その日彼らは、運命に出会う
「殿下、近衛騎士を連れて参りました」
「入れ」
扉の前で息を詰めて緊張している若い騎士の気持ちに頓着などせず、同行している侍女は淡々と言葉を紡いだ。やや強張ったその声に答えたのは、幼い子供の声。部屋の主である王太子・イグジリスのものだ。
だが、その声を聞いて、近衛騎士・シュライトは僅かばかりの違和感を感じた。声音は確かに幼い子供の声だというのに、響いたのは感情を排した大人びたものだった。尊き生まれの人々には下々には解らぬほどの重責があり、幼き身であろうとそれから逃れられぬというのは知っている。知っていたが、それでも、と青年は思う。あまりにもその声は、子供という事実を捨てているのでは無いか、と。
目の前で扉が開く。シュライトは侍女に倣い、その場で頭を下げた。侍女の動きをそっくりなぞるようにして頭を上げて、彼女の背中を追うように室内に足を踏み入れる。彼らを出迎えたのは、子供用に作られた机に座り、積み上げた本を読んでいる少年だった。幼子、と言ってもおかしくはない。王太子はまだ、6歳。少年と言うにはやや幼さを残す風貌をしているというのに、シュライトを見据える瞳には、子供らしい幼さは存在していなかった。
「お前が、新たな護衛か」
「……はっ。シュライトと申します。全身全霊を賭してお役目を果たしたいと思います」
「好きにせよ。……どうせ、お前もすぐに立ち去るのだろうしな」
「……殿下?」
小さく、本当に小さく王太子が零した言葉に、シュライトは耳を疑った。冷え切ったというよりは、凍えているような声だった。溺れる者が何かを掴もうとして、けれど何も無いのだと絶望しているような声音だ。幼い王太子が口にするには不似合いで、けれど何故か、人形めいて美しいその容貌には似合っていると、シュライトは感じた。
間近で見た王太子・イグジリスは、シュライトの想像以上に美しかった。王族は皆、見目麗しい。だが、その中でも際だって美しいと言われているのが、僅か6歳の王太子だった。父王の鋭利な眼差しを受け継ぎ、母王妃の色の白さを受け継ぎ、その他諸々、国王夫妻の美貌を併せ持ち、更に上質に整えられたと評判の、……造作めいた美貌の、王太子。
シュライトを見据えた瞳は、右が血のような赤、左が闇のような黒だった。左右色違いの瞳という異形を持って生まれた王太子。それ故に、彼に対する周囲の評価は厳しい。美しすぎる容貌と、異形と称される瞳の色と、幼さを捨て去った性格と。それらを合わせてしまえば、もはや、そこには人が恐れるものしか存在しない。
「殿下、それでは、私は……」
「あぁ、下がれ。……お前はどうする?」
「……お許し頂けるならば、お側に。護衛ですので」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
恭しく一礼して去って行く侍女。その彼女の顔に、表情らしい表情が浮かんでいなかったことに、シュライトは気づいた。彼女は乳母の次に王太子に仕えて長いと言うが、その割にはまるで人形のように淡々と用事をこなすだけであった。そこにもまた、シュライトは違和感を覚えた。
幼さを捨てた王太子と、彼に接するときに人間味を失っている侍女。それが何を意味するのか、シュライトには解らなかった。解らなかったが、それでも。
(……この方は、ただ一人、凍えておられる)
不敬であると解っていても、抱いた感情は消せなかった。必要なものしか存在しないこの部屋のように、イグジリスの周りには温度のあるものが少ない。今の侍女とのやりとりから、近衛仲間から聞いていた「王太子殿下は陛下達に疎まれておられる」という言葉から、そして何より、挨拶をしたときの、知らず零れたであろう呟きから、シュライトは察してしまった。
哀れと思ったわけではない。それでも、彼が置かれた環境は、あまりにも過酷だと思ったのは事実だった。父母に疎まれ、接する者達に恐れられるというのは、心を抉る。或いはイグジリスは、抉られぬようにと、今のような振る舞いを身につけたのかもしれないと、シュライトは思った。それはあまりにも哀しく、けれど、幼い子供が必死に己を護るために作り上げた鎧なのだと、悟る。
「……殿下」
「何だ」
「お許し頂けるならば、どうぞ、お側に」
「……その言葉が、三月後も聞けるならば、良いがな」
出会ったばかりの己が何を告げても意味は無い。解っていても、シュライトは言わざるを得なかった。たった一瞬だった。挨拶をしたときの、真っ直ぐと己を見据えた左右色違いの瞳に、シュライトは一瞬で魅せられた。この方こそ我が主と、考えるよりも先に魂が理解した。……或いは、その美しさそのものに、歪に作られ、壊れてしまいそうな魂の在りように魅せられたのかも知れない。
忠義と呼ぶには、何かが違う。そのことを理解していても、シュライトはその感情に蓋をした。幼い頃から騎士として生きるために育ってきたシュライトは、堅物として知られている。恋を知ることもなく、家族や友人への愛しか知らぬままに、今に至る。だから彼は、気づかなかった。己がイグジリスに抱いた感情の、その意味を。
それは、紛れもなく、恋だった。いずれ愛に至るかも知れぬとしても、芽生えたその瞬間は、紛れもなく、恋であった。だが、シュライトは己に芽生えた感情に気づかず、だからこそその芽は、詰まれることも、育てられることもないままに、そこに残った。いつか芽吹く日が来るかどうかすらも、知らぬままに。
その日彼らが出会ったことで、運命の輪は動き出す。孤独な王太子と、愚かな騎士の出会いは、芽吹くことも、形にすることも許されぬ花のような恋を、紡ぐのだった。
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