ガスコンの少年(5)


 三人とも羽飾りのついた鍔広の帽子をかぶり、銀糸組紐の十字架と国王ルイ十三世の頭文字「L」を描き入れた青羅紗のカサック外套を身に纏っている。あれが近衛銃士隊の隊服だろうか。


「小僧。若いもんが年寄りをいじめたらダメだろう。さぁ、大人しくお縄につきな。あと、お前の馬も牢屋行きな」

 三人の銃士のうち、一番図体のでかい男がシャルルの腕をつかんだ。

「ど、どうして馬まで?」

「動物裁判を知らないのか? 人に危害を加えた動物も、法的責任を問われるんだよ」

「そんな馬鹿な!」


 昔のヨーロッパの人々は、罪があれば人間、動物、無生物を問わずに裁かれなければならないと考えた。そうしなければ神の御心に反するのである。動物裁判の具体的な判決例を見てみると、


 子どもを襲った雌豚を死刑。

 乗り手を振り下ろして死なせた馬を死刑。

 フランス革命期、反革命的な犬を死刑。


 これらの判決文を被告である動物の前で読み上げ、刑を実行した。大真面目なのである。


「俺の馬は、この泥棒のおっさんに連れて行かれそうになったから、抵抗して噛んだんだ。俺だって、ロシナンテと荷物をおっさんから取り戻そうとしただけなんだ。おっさんの身体を取り調べしてくれたら分かる!」

「痛い、痛い! 噛まれたところと殴られたところが痛い! 死にそうだぁ~!」


 ジャックは涙と鼻水を出しながら、泣きじゃくる。二人目の紳士風の銃士がシャルルをキッと睨み、シャルルをなじった。


「こんなか弱い老人を痛めつけて、君には罪の意識というものが無いのかね?」

「さあ、連行だ、連行」


 三人目の威厳のある銃士も、シャルルのもう一方の腕をつかむ。


(このままでは、本当に捕まっちまう!)


 一か八か銃士たちに戦いを挑んで、強行突破しようか。シャルルは一瞬、そう考えたが、そんなことをしたら近衛銃士隊に入れなくなると気がついて考え直した。しかし、他にいい方法はあるだろうか?


(そうだ。兄貴が銃士隊にいたんだ)


 同じ隊の仲間の名前を出してその弟だと名乗れば、三人の銃士も俺の話を少しは聞いてくれるかも知れない。そう期待してシャルルは長兄の名を口にした。


「俺は近衛銃士隊の銃士ポール・ド・バツ・カステルモールの弟だ。兄貴と同じ銃士になるために上京して来たんだ。だから、俺の話を……」

「知らんな」

「え?」

「カステルモールという姓の男など、私たちは知りません」

「そんなわけ……」

「連行! 連行!」


 哀れ、ガスコンの少年と黄色の小馬は、有無を言わさず連れて行かれたのであった。







 シテ島はパリの中央部に位置する、セーヌ川の中州だ。この島の西側にコンシェルジュリー牢獄がある。我らが主人公シャルルとその愛馬ロシナンテは、この牢獄の一番下等な牢屋に入れられた。人間と馬、相部屋だった。


「これがお前たちの共用トイレだ」


 牢番が檻の中のシャルルに、汚いバケツを投げ渡す。そして、一切れのパンがのった皿を牢の床に置き、「仲良く食事しろよ」と言った。


(俺が家畜扱いされているのか、馬が人間扱いされているのか)


 シャルルはひどく情けない気持ちでいっぱいになったが、ひとつだけどうしてもこの牢番に頼みたいことがあるので、精一杯、下手に出て「お髭の美しい牢番さん、少しお願いがあるのですが」と言った。


「何だい、ガスコーニュ訛り」

「俺は明日、ある女性と会う約束があったんです。でも、俺が牢獄にいる以上、その人を待ちぼうけさせてしまいます。何とかして、彼女にいまの俺の現状を伝える手段はありませんかね」

