ep10.雨天決行
天気の良くない日が続いていた。六月に入ったからいい加減梅雨入りだろうと思っている俺達の予想に反して、一向にそのニュースは流れてこない。テレビの天気予報士は、笑顔で「困りましたね」なんてコメントしている。別に彼らのせいでないことはわかっているが、それでも少し腹が立つ。
あの日から、涼は俺に買い物に行こうと言わなくなった。相変わらず下らない話はするし、古文や経済の教科書は忘れるし、小テストの答え合わせを頼み込んだりはしてくるけど、その口から買い物への誘いは出てこなかった。
「もう欲しい物ないのかよ」
俺がそう尋ねると、窓の外を見ていた涼が振り返る。鉄格子の嵌った窓から見える校庭は薄暗く、大粒の雨が降っていた。体育館の天井から俺達を照らす照明は眩すぎて、外の暗さが一層深まるように思えた。
体育館の中は、テニス部とバレー部とバスケ部が、互いの領域を侵略しないように注意しながらトレーニングを行う声で満たされていた。使える場所が狭いので、男子テニス部は数名ずつ交代しながら、コーチに与えられた課題をこなしている。女子テニス部は俺達よりは伸び伸びとやっているが、それでもいつもより窮屈そうだった。
「何?」
涼が尋ね返す。俺がもう一度言うと、「あぁ」と口元に笑みを見せた。
「あるけど、最近雨だから面倒くさくて」
「何買うんだよ」
「前に言っただろ。ムースだよ」
「あぁ、髪に付けるやつな。ドラッグストアなら駅前にあるだろ」
「そう。でも雨降ってるとさ、面倒なんだよ。わかる?」
俺は欲しい物があったら、自転車を一時間漕いででも買いに行く性分なので、涼のその心理は理解出来なかった。寧ろ、涼は駅までは徒歩なのだから入りやすい気がする。自転車を何処かに止めて入るより、ずっと楽だ。
「俺ならそのまま入るけどな」
「でもあのドラッグストアってさ、自転車置く場所ないだろ」
涼が言った言葉に、俺は二回瞬きをした。そして意味を理解すると、眉を寄せながら問い直す。
「……俺の自転車のこと気にしてんの?」
「え? だって買いに行くなら一緒に行かないと」
違うのかと言いたげな様子の涼に対し、俺は深々と溜息をつく。こんなに安心したのは、去年買ったアクションゲームのナイトメアモードを、残りヒットポイント5でクリアした時以来かもしれない。
「怒ってるのかと思った」
「誰が。俺が?」
「その……ピアスのこと」
俺が気にしていたのはそれだった。あの時、悪気もなく涼を傷つけたのはわかっていた。どうしようもない夢を諦めるために、俺にはわからない理屈で動いている涼に、酷いことをした。それに怒って、俺を買い物に誘ってくれなくなったのかと思っていた。
「別に気にしてないよ」
俺の吐露に対して、涼は呆気無く応える。
「まぁ、ショックだったのは認めるけど。お前に悪気がないことぐらいわかってるし。大体、俺も自分があんなに落ち込むなんて想像してなかったからさ」
遠くでバスケ部がシュートの練習を始める。テニスボールより何倍も大きなボールがゴールポストに当たって、体育館に重低音を響かせた。
「でも悪いと思ってくれるならさ、今日の帰りに付き合ってよ」
音につられてそちらを見ながら、涼が言った。俺もなんとなく、その視線を追いかける。同学年でバスケ部のレギュラーでもある男が、見事にシュートを決めたところだった。これが試合だったら、女子の声援が飛ぶことは間違いない。
「いいよな、バスケ。俺、背が足らないから」
シュートのフォームを取る涼に、俺は上から抑えこむ仕草をする。
「お前、去年の球技大会でシュート決めるどころかボールをどっかにふっ飛ばしてたもんな」
「だって相手のチームが背が高いのばっかりだったし。あーぁ、あそこでシュート決めてたら女子にキャーキャー言われたかもしれないのにな」
「テニスの試合の時に言われてんだからいいだろ」
贅沢者に冷たい言葉を投げれば、整った顔が俺を見て笑った。
「背が低いから「可愛いー」なんて言われるんだぞ。嬉しいと思うか?」
「俺なら嬉しいね」
「見境なしかよ」
いかにも男子高校生らしい馬鹿みたいな会話は、部長が交代の合図をするまで続いた。
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