第4話
第4項
師匠が提示したのは、『オクス』と呼ばれるスタイルと、『アルバー』と呼ばれるスタイルだ。
『オクス』は、左足を前に出し、切っ先を相手に向けて、右の頬の横で雄牛の角のごとく構える。利き手の親指を下に向け、腕をクロスしてグリップを握るらしい。
実際に師匠が構えてくれたので、分かりやすい。
「いかにも突きの構えですって感じだが、実は突きよりもカウンター向きの構えなんだ。相手の頭上からの攻撃を鍔でガードしつつ攻撃する感じだ。まぁ、突きの方もやるし、少しずつ覚えていこうな」
「はい!」
「いい返事だ」
師匠は一度構えを解き、次は違う構えをとった。
『アルバー』というらしい。
剣先を下に向けて、いかにもやる気がないと言っているような構え。
素人目だけど、これでは簡単に負けてしまいそうだ。
「チェシャ猫、この構えを見てどう思った? 正直に言ってみろ。別に怒ったりはしないぞ」
「……やる気なさそうだなぁ、負けそうだなぁ、と」
「よし、そう思うのが普通だ。この構えはさっきも言ったが、『アルバー』、愚者という意味だ。剣をろくに構えることが出来ない馬鹿と捉えればいいぞ。利点は、一見ノーガードに
ちらっと視線が注がれた。
自分で考えろということか。
一見馬鹿で、ノーガードに見える。ノーガードということは、隙だらけ? でもそれは何故?
わざわざ攻撃を受けて得があるスキルがない限りそんな真似はしないだろうし、威力の高い攻撃が直撃すれば、私の脆い体はすぐに壊れる。
師匠だってそこを分かっているし、そんな方法を推すことはないだろう。
馬鹿にノーガード……見せる……。
このままでは迷宮入りを果たしそうなその時、突然頭が冴え、光明が見えた。
……もしかして、わざとそう見せているのでは?
織田信長よろしく、うつけ者と思わせているのでは!?
となればそれは…!
「相手が油断する?」
答えに行き着いた私は、スッキリした顔で師匠を見た。
「その通り!君だってやる気なさそうとか思っただろ? この構えはそういった相手の油断を誘うものになっている」
「おぉー!」
「んで、油断と慢心で勢いよく相手が攻撃を仕掛けてきた時に、こうッ、下腹を突く!」
「おぉー!」
師匠が木刀で空を突いた時に、ゴウッと砂埃が舞い、その威力の高さに思わず私は、歓声を上げた。
レベルもあるのだろうけど、これが出来たら格好いい!!
一昼一夜で出来るものではないことぐらい分かる練度の高さだ。
これを一つの目標に頑張ろう、と人知れず私は決意して、食い入るように師匠の動きを見つめた。
「戦闘の時に後攻に回りたい時はこれだな。最初から地面に切先をつけてるんだ。体力の省エネだろ?」
「省エネ! なんたる美しい言葉の響き…」
「頑張れば、剣の上に乗るなんて芸当も出来るようになるぞ」
剣の上に!?
「そ、そそそそれはどういう!?」
「どうどぅ。君がそれを習得するのはまだまだずーっと先だ。チュートリアルの間はまず無理だな」
ポン、と両肩に手を置かれた私は、ガックリ膝を落とし、四つん這いになった。
一体剣の上に乗るまでにどれほどまでの鍛錬が必要だというのだ…。
「出来ないと言っている訳じゃないが、まぁ、その、なんだ。諦めずに頑張れば、いつかできるようになるさ。ほら、魚食って元気出せ、な?」
この人、私を食べ物で釣れるとでも思ってるのだろうか。……正解だ。
顔をあげれば、あの七輪で焼いたのであろう魚が鼻先に当たった。
見事に半分焦げている。
師匠は自分の分を服の裾から出し、ボリボリ食べ始めた。焦げたところが苦いのか、眉間に皺を寄せている。
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種類:焦げた魚 品質:D 耐久:4/4 満腹度:5% 容量:1
神アレスが焼いた魚。焦げているが、愛情はこもっている。かなりしょっぱい。出来立てホヤホヤ。
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魚から出ている吹き出しを見て一瞬受け取るのを躊躇ったが、ご好意としていただく。
焦げていないところに齧り付くと、ホクホクの身が口の中で
「美味しいです、師匠」
「ん? そうか、そりゃあ良かった」
屈託のない笑顔を浮かべた師匠は、骨を残さず魚を平らげた。
対して私のは焦げたところがそのまま残っている。これはお魚さんの命を冒涜しているに等しい行為だ。
食べなければ。
口を開け、焦げ目が酷いところに歯を通した。
瞬間、ありえないほどの塩辛さと苦味が一気に舌の上で爆ぜた。
「んぐっ!?」
「どうした?」
顔面蒼白にした私は、口に手を当て必死にポーチの中にある水を探す。
……。
………ない!?
