第13話

 長坂ちょうはんの橋の近くまでやってきた俺たちは、日が暮れる前に早速準備を始めた。

 まずは土ぼこりをまき散らせるように、地面を掘り返して、それをブルーシートの上にあげて乾かしておく。

 さらに木の枝を折り、つたつるで結び合わせ、俺の動きに合わせてワサワサと動かせるようにした。伏兵に見せかけるのだ。

 張飛ちょうひは俺の言うことを素直に聞いて、作業を黙々と手伝ってくれた。

「よし。これで準備は完了だ。明日に備えて仮眠をとろう。これ、使ってくれていいぞ」

 俺は丸めてあった寝袋を地面に広げ、張飛に勧める。

 正確な月は分からないが、どうやら今は秋口らしく、夜は結構冷える。あったかくした方がいいだろう。

「なんだその芋虫みたいなやつ?」

「寝袋って言って、まあ携帯用の布団みたいなもんだ。明日の主役は張飛だから、本当は俺のだけど、使わせてやる」

「おー! そうかー。哥哥お兄ちゃんは優しいなー。なんだこれふかふかだー」

 張飛は嬉しそうに寝袋に潜り込んで、顔を出したり引っ込めたりしてはしゃぐ。

「あんまり暴れるな。体力は明日にとっておけ」

「わかったんよー。んじゃ、哥哥も一緒にこれに入って眠らんけ?」

「いや、俺はいいって」

「それは困るんよ。あんなー。オレ。一人だと眠れないん。じゃけん、いつも劉姉りゅうねえ関姉かんねえに添い寝してもらってるん」

 張飛は顔の下半分を寝袋の下に隠し、頬を染めて俺を上目遣いで見た。

 なにこのかわいい張飛。お持ち帰りしたい。

 劉備と関羽が溺愛できあいするのも頷けるな。

「わかった。じゃあ俺も入るか」

 庇護欲ひごよくをそそられる張飛の姿に、俺はそう言わざるを得なかった。

 寝袋に潜り込み、俺は張飛を胸のあたりで抱きしめる。

「おー。哥哥はあったかいなー。劉姉のおっぱい枕の次にあったかいん」

 張飛は満足そうにそう言って目を閉じた。

 空には日本の街では見られなかったような数の星が瞬き、淡く俺たちを照らしている。

「なあ……。俺の見たところ、お前は普通のいい奴っぽいのに、なんであんなひどい劉備や関羽に従ってるんだ?」

 ぐうたら劉備に高慢ナルシストの関羽に比べて、張飛はまともそうだった。

「意味がわからんー。劉姉も関姉もとってもいい人なん。働いたら働いた分だけ食べさせてくれるん」

 張飛は本気で俺の言っている意味が分からないように首を傾げる。

「それは当たり前だろ?」

「そうでもないん。オレ、昔肉屋やってたん。計算苦手で大変だったけど、真面目に頑張ってたん。でも、ある日突然、お役人に逮捕されそうになったん。豚の肉と嘘ついて狼の肉を売ったって言われたん。でも、オレそんなことしてないん。肉を仕入れた人はちゃんと豚だって言ってたん」

「つまり騙されたってことか」

「そうなん。そんで、住んでた街を逃げ出して、色んなとこをぶらぶらして食客をやってたん。いつも一番前で命張って頑張ったんよ。でも、オレ口下手だからやったことを上手く説明できないん。だから、いつも手柄を調子いい奴に持っていかれるん」

世知辛せちがらいな」

 誠実な者ばかりが得をするとは限らない。

 だから人は皆、嘘が上手くなる。

「辛いん。で、ある時、命令されてやった殺しをオレだけのせいにされたん。肉の時とはくらべものにならないくらいたくさんの兵隊がオレを追っかけてきたん」

「やばいじゃん」

「その時はほんとにやばかったん。でも、逃げ込んだ先の酒場で、劉姉と関姉に出会ったん。二人ともオレの言うことを信じてくれて助けてくれたん。三人で兵隊をぼっこぼこにして追い払ったん。その時から、二人はオレの恩人で姉様なんよ」

