第11話

 それから半日ほど経って、日も暮れ始めた頃、赤兎馬せきとばが動きを止める。

「ついたぞ。早く荷物をまとめろ」

 関羽かんうが前方を顎でしゃくった。

 その先には、草庵そうあんと呼ぶにふさわしい、粗末そまつな板で囲われた家があった。

 どうやら、ハリボテの外壁の中に、すっぽり俺の部屋が収まっている形のようだ。

 規模からいって、やはり家全体が召喚された訳ではないのだろう。つまり、俺以外の家族は無事そのまま現代にいるということだ。

「わかった」

 俺は赤兎馬から降り、慣れない乗馬で痛くなったケツをさすりながら、草庵へ向かう。

 軋む木戸を開けると、その先には見慣れたドアノブがあった。

「ふう。よかった。とりあえず誰にも荒らされてないな」

 部屋は、俺が出て行った時の状態そのままで保存されていた。

 逆に、孔明さんがいた痕跡は跡形もなく消えている。

 変な魔法陣も、儀式に使ったアレコレも、もちろん孔明先生の遺体も、きれいさっぱり消滅していた。

(そうそう都合よく帰れる訳ないか)

 抱いていたかすかな期待を振り払い、俺は現実的な荷造りの作業をすることにする。

 まずは寝間着から、まともな外出用のジーンズとフリースに着替え、上からパーカーを羽織る。それから、旅行用の大きめのバックパックに手当たり次第衣服やブルーシートなど、放浪生活で使えそうなものを詰め込む。

 余ったスペースには、現代にいた時には見向きもしなかった教科書を入れた。

 そこに書いてある知識が何かの役に立つかもしれないし、この世界では、書物はすごく希少なもののはずだ。現代とは価値が違う。

(こんなことなら、無理して三国志を買っておくんだったな)

 ファンとしては失格かもしれないが、俺は三国志の『正史』も『演義』も所持していなかった。何といっても高校生の小遣いなど限られており、全ての三国志グッズを収集するなど不可能なのだ。

 優先順位を考えた末、俺は三国志の本の方は図書館にいけば大体どこにも置いてあるので、自分で買わなくてもいつでも読めるから後回しにしていた。反面、ゲームやフィギュアといった買わないと楽しめない物に優先的に金を注ぎ込んでいたのだ。

(パソコンは……使えないな)

 俺のパソコンはデスクトップ型だからかさばり過ぎるし、ノートのようなバッテリーの充電もないのだから、持って行ったとしてもただの箱だ。

 その代わり、あまり幅を取らないスマホは持っていく。これも充電分が切れれば、役立たずの代物に変わってしまうが、しばらくは未来人の証明としては使えそうだし、もしかしたら、電波がつながって、現代と交信できるのではないかという淡い期待もある。携帯用の充電器があるので、電池がある内は持つだろう。

(ついでに、これも持っていくか)

 スマホの近くに置いてあった、ポケットサイズの携帯用ワイヤレススピーカーをバックパックに突っ込む。ワイヤレススピーカーを携帯につなげて、この現実になってしまった三国志世界で、それっぽい音楽を聞くのも悪くない。

(食料は……ないんだよなあ)

 夜食代わりに摘まんでいたポテチは張飛に食いつくされた。

 あと残っているのは、眠気覚ましのミントガムくらいだ。

 それでもないよりはマシだということで一応、パーカーのポケットに突っ込む。

「こんなもんか。っと――忘れてた」

 俺はバックパックを背負い、部屋の三国志フィギュアを収めた棚の『しょく』の段から、孔明のフィギュアを引っ掴み、お守り代わりのストラップとしてスマホに結び付けた。

(関羽にこれ見せたらどういう反応するだろ)

 好奇心からそんなことを思い、孔明の隣にあった一つのフィギュアを手にする。

「お待たせ。準備完了だ」

 こうして俺は草庵を出て、関羽の元に戻った。

「終わったなら、早く乗れ」

「ちょっと待ってくれ。ここまで送ってくれたお礼に、お前にこれをやるよ」

 俺は関羽に、片手に握ったフィギュアを差し出す。

「なんだこの超絶強そうな美男子は。神か?」

 関羽はそれを受け取り、しげしげと眺めて言った。

「俺の世界の関羽」

「ほう。さすがボクだな。まあ、一応貰っておいてやろう。さあ、さっさと姉上たちを追いかけるぞ」

 関羽はそう言って、フィギュアをかんざし代わりにお団子ヘアに挿す。

 俺が乗るのを待って、赤兎馬はまた猛烈な勢いで走り出した。


   *


 日が暮れるまで走り、野宿で一泊。

 日の出と同時に叩き起こされ、俺は関羽と共に劉備の後を追った。

「まずいな……」

 出発地点の新野しんや駐屯地ちゅうとんちに差し掛かった時、関羽がぽつりと呟いた。

「なにがだ?」

「あれを見ろ」

 関羽が遠くを指さす。

 俺には普通の陽気なお空にしかみえない。

「何にも見えないんだが」

「ちっ。軟弱者なんじゃくものが。遠くに土埃が見える。あの巻き起こり方は馬によるものだ」

 関羽が断言した。

 どうやら関羽は俺よりずっと視力がいいらしい。

「つまり、追手か? 曹操の。それってかなりやばいぞ!」

「知ってるのか?」

 関羽がまゆをひそめる。

長坂ちょうはんの戦いっていう有名な劉備の負け戦だよ。俺の知っている歴史ではなんとか切り抜けるけど、この世界では色々事情が違うから、しのげるか分かんねえぞ! 下手すれば全滅だ」

 俺は危機感をつのらせて言った。

 割と劉備は準備万端な感じで逃亡計画を練っていたみたいだったから、えて突っ込まなかったんだが、やっぱり避けることはできないのか。

「ともかく、姉上に報告だ。緊急事態だからお前のことを気遣ってノロノロ赤兎を走らせている訳にもいかない! 振り落とされるなよ! 落とされたら置いていく!」

 関羽が一方的にそう宣言して、手綱を握りなおす。

「ええー。ちょ、じゃあ、お前に抱き付いてもいいか!? 今のままじゃ不安定すぎる!」

 鞍を掴んで何とか耐えてきたけど、正直手もかなり疲れてきた。

「ちっ。仕方ない。ボクの腰に手を回すことを許可する! いいか、腰だけだからな」

「わかった」

 俺は言われた通りに関羽の腰に手を回し、抱き付いた。

(ああ、関羽の背中とってもあったかいナリぃ)

「じゃあ、いくぞ!」

 抱き付いた瞬間こそそんな色ボケたことを考えていたが、すぐに余裕がなくなる。

 重力を感じるほどの加速度で、赤兎馬は街道を駆けた。

 俺は振り落とされないようにするだけで精一杯で、景色を見る余裕もないまま、歯を食いしばる。

 全く休憩を挟まないまま、半日赤兎馬は走り続け、やがてようやくその速度を緩めた。

「見えた! 姉上たちだ!」

 関羽が叫ぶ。

 彼女にやや遅れて、俺にもその集団が目に入る。

 劉備が率いる一団は、軍というよりは、避難民と言っていい様相ようそうていしていた。

 老若男女ろうにゃくなんにょ、非武装の民間人がのろのろと歩を進めている。

 その合間合間に兵士が入り、周囲に目を光らせていた。

「関羽、孔明こうめい先生! お戻りになりましたか!」

「おー! 関姉かんねえ―!」

 白馬に乗った劉備と、ポニー並みに小柄な馬に乗った張飛が、こちらに向かってくる。

「姉上! 大変です! 曹操軍が軽騎で追撃してきます! 明日の朝には追いつかれてしまうかもしれません!」

 関羽が早口で劉備に報告する。

 近くにいた女性が悲鳴を上げ、彼女の抱いていた赤子が泣き出し始める。

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