「おのぼりさんのガキのくせして、女と待ち合わせとはおませな奴だ。で、その恋人の名前は?」

「コンスタンス」


 恋人と言われたのが嬉しくもあり気恥ずかしく、シャルルは頬を赤らめて答えた。


「どこの家の娘さんだ?」

「それは……」


 と、言いかけて、そういえば彼女のことを何も知らないことに気がついたのである。丈の長い清楚なワンピースをコンスタンスは着ていたが、それが上流階級の貴婦人の衣装なのか、中流または下流階級の娘の普段着なのかシャルルには判断できない。


 あのとき、シャルルは美しいコンスタンスと話すのに夢中になっていて、彼女がいったい何者なのかという疑問を抱く余裕すら無かったのである。せめて家の住所ぐらい聞いておくべきだった。


「分かりません」


 シャルルはそう返答するしかなかった。


「だったら、待ち合わせの場所は?」

「どこかの町の旅籠だけれど……町名を知りません」


 パリに来たばかりのシャルルが知っている町の名といえば、兄の手紙に書いてあったトレヴィル殿の邸宅があるヴィユー・コロンビエ街だけである。コンスタンスと待ち合わせしている旅籠や、黒マントの男と決闘した路地裏がフォブール・サン=タントワーヌにあって、口八丁ジャンの姦計によってシャルルが銃士たちに捕まったのがサン・ポール広場(バスティーユ牢獄の囚人が処刑される場所)の近くだったことなど、無知なガスコンの少年は何も知らない。


「それじゃあ、伝言のしようもないな」


 牢番は呆れて笑い、自分の食事を摂るために衛兵の間に行ってしまった。

 がっくりうな垂れたシャルルは、自分の迂闊さ、未熟さを嘆いた。


 いくら上京したての田舎者とはいえ、パリに来た初日に糞臭い豚箱行きとは。涙ながらに見送ってくれた故郷の家族、友人たちに合わせる顔が無い。


 大事な紹介状を初め、父と母からもらった物ことごとくをあの泥棒に奪われてしまった。レイピア剣も牢番に取り上げられている。手元に残ったのは、沈み込んでいるご主人の横で、今夜たったひとつの食料であるパンをもしゃもしゃ咀嚼しているロシナンテのみ。


「お前、裁かれるんだぞ。よく食欲が出るな」


 怒る気にもなれず、シャルルはなげやりにとても優秀な愛馬に話しかけた。シャルルは法律を知らない。少年が年寄りを殴って、馬が人間をかじって、果たしてどのような刑に処されるのやら。


 ブル、ブルルゥ。


 知るか、そんなこと。横着な性格のロシナンテのことだ。そんな感じの台詞を言ったのだろう。パンを食べきると、ロシナンテは実に緩慢な動きでバケツまで歩いていき、糞をたらし始めた。小馬のくせに、普通の馬より量が多い。


 シャルルは顔をしかめてトイレ中のロシナンテの尻から目をそらす。馬糞の臭いは幼いころから嗅ぎ慣れてはいるが、眼前で豪快な音を立てて排泄されるのは気分のよいものではない。しかも、あのバケツは共用トイレ、すなわち、後でシャルルも使うのだ。馬糞が溜まったバケツと自分の尻をご対面させることになるのかと思うと、実は人間の尊厳というものは紙のように薄っぺらく、軽いのではないかとシャルルは疑いたくなるのであった。


「まったく。パリまで背負って来てやったというのに。恩知らずの馬め」


 シャルルは、用を足してゆったりと座り込んでいるロシナンテに悪態をつくと、床に敷いてある藁の上に寝転がった。この藁が今日のシャルルのベッドである。


 パリでは、悪い奴ほど高貴な人間で、美味いものを食って温かいベッドで寝ている。


 シャルルは、口八丁のジャックが言っていた言葉をふと思い出した。あれは本当のことなのだろうか?


(少なくとも今夜、無実の俺があの陰険な泥棒野郎よりも粗末なベッドで寝ているのは確かなことだ)


 せめてコンスタンスの夢でも見よう。シャルルはそう念じて目を閉じたが、夢に出てきたのは、あの黒マントの男と泥棒のジャック、ロシナンテの尻と糞だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る