第2話


 エリアNー2に入る間際のところに、鬱蒼と茂る森、『ワンダーの森』がある。軽快な足取りでそこに足を踏み入れた私は、入り口付近に巨大な蜂の巣を見つけた。

 周りに働き蜂がいないようなので、近寄ってみる。


「甘い匂いがする」


 ハチの巣っていい匂いするっけ?テレビで見たことしかないからよく分からん。

 つつくのもアレな気がしてロングソードでハチの巣をぶった斬ってみる。

 綺麗な横一線とは言えないまでも、いい感じに切れ目が入り、少しのラグで下半分がずり落ちた。

 黄金色の蜜が糸を引き、限界まできたところでプツリと切れる。

 上半分からはタラタラと重力に従って蜜が流れ落ち、地面を染め上げていく。


「っと、もったいない!」


 このまま放置しておくとせっかくの蜂蜜が無駄になってしまう。三秒ルールの範囲内には入らない甘味なので、急いで行動に移る。

 落ちた半分を手早く回収し、腰ベルトからポーチを外す。それを残った上半分の下に置いて、ロングソードで木との接着部分を削ぎ落とすと、そのまま吸い込まれるようにポーチの中に収納された。


「これでよしっと」


 我ながらにスピーディーな対応だった。

 パンパンッと手を払う動作を行うと、少しヌメっときた。見ると蜂蜜が付着していたよう。

 好奇心から指先を舐めてみると、


「甘ッ!!」


 すっごく甘い。これは食べすぎると糖尿病まっしぐらだ!

 食パンがあれば何枚でも食べられそう。これまたいい拾い物をした。


 ほっこりしながら森の中に足を踏み入れると、ブワッと木の匂いが広がった。同時に、どこからともなくなにかの気配がする。

 息遣いというか、カサカサッて聞こえる細かな足音というか。

 いつか家族と一緒に山にハイキングに出かけた時に感じたものと全く同じものだ。

 まさかここまで再現されてるなんて、ホント、感動の一言に尽きるよ。


 むせ返るような緑の香りに圧倒されながら、歩みを止めることなく空を見上げる。

 そこにあるのは澄み渡った空ではなく、所々から光が漏れるくらい天井。この森の木々は育ちがいいのか、空を塞ぐほど成長してる。

 栄養、行き届いてるなぁ。


 適当な木の幹に触れると、長い年月生き続けているかのような温かみが手のひら越しに伝わってきた。

 安心感が湧いてくる。



 木漏れ日を頼りに獣道を進み、時折横たわっている老木を飛び越える。

 苔がびっしり生えてたから転びそうになった。ちょっとヒヤッとした。

 黙々と歩き続け、気がつけば正午を回っていることに気づいた私は、手頃な切り株を見つけたのでその上に腰を下ろした。


「モンスターがいない」


 所詮以降モンスターの姿が見えないのだけど、一体全体これはどういうことだ。

 新手の嫌がらせ?

 いやいや、そんな悪質な嫌がらせあってたまるか。

 たまらず天を仰ぐ。

 うーむ、私のオーラに当てられてモンスターが姿を現さないっていう可能性は限りなく低いとして。

 というより皆無だとして。

 なにかに怯えてたりってことは……?

 いやそれもないか。そも、そんなに難易度高いエリアじゃないからね、ここ。

 凶悪なモンスターとかいないっしょ。

 となると、元からモンスターがいないセーフエリアだってことになる。確証はないけど。

 だって、判断材料少なすぎるし。それに推理は得意ではないのだ。どちらかと言うと苦手なのだ。


 はぁ、と溜息をつき、ゴロリと寝転がる。

 天井から降り注ぐ光がちょうど顔に当たって眩しい。数回瞬くと、光に慣れたのか、天井の向こう側に青が見えた。


 ぐぅ〜。


「お腹空いた」


 ステータスを開くと、満腹度が10%になっていた。確かこれが0になるとジワジワ体力が減っていくんだっけ。

 早くなにか口にしないと危ないや。赤い警告がピッコンピッコン出てる…!


