ep5.魔法少女の指輪

 映画館に行くまでの間、涼は偶に耳たぶに指をやっては、途中で思い直したようにそれを引っ込めることを繰り返していた。映画館でチケットを購入して開演時間まで待つ間も、それは続いていた。

「痛そう」

 そんな感想を零せば、涼が軽く俺を睨みつける。

「痛くない」

「だって、ちょっと血が出てるぜ」

「耳たぶにも血が通ってるんだよ。全然痛くない」

 涼は強がりを言いながら、俺を置き去りにするように先に進む。映画館の広いエントランスには、ポップコーンや飲み物を売るカウンターや、最新情報を流すための大きなモニタなどがある。

 モニタは忙しなく様々な映像を流していた。恋愛、号泣、戦慄、恐怖。そんな字幕が踊る中、俺達がこれから観る映画の予告編も混じっていた。涼はそれを一瞥すらしなかった。その視線の先には、映画の関連グッズを売っている売店があった。

「何か買うのか?」

「とりあえず見るだけ」

 長い陳列棚が三つ並んだだけの簡素な売店には、上映中の映画のパンフレットなども一緒に並べられていた。値札だけで商品のないスペースもあったが、それには爆発的な人気を博した邦画のタイトルが添えられていた。

「大体、こういうところに売ってるのってキーホルダーだよな」

 涼が足を止めたのは、魔法少女に因んだグッズが売っているスペースだった。棚から突き出した金属製のフックに並ぶのは、作中で魔法少女が身に付ける指輪をモチーフにしたキーホルダー。洒落たデザインの指輪に鎖が通されているだけだが、値段を見たら結構高かった。

「これ、映画も盛り上がってるよな。涼、見たことある?」

「ない」

「主人公含めて五人の魔法少女がいるんだけど、仲間じゃなくて同業者でさ。悪を倒すために必要な魔力が足らないから、五人で魔力の奪い合いをするんだ。先週はロシアンルーレットで決めてた」

「それ、子供向け?」

「まさか。深夜アニメだよ」

 涼は「ふぅん」と言って、キーホルダーを手に取る。指輪は魔力を貯める装置で、キャラクタ毎に色とデザインが異なる。涼が見ているのはイメージカラーがピンクの魔法少女の物だった。

「それ使ってるキャラ、主人公より人気あるんだ。武器が斧なんだけど」

「斧? 魔法少女なのに?」

 涼は少し唖然とした表情で言った後、そのキーホルダーをフックに戻した。他の指輪同士が重なり、小さな音を立てる。

「……女の子でも色々いるんだな」

「欲しかったのか、あれ」

「俺の理想像に近いと思って。でも、斧は違うな」

 よほどショックだったのか、涼は深い溜息を吐く。俺としては別に可愛かったら斧でもマシンガンでも持っていればいいと思うけど、そのあたりが感性の違いなんだろう。

「可愛いけどな、あのキャラ」

「斧はない。斧じゃ格好良すぎる」

 二度目の溜息に被さるようにして、開演時刻を知らせるアナウンスがエントランスに響いた。



 映画は評判通りの出来だった。恋愛映画を撮っていたためなのか、単にこっちのほうが合っていたのかはわからないけど、風景や心情描写がとても綺麗で、今までに観た極道映画とはちょっと違っていた。

 最初は余りに描写が綺麗だから、果たしてこれで銃の撃ち合いなんて出来るのかと思ったけど、綺麗な夕陽の差し込む事務所の抗争シーンは手に汗握るものだった。

『いいよ、撃ってみろ』

 主人公が夕陽と血を顔に浴びて、敵の前に立つ。銃を構えてはいるけど、無防備すぎる格好だった。

『お前は生きるために俺を撃ちたいんだろう。俺はな、死に続けるためにお前を撃つんだ』

 事務所の外をヘリコプターが爆音を立てて飛んでいく。一瞬だけその機体が太陽を遮って、事務所の光を奪い去った。その途端に一発の銃声が鳴り響き、そして静かになる。

 再び画面が明るくなるが、そこには誰も立っていない。ただ死んだ敵が虚ろな目で倒れているだけだった。

 俺はその時、右隣りに座る涼に視線を向けた。涼は食い入るようにスクリーンを見つめている。ファストフード店でピアスを見ていた時と似ているようで、全く違う眼差しだった。そこには、「砂糖菓子のような女の子」なんて影も形も無かった。

『……死人が行進してるようなもんだ。近付いたら死臭で鼻がもげるぞ』

 シーンが変わったので、俺は視線を元に戻した。スーツを着替えた主人公が、ソファーに座って煙草を吸っている。煙草の箱には血が飛んでいて、そこに焦点が当たる。俺は再び映画の世界へと没頭した。

「……さっきの買うよ」

 映画が終わって、外に出るとすぐに涼が言った。

「さっきの?」

「斧持ってる魔法少女のやつ」

「格好良すぎるんじゃなかったのか?」

「まぁ見た目は可愛いからいいかと思って」

 どういう心境の変化か、俺にはよくわからなかった。映画を見ている最中に結局引っ掻いてしまったのか、涼の耳たぶに血が薄く広がっていた。

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