第17話 小さな話

あるなという名前は気に入っていた。ある、のだということを再認識させてくれるようだったから。

「だから最後ぐらいは大好きな人の味方をしたいんだよ」

そう言ったのだと言うことを覚えている。結局その言葉を言葉のお遊びだと思ったのか、どう捉えたのかはわからない。けれど手を頭に乗せてありがとうと言ってくれたことはいまでも忘れられない。僕は結局その言葉を今でも叶えられていない。僕はその人の手で粉々に打ち壊され、地上へ返されてしまった。しかし、僕が毎日調律の練習をしていたことが幸いした。・・・いや不幸だったのかもしれないけれど。今、こうして息を吸って生きていられるのならば幸いと言ってもいいのだろう。僕は蓑輪を守れるようにと自分に護身の調律をつけておいたのだ。僕は蓑輪が計算したようには崩れず、ただ、意識だけとなって薄暗い森の中へ入ることとなった。大地。僕の身体の主成分は泥であったから、きっと僕はその土地であって。

テイアにいて私はずっと円盤を見続けていた。アルベチーヌが歴史の記憶と読んだもの。崩れゆく秩序を、世界を見続けていた。この世界では時間というものはないようだった。そういえば神官の交代なんてものも不定期に行われていたものだった。10年後や100年後。でも何百年もという前例はなかった。こうして歴史を見ていくことが、どれほどの重役だったのか、私はふと思いを巡らしていた。いつも絶え間なく伝わる欲望の音。それはどうしようもなく世界の完全性を、秩序を壊していく。けれども、それはどうしようもないことだった。かの王はおらず、守護してくれた人々もいない。私が神官の代わりをできないかとも考えたけど、その正当なんてものは見えてこなかった。人間の行動を見てきて私は彼らの生き様をまるで物語だなと思った。物語、・・・物語を歴史と呼ぶのだろうか。

「神官様起きてる?」 私は何度も何度もそう言って、神官である彼女を起こそうとした。けれども起きなかった。ここまで眠り続けていると命に別状が出そうだな、と思い込んだけれど、私も生存に必要な初のエネルギーの摂取をここへきてから行なっていなかったことに気づいていた。この場所がなんなのかは未だわからない。けれど少なくともここへきて10年程度は経っていたはずだった。円盤から眺める人々は日々成長していく。私は・・・?

そう、そんな風に何もかもが疑問で埋め尽くされ、自分の常識が失われていって、おかしくなるのも無理はない。人間らしい生活を削ぎ落として何になるというんだ。私がいつ私でいなくなるのかもわからないなと思った。

白い世界、テイアに存在したこの建物にはペンやゲームといった一式のもの、世界へあったものはおいてあった。私は机へと向かってペンと紙を持ち出す。手紙でも書いておこうかな、そんな風に思った。

「食べ物もあるのね」ある日地下へ降りる道を見つけた。この家は最初一回建てだと思っていたけれど違ったようで、3階建てであった。しかし、今その推測は覆された。地下室があったのだ。あまりに暇になっていた私は下へ降りて言って何があるのかを確認しにきていた。そこは食料庫ですべてのものが新鮮なうちにおいてあった。手元のうちにおいてあった食べ物を食べてみる。常識が覆された世界、もう怖くなんてないのだった。「あ、案外美味しいのね」そう言ってもう1つ、と手を伸ばす。と、そこには同じものがまたもう1つあった。ああなるほど、と私は思った。ペンもいくら使っても無くならなかった。元に、戻るんだなと私はさして驚きもせず、上の階へ登っていく。あの円盤のある部屋、私が最初に入った部屋。

さして興味もなく私は円盤を覗き込む。地域をぐるぐる回して多くの人の人生を。もうすでに狂ってしまっていた世界を。

「へえ、この連鎖を止めようとした子もいたのね」そう言って円盤を覗き込んだ。繰り返す歴史の中でそれを否定したか。まあ、あなたたちがどうなろうと知ったことないわ、と私は円盤から目を話した。そんなことをしようとした人なんて多くいたのだし。

「まだ、あなたは起きない?」そう言って眠り続ける彼女に声をかける。へえそう、と呟いて私は寝転がった。床に寝転がるなんて大変行儀が悪い。ああ、私もあなたのように眠りたいな。そうすればこうして現実と向き合う必要もないでしょう。テイアから離れてもといた世界へと変えることだってできた。こちらへ来られては困る。けれど帰るのはご自由に。この世界はそう言っている気がした。けれど私は戻る気なんてさらさらなかった。こんな狂った世界にいてなんになろう。0からははずれもはや世界は未知数だ。こんな世界で生きていける気はしない。それにここではあの熱さがないのだ。かつて享受していた幸せに甘んじる。もといた世界では動くたびに身体が痛んで生きるのに代償が必要なのだと考えざるを得なかった。ただ生きるのに精一杯のくせに代償なんてつけるなよ。あんな、システムが壊れたら恐怖と不安が渦巻く世界に。

