第15話

「まずいん! 哥哥お兄ちゃんの言う通りだったん! 曹操そうそうが追ってきたん!」

 張飛ちょうひが後ろを振り向いて叫ぶ。

「ちっ。予想が当たっちまったか!」

 遠くに、長い鬼の角にも似た馬影の先端が見える。

 その影は、刻一刻とこちらに迫っていた。

玉追ぎょくつい! 頑張るん! もうすぐ姉々たちの所に着くん!」

 張飛が馬をかかとで蹴って叱咤する。

 確かに出発時の距離を考えれば、そろそろ劉備りゅうびたちに追いついてもいいと思うのだが。

「見つけたぞ!」

「撃て! 撃て!」

 ザクッ。

 さっきまで馬の尻があった所を素通りし、矢が地面に突き刺さる。

「ふぁっ! な、なあ、もうちょっと速く走れたりしない?」

「無理なん。この子は持久力はあるけど、速度は出ないタイプなん!」

 張飛が悲痛な声で叫ぶ。

 張飛の馬は、ぜいぜいと息を切らし、口からよだれを垂らして、『もう無理っす』みたいな顔で頭を振り回した。

(俺のせいで明らかに重量オーバーなんだよなあ……。体力も限界だろうし)

 マ○ー牧場にいるポニーくらいの馬に、この行軍はきつすぎる。

 このままでは二人とも逃げきれない。

 俺一人では馬を操れない。

 と、なれば、選択肢は一つ。

(俺がドロップアウトするしかないか)

「張飛。一瞬、馬の速度を緩めてくれ」

 俺は意を決して口を開く。

「哥哥! 何言ってるん!? そんなことしたら敵に追いつかれるん!」

「二人ならな。俺は馬から降りる。お前は一刻も早く劉備たちの元に行って、助けを呼んできてくれ」

「でも、そしたら哥哥が危ないん!」

「大丈夫だ! 俺には策がある!」

 もちろん、そんなものはなかった。

 だけどこのまま両方死ぬよりはマシだろう。

「分かったん! 絶対戻ってくるから、死んだらダメなん!」

 張飛が馬の手綱を引く。

 俺は腰を浮かせ、地面に転がるようにして下馬げばする。

 張飛の馬が、あっという間に見えなくなる。

「見ろ!」

「一人落ちたぞ!」

 俺を指して、曹操軍の兵士が叫ぶ。

「俺は、伏竜ふくりょう! 諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいである! 俺を生け捕りにした者には褒美がでるぞ! さあ! 曹操の所へ連れていけ!」

 俺は両手を挙げて破れかぶれに叫んだ。

 やがて、馬に乗った幾人もが俺を取り囲み、俺を跪かせる。

 ゲームの孔明のようなビームなど出せるはずもなく、俺はそのまま後ろ手に縛られて、兵士に連行されていく。

 体感で一キロほど引き戻される。

 やがて、人が増えてきた。

 何人もの立派な騎兵きへいが隊列を組んで、俺ににらみを利かせている。

「曹操様の御前である! 頭が高い!」

 俺の身体を拘束している奴に頭を強く押さえつけられ、強制的に地面と向き合わされる。

「曹操様ああああ! お許しくださいいい」

 俺ではない誰かの叫び声が聞こえる。

 ビシ!

 バシ!

 ビシ!

 何かがしなるような音が、俺に恐怖感を与えていた。

「顔を上げなさい」

 やがて聞こえてきた尊大な声に、俺は顔を上げる。

 そこには、背の高い、肉付きのいい身体をした女の子がニコニコ笑顔を浮かべていた。

「どこを見ているのです。私はこちらですわ」

 その声に、声のした方に視線を転ずる。

 背の高い女の子の肩に乗って、こちらを睥睨へいげいする幼女が一人。

「ま、まさか、あんたが曹操か?」

「ええ。私が曹孟徳そうもうとくですが。何か問題でも?」

 曹操はこちらを睨みつけながら、手にしたむちを無表情に振るう。

 俺の眼前で、曹操に向かって土下座している兵士の背中に容赦なく鞭が叩きつけられた。

 兵士がうめき声をあげる。

 どうやら、さっき俺が聞いた悲鳴はこの兵士のものだったらしい。

(まじかよ。この曹操、張飛以上のロリっ娘じゃん。しかもドS)

