第6話
下働きの人たちが片づけを始めていた広間を駆け抜け、奥のスペースへ向かい、劉備の部屋を探す。
部屋の前には、『張飛之部屋』とか『関羽之部屋』とか、墨で書かれた竹の札が掲げられているので、それを頼りに十秒ほど辺りを探す。
(おっ。ここか)
あっさりと見つかった『劉備之部屋』と書かれた札の前で、俺は立ち止まる。
横開きの
「
声をかけようとその隙間を覗いた俺は、眼前の目を疑う光景に、硬直して口をつぐむ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛。だっる! だっる! 軍師集めだるすぎいいいいい! いっそのことその辺から張良が生えてくればいいのに!」
そこにいたのは、先ほどの
「大体何よ! 最後の
劉備は半ギレ状態でそう言うと、徐福が心を込めて書いた歌詞カードでチーンと
「あーあ。しかも
劉備は俺をディスりながら、床をごろごろと転がる。
そぉんなこと言ったぅぁってしょうがないじゃなぅぁいか(えなり風)。
おっぱいがあれば見るのが男の本能なんだよ!
「もーやだー。
劉備は現実逃避するようにそう言って、だだをこねる幼児みたいに手足をばたばたさせてから、ぴたりと動きを止めた。
「……屁出そう。でかいやつ。あっ、出る出る出る」
ブッ。
間抜けな音が部屋に響いた。
(見なかったことにしよう)
「孔明さまー! 待ってくださいよー」
俺が襖をそっと閉めようとしたその瞬間、広間の方から声がした。
劉備が驚異的な反射速度で身を起こす。
「あ」
「あ」
俺と劉備の目が、ばっちりとコンタクトする。
「あんた……見た?」
「いえ、見てないっす。ちーっす。失礼しやーす」
「逃がすかっ!」
そそくさと後退を始めた俺の足を、劉備が双剣の鞘で払う。
俺はなす術もなくその場に尻もちをついた。
うん。そういえば、史実でも劉備は結構武闘派だったね。
「ほんとに気にしてないから。君主っていうのは孤独な仕事だから。そりゃ愚痴りたいこともあるさ」
俺は本心からそう言った。
正直、女子として劉備を見ればアイドルがうんこしてるシーンを目撃した並みにがっかりした。
理想の美少女君主とのイチャコラの夢が途絶えたのはちょっと、いやかなり残念だ。
だけど、さっきの
ヒロイン失格でも、彼女が劉備として皆を導いていく存在なら、俺が仕えるべき理由はまだ消えてはいない。
「うっさい! やっぱり見てたんじゃない! ああもう!
劉備はそう言って親指を噛む。
「どうでもいいけど、もうすぐ徐福がここに来るぞ」
「なんでよ!? 忘れ物でもした?」
「違うよ。徐福は
「本当!? よくやったわ! 孔明! ――でも、さっきのことをバラしたら殺すから」
劉備は右手で俺の頭を撫でながら、左手で俺のゴールデンボールをがっちりと握って脅してきた。
これもうわかんねぇな。
「劉備様! 母上からの手紙が曹操の奸計である疑いが出てきたのです。御元を去らせていただくと申し上げたその舌の根の乾かぬうちに申し訳ありませんが、その真偽を確かめるまで、もうしばらく幕下に置いて頂けませんでしょうか」
俺たちを見つけた徐福がそう言って劉備に平伏した。
「徐福ー! 孔明先生から事情は伺いました。そういうことならば、いくらでもいてくれて構いません。またあなたに会えて、私、本当に嬉しいわ!」
劉備は足でさりげなくそこらへんにポイした歌詞カードを隠し、聖人君子モードで徐福を抱きしめる。
うーん。この
「うんうん。泣ける光景だな。では、俺はこれで」
「お待ちください孔明先生。私の大切な徐福を助けてくださったお礼がまだ済んでおりませんわ」
さりげなく横をすり抜けて部屋の外に出ようとした俺の袖を、劉備が引く。
「そんなお礼なんて結構ですよ。俺は劉備様の臣下として当然のことをしたまでです」
俺はもっともらしく言う。
「そういう訳には参りませんわ。
「ええ! 是非、孔明様の働きを労って差し上げてください。私は、とりあえず待たせている馬車の御者に事情を説明して、引き取るようにお願いして参ります」
「わかりました。あなたの部屋は元の通り使ってくれて構いませんから、終わったらそちらへ」
「ありがとうございます!」
徐福は感激しながら足取りも軽く広間の方に戻って行った。
いかないで徐福。
カムバック徐福。
何か嫌な予感しかしないんですけど。
