第3話
ざわざわと人混みの音が聞こえ、ぼんやりする視界を瞬けば、やはり人混みの中にいた。
初の
後にドーンと佇むのは、『旅カエリ石』という名がついている巨大な翡翠石。言うなれば、死に戻り石だ。
お、私の他にも
「っと、すまない」
「いえ、こちらこそ」
余所見をしていると人にぶつかってしまった。
サービス開始から約半年が経とうとしているのにも関わらず、プレイヤーの数が多すぎる。もっとバラけてもいいと思うのだけど。
長居するとまたぶつかりそうだし、早々に移動しよう。
マップを見ながら路地裏に入り、十字路を右に曲がってくねくねした細道を足早に進む。突き当たりの角を左に曲がり、引く塀を飛び越える。
カーテンで何重にも仕切られた道を掻き分け最後の一枚を
抜けた先は『アーサー通り』だ。
ここまで来ればもう安心。マップ機能を閉じ、石畳の上を悠々と走る荷台を避けつつギルドに足を運んだ。
「すみません、ここで剣の教えを請うことが出来ると聞いたのですが」
ギルド受付カウンターに身を乗り出した私は、奥でデスクワークをしている職員さんに声をかけてみた。
時計が正午を回っているからか、ロビーは閑散としている。昼食をとるために仕事を外している人もいるようだ。
おかけでよく声が響く。
「剣の教えですか? 少々お待ちください」
顔を上げ、営業スマイルを浮かべた職員さんは引き出しからスケジュール表のようなものを取り出し、それを確認するとカウンターを通って個室のドアを叩いた。
「アレス様、仕事の時間ですよ」
「……分かった。ちょっと待て」
ややあって返ってきた返事に、職員さんは軽く頷き扉の横に立つ。
どんな人が教官だろう。ムキムキ厳つい顔に傷のあるオジサンだろうか。それとも、眼光鋭き侍風の人だろうか。き、緊張してきた。
カチャリ、と鍵の開く音が聞こえ、背筋がピンと伸びる。
金のドアノブが回され、いよいよ扉が開くと、押し出されるようにして煙が流れ出てきた。
この焦げた匂い……魚?
鼻を抑えるほどではないけど、鼻筋に
「何をやってるんですか……」
「ゴホッゴホッ。あー、室内で魚を焼くのは危ないな。危うく死にかけるところだった」
頭痛がするのか額を押さえる職員さんに、あっけらかんと答えたのは一度見たら忘れられないような美青年。
白のインナーの上に少々年季の入った黒のローブを羽織り、腕には銀の輪が二つずつ服の上からはめられている。寒そうな素足には下駄を履き、ちぐはぐな服装をしている。
地面につくほど長い豊かな白髪は
整えられた輪郭を伝って汗が滴り落ちる。サウナと化した部屋から出てきたのだろう、汗だくだ。
そんな彼の背後には七輪が置かれ、金網の上には焦げ目のついた焼き魚。
へにゃりと細められた金の瞳は一度職員さんに止まり、そして私に向けられた。
「えーと。君、だれ?」
「………はっ。わ、私はチェシャ猫と申します。剣の教えを請いに来ました」
「剣…?」
訝しげに私を見た青年は、隣に立つ職員さんに目を落とす。
「アレス様、ちゅーとりある、というものだと思います」
「あぁ! チュートリアルか!!」
ポン、と手を打った青年は、緊張で固まっている私に手を差し出した。
「俺はアレス。戦いの神、アレスだ。そして、今から君の剣の先生。チュートリアル、こってり絞るから覚悟しろよ?」
「あ、運営さん?」
神という単語が、事前に知り得たある情報に閃光の如き辿り着いた。
「ち、違うぞ! 神様だ!」
「運営さんですよね?」
「神だァァァ!!」
ネタは掲示板に上がってるんです、などとは言わず、私はニンマリした。アレスさんはそんな私を見てさらに頭を抱える。
せっかくかっこよく自己紹介してくれたのに、水を差したのは少し無粋だったかも。
潔く謝っておこう。
「すみません、からかいすぎてしまいました。悪気はありません」
「お、おぉ。俺も初対面だというのに取り乱してしまった。すまん」
ポリポリと頬を掻いたアレスさんは、バツが悪そうに視線を逸らした。
「では、改めまして。私はチェシャ猫です。剣の腕を上げるためにやって来ました。根性はある方です。チュートリアルの間、お世話になります。よろしくお願いします、師匠」
「宜しくな。……ん? 師匠?」
お互い手を握り合うと、アレスさんは疑問符を浮かべた。
「はい。剣の先生なので、師匠です」
「先生じゃ駄目なのか?」
「駄目ということはないのですが、師匠の方がやる気スイッチ入るので!」
と言うと、アレスさんは「師匠か」と何度か呟き、やがて気に入ったのか
それにしても師匠の手、意外とゴツゴツしてる。鍛えている人の手だ。タコもできてるし、見れば二の腕に筋肉もある。
であれば、お腹にはシックスパックがあるに違いない!
