第10話

「おー、これがあの赤兎馬せきとばか」

 関羽かんうに案内されてやってきた厩舎きゅうしゃで、俺は感嘆の声をあげた。

 三国志で最も有名なその馬は、噂に違わず立派だった。

 俺の知っている普通の馬よりも、さらに二回りくらいはでかく、サラブレッドのような美脚でありながら、その肉付きは農耕馬のように厚い。馬というよりは、『赤兎』の名のついた別種の生き物のようだ。

「光栄に思うがいい。赤兎が人間を乗せるのは、呂布りょふとボクに続いて君が三人目だ。あ、それからボクの身体には指一本も触れるな。特に髪はダメだ。もし、ボクの髪に枝毛が一本でもできたら、殺すからな」

 関羽は赤兎馬の胴体に鞘にしまった青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうをくくりつけ、さらにそれにまたがりながら、何度も念入りに俺に釘を刺す。

 今、関羽は長髪をお団子だんごヘアにまとめているので、接触する心配はないと思うが、なんかこういうところはかなりナルシストっぽいな。

「わかった。わかった」

 俺もよじ登るようにして、赤兎馬の背中にまたがる。

 馬の息遣いが、振動となって腰に響いた。

 ちなみに、今俺は裸足ではない。

 劉備りゅうびがくれた草鞋わらじを履いている。

「それじゃあ、行くぞ! はっ!」

 関羽が手綱たづなを引く。

 瞬間、景色が流れた。

 息を吸って吐くほどの時間でもう駐屯地ちゅうとんちを飛び出し、街道に出る。

 そこでさらに赤兎馬はスピードをあげた。

 肌で直接風を感じてるせいで、体感速度が上がっているのかもしれないが、一般道を走る自動車と変わらないくらいの速度が出てるように思える。

 俺は振り落とされないように姿勢を低くして、鞍の出っ張りを強く握った。

「おい。天人あまと

 駐屯地が見えなくなった頃、ふと関羽が口を開く。

「ん?」

「暇だ。何か話せ」

 関羽は前を見据えたまま呟く。

「んー。じゃあ、一つ質問させてくれ。この世界の武将は、何で女ばかりなんだ? 普通、戦することを考えたら、男の方が有利だろう。体力的に」

「……貴様、本気で聞いてるのか?」

「本気だよ。俺の知ってる三国志は熱い漢の物語なんだよ。なのにこの世界ときたら、武将も兵士もほとんどが女ばかりじゃないか。これは一体どういうことなんだ? 聡明そうめいな関羽さんならもちろん知ってるよな」

 もちろん、男が皆無という訳ではない。

 女が七に対して三くらいの割合で、男もいることはいる。

 でも、なぜか男の武将はみんな、武官じゃなくて文官っぽいのが多いのだ。

「当たり前だ。そんなこと、ボクじゃなくてもそこらへんの子どもだって知ってる。事の起こりは前漢の初め。恵帝けいてい御世みよのことだ。中華全域に、恐ろしいやまいが流行った。『根断ねだちの病』と呼ばれるものだ」

「根断ちの病?」

「ああ。その病は男だけに感染する厄介やっかいな性質を持っていて、致死率も極めて高かった。運よく病から生き残った男も、多くは生殖機能に障害が残ってしまってな。そのせいで宦官かんがんが異様に増えた。そのことが、前漢が衰退した原因の一つであると言われているな」

「へえ。でも、そんな病気だけで女が戦場に出るようになるか? 俺のイメージでは、この時代の中国って、めっちゃ女性の地位が低かったはずだけど」

 俺の知っている三国志は、強烈な男尊女卑だんそんじょひの世界である。

 どれくらい男尊女卑であるかといえば、腹を空かせた劉備が旅先で泊まった家の主人が、劉備に食わせるものがないからと自分の妻をぶっ殺して劉備に肉を食わせてくれたことが、美談として語り継がれてるくらいに人権がない。だから、三国志に出てくる女性は大体『~の奥さん』という形式で記述され、名前すら残ってない人も多いのだ。

「ああ。ならなかった。もちろん、人材不足で下級官吏に女の登用の道が開かれることにはなったが、女を政治に関わらせるのはよくないという風潮は根強く、高位の官僚や武官は全員男が占めていた。一変したのは、前漢が一回滅んでしまった後だ」

「おっ。知ってるぞ。王莽おうもうって奴が帝位を簒奪さんだつして、各地で反乱が起きまくって中国全土がめちゃくちゃになったんだよな」

 ここらへんは世界史で習うから、三国志ファンじゃなくても知ってる話だ。

「そうだ。そこまで知ってるなら、当然、その反乱を鎮めた人物の名もわかるな?」

光武帝こうぶていだろ?」

 俺はためらわずに即答した。

「そうだ。そして、その光武帝は、女だったんだ。光武帝は、当時はタブーとされていた女性を軍団に組み込む方法で勢力を拡大し、他を圧倒した。光武帝が政権を獲得した後は、儒者じゅしゃどもを使って、色々理論をこねくりまわして、女性が出世することを正当化した。当然だな。光武帝自身も女なんだし、政権樹立の立役者もほとんどは女の臣下しんかなんだから、そうせざるを得ない。以降は、女が出世するのも、軍団を率いるのも、その権利は男と全く同等となった」

「ふーん。そしたら、むしろ一層、男の軍団の優位性が高まると思うんだけどな」

 希少価値というか、少数精鋭の男の軍団なんかがいたら無双できそうだけど。

「その後も何回か『根断ちの病』は流行したからな。禁軍ですら男だけの軍隊を作る余裕すらなくなったんだ。それに、病の流行った後に生まれる男はなぜか虚弱体質の奴が多くてな。実際、戦場に出しても使いものにならん場合が多い」

「くっそこえーな。その病気」

 マジで世界を滅ぼすレベルじゃん。

 俺の知ってる三国時代も度重なる戦乱でかなり人口が減ってたはずだけど、こっちはその比じゃなさそうだ。

「怖いさ。だから、今では男で有能な者が出ても、まず武辺の者は目指さない。一族の者も、国の者も、みんな文官になるように勧める」

「貴重な男を戦場に出して殺す訳にはいかないって訳か」

「そういうことだ。お前が成り代わった孔明なんかは、まさにその典型だろうな」

「でも、孔明さんは俺が来るまでは誰にも仕えてなかったんだぜ。それだけ男が貴重なら、もっと早くに劉表りゅうひょうとか曹操そうそうとかから重用されていてもいいのにな」

「そういうものだ。男で有能な軍師となれば、貴重だからみんなから注目される。だから、男の文官はみんなもったいぶって自分を高く売ろうとするんだ。有能な男の文官を抱えている女の君主はそれだけでステータスになるからな。姉上が貴様に期待しているのもそこだ。決して、貴様の実力を買った訳じゃないから、勘違いするなよ」

