第62話 副業計画が頓挫した時に考えた事

 2018年4月 A県B市。


「月3万」


 私と同じ歳の知人『N』と並んだ男──『L』は、そう口にした。

なんという話でもない。男3人集まった焼肉屋の会話。


 副業をしよう。それだけの話。


 全員が家賃保証会社の管理(回収)担当者。私、N、L。

 私だけ違う会社で働いている。Nとは、前職であるサラ金時代の同僚だ。


 Lは3つ年上で、Nの後輩。そうはいっても、立場は既にLが上。

 彼らの会社は、6万円の督促のために分娩室まで行く。そういう会社。


 Lは元『闇金の中ボス』。前科一犯。

 彼らの働いている会社はもちろん反社会的勢力などではない。が、けれどもまあ、それなりにハードな会社だという事は想像してもらえるかと思う。


 Lは、お世辞抜きで大変に魅力的な人間である。放っておいても周囲に人が集まってくる。そういう雰囲気をもっている。

 

 副業が月3万とはショボいと思われるだろう。確かにそうなのだが、実働時間は大変短い。


 私は基本的には土日祝日が休み。NとLも同様なのだが、彼らはサービス出社が多い。1970年代のような働き方だ。が、それでも一応は、土日祝日は休日。

 その土日祝日の午後だけ屋台を開き、たこ焼きを焼く。立ち飲みスペースを作る。店舗ではなく、駐車場を2スペース借りて、屋台を作る。

 たこ焼き以外の『料理』は無し。缶詰のみ。飲み物は缶ビールと缶チューハイ。


 A県に本拠地のあるプロ野球球団の試合日には必ずTVを映し、Lがお客を盛り上げる。土日祝日の午後という営業時間は、我々3人のうち、最低でも誰か1人が店を開く。

 会社員である我々3人だけで営業する。家賃保証会社の管理(回収)担当者という本職は辞めない。


 初期費用として1人40万円を拠出する。つまり120万円。これ以上はビタ一文出さない。1人当たり月3万ぽっちの利益を得る事を目標とする。半年後の時点で、月9万円の利益が出ていないなら、撤退する。


 機材や食材、酒類はLが、アウトロー時代の人脈も駆使して手配する。

 駐車場で屋台を作ればトイレがない。だから近所のコンビニなどへ、お金をいくらか払ってトイレ利用の許可を得る必要がある。そういう交渉は全員で行う。


 本業があるからこそできる中途半端な営業。だからこそ撤退は容易、そういう計画。


 LとNには妻子がある。Lの妻はクラブのホステス。Nの妻は専業主婦だ。

Nの方に将来不安があって、Lと『副業しよう』という話になったらしい。


 Nが私に声をかけたのは、単に後1人、人間が欲しかったからだ。私なら、何となくノってきそうに思えたのだろう。実際、私は2つ返事で快諾した。


 私は独身だ。土日祝日にやる事が年を重ねるにつれてなくなってきている。暇つぶしに飢えていたのだ。そう、私は暇なのだ。


 話が進むにつれて、テンションも上がってきた。普段よりやや高めのお肉を焼きながら、マッコリを飲んで、夢は膨らんだ。

『小ぢんまりと駐車場でやってんだし税金なんて関係なかろ』

『いやいやめちゃくちゃ儲かるかも。そしたら誰か雇おう』

『雇えるようになったら毎日営業して、店舗も増やそう』


 雇うなら看板娘になりそうな可憐な娘だ。プロ野球の試合のある日は彼女にハッピを着てもらって、たこ焼きを焼いてもらおう。

 馬鹿で暇なB市のオッサン連中は、アホウみたいにビールも缶詰も注文するさと笑いあった。


 正直に告白するなら、私はその看板娘と恋に落ちてしまうかも……とマッコリもグラス10杯目に達した時には考えた。独身者は私だけなのだ。別にいいじゃないか。


 ともあれ、この『副業計画』は、私とNだけでは話にならない。キーマンはLだ。彼がいれば、人はいくらでも連れてこれるという目算が、たぶんNにはあった。

 実行さえしてしまえば、うまくいく。Lはそう思わせる人間だった。少なくとも最初の1カ月(の土日祝日だけだけど)は途切れなくLなら人を連れてこれる。

 1カ月営業できればL目当てのリピーターが発生する。それは間違いないと思えた。


 その日から、3人がそれぞれいくつかの出店候補となる場所を見て、駐車場の賃料も確認した。近所に団地があれば立ち飲みにオッサンも集まりやすい──などの意見や、機材の値段もLineで連絡しあった。


