ep7.金色ウサギ
雨が降りそうな空だった。
屋上に出た俺達は、幾人かの先客の前を素通りして、まだ誰も占拠していない一番奥の場所を手に入れる。あまり綺麗とは言えないコンクリの上に、涼が先に腰を下ろした。その手に持ったビニール袋が、申し訳無さそうに音を立てる。
「雨降るのかな」
涼がそう訊ねたので、俺は右手に持っていたスマートフォンの画面に目を落とす。天気予報のアプリを立ち上げると、「降水確率50%」という、なんとも判断に困る数字が出ていた。
「わからん」
「ふぅん」
涼はさほど、その話題に興味がないようだった。ビニール袋の中から焼きそばパンを取り出し、ピッタリと巻いてある包装を剥がす。一緒に剥がれた値札シールは、この学校の購買部で使われているものだった。
購買部の前には、惣菜パンの売り上げランキングが貼りだされている。一位が焼きそばパン。二位がコロッケパン。俺が買ったエビカツバーガーは、堂々の五位である。値段が焼きそばパンより高いからか、人気が低い。
「今日もさぁ、一緒に買い物行ってくれる?」
焼きそばパンを一口分飲み込んだ涼が、慣れた態度で訊いてきた。俺が断ることなんて、微塵も考えてなさそうな、読めない表情をしていた。
「残り、いくら?」
「んー、この前映画とか行ったからな。四万ぐらい」
「結構残ってるな」
「あ、違う。三万八千円」
まだ充分に遊べる金額だ。涼が欲しいものだって、大抵は手に入るかもしれない。
「何買うんだよ」
「髪飾り」
「それって結構種類ないか?」
「そうなんだよ。俺が欲しいの、どこで売ってるんだろう。映画見に行った日に通りかかった雑貨屋にはなかったしさ」
涼がどんな物を欲しいかなんて知らないから答えようがない。俺は沈黙ついでにエビカツバーガーを頬張る。小麦粉でカサ増しされたカツは、これはこれで美味しい。
「見つからなかったら、ドラッグストア行こうぜ」
「ドラッグストア?」
何の関連性もなさそうな場所の名前が出てきたので、俺は間抜けな声で聞き返した。でも涼はそんな俺を見て、得意げな顔をした。
「髪飾り買うならムースもないとな」
「使ってる女子ってそんないるのか?」
「いるかいないかは関係ない。俺が欲しいだけだから」
確かにそれもそうだ。別に涼はクラスにいる女子になりたいわけじゃない。砂糖菓子のような可愛い女の子のために買っているだけだ。
「どうせ使わないくせに」
俺が零した言葉は上空を飛ぶ飛行機に拐われて、俺自身の耳にすら届かなかった。
「じゃあ外してやるから、絆創膏剥がせ」
昼飯を胃袋に入れた後に俺がそう言うと、涼は少し剥がれかけていた絆創膏を毟るように取り払った。その下に隠れていたピアスは、鈍い銀の光を放っている。
「動くなよ」
「うん」
涼が耳にかかる髪を手で抑える。俺はその薄い耳に触らないように注意しながら、ピアスの両端をしっかりと指で握った。間近で見るとその耳は本当に薄くて、貝殻か何かのようだった。俺がちょっと力を入れたらねじ曲がって折れるかもしれない。
そんなことを想像して思わず吹き出すと、涼が「なんだよ」と声を出した。
「悪い。何でもない」
折れても俺には関係ないしな、と気持ちを切り替える。両手に思い切り力を入れ、左右に引っ張ると、わずかな抵抗があったが、あっさりとピアスは外れた。その拍子にキャッチの部分が何処かに飛んでいってしまったが、この汚い屋上から探し出したところで二度と使えそうにない。
「取れた?」
「取れた。でもちょっと待て」
涼がこちらを見ていない隙に、俺はその耳たぶを軽く引っ張った。充血したピアス穴に、用意していた物を差し込む。涼が違和感に気付いて肩を跳ねたが、俺はそのまま止まること無く、目的を達成した。
「な、何?」
手を離すとすぐに、涼が耳を触る。空白になったはずのピアス穴に新たに何かが通っていることがわかると、困惑と戸惑いとその他諸々を一気に顔に浮かべた。
「昨日、百均で見つけてさぁ」
俺は小さな台紙に留められたピアスを涼に見せた。金色の細いフープピアスに、兎のシルエットが揺れているもので、百円にしては良いデザインだった。二つセットで、一つは涼の耳にぶら下がっている。兎はゆらゆらと、酔っぱらいのような動きをしていた。
「可愛くね?」
この時の俺は、自惚れていたのだと思う。
ピアスを外したがる涼に嫌がらせをしたい気持ちと、可愛い物を買うのを手伝ってやろうという気持ちが半分ずつ存在していた。
「……買ったのか、それ」
涼は左耳を抑え、ピアスを見ながら呟く。俺は驚いてくれたのだと思って、満面の笑みを浮かべた。俺にとってそれはプレゼントとかじゃなくて、捕まえてきた蝉やトノサマバッタを見せつけるようなものだった。
「これ、やるよ。百円だけどな」
放るように渡したピアスを、涼は右手で受け止める。
「ありがとう」
礼の言葉は、あまりに空虚だった。俺が揶揄まじりにそれを非難しようとすると、涼は悲しそうな溜息をついた。
「似合わないなぁ」
左耳は覆われたままだった。兎をそこから出すまいとするかのように。
ピアスを見たまま、苦しそうな表情を見せる涼を見て、俺は後悔の念に駆られた。
よくわからないが、俺はとんでもなく残酷なことをしてしまったのだ、と直感的に悟ることは出来た。
「涼」
俺が口を開くと、短い返事が戻る。でもそのまま沈黙が流れた。俺は、言うべき言葉を何も持っていなかった。
何も言わない俺に、涼は責めるでもなければ嘆くでもなく、ただ一瞥をくれた。そして再び、しみじみと呟いた。
「似合わないなぁ、これ。可愛いのに」
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