第14話

 馬蹄ばていが地面を踏み鳴らす足音が、林に潜む俺の耳にも聞こえてきた。

 張飛ちょうひは、橋の中央に馬を横向きにとめて塞ぎ、彼女自身はその前で仁王立ちの格好で敵を待ち構える。

 右手に持つのは彼女愛用の蛇矛じゃほこ

 そして、左手に持つのは――。

「そこをどけ!」

 橋のたもとに到達した曹操軍そうそうぐん先鋒せんぽうが、苛立たしげに叫ぶ。

「絶対に嫌なん」

 張飛が首を横に振る。

「何だと? 貴様一体何者だ!」

 別の曹操軍の兵士が誰何する。

 張飛は、そこで大きく息を吸い込んで、左に持った筒状の『それ』を口元に当てた。

「オレこそは燕人張翼徳えんひとちょうよくとくなり! 死にたい奴はかかってくるんよ!」

 張飛の大音声が、ビリビリと空気を震わせる。

 張飛は演武のように蛇矛を振り回し、カッと目を見開いて、曹操軍を睨みつけた。

「うっ!」

「くっ、小柄なのになんという迫力だ!」

「こ、これが、あの張飛か!」

 張飛の迫力に、曹操軍がたじろいで一歩後ろに下がる。

(よしっ。作戦の第一段階は成功だ)

 俺は頷きながら、足下に転がったページ抜けの資料集を一瞥いちべつする。

 資料集の一部を破って作った即席のメガホンは、かなりの効果を発揮したらしい。

「お、臆するな!」

「そうだ! いかに豪傑ごうけつとはいえ、敵は一人だ! 我ら全員でかかれば倒せるに決まっている!」

「しかし、張飛は劉備の寵臣ちょうしんだ。捨て駒にするはずはない。と、なれば、こいつが一人で橋で頑張っているのはおかしいだろう」

「ああ。伏兵がいる可能性がある!」

(今度は俺の出番だなっと!)

 俺はタイミングを見計らって動き出す。

 花咲か爺さんみたいなノリで、そこら中に土埃をまき散らし、つたで連結した枝を激しく動かす。

「見たか! 今、林の方で何かが動いたぞ!」

「土埃の臭いがする。伏兵だ! やはり伏兵がいるのだ!」

「早く逃げた方がいい!」

 曹操軍がにわかに算を乱し始める。

「ま、待て! もしこれが偽計だったらどうする!」

「そうだ! 騙されて帰ったら、曹操様に怒られるぞ! あの方の罰は恐ろしい!」

 それでもまだ二割くらいの兵士は、冷静にこちらの情勢を見極めようとしている。

(よっしゃ! ダメ押しだ! 張飛!)

 俺は木の枝を激しく振って合図する。

 張飛がこちらをちらりと見て頷き、馬の背にのっけてあったスマホを手にとった。

「あああああああああああああああああああああああ!」

 張飛がスマホを口に近づけて叫ぶ。

(今だ!)

 俺はすかさず足下の携帯用スピーカーのスイッチを入れた。

「「あああああああああああああああああああああああ!」」

 スマホからの遠隔通信が、張飛の声をスピーカーへと転送する。

 ただでさえ大きい張飛の声が、何倍にも増幅されてスピーカーから流れだした。

 とはいえ、そのまま張飛の声が拡大されている訳ではない。

 スマホに入れてあったパーティー用のボイスチェンジャーアプリで声を変えているので、別人に聞こえるはずだ。

 ちなみに、ボイスチェンジャーの音声のモードは『ヘリウム』。

 俺のイメージする鬨の声としては高すぎる気もしたが、かえって女の声みたいに聞こえるので、この世界ではしっくりくるかもしれない。

「うああああああああああ! やっぱり伏兵じゃないかあああああ!」

「逃げろおおおおおおおおお!」

「殺されるううううううううううう!」

 もはや、曹操軍は俺たちが伏兵を用意していることに何の疑いも抱かず、武器を捨て、取る物もとりあえず逃走を始めた。

「待たんかいね―――――!」

 張飛が馬に飛乗り、蛇矛を振り回して、彼女たちを追いかけるフリをする。

 曹操軍がやがて遠くの点になり、完全に見えなくなるくらいまで追跡した後、張飛が馬首を巡らせ、こちらへと帰ってくる。

哥哥お兄ちゃん―! オレやったんよおおおお!」

 張飛が俺に向かって手を振ってくる。

「ああ! 勝ったな!」

 俺もほっと胸を撫で下ろしながら、張飛に手を振り返した。

「あいつらピューって逃げていったん。めっさびびってたん! これで姉々たちみんな助かるん」

 俺の元までやってきた張飛がほっとしたように言う。

「そうだな。きっと劉備もいっぱいおいしいものを食べさせてくれるぞ」

 俺は娘の授業参観を見届けた父親のような気持ちで頷く。

「全部哥哥の策のおかげなん。哥哥はすごいん。まるで伝説の張良みたいやったん」

 張飛は目を輝かせて俺を見る。

「はっ、はっ、は。だろう。だけど、本物の孔明先生はもっとすごいぞ」

「そうなん? とにかく、これでかなり時間は稼げるん。後は橋を落とせば完璧なん」

 張飛はそう言うと、馬から降りて、橋の方へと近づいていく。

「おう。そうだな。――いや、待てよ」

 張飛の言葉に頷きかけて、俺は静止する。

 そういえば、演義の長坂ちょうはんの戦いって、張飛が魏軍ぎぐんを追い返しただけじゃ終わらなかったような気がする。

 確か、敵を追い返した後に張飛がやらかして、結局ピンチになってたんじゃなかったけ。そのやらかしは――。

 やっべ!

「張飛! だめだ! 橋を落としちゃ――」

「おー?」

 俺が止めに入った時にはもう遅かった。

 サクッ。

 張飛はその蛇矛じゃほこの見事な一撃で、橋の袂を一刀両断にする。

「あー、やっちまったかー」

 支えを失い、がけの向こうへとダイブしていく橋げたを見遣って、天を仰ぐ。

「どういうことなん? 橋を落としたらいかんの?」

 張飛は首を傾げた。

「説明している時間はない。急いでここを離れるぞ。――多分、曹操が追ってくる」

 俺は慌ててぶちまけた道具をバックパックにしまいながら言う。

「哥哥は心配性なんなー。あいつらちびりそうなほどびびってたん。戻ってくるはずがないん」

 張飛は俺の懸念を明るく笑い飛ばす。

「そりゃ下っ端はそうだけど、曹操は違う。曹操が俺の知っている曹操と同じくらい頭がいいなら、必ず追ってくる。とりあえず急いでくれ」

「おー。よくわからんけど、哥哥がそう言うならわかったん」

 張飛が頷き、再び馬に乗る。

 俺もその後ろにまたがった。

 馬が駆け出す。

 張飛の馬は一生懸命走っているのだろうが、関羽の赤兎馬せきとばに比べると、まるでバイクと自転車だ。別の乗り物のように遅く感じる。

 休憩を取りたいという張飛をなだめて、俺たちは不眠不休で行軍を続けた。

 日が昇り、そして、沈み、夕陽が世界を黄昏たそがれに染める頃、それはやってきた。

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