咲かず、実らずの、花

港瀬つかさ

足掻くことも、知らず

「私が願ったら、お前はそれを叶えてくれるのか?」


 静かな問い掛けに、男は答えなかった。是とも否とも言えない己の不甲斐なさを噛みしめる。問い掛けた青年も、答えは別に望んでいなかったのだろう。興味を失ったかのように視線を男から外し、手元の資料を読み始める。


「……出来ないことを出来ると言わないところが、お前の美点だな、シュライト」


 どこか揶揄するような青年の言葉にも、男は何も言わなかった。いや、言えなかった。口を開いて薄っぺらい言葉を伝えたところで、意味が無いことを男は知っているからだ。眼前の青年は、嘘を嫌う。お為ごかしの美辞麗句を並べられるぐらいなら、むき出しの罵詈雑言の方を好むような性格をしていた。

 シュライト、と青年が男を呼ぶ声はどこか優しい。仕方の無いやつだと言いたげな響きを含んですらいた。そして同時に、男が何かを越えようとするのを制するような声でもあった。


「構わんよ。未来永劫お前の剣は私の為にある。それが事実ならば、……その事実さえあるならば、私は生きていける」

「殿下」

「良い。お前が私の存在を肯定し、私を護るためにいるならば、もう、それで良いのだ」

「……この身は、朽ちるその時まで、御身の剣であり、盾であります」


 静かに告げるシュライトに、殿下と呼ばれた青年、いずれこの国の王冠を受け継ぐ存在である王太子・イグジリスは笑った。右と左の瞳の色が違う異質な面差しの青年は、それでも誰もが見惚れるほどに美しい青年であった。


 だが、だからこそ彼は、恐れられた。


 血のように鮮やかな赤い右目と、凝った闇夜のような漆黒の左目。それを際立たせてしまう色の白い肌は、元来病弱の気がある故のことであった。だが、美しいが故にその対比は見るものを怯えさせた。王家の貴色と言われる白金の髪すら、それを助長させるしかなかったのは、あまりにも哀れだった。

 親兄弟に疎まれ、接する全ての人々に恐れられる。身体は弱かったが頭脳は明晰で、幼子の頃から未来の国王として相応しい才覚を示し続けたイグジリス。端整な顔立ちに子どもらしい表情が浮かぶことは少なく、シュライトが近衛に選ばれた6歳のとき、既にその精神は幼さを失っていた。……そうでなければ、己を保てなかったと言うように。


「なぁ、シュライト」

「は」

「私は、王妃は娶るが、子は成さぬ」

「……殿下」

「王になるのは私だ。それは覆せぬ事実。ならばせめて、私から異形の血を継いだ子が生まれぬようにするだけだ」


 シュライトが何を言っても、イグジリスの決意は覆らないだろう。イグジリスがこの世で一番疎んでいるのは己だった。病弱ならば病弱らしく、王の責務に耐えられぬほどにか弱ければ良かったものを、とこぼすこともあった。けれど長子相続が絶対であるこの国において、王の責務に耐えられるだけの体力を有したイグジリスに、異形と病弱を理由に弟に継承権を譲り渡すことは、許されなかったのだ。


 お前がいるならば、良い。


 絞り出すように告げられたイグジリスの本音に、シュライトは身体の横で拳を握りしめた。望み、願い、求め。けれど何一つ叶うことの無かった王太子が、たった一つ見つけた幸福と告げるのが己の存在である事実。それを諫めることが出来ず、むしろ、ひっそりと歓喜する己を理解しているからこそ、シュライトは拳を握りしめる。一線を、決して揺るがしてはならぬ、と。

 全ての人々に恐れられ、誰にも愛されなかったイグジリス。初めて彼に温かな手を差し伸べたのは、まだ近衛になったばかりのシュライトだった。生まれて初めての優しい庇護。それを知ったイグジリスが、シュライトに惹かれていくのはきっと、必然だった。雛が親を慕うようなものだ。


 けれど、シュライトは違う。


 きっと、最初の1歩を間違えたのは、シュライトの方だった。幼さに似合わぬ聡明な面差しの、そうでありながらどこか孤独に見えた美しい王太子。己が守護する大切な主と定めるより先に、シュライトの魂はイグジリスの歪な美しさに魅せられていた。恋も知らずに鍛錬に明け暮れていた堅物の騎士が、生まれて初めて美しいと願い、手を伸ばしたのは、年端もいかぬ己の主だった。


「殿下、私は」

「良い。……何も言ってくれるな、シュライト。私が、これ以上愚かな望みを口にせぬ為にも」

「……はい」


 言葉で伝えることも、言葉で戒めることも、イグジリスはシュライトに許さなかった。それは、言葉を口にすることで何かが形になることを恐れたのだろう。明確に何かを伝えたことは無かった。ただ彼らは、主と騎士として共に在った。


 けれど、その心が抱いた感情がまったく別物であることも、互いに、知っていた。


 愛を謡うには世界は残酷だ。

 王太子になど生まれなければ、異形になど生まれなければ、イグジリスはきっと、当たり前の愛を知ることが出来ただろう。けれど彼の世界は暗く冷たく、唯一手に入れた愛は、控えめな騎士の献身的な感情だけだった。

 だから彼は、それだけを愛だと知って、それだけを望んで、それ以上を、それ以外を、願わない。何も生まない哀れな愛だった。だが、イグジリスが生きていくために必要な、たった一つの愛だった。




 美しく悲しい異形の王子とその騎士が紡ぐのは、決して咲かぬ、咲かせてはならぬ、花のような、恋だった。




FIN

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