第12話

「そ、そんな」

「もう追いついてくるなんて!」

「曹操は手に入れたばかりの領地を安定させるのに忙しいはずじゃなかったのか!」

 さざ波のように民間人の間に動揺が広がっていった。

「皆さん! 落ち着いてください! 騒いでも、かえって隊列が乱れ、行軍速度が遅くなるだけです!」

 劉備りゅうびが民間人に呼びかける。

「劉備様。明らかにこれは一刻の猶予もない切迫した事態です。劉備様におかれましては、明日の大業を成し遂げるため、速やかに人々を捨てて、お逃げになるべきです!」

 一人の家臣かしんが、劉備の前に平伏してそう進言する。

「何を言っているのですか! そもそも、大事を成し遂げるには必ず人間を基本とするものです! 今、その人々が私を慕って新野しんやからついてきてくれたというのに、見捨てて行くことなんてできるはずがないでしょう!」

 劉備は激昂げきこうして叫ぶ。

「おお! 劉備様!」

「そこまで我らのこと……」

「一生ついて参ります」

 民間人が劉備の言葉に感動したのか、一斉にすすり泣き始めた。

 屑の劉備だと思っていたのに、まさかこんな聖人じみた発言をするとは、俺的にはこれはちょっと予想外の展開だ。

「皆さん。泣かないで。私が必ず何とかしますから、元気を出してください。――関羽かんう、孔明先生、詳しく状況を報告してください」

 劉備はそう言って脇道にそれ、民間人と距離をとってから、俺たちを呼び寄せる。

「さっきのは名演説だったな。てっきり民衆を捨てて逃げ出すかと思ってたのに、俺、ちょっとお前のことを見直したわ」

「当たり前でしょ! 民がいなきゃ、逃げて行った先で誰が私にタダ飯を食わせてくれるって言うのよ! 畑を耕すにも、布をるのにも、労働力は不可欠なんだからね!」

 劉備がささやき声で言う。

 前言撤回。

 やっぱだめだこいつ。

 あくまでニートライフを譲るつもりはないらしい。

「しかし、姉上。実際どうするおつもりですか。行軍速度的に敵は騎兵だけだから、数は大したことないだろうけど、非武装の人間を抱えたボクたちだけではどう考えても太刀打ちできませんよ」

「そ、そうね。確か、私の軍に、劉表の後継者争いに負けて身を寄せてきた劉<7426>って娘がいるじゃない? 曹操そうそうと交渉するフリして、あの子を使者として差し出したら時間を稼げないかなー、なんて」

 劉備が額に汗をにじませながら、自信なさげに言う。

「さすがは姉上ですね。まあ、それをやったら曹操がブチ切れて、劉琦りゅうきは殺されるでしょうが、一人の犠牲で我々全員が助かるなら安いものです。劉琦も後継者争いで敗れて、どのみちこの先いいことないでしょうし、姉上を助けるための自己犠牲の死なら、勇士として名が残ります。このまま負け犬として朽ちていくよりは、いい死に場所でしょう」

 関羽が賛同するように頷く。

 おいおい。ちょっと待て。

「つまり、お前ら! 劉琦を生贄いけにえに捧げようってか!? どんだけ鬼畜なんだ!」

 俺は抗議するように叫んだ。

「わ、私だって本当はこんなことしたくないけど、どのみち劉琦は病気でもう数ヶ月も持たない命よ! なら、かっこいい死に場所を与えてあげるのも優しさだと思わない?」

 劉備は言い訳するように言ったが、さすがに罪悪感があるのか、声が震えていた。

 確かに、正史でも演義でも劉琦は病没してるから、多分劉備の話は嘘ではないのだろうが……。

「でもさすがにそれは、寝覚め悪くなりそうだしやだなあ。っていうか、そもそもこういう事態を想定して作戦練ってないのかよ。劉備、昨日俺に、自分たちは傭兵のプロだからシビアな状況判断が得意って、ドヤってただろう」

 俺は劉備にあきれ顔で問う。

「うっ、うるさいわね! 私だって、まさか新しい領地を手に入れた曹操が、そこを完全に掌握しょうあくする前に深追いのリスクをおかしてまで、雑魚傭兵団の私たちに全力出してくるなんて思わなかったのよ! これだから曹操は嫌いだわ! あいつってほんと陰湿! っていうか、そんなに私の案を非難するなら、あんたが対案を出しなさいよ。バーカ!」

