ep9.レースのバレッタ

 駅ビルの中にあるレストランには、俺達と同じような年齢の客が多かった。家族向けの大衆レストランは、ドリアとドリンクバーとサラダバーを頼んでも千円を超えない点で人気がある。

 賑やかなレストランの中にあるテーブルで、俺はその安いドリアを食べていた。数十センチメートル先にも同じドリアが置いてある。でもそっちは、まだ数口分しか食べられていない。

「食わねぇの?」

「あげねぇよ」

 間髪入れずに返事があった。安いだけが売りのドリアを二つも食べるほど俺は飢えていない。こいつは俺を何だと思っているんだろう。

 涼は右手に、小さなビニール袋を持っていた。厚手の紺色の袋は歪な形に膨らんでいる。中に何が入っているのか、俺はちゃんと知っていた。

「出せばいいのに」

「やだね。人多いし」

 夕食時だからか、店内はほぼ満席状態だった。俺達がいる席の左右では、部活帰りらしい女子高生が、それぞれの話題に花を咲かせている。会話までは聞き取れないが、視線を少し動かせば、彼女達が食べているカルボナーラだのクラブサンドなどが目に入る。

 つまりそれは彼女達にとっても同じことだ。涼が買ったばかりのバレッタを、その袋から出すのをためらう気持ちはよくわかる。

「今回は随分悩んだな。スマフォの時の二倍ぐらいかかった」

「欲しいのに似たのが沢山あったから、悩んじゃってさ」

 大きな平台の上に、溢れかえらんばかりに載った髪飾り。そんな物に縁のない俺達は、世の中にある髪飾りの多種多様性に圧倒された。

 シュシュ、バレッタ、マジョステ、バナナクリップ。値札には丁寧に種類も書かれていたが、一体どれが何なのかさっぱりわからなかった。色々見た結果、クラスの女子がよく使っているクチバシみたいな大きなクリップは「コンコルド」だという、どうでも良い知識がついた。

「女の子って、あの中から欲しい物選ぶんだろ? 大変だよな」

 涼は袋を優しく握ったまま呟く。

「あんなに沢山可愛い物があってさ、そこから自分に似合うの見つけるのって時間かかると思うんだよ」

「だからあんなに鏡が置いてあるんだろうな」

 平台の上には鏡がいくつも設置してあった。客は何か目ぼしい物を見つけると、その鏡を覗き込んで、自分の髪にシュシュやらクリップやらを当てていた。不満そうな顔をして離れていく客もいれば、悩ましげに色違いのものに手を伸ばす客もいた。何度も鏡で髪飾りを当ててみて、結局帰ってしまう客も多かった。

「ちょっとだけ見せろよ」

 俺が手を伸ばすと、涼は素直に袋を手渡した。

「外には出すなよ」

「わかってるって」

 折りたたまれた袋の口を立てて、両端を摘んで左右へ開く。紺色の袋の中には、真っ白なレースで出来たリボンが入っていた。この位置では見えないが、裏にはバレッタがついている。

 リボンは大きく羽を広げた形をしていて、下に伸びる二本の尾は少し長めに切られていた。縁に金色の糸が一本入っているのが、月並みに言っても上品なデザインだった。

 俺がバレッタを見ている間に、涼はドリアの攻略を再開する。大きなスプーンで、一口分よりも多い量を掬い上げる。それを思い切り大きな口を開けて食いつく様子は、髪飾りのイメージからは程遠い。

 半分ほど食べてから、涼は一度手を休めてグラスを手に取った。中のウーロン茶を一口分だけ飲み込んで、短くて濃い溜息を吐く。

「……俺の理想像は、ぼんやりしてるんだよ。ちゃんと服を着て髪を整えて、メイクもしているんだけどさ、じゃあ具体的な形や色は? って聞かれるとわからない」

「何だよ、急に」

「髪飾りだってさ、本当は赤いシュシュにしようと思ってたんだ。でも、実際見てみたら俺の想像なんか軽く超えるほど可愛い物が沢山あった」

 俺は髪飾りを選んでいた時の涼を思い出す。興奮気味に目を輝かせて、商品を食い入るように見つめていた。小さい子がおもちゃ売り場にいる時みたいだな、なんて思ったのは秘密だ。

「俺は、夢を諦めるために買い物をするんだよ。だから妥協なんかしたらいけないんだ。中途半端な物を買ったら、後悔する」

 スプーンをまた手に取り、涼はドリアを口へ運ぶ。

「悩んで迷って手に入れて、それで俺は少しずつ夢を諦められる。……やっぱり要らないんだってわかるから」

 涼の目は俺を見ていた。言いにくそうに眉を寄せて、それでも少しの沈黙を挟んでから、涼は言葉を続けた。

「ピアス、嬉しかったよ。ありがとう。男物だったら、もっと素直に喜べたんだけど」

「それは、お前の中で理想のピアスが決まった後だったからか?」

「……あぁいうの貰っちゃうとさ、夢を諦めにくくなる。だから、もう止めて欲しい」

 俺は何も言えなかった。涼の夢も行動も、俺には全く理解出来ない。でも傷つけるつもりなんかなかった。

 涼が諦めようとしているのは、自分でもどうしようもない物なんだろう。理屈ではわかりきっているけど、捨てられない。だから折り合いをつけて、徐々に諦める形でしか終わらせることが出来ない。

「ごめん」

 謝ったのは俺だったか、それとも涼だったか。

 見下ろした手の中のバレッタが、紺色のビニールに包まれて憂鬱な顔をしているように見えた。

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