【第八章】ホーリーネーマーたちの園

stage 48 ダーキニー -Karin side-

 ムクティを契機に、私は法身シャンバラからあらゆる秘密経典の灌頂授与が認められた。


信者の中で初めに「トランスダーキニー・タントラ」 のイニシエーションを授けることが決まったのはアヤカさんだ。


     ※     ※


 トランスダーキニー・タントラとは極めて高い階梯に昇り詰めたヨガ行者のみが感得できる"トランスジェンダー専用"の秘密経典だ。教えの内容は常人に理解しがたいアブノーマルな性のメタファーで溢れている。


     ※     ※


 「ヴァジュラスカウター(注1)」で高いアベレージを記録する彼女には、灌頂当日まで9日間にわたる"アンダーグラウンド・サマディ(監禁修行)"が課せられた。この期間、トランスダーキニー・タントラの受者は、馬糞茸まぐそだけパウダーがまぶされた供物と、おびただしい量のバングラッシーを残さず食い尽くさなければならない。

※馬糞茸=ヒカゲシビレタケ。新鮮なものが採取できない季節はLSDで代用。

※バングラッシー=大麻入りヨーグルト


五体投地、飲食おんじき、瞑想の終わりなき反復は想像を絶する苦痛をともなうそうだ。当然の如く、バターランプだけが灯された狭い密室には、垂れ流しの大小便と散らかる吐瀉物のせいで悪臭が充満する。

だが、これこそが浄、不浄の概念を断ち切った真のタントリストたる姿であり、シャンバラ密教を成就しようとする者が避けては通れぬ解脱への登竜門なのだ。

ちなみに、アンダーグラウンド・サマディに入った行者が志半ばで倒れた際には、ラマによるポアの救済が約束されている。


     ※     ※


「ヒロくん。ここからは古来のルールにのっとり、私とアヤカさんだけで儀式を進めます。2人がシェルターから出てくるまでは、いかなる理由があっても人を近づけてはなりません」


