦場に立つなら女としての幸せを経験してからにしなさい。……それが理由よ」
ハローマの表情は柔らかいもので子供を見つめる母親そのものであった。
「……どういうことだ?」
ソーレイは侮辱ではないと直感したが、言葉の意味がどうしても分からなかった。
「いずれ分かるわ。……あなたの名前を聞いても良い?」
「ソーレイ。ソーレイ・ナルスルムだ」
「私はハローマ。姓は無いわ」
ニコリと再び微笑んだ後、ハローマは握っていたレイピアで自身の胸を貫いた。
「えっ?」
「グフッ……言った……でしょ……? 捕虜になる気は……無いって」
胸から大量の血が流れ出る。
「だからと言って自害する必要なんて」
「最後に……あなたと剣を……交えられたのは……思わぬ幸運……だった……わ」
その言葉を最後にハローマはあの世に逝った。
彼女の体は器を無くした魔力で輝いていた。
「……クソッ」
ソーレイは拳を地に殴りつけた。
「終わりましたか?」
ソーレイに声をかけたのはラードだった。
「ラード殿……そちらは?」
声をかけて来るくらいだ。当然、終わっているのだろう。
「ええ、まあ」
ラードが仰向けに倒れているマークレルに目を向ける。
「……手前、どんだけ猫被ってやがる」
上半身を少し起こし苦笑いを浮かべているマークレル。
ボロボロな姿を見るに数日はまともに動けないだろう。
「何のことでしょう」
ラードはマークレルの言葉をスルーした。
「ハハ、最後に当たる相手が化け物クラスとは運が無い」
とは言いつつもマークレルはこの結果に満足していた。
全力で挑み、それでも及ばなかったのなら悔いは無い。
予想よりも良い最後を迎えられそうだった。
「それで……どうしましょうか? 最後くらいは手伝いますし、捕虜の道でも構いませんよ?」
「じゃあ、お前の魔法で終わらせてくれ。できればすぐに逝けるものだと助かる」
「分かりました。……最後にあなたの名前は?」
「マークレル、姓は無い」
「マークレル殿、貴殿は国家転覆を図る重罪を犯しました。しかし、貴殿の才と志にはかつての誉ある帝国兵団を想起させるものを感じました。貴殿の名を私、ラード・マロンが私自身の心に刻むことを約束します」
(ハハッ、最高の最後じゃねえか。ワリいが大将、後は任せた……!)
ラードは〈黒雷線〉を放ち、マークレルは一瞬で絶命した。
「ラード殿、彼らは……彼らは悪人なんでしょうか」
「……どうしたんですか?」
何を言い出すのだ、と思ったわけではない。彼女が何かに悩んでいるように見えたから『どうしたのか』と問うた。
「先ほど、剣を交えたハローマという女性が私に言いました。『戦場に立つなら女としての幸せを経験しなさい』と。そのときの彼女は私が見る限り、悪い人には見えませんでした」
「そうですか」
ラードは続きを促す。
「先ほどのマークレルと言う人もそうです。ずっと不気味な笑みを浮かべていましたが悪人には見えません」
「それはそうでしょう」
「えっ?」
ソーレイにとって思わぬ返答であった。
「罪人の全員が全員、悪人というわけではありません。普段は心優しい人物だって世の中には居ます。しかし彼らは少なくとも王都の人々の平穏を脅かし、犠牲となってしまった兵士の命を奪ったという罪があります」
「それを言うなら我々も彼らの命を奪いました。ラード殿は罪人を殺すことは無罪だと仰るつもりですか?」
弱々しい問いだった。
これを肯定し「裁き」と呼べるならどんなにソーレイの心が軽くなるだろうか。
「いいえ。例え相手が極悪人でも殺害する以上、間違いなく我々は罪を背負います」
しかしラードは、はっきりと否定した。
「では、どうして私たちは彼らを殺さなければならないんですかっ!」
先ほどの弱々しい様子から一転、理不尽に対する叫びを上げた。
罪を犯した悪人を殺すことが「裁き」ではないのであれば罪人であるが悪人ではない彼らを殺すことは一体何なのか。
ソーレイ達の行ったことは正義に則った行為ではなかったのか。
そうでないのならば悪人であるのは、はたしてどちらなのか。
罪悪感によって思考が負の連鎖に陥り、彼女の精神が限界を迎えていた。
「そうですね。強いて言うのであれば人間の存在自体が罪だからです」
ラードはソーレイの問いに答えた。
「存在自体が罪……?」
「確かに世の中の人間が全て一切の罪を犯すことの無い聖人であれば我々は殺しあうことなく生活できるでしょう。しかし、聖人は私の今言った『存在自体が罪』という前提の矛盾を孕んでおり絶対にありえません」
理想など存在しないと断言した。
理想は理想である以上、実在してはならない。
もし実現するのであれば、それは理想ではなく目標である。
「……」
ソーレイはラードの言葉の続きを待った。
「現にそんな国、世界が存在しないことが理由に挙げられますが一番大きな理由は人間が『自我』を持っているからですね」
「『自我』……ですか」
「ええ。『自我』を持つことで我々は思考し、人を疑い、欺くことができます。その為に聖人は存在することができないのです。もしそのような聖人が居るとしたらその人は間違いなく傀儡人形ですね。……話がそれましたが要するに疑い、欺くことができる人間である以上、争いは不可避なのです。もし此方が抵抗しなかったら一方的虐殺という結果は誰だって予想できるでしょう」
「しかしっ」
それは彼らを殺す理由にはならない、という言葉は続かなかった。
「罪を犯すことを避けられない以上、我々、勝者の責務は生き続けることです」
虎は死んで皮を残し、人は死んで名を残す。
勝者が敗者を忘れることは許されないのだ。
「っ!?」
ソーレイはここで自身の行動の根幹に気づいてしまった。
彼女は今まで視野が狭まってしまい自身のしたことに理由を付けて正当化しようとしていた。
罪を犯した以上、まずしなければいけないのが償いである。
すなわち彼女は罪から逃げていただけに過ぎなかったのだ。
「ハローマさんにかけられた言葉を吟味するのもあなたの責任の一つでしょう」
「……そうでしょうか」
「年長者の言葉は重みがありますよ」
「……」
先ほどまでの悲観した姿はそこには無い。
今の彼女は罪を正面から受け止めようと言う決意が見える。
「若者は与えられたその時間を使い大いに悩みなさい。……とりあえず今は私たちも城の中に向かいましょう。皆さんが局地戦勝利の報告と我々の無事を待っていますよ」
「……はい」
二人は城の中へ向かっていった。
ハローマとマークレル、他にも、今の戦闘で亡くなった者から漏れ出している残った魔力がとある一箇所に集まっていたのをラードとソーレイはついに気づけなかった。
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