 ガバッと起き上がり、がさごそポーチを漁って取り出したのは、入口付近にて偶然ゲットしたハチの巣の片割れ。

 これが無かったら餓死してたかもだ。

 ははははは………笑えんな。

 空腹で死に戻りリターン洒落シャレにならんですわ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 種類:ハチの巣1/2 品質:B 耐久:3/5 満腹度:30% 容量:3

 市販の蜂蜜よりも糖度が高い蜂蜜を内包。食べすぎると状態異常を引き起こす恐れあり。中は蜂蜜、外はサクサクのワッフル仕立て。

 原産『ワンダーの森』。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 ツッコミ所が何ヶ所かあるけど、そこはあえてスルーを決め込む。

 ロングソードをハチの巣片割れに突き立てて、縦横に引くと、ちょうどいい感じに四つに割れた。

 耐久が一減ったけど、まだ2あるから気にしない気にしない。

 三つをポーチに仕舞って、残る一つは口いっぱいに頬張る。


「ん〜!! おいしぃ!」


 説明に書いてあった通り中は蜂蜜、外はサックサクのワッフルだ! どうなってんのこれ!

 口の中で完璧なハーモニーが織り成されてるよ!


 あっという間に食べ終えてしまった私は、思わずポーチに伸びていた自分の右腕を取り押さえた。

 我慢しろ私。もう一つもう一つと手を伸ばしていたらいつの間にかお菓子がなくなっていたことがよくあっただろう?

 そんな過ちをこの年になってそう何度も犯すわけにはいくまい。

 自重だ。これを機に自重を学ぶんだ。

 そう説得すると、私の右腕も渋々といった感じで引き下がってくれた。物わかりのいい子で大変助かる。


 口元についた残りをペロリと舐め取り、ロングソードにべったり付いた蜂蜜を切り株に擦り付ける。

 聞いた話によると、このままの状態しておくと耐久値がどんどん減って、最後にはポッキリいってしまうらしい。

 それはさすがに困る。まだお金がロクに集まっていない状態でポッキリいかれてしまうと、モンスターに立ち向かうための武器がなくなってしまう。

 だからこの初期武器であるロングソードは大切に使わないと。


 鈍く光る刀身を覗くと、ぼんやりと自分の影が写りこんだ。

 あ、まだ微妙にテカってるところがあるや。とってもとっても取り切れぬ。

 これはもう、最終手段を使うしかない。

 残り少なくなっている麻布の水袋を取り出し、水をトプトプかけながら刀身を撫でるように手で洗い流す。

 すぐに綺麗になった。

 使い切った麻布の水袋は、耐久値が切れてポリゴン状に変わる。

『キャメロット』に戻ったら水を補給することを忘れないでおこう。


 木に立てかけたロングソードを見つめて、そう言えばと思考を数十分前に巻き戻す。

 瞼の裏に浮かんだのはあのハチの巣だ。

 あんなに甘い蜜を蓄えているハチの巣にしては警戒が薄い、というより無さすぎた。

 罠ってことはないんだろうけど、無人ってわけでもなさそう。

 大量の蜂蜜が生成されている時点で、通常の何倍もの大きさの蜂がいるとは思うんだけど。出入りの穴もサッカーボール二個分くらいだったし。



 ーーなら、何で一匹も姿が見えないんだ?



 なんてことない素朴な疑問が浮かぶ。

 ようやく事態の奇妙さを受け入れた私は、ゴクリと唾を呑んだ。

 な、なんだか急に寒くなってきたな……。一人ぼっちなだけあって、ひしひしと孤独の辛さが身に染みてきた。

 こうも周りに人がいないと少しの物音でも敏感に反応してしまう。

 まるでお化け屋敷の中にいるみたいだ。無意識に耳をそばだててしまう。

 脳内で恐怖を掻き立てるBGMが流れ出してきた。

 こ、怖くない。怖くないぞぉ。怖くない…!

 そう自分を鼓舞し始めた時、



 ブゥン。



 不意にかすかな羽音が鼓膜を撫でた。

 バッと視界を周囲に張り巡らせるも、これといった変化は見られない。あえて言うなら、静かになったというべきか。


「気の、せい?」


 そう思った瞬間、首筋をキチキチと噛み合せるような羽音が襲った。


 何か、いるッ!