 俺は驚きと共に、幼女を見つめる。

 張飛は、まだ小学校高学年くらいの雰囲気はあったのだが、こっちは完全に低学年だといってもいいような身長だった。

 髪は金髪ツインテ。怜悧れいりな切れ長の目、鼻はツンとすましたように高く反り、唇は小さく紫色をしている。美少女には違いないが、張飛のような天真爛漫てんしんらんまんさはなく、その身長にも関わらず、彼女から発せられる空気感には、年齢不詳に見えるほどの深みがあった。当然胸は、劉備とはあまりに対照的な洗濯板である。

「曹操様にー、名前を尋ねておきながらー、自分が名乗らないなんてー、失礼じゃないですかー。捕虜のくせにー」

 曹操の下の人――背の高い女の子が、咎めるように言って、手にした棍棒を俺に突き付けてくる。なんとなく、『お母さん』と呼びたくなるような頼りがいのある外見だった。動物でいえば間違いなく熊だ。

「俺は諸葛亮孔明だ。そういうあんたこそ誰なんだ」

「おらはー、許褚きょちょですけどー、そんなことはどうでもいいんですー。今は曹操様とのお話の最中なんですから、そちらに集中してくださいー」

 許褚はそう言って、敬意のこもった視線で肩の上の主を見遣った。

「それで孔明。今回、私の追撃を食い止める計略を立てたのは、あなたですか?」

「ああ。俺だ」

 俺は正直に白状した。

 張飛のせいにしようとも思ったが、俺の知っている三国志の中の曹操は、女々めめしく言い訳する奴が嫌いだ。だから、ここは下手に言い訳しない方がいいと踏んだのだ。

「やっぱりそうでしたの。悪くない策でしたが、詰めが甘かったですわね」

 曹操が勝ち誇ったように笑って、再び兵士を鞭打つ。

「ああ。橋だろ。橋さえ落とさなければ、お前は俺たちを追いかけてこなかった」

 俺は唇を噛みしめながら答えた。

「あら。気が付いていたんですの」

 曹操が驚いたように目を見開く。

「曹操様―。どういうことですかー?」

 許褚が控えめな声で問うた。

「もし、孔明たちが橋を落としていなければ、私は追撃を諦めていましたわ。橋を落とさないということは、私たちを通過させても良いということであり、それはすなわち、私たちを迎え撃つ伏兵の準備ができているということだからです」

「ああ。だが、俺たちは橋を落としてしまったから、あんたは、俺たちがあんたたちの軍にびびっていることに気が付いた」

 俺が曹操の言葉を継いで言った。

「……噂通りの智将ちしょうのようですわね。管輅かんろの占いも存外馬鹿にできませんわ」

 曹操が我が意を得たりとばかりに、満足そうに頷いてから、独り言を呟く。

「でも、曹操様―。この捕虜はー、結局、橋を落としたんですよねー。それって、無能じゃないですかー」

 許褚が嫉妬をにじませて言う。

「否定はしない。俺は策を立てるのが仕事だが、必ずしもその策通りに人が動いてくれるとは限らない。それが、一兵卒には分からない用兵家の悩みの常だ。もし、将棋のごとく、自分が立てた策通りに人々が動いてくれるなら、今頃あんたは天下を統一しているはずだぞ。曹操」

 適当にそれっぽいことを言っておいた。

 俺の知ってる三国志には、曹操は敵の策略を見抜いていたけど、部下が独断専行どくだんせんこうして敗けるシーンがよくあるのだ。

「もうー! 曹操様に対してなんて口の利き方するんですかー! 不遜ふそんですよー」

 許褚が怒りながら棍棒を振り回す。

「いいのです許褚。ふふふ、言ってくれるじゃありませんの。気に入りましたわ」

 曹操はそう言って、許褚の肩からぴょんと飛び下りて、俺に歩み寄ってくる。

 それから、曹操は俺のあごに人差し指と親指をあてて上向きにすると、ぐっと顔を近づけてきた。

 顎クイ!

