第76話 ウォーターサーバー

 2020年12月*日 F県G市。


 居住者は31歳の女性A。単身世帯。家賃6万3千円のマンション。外壁は茶色。9階建のマンション。新しいわけではないが、外壁に古びた所はない。『キレイなマンション』と表現して誰も異議は無いだろう。

 

 Aはこの1年間、1~2カ月分の延滞が継続していた。常に延滞状態となっていた。

 それまでは、延滞を解消し、すぐに次の延滞発生。そのサイクルだった。

 既に5年間居住が継続している。5年の間で正常な家賃の支払いをしていた期間は半年以下だ。


 1年前に、2か月分の延滞となった。その数日後、1カ月分の支払いがある。それからは一時的にすら全く延滞が解消していない。

 Aとは全く連絡が取れない。私が担当して半年だが、前任者も前々任者も連絡は取れていない。勤務先も不明。緊急連絡先の親も連絡が取れないと言っている。そして娘と連絡を取る気もないと言い切った。

 

 部屋の使用はずっと続いている。少なくとも誰かが部屋を使用している。


 1ヵ月前に『コロナに感染し入院したから支払いを待ってくれ』という内容のSMS(SNSではない。念のため)が入った。今更うるせえよ。胸中で呟いた。

 部屋のドアが開閉した形跡はある。入院? していたとしても退院しているだろう。そして延滞は3ヶ月分となった。

 その後の訪問時には、ドアの金具に貼ったテープはねじ切れていなかった。

 電気以外ライフライン(ガスと水道)にも変動がない。部屋は4階なのでベランダからの出入りは不可能。

 

 私はその日、2週間はドアが開閉していないAのマンション前に立っていた。110番へ電話する。

 連絡が取れない契約者の部屋を『安否確認』という名目で警察に検めてもらう。それから室内に入る、いつもの作業の開始。


「事件ですか? 事故ですか?」


 110番へ電話した際の定番の第一声が聞こえた。

 連絡の取れない──所謂『夜逃げ』したかもしれない──契約者の部屋へ入る際には、前段階として警察を呼ぶ。どの家賃保証会社に聞いたとしても、公式には『警察を呼んでます』と答えるだろう。実際はどうなのか?


 日本のどの会社に『御社はブラック企業ですか?』と質問したって『違います』と答えるだろう。それと同じ。 


 会社のルールとして『警察を呼びましょう』と明文化している家賃保証会社もそれなりの割合で存在するとは思う。

 そして実際には『ルールだから面倒だろうけど守ってよね』なのか『会社が一応決めたルールは警察を呼ぶだけど、実際そんな時間の無駄はしないよね?』のどちらなのかは会社次第。

 因みに私の働いている会社は前者だ。そうは言っても、絶対に警察を呼んでいるかといえば、そうとも言い切れない。例えば外国人で、どう考えても『勝手に帰国している』という場合は、担当者の判断で省く事も、あるかもしれない。


 知人の働いている同業他社は、数万円の督促のために分娩室にまで行く。彼らには、警察を呼ぶという発想がそもそも存在しない。殆ど担当者の個人的判断でいきなりドアを開ける。

 

 私が以前に働いていた消費者金融業界に比べると、会社毎の差が有りすぎる。貸金業法のような業界全社を縛るルールが無いからだと思う。


 担当者毎によって本当にマチマチだと思うのだが、警察を呼ぶ際には注意する事がある。

 単に『安否確認がしたい』と110番で伝える──間違いではない。そうしている同僚もいる。しかし見た目が『オオゴト』になってしまう。具体的には、サイレンを鳴らしたパトカーや救急車、場合によっては消防車まで来る。それで構わないといえばそうなのだが、別の部屋の住人や周辺住民からの視線が煩いので、私は避けたい。

 こちらは『中に死体なんかない。事件性なんて有るわけない』と、何となくわかってはいるのだ。そんな大イベントにする必要が無い。

 単に『お巡りさん』が1人、自転車やバイクで来てくれて、室内を検める。誰もいない。死体も無い。麻薬の栽培設備なんかの変な物もない。何事も無くて良かったですね、さようなら──が、一番時間的に有難い。


 だから、これは私の場合だけれど、そのように110番に応対した人に話す。

 部屋の出入りはないけれど、異臭がするわけでもないし死体なんかたぶん無いとは思う。私も仕事でやってるんで何となくそんな事わかりますよ。けれども何かあってはいけないから部屋を見てほしいんです──『事件性なんてない。たぶん夜逃げ。だからお巡りさん1人で良いですよ』と湾曲に伝える。


