ep13.ガール・イン・ザ・クローゼット

 赤い鱗を全身に纏い、捻くれた角を持った竜がジャンプする。立っていられずによろけた狩人は、顔を伏せるように岩場に倒れた。起き上がろうと足掻くその身体に、竜が吐いた火炎が直撃する。巨大な竜に挑むにはあまりに小さな身体は呆気無く吹き飛んだ。

「難しい」

 俺はコントローラーを握り直しながら呟いた。涼は横で笑いながら、買ってきたサイダーのペットボトルに口をつける。

「昨日のうちに装備は揃えておいたから倒せると思うけどな」

「いや、無理だろ。人間があんなのに挑んじゃ駄目だ」

「それ言い出したら、大抵のゲームは駄目だと思う」

 正論を言う涼に、俺はコントローラーを放り投げた。

「手本見せろよ」

「せめてマップ移動してから渡せよ!」

 竜が足を振り上げたところで交代したので、涼は焦りながら操作を始める。画面の中で狩人は身軽に横転し、その一撃を回避した。

 涼の部屋は、いつも来る時と同じように殺風景だった。使っているのかどうかも怪しい勉強机の上には、通学用のバッグが乗っている。背もたれに使っているベッドはちゃんと布団も枕も綺麗に整えられているが、来客のない日も同じかはわからない。

「回復薬がないから食事で補うかー」

「そんなのあるのか?」

「最初のマップのところで隠れ商人がいるんだよ」

 テレビは、まぁまぁ大きい。インチ数とかはわからないが、俺の家にあるものよりは上等だ。そもそも自分の部屋にテレビがあるという自体、非常に羨ましい。繋がっているゲーム機だって、長いこと外された気配がない。俺の家じゃ考えられないことだ。ゲーム機を繋いだまま目を離したが最後、弟達に使用権を奪われる。

「で、此処で水苔を採取するだろ。これが麻酔薬になる」

「苔採取するのかよ。なんか気持ち悪いな」

 壁に埋め込まれた本棚は漫画本とゲームの攻略本、あとはテニスの道具などで埋まっている。こんなの読んでるから宿題しないんだろ、と言いたい。すごく言いたい。うちじゃ漫画は高級品だ。週刊誌は一日でバラバラになり、三日でゴミとして捨てられる。弟達の独占欲と来たら、俺一人でどうにか出来るものじゃない。

「相変わらずお前の部屋って、物がないよな」

「そうか?」

 残り少ない体力を温存しながら、涼は画面の中を走り回るのに必死だ。俺はそれを眺めながら、ふと心に浮かんだ疑問を口にした。

「買った物って、何処に置いてあるんだ?」

 主語とか色々足らない言葉だったが、相手に伝えるには充分だった。涼は視線をそのままに、「あー」と呻くような声を出す。

「クローゼットの中に隠してる」

「まぁ親に見つかると不味いか」

「うちは共働きで、洗濯物は自分で片付けることになってるからさ、親がクローゼット覗くことはないんだ」

 本棚の横には、同じような埋め込み式のクローゼットがある。木製の扉は閉ざされたままだ。あの中に、涼の理想像が詰め込まれていると思うと、俺は少しゾクリとした。

 クローゼットの中に隠された「女の子」。涼が大事に仕舞いこんだその子は、可愛い物を与えられながらも決して外に出ることはない。誰の目にも触れない女の子は、涼が夢を諦めた時にどうなるんだろうか。

「よし、回復完了」

 いつの間にか最初のマップに戻っていた涼が言う。画面に表示された体力ステータスバーは、満タンになっていた。

「早くね?」

「途中の滝を落ちるとショートカット出来るんだよ」

「膝が死にそうだな」

「狩人は特殊な訓練受けてるから大丈夫」

 涼は喉を潤すためにペットボトルを傾ける。俺も釣られるようにして、自分で買った緑茶のペットボトルを手に取った。

「金、あとどのぐらい?」

「一万円に少し足らないぐらい。昨日の着せ替え人形が思いの外ダメージでかかった」

 慣れた手つきでコントローラーを操作する涼の視線の先で、狩人は岩場を軽々と飛び越えていく。右上に表示されたミニマップには、さっきの竜が接近していることを示すマークが出ていた。

「だから、次で最後だな」

「何買うんだ?」

「香水」

 それは涼がずっと、買いたいと言っていたものだった。

「今日、充も来るから買いに行こうかと思ってたんだ。いいだろ?」

「別にいいけど」

 この夢を諦めるための買い物も終わりかと思うと、呆気無いような淋しいような、なんとも言えない気分だった。クローゼットの中の理想像おんなのこが、俺のことを見ているような気がして、その想像ごと飲み込むために緑茶を口に入れる。

 なんでただの想像の産物なのに、こんなに後ろめたい気持ちになるんだろう。

「じゃあ帰り、早めに家出て買いに行こう」

「おう」

 画面の中で、狩人が可愛い掛け声を上げながら竜へ巨大なハンマーを打ち込む。長いポニーテールを翻し、露出度の高い鎧を身につけた女狩人は、俺が操っていた時よりも生き生きとしているように見えた。

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