「さて……どうしてくれようかしら」
やがて徐福の背中が見えなくなると、劉備は襖をしっかりと閉めてから俺の方に振り向いて呟く。
「だからどうもこうもしないって。人間、本音と建前くらいあるのが当たり前だろ。誰にも言わないから安心してくれよ」
そもそも儒教自体が建前の塊みたいなものだし、裏表が激しい人物がいても仕方ない。
古代中国の文化システム自体がそうなっているのだ。
「昨日今日会ったばかりのあんたの言葉をそう簡単に信用できるもんですか。こうなったからには仕方ないわ。腹を割って話をしましょう」
劉備は剣の鞘で俺を小突き、床に座らせてから、彼女自身も胡坐をかいた。
「腹を割るも何も、俺は本当にそう思ってるって。裏がどうであれ、あんたは
「はあ? あんた何言ってんの?」
俺の言葉に、劉備は首を傾げる。
「いや、だから、王室の末裔として漢の復興を……」
「しないわよ」
「は?」
「だから、漢王室の復興なんて目指してないわよ。今更、あんなの復活させてどうすんの。漢王室は時代遅れの遺物よ。無駄に着飾った見栄っ張りのミイラみたいなものだわ」
劉備はきっぱりとそう言い切った。
俺の中で劉備の存在意義の半分ぐらいがごっそり削れていく感覚がする。
「……ええー。マジで。じゃあ、何でことあるごとに漢王室とのつながりアピってる訳?」
俺を仲間にいれようと説得する時に、柿の種におけるピーナッツくらいの頻度で漢のために頑張る的なワードが入ってた気がするんだけど。
「そりゃそう言っとけば、みんなにウケがいいからね。特に理想主義者の儒者の文官たちなんてもうイチコロよ。まーあんたは私の魅力にやられちゃったみたいだけど?」
劉備は俺を小馬鹿にしたように笑いながら、また太ももをちらみせしてきた。
くっ。悔しいけど否定できない。
「じゃ、じゃあ、あんたは何のために戦ってるんだ?」
「よくぞ聞いてくれたわ。私はね――」
劉備はそこで言葉を区切り、俺の肩に手を置いて、まっすぐにこちらを見つめてきた。
俺は
そうだ。
まだ希望はある。
俺だって日本人だし、別に漢王室に思い入れがある訳じゃない。
劉備の魅力は、漢王室の復興ということもそうだが、民を救うためにその身を捧げたところにあるのだ。
そこさえ。
そこさえ堅持してくれれば――。
「私は、なんだ?」
俺は先を促す。
「働きたくないの」
劉備は至極真剣な表情でそう言った。
「え? ちょっと聞き間違えたみたいだからもう一回言って」
あまりの衝撃的な一言に、俺の頭が理解するのを拒絶する。
「だから、とにかく働きたくないの。
劉備は俺が誤解のしようもないほどにダメワードを連発してくる。
だめだこりゃ。
「なんだその夢は! 大義のかけらもないじゃねえか! そんな私利私欲にまみれた夢! まるで
さすがの俺もブチ切れて声を荒らげた。
こんな劉備がいてたまるか!
「うっさいわね! 男のくせにそんな綺麗な手をしたあんたには言われたくないわよ! どうせあんたも名士なら、村人を舌先三寸で騙してタダ飯で暮らしてたんでしょ!」
「……村人は騙してないけど、まあ、タダ飯を食える立場にいたことは確かだな」
まあ、俺に限らず日本の学生の大半は親からタダ飯を食わしてもらっているだろう。
しかし、俺は自分の身分を詳しく説明する訳にもいかず、適当に言葉を濁した。
「ほらみなさい。あんたには分からないでしょうけどね。貧乏な
劉備が思い出すのも嫌とでも言うように、ガタガタと震えながら語る。
「だから挙兵したのか? 成り上がりたくて?」
それならばまだ分からなくもない。戦乱の時代をチャンスと思って挙兵した群雄たちは他にもたくさんいただろう。
「まあ
「ん? どういうことだ?」
「さっきも言ったように、私は本当に草鞋を編むだけの暮らしにうんざりしていたの。だから、何とか飯の種になるものはないかって家の蔵を
「どうなった?」
「効果は予想以上だったわ! みんなが急に私を敬い出して、お米とか野菜をくれるようになったから、働かずに済んでしめしめって感じ!
劉備が懐かしむような遠い目をして呟く。
まあ、俺も学生だからモラトリアム期間を楽しみたいっていう気持ちは分からなくもないんだけど……。
いや、でもだめだ。友達ならともかく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます