JK日常カメラ紀行

うきのん

第0話 朝焼け

 吐く息が白い。

 もうすぐ夜が明ける。

 寒空の下、半時間程前から私はそれを待っている。

 ここは家から歩いて20分程で来ることが出来る、何の変哲も無い漁港の岸壁。

 そこに三脚を据え、カメラをセットし、スマホアプリで確認した日の出の位置にレンズを向け、ファインダーを覗き構図を決める。

 太陽はまだ水平線より下だけど、冬の空気はチリや湿気も少なく澄んでいて、微かに明るくなり始めてきた水平線付近の空の青と、頭上の夜空の深い黒さのグラデーションに、まだ目視出来る明るい星々がとてもキレイだ。

 その写真も撮りたいのだけれど、決めた構図を変更する必要がある上に、じきに太陽が昇ってくる時間だし、そっちを撮り逃すと元も子もないので渋々我慢する。

 待ち時間、ここへ来る途中にあった自販機であたたかい紅茶を買ったのを思い出し開封する。

 猫舌な私には、冬の外気で少し冷めた紅茶が丁度飲みやすい具合になっていた。

 私には待ち時間になると、ふと考え事をする癖がある。

 その内容は、最近であればもっぱら写真やカメラのことだ。

 写真といっても被写体は色々ある。

 日常、風景、動き物、親御さんなら子供の成長記録。

 何を撮りたいかで写真に求めるものは変わってくるし、人それぞれ、撮り方も使うカメラも千差万別だろう。

 一眼レフでこだわって撮る人も居るし、逆にスマートフォンのカメラでも充分という人も居る。事実、インスタントカメラでも「良い」と思える写真を撮れる腕前の人も居る。

 ただ、どれも間違いじゃ無いし、誰が見ても「良い」と感じられる、そういう写真になっていれば、それはもう「記録」ではなく「作品」になっているのだと思う。

 別にプロでも無いのなら、小難しい事を考えて萎縮するよりも、撮りたいと思ったものを自由に撮れば良いのだけれど、写真が趣味な人は多かれ少なかれ、詩的な事を考えるものだと思う。実際私もそうだ。

 私としては単にキレイなものじゃなく、被写体と同じ場所に在りながらも、自分の目と違う写り方をする、レンズ越しの世界が好きなのだ。

 などと改めて自分の写真に対する考えを再認識していると、気付けばいつの間にか水平線が赤味がかってきていた。

 好きなテーマを考え始めると時間が経つのが早く感じるのも私だけでは無いはず。

 そろそろ太陽が姿を現わしだす時間だろう。

 日の出直前のこの時間も貴重なので、構図は最初に固定したそのままで、シャッターを切る。

 同じように撮っても全く同じもの、瞬間は二度と撮れないのだから、今まで寒い中待った分、存分にシャッターを切る。

 何枚かに一度、確認の為にカメラの液晶画面で撮った写真を見て、色の具合や露出、構図の確認をする。

 試行錯誤している内に太陽が頭を出し始める。ここからはさらに時間との勝負。マジックアワーと言われたりもする、夕方とは反対の暗から明へと数分間で空の表情がガラリと変わっていく、一番待っていた瞬間だ。

 水平線の空が太陽に染め上げられ金色になっていく。

 目で見てもこれほどキレイな瞬間が、レンズを通しカメラで処理をされ、最終的に現像され写真になると、どんな違った表情が出てくるのだろうか。

 こういった瞬間を、普段は見ることが出来ない作品カタチとして、私は切り取りたいのだ。


 なんてね。

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