第十二頁 雲泥の差
ソフィが闘技場に到着したとき、既にケリオスが鞘に収められた剣に手を添えて闘技場中央に仁王立ちしていた。
「私に力を認めさせるのであれば、一切手を抜くことはしない。前言を撤回するのであれば、この剣が鞘に収まっているうちに言え」
最終勧告があるとは素晴らしい強者の余裕である。
「心配せんで良い」
ソフィはケリオスの対面に移動する。手にはいつも腰に挿している筆のような長細い棒が握られている。これは杖の一種で魔術師が魔法を使うときの補助道具である。
魔法を使うときに必要なのは魔法式と魔力であると何度も説明している通り、ただ発動するときには杖は必要ない。魔法は魔法式に魔力を流し込むことで初めて発動する。杖は魔力を流し込む過程をスムーズにする道具なのである。慣れてしまえば杖が無くても杖を持った時と遜色ない速さで魔法が発動できるのだが、それでもあった方が魔術師にとって何かと便利なのは事実だ。
「用意はいいか!」
「いつでも構わんぞ?」
「では〈国軍近衛序列一位〉ケリオス・ノート、推して参るッ!」
ケリオスが〈アクセル〉を用いて一直線にソフィへと突進する。それに対し、ソフィは〈白壁の盾〉で対抗し距離を取るように移動する。
彼は〈白壁の盾〉を受けても押し切ろうとした。しかし、手ごたえを感じず無駄だと悟り右へ跳んだ。
上か左右に飛ぶという選択肢まで削った彼女はその三方向に〈黒雷線〉を放つ。
攻撃を受ける前提で跳んでいたケリオスは〈
もし、今ソフィが別の魔法を使っていたとしてもケリオスには視認してから対抗魔法を発動する時間があったため被弾までに間に合ったはずだ。
ここでケリオスが自身の背後に防壁魔法を張った。防壁魔法は物理攻撃から身を守るための物だ。しかし、ケリオスが張ったのは背後である。ここでケリオスは驚くべき行動をとった。
防壁魔法を足場にし空中で方向転換、そして再加速をしたのだ。
流石にソフィも驚いた。使い方ではなく、思っていたよりも柔軟な頭に。
どんな対戦でも言えることだが特に魔術師対剣士の戦いは距離が重要となる。魔法による自身の巻き添えを避けるために一般的に攻撃魔法と呼ばれるものは発動時に発動者と魔法式の展開位置に一定距離を必要とする。故に距離が開けば開くほど魔術師が有利になり、距離が狭まれば狭まるほど剣士が有利になる。そしてケリオスはこの跳躍でソフィとの距離を無くし、限りなく必勝に近づけようとした。
――やあっと遊べる
距離を詰める刹那の間、ソフィの髪が闇のように深い黒に染まった。
ケリオスに悪寒が走った。方向転換をした後である。ここで引くことなどできない。
ケリオスが跳躍する間、今度は彼の方が驚いた。
ソフィが一歩前へ動いたからである。
先に述べたとおり、距離を詰められると魔術師は圧倒的に不利となる。であるならば何故、ソフィは先ほどのように距離を取れる背後や左右ではなく一歩前へと動いたのか。その答えは着地した後に気づいた。
ケリオスが着地した位置はゼロ距離であった。
距離による有利不利にも例外はある。ゼロ距離はその例外の一つである。
しかし、魔術師が有利になるわけではない。あくまで剣士が有利ではなくなるのだ。
剣が持つ脅威は、その刃の殺傷力である。近接で有利なのは言うまでも無い。だが、ゼロ距離であれば話は変わる。剣をうまく扱えなくなり剣は事実上、無力となる。この距離であれば直に殴ったほうがより効果的な攻撃となるだろう。
着地にあわせてソフィが拳をケリオスの腹をめがけて繰り出した。何かの魔法なのか、その拳には視認しただけで魔力が込められていることが分かる。
厳ついが機能性を重視している甲冑でも、この拳の一撃だけで軽く吹き飛ぶであろう。
それを剣士の勘と呼べるようなもので察したケリオスは着地直後に後ろへ跳び距離を取った。自身の鎧を見ると鎧だけ綺麗に抉れていた。辛うじて間に合ったと言いたいが、今のは完全にソフィが意図的に攻撃を逸らした結果である。
本来であれば今の攻防でケリオスの負けが決まっていたはずだ。しかし、「本来ならば」は関係ない。手を抜いて負けたのであれば本末転倒である。格上だと分かってもケリオスは降参しないで再び剣を構えた。