 俺幼女に顎クイされてますのよ奥さん。

「――単刀直入に申し付けます。孔明、あんな口と乳がでかいだけが取り柄の草鞋売わらじうりの娘なんて捨てて、私の下に来なさい。必ず今以上の待遇を約束致しますわ!」

 まつ毛が触れそうなほどの距離で、曹操が甘くささやく。

 ふっと乳香の香りが俺の鼻腔びこうをくすぐった。

「……」

 俺は返答に窮する。

「だんまりですの? 猶予はありませんわよ。私がこのあなたの計略を見破れなかった愚鈍ぐどんな兵士への、百叩きの罰を終えるまでには決断しなさい」

 曹操はそう言って俺に背中を向け、再び兵士をビシバシ折檻せっかんし始めた。

(やべえ。ガチでどうしよう)

 正直、悪い話ではない。

 曹操の統治範囲は広大だから、彼女に仕えれば元の世界に戻るための情報はぐっと集めやすくなるだろう。

 だが、同時に不安もある。

 今のやりとりだけじゃ、曹操がどのような人物か分からない。

 とりあえず器はでかそうだが、一方で、俺の知ってる三国志通りの冷酷さも兼ね備えているようである。ちょっとしたミスをしただけで殺されそうで怖い。

 それに――。

(くそっ。なんでこんな時にあのダメ劉備の顔なんかが浮かぶんだ!)

 正直、劉備からはろくな扱いを受けてはいない。

 寝ぼけ眼の俺を誘拐するわ、秘密がバレた途端に美人局つつもたせ同然の手法で味方に加えようとしてくるわ、今回だって長坂ちょうはんで敵を食い止めろなんて無茶振りもされた。

 それでも、俺が未来から来たと告白したあの瞬間、無条件で俺を受け入れてくれた劉備の笑顔に、確かに俺はちょっと安らぎを覚えてしまっていたのだ。

(ええい! とりあえず第一声はNOだな)

 逡巡の中でも、俺はそれだけは確信していた。

 曹操は人材マニアとして有名だが、マニアだけあって、誰でも彼でも集めているという訳ではない。曹操が欲しているのは、『中々なびかない名将が自分だけになびく』ことのはず。関羽かんうを仲間にしようとして、散々労力をかけて、挙句の果てには宝の赤兎馬せきとばまで贈ったエピソードなんかは、そのことの典型だろう。

 逆に、負けたからってすぐにびるような人間を曹操は嫌うだろう。少なくとも俺の知っている三国志では、曹操はすぐに命乞いするような変節漢を、一旦は受け入れるふりをしても後で冷遇している。

「せっかくの提案だが、お断りする。私はいみじくも劉備様から三顧さんこの礼を受け、漢王朝かんおうちょうにお仕えすると誓った身。今、志も全うしないままあなたにお仕えしたならば、世の人は俺を卑怯者とそしるだろう」

 俺はキメ顔でそう言った。

「そうですの。じゃあ、さっさと死になさい」

 曹操が即答する。

「……え?」

「当然でしょう。私のものにならないなら、お前を生かしておくメリットは何一つありませんもの。このまま解放すれば、あの糞女の調子に乗った乳袋をさらに膨らませることになるだけですし。――許褚」

 曹操が手を叩く。

「はい喜んでー!」

 許褚がウキウキ顔で棍棒を握りしめ、こちらに重量感のある足音でやってきた。

 あああああああああああああああ。

 選択肢ミスったあああああああああああ。

 こんなことなら、尻尾振ってぺろぺろ曹操ちゃんの靴を舐めとくんだったあああああ。

「じゃあさようならー」

 後悔してももはや後の祭り。

 許褚が思いっきり棍棒を振りかぶり、俺は反射的に目を閉じた。

 ぐっばいママン。

 息子は女だらけの三国志ワールドでスイカになりました。かしこ。

 ガキン。

 刹那、聞こえてきたのは、俺の頭にしては鋭すぎる金属音。

 目を開けると、そこにいたのは――白馬を駆る、褐色に白銀の鎧をまとった女だった。

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