 そんな風に呼んで、実は死体がありました──という場合もある。『第1話』がまさにそうだ。それならそれで、構わない。


 時間が勿体無いから警察を呼ばずにドアを開けたら首吊り死体。静かにドアを閉め、何も知らず部屋の中ももちろん見てない体裁で──警察を呼んだ経験もかなり以前には、ある。

 死体の第一発見者になってしまうと、半日時間を取られる場合があるからだ。警官が第一発見者ならば、時間を取られるにしても1時間半程度で済む。


 2人の警官がバイクでやってきた。彼らの入ったAの部屋には何の事件性もなかった。Aの死体が転がっていたという事もない。


 警官が帰った後に、再度ドアを開ける。Aの部屋はゴミで埋まっていた。食品の容器、色々詰まったゴミ袋、空き缶、何かの空箱、食べかす、カップラーメンの容器、玄関から廊下へと埋まっている。


 また部屋に戻ってくるのか、夜逃げしたのか、その判断をせねばならない。


 嘆息して革靴をビニールで覆う。空になった惣菜の容器や何か詰まったコンビニのビニール袋、そしてよくわからないものを踏んだ感触。廊下に入り、ドアの開けられたままのトイレを見る。ゴミの上にバスタオルが2枚、便器を囲うように落ちていた。

 洗濯機の中には洗い終わったままの洗濯物。風呂場にはゴミ袋。

 シンクを見る。ビールの空き缶で埋まっていて、洗い物などできる状態ではない。

 

 ゴミの中から生えているようなウォーターサーバーを躱して、居室のドアを開ける。カーテンが閉じられているため部屋は暗い。電気を付ける。家具があるのかないのか、一瞬わからない。ゴミ袋とゴミで埋まっている。


 夜逃げしたかどうかの判断は、人によって様々。入居者本人に聞かない限り答えは無い。数式のようにはいかない。

 私の基準の一つは、テレビの有無だ。テレビが持ち運ばれていたら、どこかに転居した可能性が高いと考えている。次いで靴の有無。

 幼稚園児ならともかく、仕事・プライベート用を含めて靴を一足しか持たない人間は珍しい。もしも靴が一足もなければ、判断材料の一つにはなる。他にもいくつか自分なりの──先輩から教わって多少アレンジした──チェックポイントがある。

 部屋に置かれた直近の請求書の日付を確認する人もいる。『実は何処からか部屋に出入りしている可能性』があるならともかく、マンションの4階。しかもゴミだらけの部屋では探すだけ無駄だ。


 Aの部屋にテレビが見当たらない。


 部屋の右側には、ゴミ袋で作られた堤防。その向こう側に布団がある。布団の上に乗って、部屋の左側奥へ視線を移した際に、液晶テレビが見えた。テレビ、あるのかよ。胸中で舌打ちする。

 背の低いテーブルに乗ったゴミ袋と空き缶と食品容器の壁に遮られて、部屋の入口からは見えなかったのだ。

 エアコンは点けっぱなしだった。悪臭を少しでも逃がしたいからかもしれない。もっとも、大抵の家庭用エアコンには換気機能は付いていないそうだが。

 

 ライフラインはガスのみ停止している。水道メーターに変動はないが、停止はしていない。冷蔵庫を開ける。食べ残しも含めて、いつ入れたかわからない食品が詰め込めるだけ詰められている。


 クローゼットには衣類。ハンガーにかけられたシャツにジャケット、コート。色は黒ばかりだ。

 集めた情報を俯瞰する。Aは必ず戻ってくる。『夜逃げ』ではない。そう結論した。さて、どうしようか──。



 2021年1月*日 H県I市。


 2階建ての小さなアパート。薄茶色の外壁で、築年数が古い割に清潔感のある外観だ。

 入居者は28歳の女性B。そして2歳の幼児。シングルマザー。延滞は現在、3カ月。

 入居時は派遣会社の派遣社員。どこかのコールセンターで働いていたようだ。その後にヘルパーとして働き始める。しかし退職。家賃が支払えなくなった3カ月前に、デリヘルで働き始めたと電話で言っていた。それ以来、支払いも連絡も無い。

 

 勤め先であるデリヘルに電話をしたが『Bという名前の人が、いたような気はするが、現在そんな人はいない』という回答だけ。緊急連絡先である弟も、嘘か本当か走らないが連絡は取れないと言っている。

 2週間、部屋のドアは開閉していない。


 警官が帰った後、室内へ入る。廊下から、衣類が散らばっている。テレビはある。衣服を沢山買うタイプなのだろう。玄関の靴箱には、不必要としか思えない数の靴があった。小さなクローゼットには丸めた洋服が詰め込まれている。