「カアッ!!」
今度は〈アクセル〉を使わずに自身の足だけで距離を詰める。鍛えられた肉体による洗練された体捌きは魔法の助力が無くても十分素早いものであった。
勿論、ケリオスが迫ってくる間、ソフィが何もしない訳がない。
「ククク」
ソフィは気味の悪い薄笑いを浮かべ、迫ってくるケリオスに〈大地の剛剣〉(地面が剣状に盛り上がってくる魔法である)を放って二度目の突進を遮る。
「この程度では止まらんッ!」
しかし、ケリオスはそれを最短ルートで回避しきる。
「なっ!? そこを通るのかよ!?」
ケリオスの動きにソフィが驚く。
(ようやく、私が一方的に攻撃できる間合い……やっと、奴に一泡吹かせられる)
しかし、ケリオスは気づけなかった。今の驚きに皮肉が込められていたことを。
いや、気づけなかったのは不幸中の幸いだろう。なぜならそれは「失望した。そこを通るのはありえない」という屈辱的皮肉だったからだ。
ソフィは彼女自身が気づかれないように設定した最短ルートをケリオスが予想と全く同じ動きで辿るのを見て失望してはいたが、それとは別に(矛盾するようだが)大いに楽しんでいた。
(ははっ! 面白いくらい思い通りに動いてくれる!)
全てはソフィの予想通り、完全にハメ状態である。
ハメられたと気づかないケリオスはこの試合、初めて彼自身に有利な間合いに突入した。
(この一太刀で決める!)
ケリオスは間合いに入った瞬間、切り札を切るべく彼の愛剣を振るった。
その一瞬は剣技の極みに到達しうる者が放てる、刹那の時間を走った文字通り必殺の一撃、掛け値なしに彼の全力であった。
全てを終えたとき、ケリオスは絶望した。
「いやはや、見事だ」
ソフィの称賛が響く。
ケリオスの剣はソフィの左手小指と薬指によって挟まれていた。
魔法のアシストは確実に存在しただろう。しかし、彼女はケリオスの剣を見切り、あまつさえ利き手でない手でしかも、力の入りにくい小指と薬指だけで防いだのだ。
どれだけ粘ろうとも、どれだけ策を弄そうとも絶対に超えることのできない差を分からされた。
「そんじょそこらの野郎には真似出来ない剣技だな。いい準備運動になった」
呼吸すら乱れていない様子から「準備運動」という表現は誇張ではないとケリオスは理解し戦慄を覚えた。
まだ三十年ほどだが、それでも自身の人生のほとんどを剣の鍛錬に懸けてきた。そこまでして積み上げてきたものを準備運動レベルと評されれば誰だって負の感情を抱くだろう。
「勘違いがねえように言っておくが、お前が生まれてから死ぬまでの間、本気で鍛錬しても時間で俺を超えることはできない。お前が積み上げてきたものは一切無駄ではないが俺の積み上げてきたものを超えようと思うなら人間をやめる覚悟をして来な」
「……に、人間をやめるだと……?」
絶望したケリオスはかろうじてその言葉の意味を問うことができた。
「俺の域に到達したいなら人間では不可能なんだよ。まあ、そこまでして手に入る力に価値があるかどうかは保障しねえけどな」
後は自分で考えなと言い捨て黒く染まった髪が元の色に戻り、闘技場を去っていく。
「……」
ソフィが去っていく間、ケリオスは言葉が見つからなかった。
「その様子ですとボロボロに負かされたようですね」
「……ラードか」
打ちひしがれているケリオスにラードが歩み寄る。
「人間をやめた人相手に落ち込むのは勝手ですが明日の祭りのときまでには立ち直ってくださいよ」
状況が状況のため、ラードの言い分は分かるが明日までに立ち直れとはなかなかに鬼である。
(……そうか、彼女は既に人間をやめているのか。では、先ほどの言葉は警告……なのだろうな)
「……今日ぐらいは私持ちで愚痴に付き合いますよ」
「では、南八区の料亭にでも連れて行ってもらおうかな」
同僚であり親友の励ましもあってかケリオスは早くも立ち直りかけていた。
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