・・・でも、私はまた見ていたのだ。助け合う兄弟や、だれかのために自己犠牲を押す人々のことを。


「神官様、エアレスケイア」

「アルベチーヌって呼んでくれる?」

そう彼女が言った言葉にええ、と私は頷き会話を始める。この世界しか見てこなかった人。怖いだろう、私にもその感覚は痛いほどにわかる。だから私は言葉を使って彼女に大丈夫だよと伝える。それは私が生きてきた反省点でもあった。

「大丈夫よ、安心して。私はあなたを裏切ったりなんてしないから。」

「・・・」

無言を持って反応を返してくる彼女。

ああ、私はふと脳内に1人の人物が浮かんだ。あるな。私の計画に組み込んだだけの人形。彼ともう少し話しておけばよかったという感情が浮かび上がってくる。彼も生きたかっただろうに。そうすればこういう時の会話でも困ることはなかった。

「あのね神官様。・・・アルベチーヌ。あなた、ろくに外を出歩いたことなんてないんでしょう?私もなの。もっといろんな話をしておけばよかった・・・いろんなものを見ておけばよかった。」

その人形・・・いや、彼のことを考えることはここにきてから禁忌としていた。私が私の目的のために、犠牲にしたものに感情を持ってしまったらどうするのだ。人物として扱ってはいけない。私はただ道具として使ったのだ。そう目的のために。他の人々と同じように欲望のために使ったんじゃない、それも生きていた、ものを使ったんじゃないーーー

「泣かないで」

え、と声を出して私は自分の状況をみる。なんで泣いて入るかは全くわからないはずだったのに、わかるのだ。もう、私はわかってしまうのだ

泣いている人なんて初めて見たよとアルベチーヌは答える。

私も辛いなと笑った。もう世界は私の知っているものじゃないのね、でもあなたは私を助けてくれたのね、そう言って懐かしい目を向けてくる。

蓑輪、という声が聞こえる。違う、私は私のためにあなたを見守っていたのだと。決してあなたのためなんかではないのだと。そう押し黙って入ると、アルベチーヌは何を思ったのか、歴史について話し出した。

「テイアはね言ってしまえば世界の歴史が集まったところなのよ」

「歴史・・・」

そうよ、と言ってまた説明を続ける。歴史よ、歴史と言ったってそれは人々の・・・無数の人が集まって人々と呼ぶのだからもうそこには個人という存在はないのかもしれない。ねえ、私たちの前にもいきている人々はたくさんいて、それは資料に残らないほどいて、言葉が人々を伝えてくれているのならばその人たちは、伝わっていない人たちはもういなくて。それは悲しいじゃない?と彼女は足をぶらぶらさせながら話す。だからせめてその想いだけでも知っておいて欲しいと思うのは当然のわけじゃない。・・・もちろんあなたも、と言って笑う。ただね、と斜め下を見ながら言いづらそうに言葉を紡いだ。

「私は歴史が辛いなと思ってしまったの」

見たこともない欲望だった。祖父母様からここがどう言ったことだったのか説明を受けてきました。彼らは何も抱いていないということも目に見えていました。私の前にテイアへ行った、私の母親たちが辛そうな顔をして帰ってきたのを見て私は歴史がとても辛いものなのだなとその目でみさだめました。私がこの場所に来て最初に思ったことは何者が歴史を動かしているのだろうということでした、それは、王だけじゃなくて、そのもっと些細な願いを持って生きて来た人でした。知っていますか、あの円盤は現在の情景だけでなく、過去までもみることができるんですよ、と彼女は円盤を指差す、そうして手を机の上へとおくと彼女は困ったような顔をして私を見た。怒られてしまうかもしれませんけど、と言って彼女は言った。私は彼らの欲望が悪いものとは思えなかった、と。確かにひどい大戦はあった。その大線の前に小競り合いだってたくさんあった。けれど、何もなくした人たちがどうにかしよう、そう考えて立ち上がった時の目を覚えている。それは・・・と言おうとしたところで彼女は言い淀んだ。けれど、大きな重みもあったと。だから答えを出し損ねているのだろう。

「私は全てをなくしましたね、」と彼女は言った。託されていた責任を果たせなかった。私は罰を受けたいと思います、と。そう言って私の方を見る。

「罰なんて自分で決めなさいよ」そう言ってはぐらかそうとする。裁かせる立場におかれてはたまらない。彼女にだって理由があったのだ。そうね、と彼女は言った。私はまだわかりません、幸せも、願いも、何が正しくて悪いのか。そう言って「だから、私はあなたのお手伝いをしましょう」と彼女は言った。驚いてしまう、私にしたいことなんてない。「あなたは何がお望み?」そうアルベチーヌが聞く。続けて言った「あのシステムを作り出したかの王も下したのは解釈でした」あなたは、世界をどう解釈する?そう言って過去の願いを思い出した。


「この世界は帰りは楽ですが行くには・・・」そんなことはもう知っているよ、と返す。その時はまた鍵でここへくるわ、と私は告げる。そうね、と彼女は微笑み、じゃあ始めましょうか、と手を伸ばした。

そうだ、これがきっと私たちの始まりだった。

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