第9話

 つまり、『俺たちには孔明たちがついてるんだぜ!』とに対して威張りたかったということか。

 でも待てよ。劉備りゅううびが呉と同盟したがってるっていうことは。

「じゃあ、お前は呉と結んで曹操そうそうと戦うつもりなんだな! そうだろ!?」

 俺は立ち上がり劉備に詰め寄った。

 散々俺の知っている三国志をめちゃくちゃにしてくれたけど、これは『赤壁せきへきたたかい』フラグじゃないか?

「はあ? 戦わないわよ。あんたも初めて会った時に言ってたでしょ。『曹操はとても対等に戦える相手じゃない』って。その通りだわ。あんたは曹操の領土は中国の半分って言ったけど、国力から言えば、中国の七割は曹操のもの。呉と比べても三倍以上の力があるのよ。こんなしょっぼい新野しか持ってない私が呉と同盟結んだところで、勝てる訳ないじゃない」

 劉備はきっぱりとそう言い切った。

「くそー。夢も希望もないこと言いやがって」

 確かに劉備の意見はかなり現実的だったが、三国志を知っている俺としてはあまりにもロマンがない。

「当然でしょ。そこらへんの状況判断が的確に出来るから私たちは生き残ってこれたのよ。私たちが何年傭兵稼業やってきたと思ってんの?」

「はあ。じゃあ、何でお前は呉と同盟なんてしようと思ったんだ?」

 史実で劉備が呉と結んだのは、曹操と戦うためだった。

 だけど、今俺の目の前にいる劉備は曹操と戦わないと言う。

 だったら呉と同盟を結ぶ必要なんてないはずだ。

「正確には呉と同盟するフリね。あんたも知ってるかもしんないけど、もう曹操の軍勢はすでにここからほど近い、荊州けいしゅう襄陽じょうようにまで迫ってるわ。太守の劉表りゅうひょうは病死して、チキンな二人の娘たちは後継者争いの状態よ。あいつらの臣下は日和見ひよりみばっかりだから、多分速攻曹操に降伏しちゃうだろうし、もし万が一彼らが抗戦したとしても、勝てる見込みはゼロ。襄陽を落としたら、曹操はすぐ、この新野しんやにもやってくるわ。だから、今私たちは逃亡の準備中なの。その逃亡の計画に、呉の協力が必要って訳」

「逃げるってどこにだ? 江夏こうかにか?」

 俺は自分の知識に従って問う。

 過程は色々違うが、劉備が曹操に追われて江夏に逃げるのは、おおむね史実通りだ。

「ええ。私が呉との会談を取り付けた場所が江夏だから、一時的な目的地はそうね。でも、私たちが最終的に目指すのは、もっと南よ」

「南?」

 俺は首を傾げる。

「つまり、中国の外よ。南越国なんえつこくとか、あのあたり。さすがに中国の外に出ちゃえば、曹操だって追ってこれないでしょう」

 たしか、南越国とは、俺の時代でいうベトナムとかのことだ。

 つまり劉備はもはや中国を捨て、三国志の外の世界に逃げ出すつもりなのだ。

「姉上、それは、一応極秘事項ですが」

「いいのいいの。こいつには私たち以外に頼れる奴もいないんだから、バラしたりしないわよ」

 関羽の懸念を劉備が一蹴する。

「大体わかったぞ。ここから南越国に向かうってことは、多分、川伝いだろうな。あんたらはその行軍に、呉を利用するつもりなんだな」

 質問してばっかりなのもあれなので、俺は自分で頭を働かせて推測を口にした。

 南船北馬という言葉もあるように、中国は、北は陸路で、南は水路で移動するのが一般的なのだ。

「そういうこと。呉に一緒に曹操と戦うからっていう名目で、船を貸してもらう。そんで偵察とか先制攻撃とか、適当な軍事的な任務にかこつけて呉を出立して、そのままトンズラよ」

