宮殿潜入(1)

 その日の夜。すなわち、一六三〇年十一月十日午後八時。


 トレヴィル邸の庭に、近衛銃士隊の全隊士八十七名が集結していた。イタリア遠征、昨日のジュサックとの乱闘により人数が数名減ってしまったが、これがフランス国王の剣となり、盾となる最強の精鋭部隊なのである。


 暗闇の中、篝火に照らし出される銃士たちの青羅紗のカサック外套が美しいとシャルルは思った。「いよいよ枢機卿の護衛隊と決戦か」「アドルフたちの敵討ちだ」と銃士たちは口々に言い合っている。


 銃士隊の隊服を身に纏ったトレヴィルが屋敷内から出てきて、「静粛に!」と叫んだ。すると、庭内は水を打ったように静まり返った。さっきまでの喧騒が嘘のようである。


 トレヴィルの横には、同じく隊服を着た中年の男がいた。シャルルが初めて見る人物だ。


「うん。みんな、ご苦労」


 その中年の男は、銃士たちにねぎらいの言葉をひとこと言うと、トレヴィルに「後は任せたよ」と声をかけた。


(トレヴィル殿に対して、やけに偉そうではないか)


 シャルルが眉をひそめて中年の男を見つめていると、そばにいたポールがぼそりと弟に耳打ちした。


「あの人が、本当の近衛銃士隊長だ」

「え?」

「モンタラン卿ジャン・ド・ヴィルシャテル。俺たちと同じガスコンだ」


 再度、シャルルはモンタラン卿を見た。のっぺりとした顔に細目、おちょぼ口。やや肥満ぎみの身体。童話や民間伝承に出てくる小人のように低い身長。もしかしたら、十歳のシャルロットより少し大きいぐらいではあるまいか。そのくせ、髭だけは地面についてしまうほど長い。


(とても強そうには見えない……)


 あんな人が隊長で大丈夫だろうかと不安になるシャルルであった。


「敵は護衛隊ではない。我らが戦う相手は、国王陛下を害そうとする者たちだ」


 トレヴィルがそう宣言すると、一部の銃士たちが騒ぎ出した。アドルフたちの恨みを晴らそうと意気込んでいた銃士たちだ。そんな彼らをトレヴィルは一喝した。


「静かにせい! 我々近衛銃士隊は、陛下をお守りするために組織された部隊だ。私怨のために剣を振るいたければ、いま着ているその隊服を脱げ!」


 歴戦の勇士であるトレヴィルが、馬上で剣を引っさげ咆哮をあげただけで、戦場の空気が一変するほどである。彼こそまさに豪傑と呼ばれるべき男だった。不平不満を言い合っていた銃士たちは、たった一度の喝に縮こまり、庭内は再び静まった。


 トレヴィルは銃士たちをざっと見渡すと、「では、これより方々に任務を与える」と言った。


「明日、国王陛下の命令があり次第、反逆罪容疑の者たちを逮捕する」


 トレヴィルが、リシュリューと計画した明日の作戦決行にあたって、どうしても譲らなかったことがある。それは、銃士隊は枢機卿の命令では動かない、王命によってのみ出動するということだった。リシュリューは「ガスコンの頑固者め」と嫌な顔をしたが、今回の件で銃士隊がリシュリュー枢機卿の指示に従ったという前例をトレヴィルはつくりたくなかったのだ。


 明朝、リシュリューが国王ルイ十三世に拝謁して、マリー太后に与する大臣や将軍たちが反逆の密議を行なっていた証拠の手紙や書類をルイ十三世に示し、マリー派を一斉逮捕する許可を得る。そのとき、銃士隊は初めて動くのである。


「第一隊は、法務大臣ミシェル・ド・マリヤックの逮捕。

 第二隊は、ルイ・ド・マリヤック元帥の逮捕。

 第三隊は、バッソンピエール元帥の逮捕。

 第四隊は……」


 トレヴィルが、次々と銃士たちに指示を与えていく。淀みなく、確実に。


(なるほど。隊長代理といっても、トレヴィル殿は実質的には近衛銃士隊の首領なのだ。隊長が小人のおじさんでも、何の支障も無いではないか)


 シャルルは大いに納得し、この頼もしいガスコンの上司を惚れぼれと見つめた。


「負傷しているポールは、満足に戦えまい。仮宮殿にいますぐ向かい、コンスタンスのそばにいろ。私とコンスタンスの連絡役を命じる。王妃様の周辺で異変が生じたら、すぐに私に知らせるのだ」

「ははっ」


 ポールが拝命すると、何人かの銃士たちが嫉妬や羨望のまなざしをポールに向けた。シャルルも、その視線に気がつき、


(アドルフが、兄貴は友人が少ないと言っていたが、この雰囲気はただそれだけではないらしい。他の銃士たちは、何をそんなに兄貴をうらやましがっているのやら)


 と、首を傾げた。ただ、自分でもよく分からないが、妙な胸騒ぎを感じるのである。


「これで、全ての銃士に命令が行き届いた。最後に、シャルルとアトス! 前に来なさい!」


 トレヴィルに呼ばれて、(いよいよ俺にも、銃士の資質を試すための任務が!)と喜び勇み、シャルルは銃士隊長代理の前に進み出た。


(しかし、一緒に呼ばれたアトスとは誰だ? まるでどこかの山みたいな名前だ)


 同時に前に出た、そのアトスという人物の顔をちらりと見る。

 なんと、我が親友アルマンだった。


(おい、アルマン。アトスって何だ?)


(しっ。説明は後だ)


 ほんの少し目を合わせただけで、アルマンは相手をしてくれない。これからトレヴィルの命令を聞かねばならないのだから当然だ。


「君たちはまだ正規の銃士隊ではない。それゆえ、王命が下る前でも自由に行動がとれる」


 それはつまり、何か失敗を犯しても、銃士隊には関わり無く、シャルルとアルマン二人だけの責任になるということでもある。


「明日、おそらく正午までには王命が下るだろう。君たちはそれまでにリュクサンブール宮殿に忍び込み、シャルロットという少女を救い出せ」

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