 振り向きざまに剣の柄を握り、思いっきり振り抜く。硬い皮を突き破るような嫌な感覚に眉をひそめつつ、拙いながらにバックステップを踏む。

 当然、慣れないことをするもんだから、自分の足に足を引っ掛けて盛大に転ぶ。お尻が痛い。


《クリティカルヒットが決まりました》

《レベルが上がりました》

《任意のステータスに2ポイント振り分けて下さい》


 ポンポンポンッと文字が可視化され、薄くなって消えていく。ステータスにポイントを振り分けるための小窓も現れるけど、今はそれどころじゃない。


「マジか」


 視界を埋め尽くすほどのハチの群れ。細かな羽音が集まり大合唱となって耳に響く。

 危険信号がチカチカしてるぜ。これは逃げるが勝ちっていう展開だ。

 ロングソードをゆっくり持ち上げ、ポーチに入れる。空いた両手は腰にくっつけ半回転。

 いち、にの、さんで、脱兎のごとく駆け出した。




 マップを開き、現在地を確認する。


「Nー1のちょうど真ん中辺りかなッ…!」


 ここは初級エリアだから比較的モンスターを倒しやすい。レベルが2に上がったばかりの私にはぴったりの場所だ。

 息を切らしてチラリと後ろを振り返る。

 ハチの集団と目がかち合う。すぐに前を向いて足の回転をあげる。

 距離はだいぶ縮まってきているから捕まるのは時間の問題だ。目算で5メートルも離れてなかった。


「ハアッ……ハァッ…」

『キチキチキチキチッ!!』


 何体私の背を追いかけてきてるんだろう。もう一度振り返って確認したいけど、それはそれで恐ろしい。

 多分十はいる。二十はいないと思いたい!


 ドガッ、と本の数センチ後ろで地面を抉る音が。見たくないのに首が自然と回る。

 腰から生える艶やかな尻尾の背景に、ハチの鋭利な針が地面を貫通しているのが見えた。


「うそん……」


 あまりの威力の高さに嘆きが漏れる。

 このハチ、グラスルートと同じエリアにいるモンスターとは思えないほどの攻撃力の高さだ。これはかするだけで一発KOだ。


「うあぁぁぁぁ!!」

「ゼンドーグ!?」

「ヤベぇ!! ゼンドーグがモンスタートレインに巻き込まれたぁぁ!!」

「ゼンドーグぅぅぅぅ!」


《MPKを確認しました》

《スキル【外道】を取得しました》

《称号【モンスタートレイン】を獲得しました》


 うわぁ、ごめん。

 そんなつもりはなかったんだ。恨むならハチを恨んでくれ。


 額から流れ落ちる汗を拭ったその時、ぐらりと視界が傾いた。

 前方に注意を払っていなかったせいか、小石に足を取られてしまったみたいだ。


「うおっ!?」


 おっと、思わずおっさんみたいな声が出ちゃったよ。やり直しを要求したい。

 テイクツーを所望します。

 などとこの状況に似合わないことをつらつら考えながら、土にまみれた顔をあげる。


「ふっ、空が青い、な」


 私に出来る精一杯の強がり。悲鳴をあげながら死に戻りリターンってのは、性に合わなくてな。

 初めての死に戻りリターンくらい、かっこよく散りたいもの。


 次の瞬間、衝撃という名の痛みが背中を襲い、空に伸ばした手はそのまま地に落ちた。






 運極。それは最弱の冠をかぶった最強のステータス。

 確率の低いドロップアイテムなんて苦労せずとも入手可能。

 偶然を必然に変えるのはお茶の子さいさい。

 だけども死に戻りは当たり前。

 回避しようのないデスパレード。発端はほぼ私。

 

 死亡フラグ、バッチコイ。

 恋愛フラグ、ノーサンキュー。

 王道を進み、獣道まで探索せよ。


 さぁ、始めよう。

 唯一無二自分だけのタイトル探しを。

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