…あ、ロングソードを洗った時に全部使い切ったんだった…なんてことだ。
飲み込むだけを意識しろ、味わっては駄目だ。味わっては!
必死に唾を飲み込み魚を喉に押し込もうとするが、敏感な舌は触れただけで味を認識してしまう。
あぁ、辛い苦い辛い苦い辛い苦い辛い苦い…!!
《スキル【悪食】を取得しました》
激情は、ある一定のラインを超えたところで無に還った。
燃え尽きた私は、師匠に笑いかける。
「…美味しいです、師匠」
「そんな死んだ魚の目で言われても困るぞ…」
折角魚をくれた神さまには悪いけど、これだけは言わせていただきたい。
何故一箇所だけ塩があんなに盛ってあったんだ。
「さて。まずは『オクス』からやってみるか。俺が見本になるから見て覚えろ」
完璧な模範となった師匠と向かい合うようにして、私は剣を構えた。
最初に脚を開いてっと。
腕はここぐらい? もっと上かな?
「腕触るがいいか?」
「はい、どうぞ」
師匠の手が腕に添えられ、グリップの位置が頬横まで上がった。
「ここを、こう、な。んで、こう」
「おー」
次々と修正を入れられ、何とかそれらしい構えになった。
日本の侍さんも似たような構えをしていた気がするな。
今度は一人で出来るようにと言われ、構えを解いてから再度同じ構えをとる。うん、いい感じだ。
「よし、そのまま手を伸ばして踏み込め。これが突きだ」
相手からのカウンターを避けるためにも体は右斜に進めるらしい。
対人戦の経験がないからあまりピンとこないけど、師匠の言うことは正しいってわかる。
だけどこの姿勢、かなりきついぞ。
案の定、体のバランスが崩れて転けた。剣を離す間もなく顔面ダイブだ。痛い。
何回か自分で突きの練習を行った後、今度は『アルバー』の構えを練習することになった。
これは『オクス』と違い、師匠に手直しされる間もなく一発OKを貰えた。
省エネの構えだからね。
「構えの方はもう大丈夫みたいだな。なら、次の段階に進むか」
そう言って師匠は服の裾から等身大のマネキンを取り出した。
運営さんの服はポーチのような存在になってるのかもしれないな、などと考えながら、私はマネキンを見上げた。
180はあるかな? 師匠と肩を並べるぐらいの高さだ。
「あの、師匠これは?」
「おぅ、これはオートマタだ。自動的に動く人形機械って感じだな。練習台にはもってこいの代物だ」
そのオートマタに手を回した師匠は、胸のあたりにある黒い円をなぞった。
すると、
『……マスターコードを承認しました。04番、起動します』
機械的な声がオートマタの口から流れ、黒い円から波紋が広がり、全身に浸透していく。
やがて、のっぺらぼうだったオートマタは、服を着た一人の人間に変わった。
「……師匠、この人は?」
無機質なものがいきなり人間に変わったのだから、驚かないはずがない。瞬きはしてるし、薙いだ目が私を直視している。
……本当にオートマタだよね?
人間とか入ってないよね?
そういう意味を込めた私の問に、師匠は怖いくらいの満面の笑顔をした。
「俺の嫌いなやつ」
「へ?」
素の声が漏れるほど、私はポカンと口を開けた。
それを見て、師匠はもう一度、
「だから、俺の嫌いなやつ」
いや、いやいやいやいや。
分からないですって。何でオートマタが起動したら師匠の嫌いな人に変わるんですか。
「だって、思いっきり殴れるだろ?」
上司ですかとは聞けない。そこを踏み抜いてはいけない気がしたのだ。
腰に手を当て悪い笑みを浮かべた師匠は、どうやら相当にこのオートマタが変身した人が嫌いらしい。
日頃の恨み、とか言って一発いいパンチを入れてたし。
「ふぃー、すっきり! やっぱ手間暇かけて作った甲斐あったわ。君も一発いっとく?」
「結構です。その人に恨みはありませんので!」
もし私がパンチを入れたら共犯に仕立て上げられそうなので、丁重にお断りを入れておいた。
それに、見ず知らずの人を殴れませんて。
「そうか。……さて、オートマタ君も帰ってきたことだし、続きを再開するとしようか」
その言葉に、私は師匠の横に直立するオートマタに気付いた。
…いつの間に帰ってきたんだい? さっきまで師匠に殴られ壁に埋没していたと記憶してるんだけど。
まさか瞬間移動とか使ったり?