 関羽が嫌悪感を滲ませて言った。

「孔明さんはそんなケチな了見は持ってなかったと思うけど、とりあえずこの世界の事情は納得したよ。ありがとう」

 あの本物の孔明さんが史実より早死にだったのも、その病気が原因なんだろうか。

 つーか、俺は大丈夫だろうか。

 童貞のまま一度も使わずに『根断ち』されるなんて絶対に嫌なんだけど。

「その反応を見るに、貴様、本当に異界からやってきたんだな。じゃあ、未来の人間だという話も本当なのか」

「だからそうだって言ってるじゃん。いい加減信じてくれよ」

「そうだな。じゃあ、お前が未来人だと信じて、質問してやる。正直に答えろよ」

 関羽はそこで、初めて俺を振り返って問うた。

「なんだ?」

「未来での、私たちの評価はどうなっている? 歴史書に名は残っているのか?」

「めっちゃ残ってるよ。俺が来たのは、大体千八百年後の未来からだけど、そんだけ時間が経っていてもみんなから愛されているんだぞ。あんたらの名前は」

 俺は尊敬の念を込めて告げる。

 外国の物語で、三国志ほど日本人に愛されたものは他にはない。

「そうかそうか。やはり、英雄たちの熱い闘いの物語はいつの時代でも人を引き付けるものだからな。――それで、一番有名なのは誰だ?」

 関羽は満足げに頷いて、質問を重ねてきた。

「んー。それは一人に決められないなー。曹操も、劉備も、呂布も、関羽も、張飛ちょうひもみんな同じくらい有名人だよ」

 俺はちょっと悩んでから、正直にそう答えた。

「では一番人気は誰だ? 人々から愛されている英雄は?」

 関羽が鼻息あらく言う。

 何をそんなに興奮しているんだこいつは。

「これも人それぞれだけど、一番人気はガチで関羽じゃないかな。おべっか抜きで」

 俺的な一番人気はもちろん孔明だ。

 だけど、この世界の孔明はもう死んでしまった。

 劉備も当然人気だが、演義の劉備は聖人君子せいじんくんし過ぎて、正直面白みにかける。

 西遊記さいゆうき三蔵法師さんぞうほうしよりも孫悟空そんごくうの方が注目されるみたいに、配下の張飛とか関羽の方が、キャラが立ってるのだ。

 昔の中国では張飛が一番人気だったらしいけど、今の時代なら諸々総合的に考えると、関羽という結論になるんじゃないだろうか。

「ふふふ、やはりそうか。ボクが一番なんだな。ふふふ」

 関羽が勝ち誇ったようなにやけ面を浮かべて呟く。

「言っておくけど、人気なのは、俺の世界の男の関羽だからな。マッチョで、いかつい顔で、『美髭公びぜんこう』って呼ばれてる」

 俺は一応、そう注意する。

「性別などはどうでもいいんだ。毛のことなら、ボクだって『美髪公びはつこう』って呼ばれてるしな。そうか。やはり、ボクは古今無双ここんむそうの英雄になる運命だったんだな。ボクの夢は間違ってなかった」

 関羽は確信に満ちた声でそう言って、何度も頷く。

「夢? そういえば、関羽の夢ってなんなんだ?」

 俺の知っている三国志の関羽は、劉備を助け、漢王朝を復興し、民を安んずることを目標としていた。だけど、こっちの劉備が一生涯ニートライフを目標としている人間な以上、関羽の夢も変わってこざるを得ないだろう。

「もちろん決まっているだろう。ボクの夢は天下で一番の有名人になることさ。だって、当然だろう。これだけ、美しくて、頭もよくて、超絶強くて、性格もいいボクは、それにふさわしい名声を得るべきだ」

 関羽が真顔で答える。

「向上心も悪くないけど、だったら、何で超劣勢の劉備軍にいるんだよ。確か、関羽って一回、曹操に捕らわれて配下にならないかって熱烈なアプローチを受けていたよな。なんでそっちにいかなかったんだ? 勝ち馬だぜ?」

「ふん。考えてもみろ。曹操軍じゃ、有能な人材が多すぎてボクのすごさが目立たないだろう! 反面、姉上の軍隊ではボクに勝てる人間なんて一人もいないからな、活躍の機会が多い!」

 関羽は俺の疑問を鼻で笑いとばす。

「そっかー。それに、劣勢の君主に忠義を尽くして大活躍する方がかっこいいしな」

 俺は適当に関羽に合わせて言う。

 やべえ。関羽も劉備とは別方向で屑だ。

 本当に大丈夫か、この三姉妹。

「そういうことだ。天人も少しは英雄について分かっているようだな」

 関羽は頷いてキザな笑みを浮かべると、また前を向く。

 赤兎馬がさらに速度を上げて、山道へと突っ込んでいった。

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