 劉備が逆切れして地面につばを吐き出した。

 きちゃない。

「ふむ。対案と言えば、天人。さっき、ボクに『俺の知っている歴史では何とか切り抜ける』とかなんとか言っていたな。つまり、貴様は、この状況の打開策を知っているのではないのか」

 関羽がふと思い出したように言う。

「い、いや、それは……」

 確かに俺は知ってる。知ってはいるけど、こんな常識はずれの三国志に、俺の知識を当てはめて大丈夫なのか?

 かなり不安だ。

「それマジ? ちょっと天人くーん。詳しく話を聞かせてくれるぅー?」

 急に猫撫ねこなで声になった劉備が、俺の隣に馬を横づけしてヘッドロックをかましてきた。

 おっぱいが頭にぎゅうぎゅう押し付けられる。

「い、いや、知ってるけど、俺の記憶だと、ここで活躍するのは張飛だからな。孔明じゃないぞ」

「おー、オレか?」

 話の内容についてこられず、それまでぼーっとしていた張飛が顔をほころばせる。

「ああ。そうだ。張飛が、長坂ちょうはんの橋の前で、の軍を大声で一喝してびびらせるんだ。それで魏の軍は尻尾を巻いて逃げていく」

「はあ!? そんだけ? 確かに長坂に橋はかけられてるけど……」

「にわかには信じられないな。いくら魏の兵士が腰抜けばかりとは言え、そんなに上手いこといくなんて、都合がよすぎる」

 劉備と関羽は顔をしかめた。

「一応、事前に張飛が橋の近くの林のところで土ぼこりを舞わせて、伏兵ふくへいがあるように見せかけたから、魏の軍が孔明の計略だと思って引いた、っていう説もある」

 俺は演義の話を思い出して、付け加える。

「それならばまだ納得できないこともないが」

「うーん。どう、張飛。天人あまとが言ってるようなこと、できると思う?」

 劉備が張飛の方に視線をやって確認する。

「オレ、難しいことはわかんないけんどなー。姉々ねえねえたちのためなら、オレ、命を懸けても嫌じゃないんよ」

「張飛! なんていい子なのかしら!」

「さすがはボクの義妹だ!」

 劉備と関羽が、左右からわしゃわしゃ張飛の頭を撫でた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ガチでやる気か? 俺の話は、あくまで俺の世界の、めっちゃでかくて怖いおっさんの張飛を前提としてるからな……。正直、こんなかわいらしい奴を一人で行かせていいものか」

 張飛の無邪気でつぶらな瞳を見つめていると、俺はどうしても不安に駆られてしまう。

「天人。何言ってんの? 姉の私が、かわいい妹の張飛を一人で行かせる訳ないでしょう。もちろん、発案者のあんたも一緒に行くのよ。責任もって張飛と一緒に殿しんがりを務めなさい」

「は?」

 俺はぽかんと口を開けて劉備を見る。

「当然だろう。――張飛。いざとなったら、天人をおとりにして逃げろ。こいつは馬に乗れないから、生贄にするにはもってこいだ」

 関羽が真面目な顔でそう張飛にそう言い聞かせる。

「おー。わかった。じゃあ、哥哥お兄ちゃん、いくかー」

「『わかった』じゃない。ちょっと、ちょっと、タンマ。タンマああああああああああ!」

 俺が抗弁する暇もなく、張飛は俺の足を掴み、強引に赤兎馬から引きずり降ろして彼女の馬に乗せる。

 赤兎馬からポニーみたいな馬に乗り換えた俺の視点は、一気に低くなる。

「皆さん! 話はまとまりました! 私の血肉のように大切な義妹・張飛と、彼を味方にすれば天下も夢ではないという孔明先生が、殿として敵を防いでくださいます。ですから、皆さんは安心して行軍を続けてください!」

 劉備が間髪入かんぱついれず、避難民たちにまるで既定事項であるかのごとくアナウンスして、俺の逃げ道を塞ぐ。

 こうして俺はドナドナの子牛的な心境のまま、張飛の馬に揺られてもと来た道を引き返すはめになったのだった。

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