「ところで師匠」
「なんだ?」
「魚、焦げてますよ?」
「…あ」
師匠に連れられやってきたのは第二演習場。天井は取り払われていて、青い空が見える。客席はあるが、座っている人はいないみたいだ。
む、何やら不特定多数の視線を感じる。
恐らく師匠の容姿がハイスペックすぎるからだろう。私だって初めて見た時目を奪われたし。
師匠の背中を追いつつ、他にもチュートリアルを受けているプレイヤーを盗み見る。
皮の服に皮のズボン、初期装備の人が何人かいるな。親近感が湧いてくる。
あ、鎧を着てる人がいるや。重そうだけど、いつか私も着てみたい。
「ほら、踏み込んで」
「せいっ!」
それぞれに教官が付いているようで、別々な動きをしている。見た感じ人によって教えた方が違うのかな。
…まさかとは思うけど、教官って皆運営さんなのだろうか。
「師匠。他の人に教えている教官は、師匠みたいに神さまなんですか?」
「ん? あー違うぞ。今日は俺一人みたいだな。アイツらはC級以上のライセンスを持っている冒険者だ。皆、現役だ」
師匠の言葉を聞くに、ほかに神さまはいるけど、今日はいないようだ。
「ライセンスというのは?」
「ライセンスってのは許可証、つまりは一定以上の経験と強さを持っているという証だな。さっきはC級以上と言ったが、その下にD級がある。君のような初心者はそれに当たるな。上にはB、A、Sがある。S級に関して言うとだが、これに至ればチヤホヤされるどころか生きる伝説なんて言われるようになる」
「師匠はBですか?」
「んなわけあるかい。俺はSだ」
ドヤ顔でそう言い切る師匠は機嫌が良さそうに振り返り、服の裾から木剣を取り出した。
どうなってるんだその服の構造…。
「さぁ、始めようか。まずは自分の得物をだしてくれ」
「了解です」
ポーチからロングソードを引き抜き、砂地の地面に刺す。
…やっぱり重いな。
「初心者キッドのロングソードか。じゃあ構えてくれ」
言う通りに何となく構えてみる。改めて構えてみると、自分がどれだけ不格好な姿勢で剣を握っているのかが嫌でも分かってしまう。
特にこのへっぴり腰とか。
治そうと脚を開いて見るが、余計に酷くなる一方だ。
前途多難な気がしてきた。
軽く息を吐き、ブレ始めてきた剣先を力を入れてしっかり止める。
う、腕が震える。二キロくらいしかないと思うんだけど、腕の力で持ち続けると辛い。そして腰にくる。
師匠、早く指示を出してくれませんかね。この調子だとそう長くは持ちませんよ。
そう訴えるように師匠を見上げると、堪えきれなくなったのか師匠が盛大に吹き出した。
「ぶっ……は、はははははっ! 君、その姿勢、マジかァ! くっ、はははははっ!」
大爆笑。羞恥で顔を赤らめた私は、師匠から顔を逸らして下を向く。
「……何か問題でも」
「問題も何も、そのへっぴり腰。稀に見る才能だわっ! 写メっていい?」
「駄目です。これでもグラスルートとハチ倒せましたから!」
グラスルートはフルスイングだし、ハチはスライド斬りしたし!
……あれ?
剣の使用用途間違ってる?
「おうおぅ! ぶはっ……ククク。ツボる! これは教えがいがありそうだ!」
「それは良かったです、師匠。だけど笑いすぎです。乙女のガラスハートが傷つきます」
沈痛な顔を作り胸を抑える様子を見せれば、師匠が笑うのをやめた。まだ口角が若干上がってるけど。
「すまん、悪かった。じゃ、気を取り直してっと。剣を握る上で大事なことは、まず姿勢だ。君の場合、それが全然なってない。というよりどうやってその姿勢になるのか俺には全くわからん」
「そう言われましても…」
「分かってる分かってる。剣を使ったことがないからそうなるのは仕方ない。だから、今日は姿勢からどうにかしていこう。安心しろ、きっと上手くいく。何たって、俺は神であり、生きる伝説のS級だからな!」
ドン、と胸を叩いた師匠は、強く叩きすぎたらしく
苦しそうなので背中をさすらせて頂く。
お婆ちゃんが喉に餅を詰まらせた時、よくやったっけ。懐かしいなぁ。
「師匠、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。もう大丈夫だ。……んん! よし、チェシャ猫。もう一回構えてみろ」
「あい!」
同じ轍を踏まないよう少し変えた姿勢をとってみる。
……あんまり変わってないかも。師匠は真剣な表情作っているけど口元が緩んでる。そんなにこのへっぴり腰がおかしいのだろうか。
声に出して笑わなくなったのはいいけど、肩を震わして口を真一文字に結んで笑うのは余計心にくる。
「二回目だが、やっぱ才能だわ。……んじゃ、姿勢の矯正始めるぞ。一応聞いておくが、このロングソードは片手でも両手でもいける。刃渡りがギリ100センチあるからな。そいで、チェシャ猫はどっちでいく?」
「正直どっちもいきたいです。ですが、私のステータスは運以外0なので、両手で持たないと重く感じますね」
「運極か…珍しいな。……悪いが少し時間をくれ。君の要望を出来るだけ叶えられるプランを立ててみせるから、その間は獲物の剣を振って感覚を掴んどいてくれ」
と言い、ドカリと砂地に腰を下ろした。
私は師匠の言う通り剣の感覚を掴むため、素振りを開始した。
剣道部とかに入っていればコツがすぐ掴めたのだろうけど、生憎私はその他運動部。
しかも喧嘩や対人に関してはめっぽう弱い。
…ここぞという時の力加減がわからぬ。
仕様を変えて、今度はグリップから左手を離してみる。右手にかかる負担が大きくなった。うーむ、片手剣でもいけるっちゃいけるのだけど、どうしても疲れやすくなる。
どうにか出来ぬものか。
片手で剣を振ってみる。これだと肩がすぐに凝りそうだ。それに、動きが大雑把になってしまう。
むぅ、と唸った私は、利き手を変えて剣を振ってみた。
……違和感半端ない。それでも、両手を使えた方が有利かも、と思い、ぎこちなく縦横斜めと腕を動かす。
しばらくして、顎に手を添え片目を瞑っていた師匠は妙案が浮かんだのか、頭上で豆電球を光らせた。
「提案なんだが、二種類のスタイルを習得してみないか?」
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