 劉備が企むようなあくどい笑みを浮かべて言う。

「つまり、呉から同盟を名目に船を借りパクしようってことかよ。ひっでえ」

 あまりの外道過ぎる発想に俺は顔をしかめた。

 ほんと信義のかけらもねえなこいつ。

「仕方ないでしょ! それ以外に私たちの軍団を守る方法がないんだから!」

 劉備が逆切れしたように叫んだ。

「でも、そんなに上手くいくか? 呉にだって周瑜やら張昭やら、頭のいい人間はいっぱいいるはずだぞ。簡単に騙されてくれるように思えないんだが」

「大丈夫。大丈夫。私と呉のつなぎ役になってくれている、魯粛ろしゅくっていうめっちゃチョロい奴がいるから。そいつを大義云々たいぎうんぬんの名目で騙くらかしちゃえば、余裕よ。余裕」

 俺の懸念を、劉備は笑いとばした。

 魯粛さんの扱いがひどすぎる件。

 確かに演義では、関羽や孔明の引き立て役の損な役回りだけど、正史の記述を見る限りはかなり有能なんだぞ。ぷんぷん。

「はあ。了解。お前らの作戦と、俺の存在意義についてはばっちり把握したよ」

 俺はため息一つ頷いた。

 ロマンはないけど、確かに無謀な作戦ではない。

「で? どうするの? このままここに残ってのたれ死ぬ? それとも私たちについてくる?」

 劉備は試すように言った。

「わかった。とりあえず、お前たちについていくし、孔明のフリは続ける。だけど、元の世界に戻る方法が分かったら、俺はすぐにでも帰るからな」

 とりあえずここに残っていてもしょうがない。

 生きていくためにも、元の世界へと戻る情報を収集するためにも、劉備たちの逃避行とうひこうについていくのが、現実的な選択肢だろう。不満はあるが、仕方がない。

「それでいいわ。よろしくね。えーっと。……そういえば、あんたの本名聞いてなかったわね。あんた、名前は?」

「中原天人」

「ご立派なお名前ねえ。本当に神さまからの遣いみたい。まさか、それも偽名じゃないわよね?」

「本名だよ。残念ながらな」

 中原は『ちゅうげん』と読めば、三国時代においては『天下』を意味する単語になる。

 天人は『てんじん』と読めば、天界に住まう仙人の最上位級を指す。

 まあ、日本で暮らしている分には大して目立つこともない名前なのだが、この時代の基準で考えればかなりの厨二ネームかもしれない。

「そう。じゃあ、改めてよろしくね。天人。私は劉備玄徳。漢王室の末裔よ」

 劉備が冗談っぽく言って、微笑みと共に俺にウインクした。

「お、おう……。よろしくな」

 悔しいけれど、その笑顔がまぶしくて、俺は目を背けた。

 確かにこの劉備はダメだ。

 大義もないし、大志もない。

 それでも、俺は彼女の笑顔に、ほんの少しだけ名君の片鱗へんりんを感じとってしまったのだ。

 だってそうだろう。

 未来からきたなんてほざく、何の能力もない、うさんくさいタダの男である俺を、何の疑いもなく受け入れるなんて、誰にでもできることじゃないから。

 

 シュバッ。


 そんなことを考えていた俺の耳に、突如届いた風切り音。

「うおっ。あんた誰だ!」

 いつの間にか目の前に出現していた人物に、俺は思わず一歩跳び退いた。

「あら趙雲ちょううんじゃない。どうしたの?」

 劉備が片手を上げて気安く話しかける。

「え? まじかよ。これがあの趙雲?」

 俺は改めて目の前の人物を観察する。

 肌は褐色で、背は関羽よりもさらに高い。

 胸は劉備より二サイズくらいは小さいがそれでも大きい方で、顔は美形ぞろいの劉備軍の中でも、飛びぬけて美人だった。

 何というか、女優とかそういうレベルを超えて、人形のような非人間的な造形の整いっぷりである。しかし、表情に全く動きがないので、愛嬌あいきょうはまるでなかった。

 彼女の着ている純白の鎧と、褐色の肌のコントラストは美しく、まるで美術館に置かれた彫刻のような威厳がある。

 趙雲と言えば、何となくさわやかで明るい感じのイメージがあったけどだいぶ印象が違うな。

「……」

 趙雲は俺の視線をシカトしつつ、無言で二つ折りになった手紙を劉備へと差し出した。

「そう。斥候せっこうからの報告が来たのね。なになに――」

 趙雲から手紙を受け取った劉備がその紙面に視線を走らせる。

 その途端、ぱっと彼女の顔色が変わった。

「襄陽が曹操によって陥落したわ。オチオチしてたらここも危なくなる。全く噂をすれば影ってやつね」

 劉備が早口で呟く。

「おー! じゃあ、もうお出かけかー?」

「予想より早かったですね。姉上」

 張飛と関羽が意気込んで劉備を見つめる。

「ええ。だけど、想定の範囲内だわ。早く付近の住民に声をかけて、私たちについて来たい人間を集めなさい。それが完了し次第、直ちにここを出発するわよ」

 劉備がテキパキと命令を下す。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ここを発つ前に、俺をもう一度、自分の部屋に帰してくれ。ちゃんと家を調べて、元の時代に戻るヒントがないか確かめたいんだ」

 俺は慌てて口を挟む。

 寝ぼけた状態で劉備たちにここまで連行されたから、俺は自分が召喚された周りの状況を把握していない。案外、灯台下暗とうだいもとくらしで、近くに帰るヒントがあるかもしれない。

「ええ? そんなこと言っても、これから私たちめちゃくちゃ忙しくなんのよ? あんまり天人に構ってる暇ないんだけど」

「それは分かってる。だけど、部屋には衣服とか、書物とか、いくらか金になりそうな物もある。行軍の路銀の足しになるかもしれない。だから、頼む」

 このままじゃ俺は本当に一文無しの、素寒貧すかんぴんだ。

 せめて、気休め程度でも現代チート的な何かを部屋から持ち出しておきたい。

「わかったわよ。じゃあ馬を貸してあげるからさっさと行ってきなさいよ」

「悪い。俺、馬には乗れないんだ」

 劉備の提案に、俺は静かに首を振った。

「はあ? 本当仕方ないわねー。じゃあ、関羽。こいつを家まで連れて行ってあげて」

 劉備は俺に呆れたようにそう言ってから、関羽に水を向ける。

「な、なんで、ボクが? 嫌ですよ。こんな青瓢箪《あおびょうたん

》の下僕をするなんて。ボクにふさわしい仕事じゃない」

 関羽はそう言って鼻をそらした。

「何を言ってるの関羽。違うわ。むしろ、これは関羽にしかできない仕事なのよ!」

「どういうことですか?」

「だって、私の軍の中で、一番速いのは関羽の赤兎馬でしょ。そして、赤兎馬を乗りこなせるのは関羽だけじゃない。この時間がない中で、馬にも乗れないような糞もやしの送迎を迅速に達成できるのはあなただけだわ」

 劉備はそう言って、関羽の両肩に手を置いた。

「ふふん。確かに赤兎馬はボク以外の命令は聞きませんからね」

 関羽はまんざらでもなさそうに鼻を鳴らす。

「それだけじゃないわよ。今、兵士たちは出発の準備に忙しいから、天人に護衛をつけてやることはできない。けど関羽なら、道中盗賊が出ても、一人で倒せるでしょう?」

「それはそうですね。賊なんか出てきても、この青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうさびになるだけです」

 関羽が自信満々に頷いた。

 何かこの関羽チョロそう。

 俺もついでにおだてておこう。

「俺からも頼むよ。俺の世界では、関羽は『軍神・関羽』なんて呼ばれるほど有名でありがたがられてる存在なんだよ。そんな神様に送ってもらえたら俺も安心だからさ」

 俺はそう言って頭を下げた。

 もちろん、嘘じゃない。日本にも横浜、神戸、長崎など各地に関羽を祭ったびょうがある。

「神……神か。悪くない響きだ。仕方がないな。ボクが君を送ってあげよう。新入りの面倒を見てやるのも、先輩の務めだからな」

 関羽は噛みしめるようにそう言ってから、胸を張った。

「ありがとう。さすが関雲長かんうんちょう! 義の人だぜ」

 俺は調子よく適当なことを言って合わせる。

 これで何とか、一旦自分の部屋に戻ることができそうだ。

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