第7話

「そんでずっとこんな日々が続いたらいいなって思っていたところに、あの忌々いまいましい黄巾こうきんらんが勃発したのよ。んで、慌てて郷里きょうりに戻ったんだけど、私が日頃、漢王室かんおうしつに忠実な人柄を喧伝けんでんしまくってたから、みんな『当然劉備さんも出兵しゅっぺいするよね?』みたいな空気になってて、糜竺びじくに至ってはお金とか兵士まで用意してくれちゃってたから引くに引けなかったのよ」

「それで、仕方なく出兵したって訳か。でも、ほら、実際の黄巾兵の蛮行ばんこうを目の当たりにして民がかわいそうになって正義に目覚めたとか……」

 俺は最後の希望にすがるように言う。

「しないわよ。そりゃ民はかわいそうだとは思うし、賊を見つけたらぶっ飛ばすけど、私だって自分の仲間たちを食わせていくだけで精一杯だし、中国全部の民を救うなんて考えたことはないわ。顔も知らない人間のためにまで命は懸けられないわよ。そんな綺麗ごとをほざくのは現実を知らない腐れ儒者だけだわ」

 劉備りゅうびは悪びれずにそう答える。

「もういい。分かった。最後に一つだけ確認させてくれ」

 俺は首を振り、震える手で人差し指を一本、劉備に示す。

「なにかしら」

桃園とうえんちかいはあったよな? 関羽かんう張飛ちょうひと、『我ら生まれた時は違えども、死せる時を同じうせん!』ってさかずきを交わしたよな? 俺大好きなんだよ! あのシーン!」

 ここだけは。

 ここだけは絶対に譲れない。

 桃園の誓いがなければ三国志は始まらないのだ。

 誰が何と言おうとそうなのだ!

「ぷっ。なにそれ。あんたって見掛けによらず夢想家むそうかね。そりゃ関羽と張飛は、私の本性を知ってるし、最も信頼している仲間だけれど、一々そんなクサい儀式はしないわよ」

 劉備に鼻で笑われた。 

 ああああああああああああああああああああ。

 もう無理だあああああああ。

 大義もねえ!

 大志もねえ!

 桃園それほど誓ってねえ!

 おらこんな劉備いやだー。

 こんな劉備いやだー。

「ま、本当の私を知ってもらったところで、これからもよろしく頼むわよ。あんた思ったよりも使えるみたいだから、これからも私の遊人生活ニートライフのために頑張って働いてね」

 劉備は満面の笑みで、俺に握手を求めてくる。

「悪い。無理だ」

「なんですって?」

「別に漢王室は復興しなくてもいい。聖人君子せいじんくんしじゃなくてもいい。でも、民を救う気がない君主には、俺は仕えられない」

 その時だけは打算も保身もなく、本物の孔明が乗り移ったような気持ちで思わずおれはそう言ってしまっていた。

 だってそうだろう。

 本物の孔明さんは命と引き換えにしてまで、俺に後を託してくれたのに。

 仕える相手が、こんなポンコツな劉備じゃあ、あまりにも報われないじゃないか。

「そう。……仕方ないわね」

 劉備が悲しげに視線を伏せる。

「そうか。わかってくれたか」

「ええ。あんたの気持ちは分かったわ。この手だけは使いたくなかったんだけど」

 劉備はそう言って、おもむろに服の帯をほどいた。

 その大きな胸がぽろんとまろび出て、太ももの付け根はもちろん、そのすぐ上の純白の下着までもが露わになる。

「ちょっ。おまっ。いきなり何やって――」

「きゃああああああああああああああ! 関羽ううううううううううう! 張飛いいいいいいいいい! 助けてええええええええええ!」

 あたふたする俺が制止する暇もなく、劉備が金切り声をあげる。

 廊下からドタドタと足音が聞こえてくる。

「どうした! 姉上!」

「大丈夫か! 劉姉りゅうねえ!」

 ふすまが左右同時に開いて、関羽と張飛が勢いよく駆けこんでくる。

「うううううううう……。関羽、張飛。私は、汚されてしまったわ」

 劉備は口元を手で覆い、泣き真似をしながら、床に指で『の』の字を書く。

「くう! ボクがちょっと厠に行ってる隙に! おい孔明! 貴様がやったのか! この色魔しきま!」

「オレも料理番の娘が栗くれるって言うかんなー、お役目ちょっとさぼってしもうたんよ。ごめんなー。劉姉」

 関羽の青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうと、張飛の蛇矛じゃぼうが、左右から俺の首を挟み込む。

「お、おい。お前ら! 誤解だ! これは、劉備が勝手にやったんだ! 俺は関係ない」

 俺は劉備を指さして叫んだ。

「そんなひどいわ! いい計略があるからって私を言葉巧みに誘って、二人っきりになった途端、狼に豹変した癖に!」

「姉上! それは本当か!?」

「ええ。いきなり私を押し倒して、『ぐへへ、お前のここ、びちょびちょだな。漏れ出した水で池ができそうだぜ』『やめてください! そんなお水出ていません!』『へへへ、確かにこれはちょっとしょっぱいから、海水かもな。安心しな今俺のでっかいお魚ちゃんをお前の海にどっぴんしゃんのドンドコショさせてやる』『ああ、やめて、やめてください!』『抵抗しても無駄だぜ! これが本当の水魚すいぎょまじわりってやつだ!』なんて、小粋こいき故事こじを挟んだ言葉責めを織り交ぜつつ、私の初めてを奪ったのよ! こいつは!」