 1カ月後、再度の話し合いのため、また焼肉屋に集まった。


「やっぱり店を借りたい」


 店員にビールを注文した私に、Lがそう言った。

 怪訝な目を私はNに向けた。タバコに火をつけたLが言葉を続けた。


 彼らの会社の延滞客で、居酒屋の厨房で働いていた──Qというオッサンがいる。52歳だ。仕事はクビになった。無職。

 一応、厨房にいたので、多少、本当に多少だが料理はできる。ぼそぼそと喋る、料理ですら取り柄とも呼べないオッサンだが、言う事は聞く。たこ焼きは焼ける。


 無職なので、生活保護を受けさせる事にした。明日役所へ連れていく。

 彼に、働かせる。毎日、働かせる。生活保護を受け続けながら。

 売り上げからいくらかは渡すからQにも文句は無い筈だ──。


 おお、不正受給。そ、それで?──Lへ続きを促した。


 営業は主に夜。Lの妻が働くクラブのあるA県C市の繁華街近くで店を開きたい。


「私は場所はどこでも良いですが、奥さんのクラブとか関係あるんですか?」

「嫁のクラブとか、近所のキャバクラとかで、店の客に注文してもらえるようにする。そこは話をつける。たこ焼き1舟1800円で売る」

「1800円のたこ焼きなんか売れるんですか?」

「フレンチたこ焼きと名付ける。クラブとかキャバクラなら売れる」


 もちろん、立ち飲みできる店にするし、当初の予定通り我々は土日祝日に働く。ただしクラブへの出前も必要なので、なるべく平日の夜も出る。


 屋台を開くよりは、簡単に思えた。カネさえ出せば、だ。1人40万円では話になるまい。

 全額使うかはともかく、1人100万円。計300万円は最初に用意したいとLは続けた。

 視線をNに再度、向ける。彼はLに引きずられている感じだが、頷いた。


 私は……正直にいえば、結構乗り気だった。駐車場に作る屋台には前例がある。そういう屋台は確かにある。あるのだが、それなりに面倒そうなのだ。

 まずオーナーの許可を得なければならないだろうし、近隣への配慮も考えなければならない。トイレの問題もある。電気やガスの機材も必要だ。

 それに比べれば、小さな店舗を借りる方が楽そうで、面白そうに思えた。


 実際、Lの妻が働くクラブのある場所は、繁華街といっても、小さな規模だ。銀座などとは全く違う。住宅街も近い。


 賃料はそう高くない筈だ。古びた店舗をそのまま使うなら、明らかに300万も必要ない。第一、我々は会社員。仮に儲けが0でも生活はできる。


 少し仕事に嫌気がさしていた頃だったからこその判断だったかもしれない──100万円を『遊び』として使っても、まあ、いいか。そう思った。

 私は頷いて、ハラミを七輪で熱せられた網へ乗せた。


 スマホで出店予定地の貸店舗の賃料を見ると──結構安い。


 翌週3人で出店候補地を歩いた。シャッターが下りた空き店舗が目立った。

我々は駅前に出店したいなど考えてはいない。メインはオッサン相手の立ち飲み──そして出前が出来れば良いのだ。路地裏の更に裏でかまわない。

 不動産屋を覗いていくつかの空き店舗の賃料を見ると、全く予算内だ。


 Qの様子を聞くと、話には納得したという。今は、生活保護の申請をしている段階。無職なのは事実だし、貯金は殆ど0だ。

 Nが福祉課へ付き添ってもいるので、間違いなく生活保護の申請は通るだろう。


 あまりにもQにはカネがないので、Lが2000円恵んでやったという。これはLが闇金出身だからできるのだろう。私のような、会社員としてだけ管理(回収)の仕事をしている人間には、見返りもないのに自腹を切ってどうのこうのという発想はないと思う。


 ともあれ後はもう、店舗の契約、飲食店開業に必要な手続き、機材を揃え、Lの知り合いの材料納入先へ返事をすれば──……やる事は山積みである。

 それでも一つ一つはそんなに難しい事ではない。3か月後にはスタートさせよう、そう話してその日は別れた。


 それから1カ月を少し過ぎた頃──私はまたハラミを、七輪で熱された網へ置いた。私はハラミが大好きだ。


 仕事の近況を話し終えた後、中ジョッキを飲み干したLが、告げた。


「Qと連絡が取れなくなった」

「は?」

 私は、炎に焙られるハラミからL、そしてNへ視線を移した。

 

 色々なものを諦めた者だけが出来る微笑を浮かべたNが、口を開いた。


 Qには生活保護を受けさせた。受給は決定した。生活保護費はQの懐へ入った。その途端、Qは彼らとの一切の連絡を絶った。引きこもって出てこない。


 端的に言えば、それだけだ。Qにとって2人はもう用済みなのだ。


 出店計画のキーマンはLだ。それは間違いない。彼がいなければスタートしない。

が、その手足となって毎日働くのはQなのだ。


 我々3人は会社員。仕事がある。毎日たこ焼きを焼くなどできるわけがない。

 その、たこ焼きを焼く手足が言う事を聞かないなら、率直に言って頓挫、座礁である。完全に暗礁に乗り上げた。

 当たり前だがマトモに人を雇って営業などできる筈がない。そんなカネはない。


 あくまで生活保護受給者に、儲けの中から小遣いを与え、営業するという話なのだ。我々も、大儲けできるとは考えていない。

 しかし、屋台から店舗へと計画変更した時点で、我々3人の利益希望額は多少は上がっていた。そして、それなりに儲けが出ても、Qに対しては誤魔化すと決めてはいた。店舗の賃料や仕入れ値、光熱費代をQに対しては秘匿するつもりだった。