「そうか……。苦労してるんだな」

 こっちの世界に来てから初めての三国志っぽい人情話に、俺はちょっとうるっときた。

 劉備と関羽にもいいところはあるんだな。

「ようわからんけど、今は幸せだからそれで十分なん」

 張飛は無邪気に笑った。

「そうか。張飛には夢はあるか?」

 劉備と関羽にも同じようなことを聞いたのを思い出し、俺はふと問う。

「んー? このまま、劉姉と関姉とずっと一緒にいれて、たまにおいしい物が食べられればそれでいいん」

 健気けなげ

 健気だよこの子。

「よしっ。わかった。明日は俺が張飛に立派に功績を立てさせてやるからな。殿しんがりを立派に務めれば、劉備も関羽も喜んでいいものたくさん食べさせてくれるだろ」

「おー」

 俺が頭をでると、張飛が拳を上げて応えた。

 この世界にきてから初めて、俺はちょっとやる気になっていた。


   *


「哥哥ー。哥哥ー。起きるん」

「ん……」

 癒し系ののんびりボイスに起こされて、俺はゆっくりと目を開けた。

 まぶしい朝日が目に飛び込んできた。

「多分もうすぐ敵がくるん。ドタドタ音がするんよ」

 地面に耳をつけた張飛が言う。

「なにっ。そうか! よっしゃ! 張り切って行くぞ!」

 眠気が一気に覚めた俺は、寝袋から這い出て、気合を入れる。

「頑張りたいん。でもなー。あんなー。一つ問題があるん」

 張飛が頷いて、力なく言う。

 そういえば、昨日に比べてどことなく今日の張飛には元気がない。

「問題? なんだ? まさか病気とかか?」

 俺は心配して張飛を見つめる。

「違うん」

「じゃあなんだ!」

「お腹減ったん」

「は?」

「じゃけん、オレとってもお腹が減ったん。お腹が減ったら力が出ないん」

 張飛がそう言って腹を押さえる。

 お前はどこぞのアソパソマソか。

「いやいや。今そんなこと言ってる場合か? しばらく我慢してくれよ」

「無理なものは無理なん。お腹減ったらどうしようもないん。オレはそういう女なん」

 張飛はすねたようにしゃがみこんで言う。

 ああ! これだから幼女は!

 ころころと気分が変わる!

 あっ、そういえばアレがあったな。

「じゃあ急いでこれ食べろ! 食って元気出せ」

 俺はパーカーのポケットからガムを取り出して、銀紙をとって張飛の口に突っ込む。

「モグモグモグ。――これなんなん!? 甘いん! おいしいん! もっと欲しいん!」

 張飛がにちゃにちゃガムを噛みながら催促してくる。

「ああ。食え。おかわりもいいぞ」

 俺は残りのガムを片っ端から張飛の口に突っ込んでいく。

「ゴックン。おいしかったん」

 俺が止める暇もなく、張飛はガムを呑み込んでしまった。

 まあいい。

 別にガムを食っても死にはしない。

「よしっ。これでいけるな」

「ちょっと元気出たん。でも、これ腹にたまらないん。だから十割の力は出せないん」

 張飛が自信なさそうに言う。

「んなこと言っても、もう食いもんねーから。俺の後に続いて今できるマックスの声で言ってみ? 『われこそは燕人張翼徳えんひとちょうよくとくなり! 死にたい奴はかかってこい!』 はい!」

「オレこそは燕人張翼徳なり! 死にたい奴はかかってくるんよ!」

「まだまだ! 張飛はもっとできる子だろ!」

「オレこそは燕人張翼徳なり! 死にたい奴はかかってくるんよ!」

「もっと熱くなれよ! 血潮燃やしてけよ! YEAH!」

「オレこそは燕人張翼徳なり! 死にたい奴はかかってくるんよ!」

 張飛が声を張り上げる。

 腹筋を鍛えてるからか、確かにかなりでかい声だ。

 俺が全力で声を張り上げても、張飛ほどの音量は出ないだろう。

 でもこれで魏の軍勢をびびらせられるかと言われると自信がない。

「だいぶ良くなったけど、もうちょっと声出ないか?」

「無理なん。これが限界なん」

 張飛が首を横に振った。

「やっべ。どうすんだよ。こんな張飛で本当に大丈夫か?」

 俺は嫌な汗が額から流れてくるのを感じていた。

 そもそも、俺の知っている男の張飛とこの少女の張飛では骨格が違うのだから、声量に違いがあるのも仕方ないのかもしれない。

「馬の足音が近づいてきたん! もう時間がないん!」

 張飛が橋の向こうを指して叫んだ。

「ちょっと待って! 何かないか! 何か――」

 俺はバックパックをひっくり返し、使える物がないか探す。

 まず転げ出てきたのは、スマホに携帯用のスピーカー。

 次に目に留まったのは、大判で厚手の紙でできた歴史の資料集だった。

 瞬間、俺の脳裏に電流が走る。

「いける! いけるぞ! 張飛! 今から俺が渡す物を二つ持って配置につけ!」

「わかったん! で、オレは何を持っていけばいいん?」

「それは――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る