 劉備はしどけない格好を強調して、いかにも事後的な雰囲気を醸し出しつつ、俺の声真似をする。

「むうう。何という鬼畜の所業だ!」

 関羽が憤ってみせる。

「『水魚の交わり』をエロい意味に使うんじゃねえ! この女! ほんとに犯すぞこら!」

 ことごとく三国志の名シーンを凌辱してくれやがるヤクザ劉備に、俺はブチ切れる。

「オレ劉姉にひどいことする奴は許せないん」

「そうだな死刑だな」

 関羽と張飛がそれぞれの武器を振りかぶる。

(ああ……。ちくしょう! 孔明先生ごめんなさい)

 俺は思わず目を閉じる。

 志半ばどころか、こんな痴情の果てに殺されてしまうなんて。

 あの世で孔明先生に合わせる顔がない。

「待って。関羽! 張飛!」

 俺が諦めかけたその瞬間、鋭い劉備の叫び声が聞こえた。

 ゆっくり目を開けると、まだ俺の首の皮はばっちりとつながっていた。

「劉姉! 何で止めるんー?」

「そうです。こんな暴漢はさくっと殺してしまうのが世のため人のためです」

 張飛と関羽が、不満そうに武器を下ろす。

「こうなった以上、仕方ないわ。隙を見せた私にも責任があるもの」

 劉備は諦めたようにそう言って、ため息をつく。

「まさか、こんな変態に情けをかけられるのですか?」

「ええ。偶然、関羽と張飛がいない瞬間に、孔明先生が私の元を訪れたのも、きっと天命だわ。神様には逆らえないじゃない」

「姉上――、まさか」

 関羽が劉備の意図を察したのか、驚いたように目を見開く。

貞女二夫ていじょじふまみえず。操を奪われてしまった以上、私、孔明先生と結婚するわ」

(は? 何言ってんだこいつ)

 俺は絶句した。

「おー。劉姉。結婚するのか。そんなら、オレには哥哥お兄ちゃんができるんなー」

 張飛がどこか嬉しそうに顔をほころばせた。

「何を喜んでいるんだ張飛! そんなダメだ! 姉上! ボクは反対です。姉上とこんな青二才ではあまりにも釣り合いがとれません。こんなの、虎の娘が犬の息子と結婚するようなものです!」

 関羽が大げさな身振りと手振りを交えて反対した。

「いいのよ。孔明先生はこれからの私たちにとって、大切な御方。私の身を捧げることで協力してもらえるなら安いものだわ」

「姉上! ボク、感動しました。姉上がそこまでの覚悟を持たれているなら、ボクはもう止めません」

「わかってくれてありがとう関羽」

 関羽と劉備がひしっと抱き合う。

(なんか手際がよすぎるな。この話の流れ。まるで最初から打ち合わせでもしていたかのような……)

 劉備と関羽が阿吽あうんの呼吸で話を進めていくのはともかく、もし本当に劉備が俺に乱暴されたと思ってるんだったら、関羽たちはもっと彼女のことを心配するはずだ。

「と、いうことだ。姉上の四海よりも広い寛大さに感謝して、謹んで夫となるがいい。もし、断れば――後は分かるな?」

 関羽が俺の鼻先に青龍偃月刀を突きつける。

(こいつら、初めから孔明が仕えるのを拒否するのを想定して計画を練ってやがったな)

 今更ながらに気が付く。

 俺――というか、孔明という有能な存在を自分の陣営に無理矢理引き入れるためだけに、劉備は美人局的つつもたせてきな手段を使ったのだ。

 全く破天荒というか、DQNすぎる。

「そういうことよ。これからよろしくね? 旦那だんな様。あっ、でもしばらく寝室は別でお願い。私ってとっても恥ずかしがりやだし?」

 劉備が勝ち誇ったような顔でそう言って、俺の胸を足先で小突いてくる。

 俺も男だ。プライドがある。

 いや、それ以前に、諸葛亮孔明の威名いめいをこんなふざけた茶番で汚したくない。

 このままでは、孔明は性欲を抑えきれずに劉備を襲って手籠てごめにした卑劣漢ひれつかんとして、歴史に名を残してしまう。

 たとえこの後にどんな功績を残しても、始まりのエピソードがこれでは台無しだ。

 三国志ファンとしてそれは許せない。

(くそっ。こんな奴らの言いなりになってたまるか。……かくなる上は、こっちも最後の手段だ!)

「わかった。光栄だぜ。まさか、『偽者』の孔明である俺が、あの劉備玄徳様と縁続きになれるなんてな。超ラッキーだぜ。わーい! 嬉しいなー!」

 俺はやぶれかぶれに叫んで、大きく万歳した。

「おー?」

「貴様! 今何と言った」

 関羽と張飛が、再び俺の首筋に武器を突きつける。

「聞こえなかったか? 俺は本物の孔明じゃないって言ったんだよ。お前たちが苦労して三顧さんこれいをしてまで迎え入れた軍師は、真っ赤なパチモンだったってことだ! ざまあねえな!」

 俺は再びそう言ってからからと笑う。

「ちょっとあんた。詳しく話してみなさい」

 劉備が険しい表情で俺に顔を近づけてくる。

「ああいいぜ。思う存分聞かせてやる」

 俺はそう前置きして口を開く。

 もうどうにでもなーれ。

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