百合の烙印(6)

「ルイ。ちょうどいま、十歳ぐらいの召使が欲しいと思っていたのよ。この子、私が貰ってもいいかしら。さんざんにこき使ってあげるから」


 マリー太后はルイ十三世に一言だけそう言うと、供の者に命じて、熱でふらふらのシャルロットを強引に連れ出し、馬車に乗せてしまったのだ。


 そのままリュクサンブール宮殿へと走る太后の馬車。それを追いかけて、アンヌ王妃も馬車に乗り込み、シャルロットを救いに向かった。太后のような人に連れて行かれたら、シャルロットは奴隷のような扱いを受けるに違いないと思ったのである。



「私は、お父様にこのことを知らせるために、王妃様と別行動をとったのですが……」


 事の経緯を語り終えたコンスタンスは、果たしてその判断は正しかったのだろうかと思い悩み、目を伏せた。単身、リュクサンブール宮殿に乗り込んだアンヌ王妃のことが心配なのだ。


「お前の判断は間違っていない」


 言葉短かにトレヴィルはそう言うと、娘の栗色の髪を撫でた。


 マリー太后は、シャルロットを人質にして、アンヌ王妃を陰謀の仲間にしようとしているのだ。浅はかな彼女は、太后の口車に乗ってしまうかも知れない。ならば、シャルロット救出も、リシュリューと不本意ながら共同で計画した明日決行の作戦に組み込む必要があるだろう。


 トレヴィルは、閉じられたドアの向こう側で盗み聞きしている少年に向かって、大声で呼びかけた。


「シャルル! 全部聞いていたのなら、話は早いだろう! 君に銃士としての資質を試す機会をあげよう!」







 同じころ、リュクサンブール宮殿では。


「太后様、シャルロットをお返しください!」


 玉座の間で、マリー太后とアンヌ王妃が対峙していた。


 玉座に深々と腰かける太后の足もとでは、シャルロットが高熱のあまりへたり込んでいる。アンヌ王妃は、マリー太后の近臣たちに遮られて、シャルロットに一歩も近づくことができない。


「いいわよ、返してあげるわ。ただし、私のお願いを聞いてくれたらね」

「な、何ですか」


 アンヌ王妃は、不敵に笑うマリー太后に怯えつつ、聞いた。フランスに嫁いできたころ、十代の王妃は、この恐ろしい鬼姑に陰湿ないじめを受け、自尊心をズタボロにされたのだ。


「この薬を明日の夕食に、ルイの食事に混ぜなさい」


 太后から小瓶を受け取った侍女が、王妃のもとにそれを運んで来る。


「え? 何ですか、これは……」


 不吉な予感がして、アンヌ王妃は玉座のマリー太后を見つめた。


「分からないの? 察しの悪い子ねぇ。そんな馬鹿だから、ルイに嫌われるのよ」

「太后様、これをルイが口にすると、どうなるのですか。お、教えてください」

「そうするとね、あなたはスペインに帰れるの」

「どうして……」

「アンヌ。私はこう見えても、あなたに同情しているのよ。愛無き夫の束縛に苦しむその姿は、昔の私に似ているわ」

「も、もしかして、この薬で、ルイを……」

「夫婦とは、悲しいものね。そばにいても、ただの他人なのだから。ずっと分かり合えない。誰よりも近くにいるからこそ、距離を感じる。それでも愛を期待してしまい、裏切られ、憎しみに変わる。その苦しみから、あなたを解放してくれるのが、その薬よ」

「私は、ルイに死んで欲しいとまでは思っていません!」

「そう。だったら、この子を殺すわ。あなたが心から愛した男の忘れ形見をね」


 マリー太后は、シャルロットの長い髪をつかんで顔を上げさせると、爪が鋭く伸びた五本の指で小さな首を絞めた。シャルロットは、声を出すことができず、苦悶の表情を浮かべる。


「残酷すぎるわ! そんな小さな子を!」

「ならば、言うことを聞く?」

「……太后様。あなたにとっても、ルイはかけがえのない息子なのではないのですか」

「あの子は、偉大なるマリー・ド・メディシスの生涯に傷をつけた親不幸者よ!」


 激昂したマリー太后は、シャルロットを床に叩きつけた。


「いじめないで! どうして、シャーロットをいじめるの!」


 これまでじっと耐えていたシャルロットが、ついに感情を爆発させた。泣きじゃくりながらも、醜悪な笑みを浮かべるマリー太后に反抗のまなざしを向ける。


「ほう。あなた、フランス語が話せたのね」

「だって、もう、がまんできないから! シャーロットは、なにもわるくないのに!」

「いいえ。あなたの存在そのものが罪よ」


 マリー太后は、自分の肥満した肉体とはまるで対照的な、シャルロットのほっそりとした身体を憎々しげに見つめる。


 太后の生まれ育ったイタリアでは、豊満な女性が美しいとされた。若き日のマリーは、その豊かな肢体を人々に褒めそやされたものだ。しかし、嫁いだ国のフランスでは、しなやかな細い身体が愛された。フランスでのマリーの扱いは、「デブな商人の娘」だったのである。


(このシャルロットという子は、大人になれば、たくさんの男どもに愛されるフランス人好みの肉体になるだろう。

 私だって、イタリアで結婚をして、イタリア人の夫と家庭を築いていれば、美しい妻、美しい母として幸せに過ごせたのだ。メディチ家の持参金目当てのアンリ四世に嫁ぎさえしなければ……)


 マリー太后は、乱暴にシャルロットの腕をつかんだ。太后があまりにも恐ろしい形相で睨むので、シャルロットは「ひっ……」と声を引きつらせた。


「あなたの身体に百合の烙印を押してあげる。罪深い人間が、その犯罪の証として身体に押される焼印よ」

「シャーロットは、わるいことなんて……」

「いいえ。あなたはきっとなるわ。たおやかな肢体で男どもを魅惑する妖婦にね。だから、将来、愚かで可哀想な男どもがあなたに惑わされないように、その肩に罪人の証を刻んであげる!」


 太后は、もの凄い力でシャルロットを引きずり、玉座の間から去ろうとした。アンヌ王妃が「シャルロット!」と叫ぶと、太后はちらりと王妃に視線をやって微笑んだ。


「その薬、今夜はルイの食事に混ぜないでね。明日、ルイに最後の親孝行をしてもらわないといけないから」


 アンヌ王妃は震える手でその小瓶を握り締め、膝をついて泣き崩れた。玉座の間には、すでにマリー太后とシャルロットの姿はなく、遠い部屋から少女の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

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