 台所にはビールの空き缶の山。8畳ほどの居室には、ジャングルジムのような幼児用の遊具。その横にウォーターサーバー。



 2021年1月*日 H県I市。


 入居者は28歳の男性Cと、同棲相手の女性D。現在、入居からわずか5カ月。そして延滞は3カ月分存在する。3週間部屋への出入りはない。

 Dは、3カ月前に既に部屋を退去している。これはD本人と電話で話した。


 20代の延滞客でこのパターンは非常に多い。結婚する前提か、単なる同棲なのかはマチマチだが、同居するために部屋を借り──直後に片方が出て行く。

 同居のために借りた部屋だから、単身用より家賃は高くなる場合が多い。そして彼らは往々にして、一人では払いきれない家賃の物件に住みたがる。

 加えて、同棲相手が出て行ったのなら自分も引越せばいいのにそうしない。結局、延滞が重なり続ける。


 私は同棲や結婚をした事がないし、恋愛経験も乏しいから言える立場ではないかもしれない。しかし、同居直後に別れるなど、意味が分からない。同居してもやっていけそうだから部屋を借りるのではないのか?


 警察を呼ぶ。当然、何の事件性もない。

 部屋に入る。玄関から廊下、居室にはチラシや通知、衣類に空き缶が乱雑に散らばる。所々に障害物のようにゴミ袋。

 シンクには大量のタバコの吸い殻。居室に置かれた大きめのベッドの隣に、ウォーターサーバー。



 2021年2月**日。F県G市。


 23歳の男性E。4万円の古いアパート。派遣会社の派遣社員として、1年前に入居。特定の場所に勤務しているわけではなく、『日雇い』のタイプだ。

 複数の会社に登録している人間が多いだろうし、電話に出た派遣会社の社員に聞いても、Eの事は知らなかった。仮に知っていても、何も答えてくれない可能性が高いだろうが。

 

 延滞はもうじき4ヵ月となる。20日間は部屋への出入りはない。


 警官が帰った後、玄関に散らばる通知を踏んで、室内に入る。廊下と呼べるものは無い。伽藍とした部屋。一見して夜逃げ。

 布団はあるが、他には衣類が数着、カラーボックス、段ボール。電化製品と呼べるものは、備え付けのエアコンと窓際に置かれたレンタル品のウォーターサーバーだけ。



 皆さんの部屋にはウォーターサーバーがあるだろうか?


 よく家電量販店で案内をしている。レンタル品のウォーターサーバーの事だ。

 20~30代前半の延滞客に、最近多いように思うのだが、レンタル契約のウォーターサーバーが部屋にある。


 ウォーターサーバーを契約している5人家族の同僚が1人いる。これは理解できる。5人家族だから、スーパーで水を買うより安上りかもしれないし、便利だろうとも思う。

 だが、単身或いは2人暮らしでウォーターサーバーを契約している人が、少なくとも私の周囲には見当たらない気がするのだ(私は友人知人が少ないからあまり参考にならないかもしれないが)。

 

 レンタルウォーターサーバーの契約金額を少し調べてみると、月額2000~3000円くらいらしい。もちろん電気代はかかるが、これは微々たる額だろう。

 携帯電話のように契約期間満了前の解約だと違約金が発生する契約もあるようだ。


 いや、違約金や電気代がどうのという以前に、1人や2人で月2000~3000円分も家で水を、飲むの? まさか料理にミネラルウォーターを使っているわけではないだろう。そもそも自炊しているかも怪しいものだ。


 私は他人よりかなり飲み物を口にする方だが、自宅ではお茶やコーヒー、そしてお酒を飲む事が多い。コーヒーは水道水で作っている。ミネラルウォーターも冷蔵庫に入れているが、1ヵ月に2000円分も買ってない。


 本当に不思議なのだ。単身世帯や2人世帯でウォーターサーバー、必要ないじゃないか。

 そう書いて──私の年下の知人に1人、レンタルウォーターサーバーを契約している男がいる事を思い出した。彼は部屋の内装を黒で統一し(中二病の部屋みたいだが、そうではない)、服装もそれなりのブランドを着こなす。一言でいえばモテる男だ。部屋に女性が来る事も多い。これは理解できる。泊まった女性に冷たくてキレイなお水を出すと喜ばれもするだろう。


 だが、彼ら延滞客は、まさか部屋に連れ込む異性のためにウォーターサーバーを契約しているわけではないだろう。水がキレイとか冷たい以前に、部屋が汚い。論外だ。

 彼ら彼女らは何でこんなに、カネも無く、必要も無さそうなのにレンタルウォーターサーバーを契約しているのだ?

 

 皆さんの部屋には、まさか必要も無いレンタルウォーターサーバーがないだろうか?


 今回は何の結論もないお話でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る