第七頁 信頼の下で

「はあー、きもちよかったあ!」

「本当にのう」

 銭湯を満喫した二人は率直な感想を口にする。

「もうこんな時間か……体を冷やす前に宿へ戻るぞ」

 時計を見て宿に戻ることを提案するソフィだったが

「ええー」

 レルが駄々をこねる子供の様に不満の声を上げた。

「わかっておると思うが風邪をひいて予定に遅れることは避けなければならん。せめて一度、宿に戻り厚着をしてからにしなさい」

「はーい」

 今すぐ見てきたい気持ちを我慢しソフィと共に宿へ向かった。

 はやる気持ちを抑えきれずに早歩きで宿に着いた二人は(ソフィはレルに合わせただけだが)早速、就寝の準備を始めた。ソフィに限っては銭湯に行く前に準備をほとんど終わらせていたらしく、レルが気づいた時にはもう布団にもぐりこんでいた。

「わしはもう寝る」

 えらくぶっきらぼうな態度だが八時間睡眠に二時間の二度寝をするほど睡欲が旺盛なソフィにとってこれが普通である。

 レルは言外の「気をつけなさい」を理解し寝巻の上に制服を着用した。(普通に細身のレルでも二重着用はかなりきつかったがなんとか入った)

 先ほどソフィが言ったように夜中に少女が一人で出歩くのはかなり危険である。いくらソフィの指導の下、魔法を練習しているといってもまだ卵であり普通の少女である。そのことをしっかりと頭に叩き込んでからレルはお楽しみタイムへと突入した。

 この時間はレルにとって多くの発見が有り至福の時間となった。


 街を一通り散策した時にはもうすっかり遅い時間になっていた。流石に戻ろうと足を宿に向けたレルに思わぬ人から声をかけられた。

「レルヴィールさん?」

「えっ!?」

 驚き振り向くとそこにはランタンを持ったポロンが立っていた。タオルを首にかけ、髪が濡れており、更に顔が少し赤く染まっているので銭湯の帰りなのだろう。

「こんな時間にどうしたんですか?」

「え……と、散策に……」

 レル自身でも子供のような我儘で外出していると重々分かっているために羞恥で言葉が濁ってしまった。

「まだ開いているお店にでも行きますか?」

 言葉を濁したことでなんとなく事情を察したポロンはお茶でもどうかと提案する。

「……じゃあ、案内をお願いします」

 消えることのなく、逆に増した羞恥心に頬を染めながらレルは彼の提案に乗ることにした。


「ご注文は?」

「こ、紅茶でお願いします。ミルクありで」

「あー、同じのをもう一つ。ミルクなしで」

「紅茶のミルク有りと無しの一つづつですね?」

「はい、お願いします」

 遅い時間にもかかわらず入店拒否にはならなかったのでレルは内心ほっとしていたがよく見ると他にも同年代らしき少年が二人もいた。ここでは結構、日常的なのだろう。彼女はソフィと共に図書館で暮らしているため、このような時間にまず外出しないので羨ましいと感じていた。身も蓋も無く言ってしまえば、そういう妬みは大体「隣の芝は青い」である。

「……そういえばなんで私には丁寧語なの?」

 ふとした疑問が漏れてしまった。

「……もっとフランクの方がいいですか?」

「ソフィにはフランクで話すのに私には丁寧語っていうのも気持ち悪いし……それにいちいちレルヴィールさんって長くて呼びづらいでしょ」

「……」

 少し考えたようだったがやがてポロンは口を開いた。

「わかったよ。これでいいか?」

 ようやくポロンがフランクに話した。

 これをきっかけに談笑が始まった。


「まさかレルに会うとは予想外だったよ」

「それはこちらのセリフよ。荷車は大丈夫なの?」

 レルは今まで失念していたがポロンは荷物の見張りで荷車に残ったはずである。

「ああ、そのことだったら心配いらない」

「どうして?」

 夜の方が荷車が危険ではないかというレルの考えは間違いなく正しい。しかし、彼らの事情を彼女が知らないのは当然と言える。

「あの溜まり場には同業者、俺たちは仲間だったり家族と呼んでいるんだけど……」

 この時にレルは目の前の少年が出発地で頭領のことを「親父」と呼んでいたことを思い出した。

「その中には勿論、長旅でまともに食事や睡眠、入浴の時間が取れない人もいるんだ。だから俺たちはその時間がある程度自由に取れるよう、互いの荷を監視するんだ」

 レルは驚いた。要するにこれは事実上、人の信頼だけで成り立っているのである。

「勿論、それに伴う制約もあるけどな。でも、それを生みだした人たちは仲間全体で信頼し合おうと考えて、実現した。正直に凄いとしか言いようがないし俺たちも助かっているよ」

 唖然としてしまい何も返答できなかったがポロンの言葉の通り凄いとしか言いようがなかった。

 人の信頼だけで成立しているなどレルには聞いたことがなかった。彼女は基本的に図書館から出ないため単なる知識不足とも考えられるが少なくとも考えられる範囲では理解できなかった。

 図書館内であげられる信頼といえば本の売買における契約である。当たり前と言われれば当たり前であるが、お金を払ってから本、もとい商品を渡す時に「貨幣が本物である」と「商品(本)が本物である」という互いの信頼のもと売買契約が成立している。この売買は一般公開(館内での閲覧)は許可しているが貸出(持ち運び)は禁止という私営移動図書館であるアルタレカ図書館の特徴だ。

 しかし、その規則を守らない人もいる。私営図書館ゆえの規則なのでこの規則違反の発生は仕方がないのかもしれないが先述した通り本は高価なのである。要するに盗人である。

 転売自体は禁止していないのだが何度も言うように本は高価である。現在、本は何かの記念に奮発して買うような物なのである。言い換えれば質屋や古本屋に売却すると、おこずかいとしては破格の……いや、しばらくは生活に困らないようなお金に変わるだろう。これが十年前だと更に本の価値が跳ね上る。今では徐々に値段は下降気味となっているため一般市民でも十年前と比べて本は身近なものになりつつある。

 話を戻すが、アルタレカ図書館では一般公開を許可しているので館内での本の扱いは整理を二人でしているものの基本的に放置だ。盗めると考えるのは分からなくもない。しかし、統括司書があのソフィである。その対策は万全であった。複製されてない(購入されてない本)は館内から持ち出すときに不可視の壁によって阻まれる。それだけなら見逃すが何度も出ようとするならばソフィが直々にお仕置きするのである。(お仕置きの内容は各々の想像にゆだねる)

 それを少なからず見てきてしまっているために信頼だけで成立していることが信じられなかったのだ。環境のせいであることは否定できない。

「レル?」

 ポロンがこちらの顔を覗き込んでいた。少しばかり長考していたらしい。

「あ、ごめん」

「謝る必要はないけど、それより紅茶、冷めるよ?」

 どうやら長考していた間に注文していた紅茶が配膳されていたらしい。指摘されこれはまずいと早速、紅茶を口に含む。

「っち!」

「そんなに焦って勢いよく飲もうとしなくても……」

 微笑まじりに心配され、レルは何度目かわからない羞恥に頬を染めた。

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