「承知しました。トランスダーキニーは崇高なるアストラル界のイニシエーションです。金剛の決意で臨んでください。どうか強い心で・・・」


     ※     ※


「オーム・ヴァジュラダーキニー・フン・パト・スヴァーハー」


 ヴァーチャル祭壇の前では結跏趺坐を組んだアヤカさんが没我の真言を唱えている。


頭上に独股杵どっこしょを掲げた私は、意識が朦朧とする彼女の耳元でささやいた。


「仏の一族に属するものは五肉・五甘露を食せ。

五肉とは牛肉・象肉・犬肉・馬肉・人肉であり、

五甘露とは、すなわち精液・経血・脳漿、大便・小便である」


「オーム・ヴァジュラダーキニー・フン・パト・スヴァーハー」


「今、お前はあらゆる仏の一族に入ろうとしている。私はお前に究極の金剛智を生じさせよう。この智慧を通じ、お前は仏の悉地さえも獲得するであろう」


「オーム・ヴァジュラダーキニー・フン・パト・スヴァーハー」


「さあ、クルタを脱ぎ、身体に曼荼羅を生起せよ」


するすると水が流れ落ちるように、アヤカさんのスレンダーな肢体があらわになる。


守護尊ヘールカは頭頂に住された。

明妃ヴァーラーヒーは秘密蓮華に住された。

ラーマーは咽喉に。

カンダローハーは臍に。

ルーピニーは眉間に。

カーカースヤーは口に。

ウルーカースヤーは右鼻穴に。

シューカラースヤーは左鼻穴に。

シュヴァーナースヤーは肛門に。

ヤマダーディーは左耳に。

ヤマドゥーティーは右耳に。

ヤマダンシュトリニーは右眼に。

ヤママタニーは左眼に。

二十四座にダーキニー。

以上をもって、お前の身体に完全なる曼荼羅が生じたり


「オーム・ヴァジュラダーキニー・フン・パト・スヴァーハー」


「天空をいくものよ!これより聖地巡礼へと赴く。

速やかにシヴァ神が住まわれる霊山りょうぜん、カイラスを観想せよ」


「オーム・マハーカーラーヤ・スヴァーハー」


「地球の胎内を貫くリンガを観想せよ」


「オーム・マハーカーラーヤ・スヴァーハー」


アヤカさんが最後の真言を唱えたところで、私は眼前に晒された金剛女陰にヨーグルト、赤サフラン、ヤクのバターの混合液を、自らの舌を使って丁寧に塗りつけた。


そして、三度目の絶頂が起こる寸前。


「まいります!アホ・マハー・スカ!(大いなる快楽)」


私は金剛帯こんごうたいに括り付けられた独股杵を、ぱっくりと開花する封印(ムドラー)の奥へとねじ込んだのである。

※金剛帯=シヴァ神のリンガを象った独孤杵を、自身の腰部に固定させるための密教法具。シャンバラコーポレーション謹製。俗名:ペニバン。


「アホ・マハー・スカ!アホ・マハー・スカ!アホ・マハー・スカ!!」


無上の菩提心を咥えこんだ彼女が、大きく目を見開いたまま痙攣を起こした。


「仏の一族となったアヤカよ。これは誓願の独股杵である。お前は曼荼羅を見たことがない者に秘密灌頂について語ってはならない。もし他言すれば、この独股杵がお前の頭を打ち砕くであろう」


「私は頭上にアーチャリーを拝します。阿閦如来のために、宝生如来のために、毘盧遮那如来のために、不空成就如来のために、阿弥陀如来のために。命あるものの全てが輪廻から解放されるために。最高の快楽を司る勝楽金剛のために」


宇宙の中心がヴィクラマシーラへとシフトする。


「アヤカ、お前はこれからどこを目指しますか?」


「はい。私はシャンバラ国に向かいます・・・」


 この日、秘密集会タントラ(グヒヤサマージャ・タントラ)、大威徳金剛タントラ(ヴァジュラバイラヴァ・タントラ)に続き、シャンバラ国のオリジナル経典である超越荼枳尼タントラ(トランスダーキニー・タントラ)の灌頂を授かった"父母両部ふもりょうぶの大成就者(注2)"に「ヴァジュラ・ダーキニー」というホーリーネームが与えられた。


     ※     ※


(注1)

『ヴァジュラスカウター』とは、シャンバラ国のマッドサイエンティストことアルチャナがアニメをヒントに考え出したヘッドギア型の「密教エネルギー測定デバイス」だ。シャンバラ国では、スカウターで計測された未知のエネルギーを「ヴァジュラ」と名付け、信者一人ひとりのステージ(修業の進捗度)管理に役立てている。また、ヴァジュラの発生は灌頂を授かった者のみに認められた超常現象であるため、スカウターの登場は、密教(大きな意味で宗教)が科学的に立証された記念すべき瞬間だと言えよう。

アルチャナはこの不思議なパワーを何らかの形で有効利用すべく、日夜研究に励んでいる。


(注2)

無上瑜伽タントラはタントラ、タントラと、それら二つの統合を図った双入不二そうにゅうふにタントラの3つに大別される。

シャンバラ国では、父タントラと母タントラの両系統を修めたヨガ行者を「父母両部ふもりょうぶの大成就者」と呼ぶようになった。

以下にシャンバラ国が採用する主なタントラ経典をまとめておこう。(父母、双入不二の他に独立系経典あり)


「父タントラ系」

秘密集会ひみつしゅうえタントラ(グヒヤサマージャ・タントラ)

シャンバラ国の根本経典。

修行を積んだ信者全員に灌頂を授かる権利がある。

海外支部で執り行う場合やカリンが多忙な時には、チベット亡命政府から招いたラマが儀式を代行する。委託料(布施)は一人につき100万円~。


大威徳金剛だいいとくこんごうタントラ(ヴァジュラバイラヴァ・タントラ)

この世でただ一人だけが、シャンバラ王より直々に授かることのできる極秘経典。

ヴァジュラバイラヴァの成就者は呪殺の能力「度脱」を手に入れると噂されている。


「母タントラ系」

超越荼枳尼ちょうえつだきにタントラ(トランスダーキニー・タントラ)

本エピソードより語られ始めた謎多き経典。


「双入不二タントラ」

時輪じりんタントラ(カーラチャクラ・タントラ)

森羅万象と時を支配する預言者(カリン)専用のアルティメット経典。


「独立系:死後のガイドブック」

・チベット死者の書(バルド・トドゥル)

チベット仏教ニンマ派に伝わる埋蔵教典(テルマ)。

パドマサンバヴァの弟子が山中に埋めて隠したものを、後代、テルトン・カルマ・リンパが発掘。臨終から次の生を受けるまでに辿る魂の旅(四十九日)を描写する。

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