 屋台から店舗に業態変更しても、『食事』はたこ焼きと缶詰のみ、飲み物は缶ビールと缶チューハイだけである事を変更するつもりはなかった。

 たこ焼きの容器と、缶詰、飲み物の缶の数を我々が把握するだけで、Qが売り上げを誤魔化せなくなるからだ。


 それでも──Qにとっては、決して悪いだけの話でもないのだ。

 当たり前だが生活保護を受給していて、他に収入があれば、申告しなければならない。その分、保護費は減額される。

 今回の計画は、Qの側から見るならば、そこを誤魔化して収入を増やす道ではあった。もちろん所得隠しによる不正受給。違法である。


 私がこんな事を書いているのは、そもそもこの不正受給を伴う計画は、スタートすらしていないからだ。全く実行に至っていない。

 結果からみれば、焼肉を食べながらオッサン3人が白昼夢を見ているだけ。本当に実行していたら、こんな犯罪告白を書けるわけがない。


 話を戻す。Qにとって、違法ではあるがメリットのある話でもあった。そもそもQがそうしたいなら、得た収入を福祉課へ申告しても良い。そうすれば違法性は無くなる。

 我々はそれを止める気はないし、できるわけでもない。ある側面から見れば。働く場をLは用意しようとしたともいえる。もしかしたら評判の店になる可能性もある。下手にチェーン店の居酒屋で酷使されるより、可能性は無いだろうか?


 もっとも、誰がどうみてもブラックな職場ではある。それでも、健康な50代前半の男性が、生活保護費だけで生活するよりは健全な気がするのは私だけ?


 以前にも書いたかもしれないが、私は生活保護制度を決して否定しない。

 今でも不足している部分が多々あると考えている。私がお世話になるかもしれないのだから、もっと拡充してほしいとさえ思う。


 しかし、20代~50代の独身男性の場合は、安易な生活保護の受給や、ましてやその生活に安住してはいけないと──これは管理(回収)担当者としての仕事を通じて考えるようなった。

 怪我や病気が治らないなら話は別だが、健康なら例え割に合わなくても働き先を探す事をおすすめする。往々にして男性の場合は本当に、精神が、腐っていく。本当に心が、腐るのだ。


 女性の場合は案外自然に仕事を探すように見える。シングルマザーなら働くことはできなくても結構マトモな生活をしていたりする。

 ただ、健康な独身男性が生活保護を受給し続けると、本当に、腐るのだ。

 なぜか態度が尊大になっていく。尊くも大きくもないのに。


 何の統計もない私の主観。もしかしたら『顧客』である延滞客にしか当てはまらないかもしれない。それでも、独身男性が安易に生活保護を受給すると、腐る。それは私の確信だ。



 2020年──Qはまだ生活保護を受給し続けているとNから聞いた。



 労働力人口が減り続ける日本では、外国人労働者を受け入れる方向へ明らかに進んでいる。

 外国人労働者を日本に入れるより、日本人を雇おう──そんな意見を目にする。

私はそれを完全に支持する。

 失業者がたくさんいるじゃないか、彼らを雇おう──全く、正しいと思う。


 生活保護受給者もたくさんいる、彼らを雇おう──あなたが『美味しい仕事』を手放して彼らに与えるならそれは可能かもしれないが、そうではないだろう?

 残っているのは当然だが、大して美味しくもない仕事だ。そんなもの、彼らがやると思うのか? 


 生活保護受給者の中でも特に20代や30・40代、そして50代の男性を指して『働かせよう』と言っているのだと思う。労働力として見ているのだと思う。


 あなたが従事している『美味しい仕事』を彼らに譲るなら、それも可能かもしれない。そうではないのだろう?

 わざわざ外国人を呼び込んでまで就いてもらわねばならない仕事なのだろう? そんなもの、するわけないじゃないか。美味しくない仕事など、するわけがないだろう?


 これは偏見に近い極端な意見かもしれない。

 私が生活保護受給者の中でも、家賃を延滞する人間とばかり話をしているからかもしれない。だが、20代~50代で『健康なのに何年も生活保護だけで生活し続けている男性』が、過酷な労働市場に戻るとは私には思えないのだ。

 誤解されると困るので繰り返すが、私が言っているのはあくまで『明らかに働けるのに、何年も生活保護費だけで暮らしている20〜50代の独身男性』に対してである。


 Qが、LやNと連絡を絶ったと聞いた時、私は彼が労働する事は二度とないだろうと、なんとなく思った。

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