と、光のないダークブルーの瞳と不機嫌そうな顔を視界に収めて、私は師匠の言葉に耳を傾けた。
「君に今から教えるのはカウンターという技術だ。これは『オクス』、『アルバー』の両方で使える有用な手だから覚えておいて損は無い。寧ろ得しかないな!」
ふはは、と不敵に笑い、オートマタに二本目の木刀を投げた。
そして、師匠が海老反りで吹っ飛んだ。
「……は」
その声は息を止めた音。
残像を追った私は、文字通り、壁にめり込んだ師匠を見た。
じわじわ理解後追いつき、その一連の流れに、私は顔を青ざめさせる。
私は見た。
師匠から投げられた木刀。
それを器用に受け取ったオートマタは、師匠が目を離した隙に素早く、かつ大胆に、打席に立つバッターのようにそれを持ち替え、そのままそれを腰に叩きつけた。
クリティカルヒットが入ったのであろう、可視化された軽い
師匠が通った場所には風圧で上がった砂煙が舞い、地面には一線が引かれている。
師匠に
そう思うと、背中がゾクリとした。
多分私が腰を打たれたら、吹っ飛ぶ前にポリゴンに変わるだろう。……容易く想像出来てしまうのが悲しい。
頭を振りかぶり、私は自業自得の師匠に駆け寄った。
静まり返った演習場。
パラパラと壁が剥がれ落ちる音だけが虚しく響き、やっとそこから這い出た師匠は、力無く地に伏した。
「…そう、いえば……目には、目を、歯には歯をって、設定、してた……ガクッ」
「師匠ぉぉぉぉぉおお!!」
白くなり、頭上にDeathの表示を浮かべた師匠は、ポリゴンに変わり私の腕の中で消えた。
この日、私は初めて運営さんが
「よぅし、時間だ。今日はこんくらいにしとくか」
時間を確認すると、まだ二時間しか経ってない。私はまだ出来るのだけど…。
そんな不満が私の顔に出ていたのか、師匠はその端正な顔を申し訳なさそうに歪めた。
「まだやりたそうな顔をしているが、教官が人手不足でな。チュートリアルは一日二時間って決まってるんだ」
「そうでしたか。短い時間でしたが、ありがとうございました」
90度腰を折った私は、しっかり師匠の目を見てお礼を述べた。
「あぁ。次のチュートリアルは俺のスケジュール的に明日の午後三時から空いているが、君はどうだ?」
「大丈夫です!」
「よし。じゃあそれで行こう」
手元に現れた小窓に、明日のスケジュール書き込む師匠。
横から覗かせてもらうと、朝から晩までびっしり予定が詰まっていた。
運営さんは大変だなぁ。睡眠時間ちゃんとあるのだろうか。
これだけ多忙だと心配するのが人間というもので。
「睡眠時間は平均どれくらいなんですか?」
「二時間だな!」
明るい口調と死んだ目が応答する。
社畜という言葉が似合う表情だ。
やっぱり社会には完璧なホワイトはないのだろう。それが運営、GMであれば尚更。
苦情の処理とか大変そう……。
なんて人事のように俯瞰していると、
「アレス様!
ギルド職員さんが師匠を呼びに来た。
黒の革靴が砂で汚れることを惜しまずに私達のいる中央まで走ってきてくれたよう。
ご苦労様です。
「わかった今行く。そいじゃ、次のとこ行くからまた明日な、チェシャ猫。構え忘れるなよ?」
「はい!さよなら師匠」
片手を上げて出入口に向かう師匠を見送った私は、それからしばらく剣を振り続けた。
運極@最弱の冠をかぶった最強のステータス スウ @Suu1028
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