第7話 行商人モンタナの決意(精霊歴24年)
【精霊歴24年】
「すごい賑わいだ」
ロムルス連邦から精霊国へと初めて訪れたモンタナはその賑わいに驚いた。旧帝国から王国を通り国境を抜けた先の大街道では、ひっきりなしに人が往来している。
かつてこの東方フロンティアはひび割れた大地と魔物が支配する樹海が広がるだけの不毛の地だったと聞くが、信じられない。
今年15歳になったばかりのモンタナは、勇者の反乱後の生まれであり、その恩恵を受けていた。彼の生まれであるロムルス連邦は多数のビースト部族の連合国家であり、モンタナも犬のビーストだ。
彼の両親は元奴隷であり、解放後商会を起こし、いまは中規模の商会として地元で頑張っている。
次男のモンタナも長男の手伝いをしていたが、両親の反対を押し切って精霊国に一旗揚げに来ていた。15歳になって成人してから、そのお祝い金を手に家出同然で出奔した。きっと、家族は心配しているだろう。少しだけ申し訳なく思う。笑ってこっそり送り出してくれた兄には一生頭が上がらないだろう。
なぜ彼が出奔したのか。そこにはロムルス連邦の複雑な内部事情がある。
アストラハン統一帝国時代、長らくビーストは奴隷として使役されてきた。
20年以上前の勇者の反乱によって彼らは解放され、大陸東北部の草原地帯(グラスランド)に部族ごとに分かれて住むことになった。
勇者の元に行くものもいたが、大半がグラスランドに行ったのは、そこがビーストの聖地であり、居住に適していたのが大きい。
彼らの伝承によれば、グラスランドにおいて神聖文明(第二文明)時代に、ビーストの神のもと大帝国を築いていたという。
最初部族ごとばらばらに住んでいた獣人たちは、帝国の圧力に対抗するため、勇者が精霊国を建国するのに倣って、ロムルス連邦をつくった。
しかし、どの部族を盟主にするかを巡り内部で対立が激化した。
ずっと分断され奴隷として過ごしてきた彼らには統治のノウハウや仲間意識が欠如していたのだ。そこに帝国の暗躍も加わる。
結局、奴隷解放戦線のリーダーが猫のビーストであったこともあり、猫族から初代盟主が誕生したが、他部族の不満は大きい。
そんなギスギスした空気に嫌気がさしたモンタナは精霊国を目指したのだった。ビーストを含め多種多様な種族が住むという楽園を一目みてみたかった。
遠くに町が見えてきた。堅牢な城塞都市だ。カポカポと進んでいく荷馬車を操りながら、その精霊国への玄関口、サラマンダリアの門前へと向かう。
二度の攻防戦を耐え抜いただけあって、歴戦の風格を伴っている、と思った。事実、城壁の高さは帝都と比べても遜色がない。もっとも、一番の特徴はやはり中央にそびえ立つ巨大な銅像だろうか。
巨大で重厚な門の前には、早朝にもかかわらず行列ができていた。早くから門が開いているのにも驚いたが、その行列の長さにも驚いた。どれくらいかかるのか、と辟易とする。
ゆっくりと荷馬車を向かわせ、列にならぶ。様々な種族、職業の人間がいるが、やはりモンタナのような行商人が多いように見受けられる。物珍し気にキョロキョロしていると、前に並んでいたヒューマンの少女が声をかけてきた。
「サラマンダリアは初めてですか?」
「ええ、そうなんです。精霊国に来るの自体が初めてでして」
「そうなんですか。実は、私は将来外へ行くつもりなんですが、精霊国を出たことがないんです。外の話を教えてくれませんか」
「ええ、かまいませんよ」
そういうと、ヒューマンの少女は笑顔でモンタナの話をせっついた。かわいくて愛嬌のある顔をしており、赤毛を三つ編みにしているのが特徴か。快活で明るい性格の彼女はなかなか聞き上手で、検問所の順番が来るまで夢中で話し込んでしまった。
「ロムルス連邦もいろいろと大変なんだね」
「故郷じゃビーストしかいないし、帝国や王国はほとんどがヒューマン。だからか他種族には排他的でね。精霊国が異常なんだよ」
年が同じこともあり、すっかり打ち解けて、砕けた口調になる二人だった。彼のいう通り、精霊教では種族差別を禁じているため、多くの種族が共存している。
旧帝国ではビーストのモンタナは奇異の目で見られたが、こちらではない。
いろいろと雑談しつつ、検問所を通り都市の中に入ると、少女アーサラがお礼に都市を案内してくれることになった。
精霊国の知識にうといモンタナは喜んでいろいろと教えてもらう。どこに商売の種が転がっているかわからないのだ。
「――と、いうわけで、サラマンダリアは別名、要塞都市と呼ばれているの」
「火の精霊使いは特に戦闘能力が高い。そんな彼らを多数要するこの都市は、国境を守る要というわけだな?」
「そういうこと。また旧帝国がいつ攻めてくるかわからないしね。精霊魔法がある限り負けはしないだろうけど」
「ふーん、精霊使いか。実は、俺精霊魔法ってみたことないんだよね」
「えー!? なんですって」
ビーストは基本的に力を信奉している。魔法使いによる弾圧もあり、肉体的な強さが尊ばれた。
彼らからすれば、精霊使いがすごいのではなく精霊がすごいのである。借り物の力を誇る精霊使いは自然と疎まれた。
また、精霊使いになると魔力が一切使えなくなる。つまり、魔力による身体強化もできなくなるのであり、肉体的には脆弱にならざるを得ない。ゆえに、精霊使い=軟弱者の意識が根強かった。そのような説明をアーサラにしたら、とても驚かれた。
モンタナも無理はないと苦笑する。自分も連邦を出る前までは、当たり前のように精霊使いは軟弱者だと思い込んでいたのだから。ときおり信じられないほどの荷物を運ぶ人間とすれ違う。
アーサラ曰く火の精霊使いが荷運びをしているそうだ。熊族にも劣らぬ力だと思う。
「ふーん、外の世界はいろいろ大変なのね。でも、商人になりたいのなら、風の精霊の加護は必須でしょ?」
「そうらしいね。シルフの魔法はとても便利だと旅先で何度も聞いたよ」
風の精霊シルフは、商人に信奉者が多い。風の精霊魔法<通信>や<転移><移動>などは、交通と物流に革命を起こした。
<通信>を使えば、遠隔地の情報をリアルタイムで交換できる。<転移><移動>はヒトとモノの行き来を劇的に変えた。
商人、特に行商人にとって商売は命がけだ。移動中に盗賊や魔物によって命を失うものは少なくない。そして、せっかく商品を売りに来ても、情報の鮮度が悪く、売れずに破産することもある。
それを変えたのだ。商人にとってシルフは商売の守り神であり、精霊使いになることを夢見る者は多い。
◆
「これは……アーサラに感謝しないとな」
彼女に勧められた宿に泊まり、そこで食べた夕飯が絶品だった。
とりわけ美味しかったのが魚だ。
モンタナは犬族には珍しく魚を好む。しかし、連邦の内陸部に住んでいた彼は魚を食べる機会が少なかったし、旅の途中も食べる余裕はなかった。
しかし、このうまさはどうだ。しきりと感動する。
「ああ、そりゃあ。うちの魚は鮮度が違うからな」
「鮮度? でもサラマンダリアの近くに海はありませんよ」
食べている魚は川魚ではなかったはずだ。不思議そうに尋ねるモンタナに主人は機嫌よく答えたところによると。
この魚は精霊魔法の<移転>で運ばれてきたらしい。その分値が張るがその味の違いは隔絶している。
ついでに、食事の値段についても尋ねた。あまりにも安いのだ。いや、安くはないが、魚の値段とつりあっていないように感じる。
「それはノームに感謝するんだな」
土の精霊魔法は、植物の成長を促進させることができる。おかげで、精霊国は食料で困ることはない。なるほど、魚以外の野菜、穀物類の価格が安いのだろう。ただし、促成栽培しすぎると味が落ちるそうだが。
色々と教えてもらいながら、主人に感謝して食事を終えた。
「ふむ、精霊魔法は本当にすごいんだな。さて、明日はどうしようか」
食事を終えてベッドの上でくつろぎながら、明日の予定を立てる。まずは荷車に満載した商品を売らないといけない。
路銀には余裕があるが、いっぱしの商人としては商売で勝負したい。まあ、何の勝算もなく精霊国に来たわけではない。きっとうまくいくだろうと楽観的に思いながら眠りについた。
◆
「なぜだ」
もう昼を過ぎた。しかし、商品は全く売れていない。アーサラから昨日のうちに教えてもらった青空市場にモンタナは来ていた。
都市一番の青空市場らしく、その広さには驚かされた。馬でも使わないと一日ですべての店を見きることは叶わないだろう。
朝早く市場についたとき、風の精霊使いが<移動>によるテレポートサービスをしていると聞いて、納得した。とても人の足では見て回れない。モンタナも好奇心からテレポートサービスを受けた。精霊使いが何事かを詠唱すると、次の瞬間には別の精霊使いの元へと飛んでいた。
<移転>は、二人の風の精霊使いの間を行き来できる魔法で、本人が飛ぶ<転移>よりも飛距離や効率性の点で優れているという。
一瞬にして風景が切り替わりしばし茫然としてしまう。拍子抜けといえばそうかもしれない。もっと複雑な儀式を行うのかと思っていたからだ。
事実、血統魔法の<テレポート>を見たことがあるが、手間とコストのかかる儀式が必要だった。
精霊魔法の可能性について思案しながら、指定された場所へと向かう。悪くない。なかなかいい立地だった。他国からの行商人が集まるスペースのようで、優遇されているらしかった。
天気も快晴。まだ春を迎えて間もなく、とても暖かい。だからこそ、商売の成功を確信していたのに——。
「——なぜ誰もこない」
自信をもって商品を並べてみたものの、一向に客は来ない。周囲は大勢の人でにぎわっている。隣の露店は人だかりができているというのに。ああ、あれは連邦の卵細工じゃないか。あんなものが人気だなんて……。
天気も快晴で、人々の顔も明るい。よくよく見れば、誰もが身なりがよく、金を持っていることがわかる。精霊国の市民が裕福である証拠だ。種族も様々で、ヒューマン、ビースト、エルフにドワーフまでそろっている。さすがにデモニックはいないようだ。
暇を持て余しながら、観察を続けていた。そう、これは商売のための情報収集なのだ。そう自分に言い聞かせていた。
おかしい。
待てど暮らせど一向に見向きもされない。さすがにおかしい。王国を出るときに、確かにこの木彫りの工芸品が流行していると聞いたのだ。確かな筋からの情報である。情報料は高かったが。
露店で、悄然としていると、見覚えのある少女がにこにこしながら近寄ってきた。
「ああ、王国の木彫りのお守りね。先日ホープウッド商会が、王国まで転移網を伸ばしたらしくてね。大量に売られたうえに、もうブームは去ってるよ」
知らなかったの? とアーサラに同情された。結局、アーサラに相談したところ、タネが分かってきた。
始まりは、サラマンダリアで人気のとある精霊使徒が、木彫りのお守りを愛用していると噂されたことだった。そのお守りは簡素ながら見事なあつらえだったらしい。
しかし、これまで木彫りのお守りは、いままで見向きもされなかった商品であり、たちまちサラマンダリアで木彫りのお守りは品薄になった。
王国の伝統工芸品であるからして、王国から商人が仕入れてくればそれで済む話だった。
だが、ここで問題が発生した。複数の商会が談合して、王国で木彫りのお守りを買い占め、意図的に値を吊り上げようとしたのだ。
この行為に、眉を顰める者は多かったが止めることはできなかった。しかし、これに味を占めた商会連合が、他の商品まで買い占めたことで、サラマンダリアでは商品の急激な値上がりが発生した。
「ひでえ話だ」
「そうだね。食料の値段まで上がって大変だったんだよ」
事態を重くみた精霊国は、談合した商会を処罰しようとしたが、法律がないためできなかった。タロウによって、精霊国は法治国家として発展していた。
貴族による横暴に嫌気がさしていた精霊国民は、この統治形態を積極的に支持しているし、誇りに思っている。
だが、それが今回は仇となった。当然、一般市民の間では不満が募っていく。そこで動いたのが——。
「——ホープウッド商会かあ。俺でも知ってるぜ」
「あ、外でも有名なんだ」
「犬族が創始者だっていうからな。なんとなく親近感があるんだ」
少し照れながらモンタナは語った。奴隷から精霊国を代表する大商会へと成り上がった犬族の話は、連邦では有名である。
かくいうモンタナの両親も影響をうけているのだから。その薫陶を受けた彼もまた、創始者グレゴリー・ホープウッドを尊敬していた。
きっとグレゴリーは、<転移>や<移動>を使って王国から商品を大量に流入させるとで、一気に値段の異常な高騰を鎮静化させたのだろう。
だが、これでは誰も勝負にならない。もう王国との行商はなくなるのだろう。
「んー? でも精霊魔法を使うのは今回だけだと思うよ」
「なぜだ、転移網で今後貿易は拡大していくだろう?」
「それはないかなー。だって精霊の加護が薄れちゃうだろうから」
「精霊の加護?」
アーサラによると、精霊魔法に依存しすぎると精霊の加護が薄れるらしい。精霊国では有名な話で、精霊使いになろうとしたら、なるべく精霊魔法を利用しないのが常識らしい。
ゆえに、精霊使いを目指す商人は、風の精霊魔法への過度な依存を避けるという。商人は風の精霊魔法を多用せずにいかに利益を上げるか、そのバランスに苦心するのである。
だからこそ、あえて大規模に転移系の精霊魔法を使ったホープウッド商会を称える声は多い。アーサラも誉めそやしていた。
精霊魔法は便利だが、利用しすぎてもいけない。精霊は人の友であり続ける者であり、一方的な関係にはなっていけないのだ。教師に習っただけだけどね、と照れながらアーサラは語った。
「俺も精霊使いになれるかな?」
「なれると思うよ。モンタナはいい人だし、地道に行商を続ければたいていの人は精霊使いになれるよ」
「そ、そうか」
思ったよりもいい返事が聞けてびっくりする。自分にも精霊使いになるチャンスがある。なんだか、わくわくしてくるではないか。もちろん、精霊使いになると色々と制約があるそうだが、憧れのホープウッド商会をみてみろ。商売で大成功したうえに、万人の尊敬の念まで集めている。
そうだ、あれこそ俺が目指す道。他の多くと同じように、モンタナも、理想に燃える若者であった。
「よし、やってやるぞ!」
その後、モンタナは精霊使いとなり、商売で立身していく。また、アーサラとは意外な形で再開することになった。いまだ無名のモンタナ・リブロックの名は、とある事件で表舞台へと上がる。
後年、彼は述懐する。彼女との出会いは良くも悪くも自分の転換点だった、と。
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