宮殿潜入(2)

 庭内の多くの銃士たちがその命令に驚き、隣の仲間たちと顔を見合わせた。


 そのシャルロットという少女が何者なのかは知らず、任務内容の重大性も分からないが、リュクサンブール宮殿に潜り込めというのは、かなり無茶な命令だと銃士たちは思ったのである。リュクサンブール宮殿といえば、マリー太后の宮殿ではないか。十五歳の少年二人だけで、果たして無事に戻って来られるのだろうか。


 先輩たちの不安をよそに、拝命したシャルルとアルマンは意気軒昂、必ず成し遂げてみせるという闘志で満ち溢れていた。これはガスコン特有の負けず嫌いのせいである。


 昨夜の死闘。正直に言えば、十代の二人にとって衝撃的な事件だった。殺されること、殺すことへの恐怖を初めて知った。これからもこんな修羅場をくぐり抜けねばならないのかと心細くもなった。


 だが、そこで挫けてはならない。それでは負け犬だ。シャルルとアルマンは、故郷のガスコーニュで剣士としての教育を受け、勇士を多く輩出したガスコンとしての誇りを持てと叩き込まれたのだ。


「不退転こそがガスコンの真骨頂」


 シャルルが父ベルドランから与えられた家訓状にも、アルマンが父親から教わった言葉にも、そのガスコンの心意気は伝えられている。


「喜んで引き受けます」


 シャルルとアルマンは声をそろえて言った。


「うむ。では、君たちに我ら銃士隊のお決まりの合言葉を教えよう」


 トレヴィルはそう告げると、剣をさらりと抜いて高らかにこう言った。


「一人はみんなのために、みんなは一人のために!」


 シャルルは、「あっ」と驚く。この言葉は剣士の最も大切な心得として、子どものころから父に何度となく教わり、家訓状の第一条にも記されているものだった。


「我が剣は友を守るためにある。友の剣は我を守るためにある。それゆえ、死地にあっても、何も恐れることはないのだ。

 シャルル。この言葉は、十代の私が武者修行をしていたころに、カステルモールで君の父君と出会い、教わった友情の言葉なのだよ」


 トレヴィルは微笑みながらシャルルにそう言うのであった。







 暗路、シャルルとアルマンは、リュクサンブール宮殿へと向かって歩いていた。これから命がけの任務を実行するのである。


「で、アトスっていうのが、お前の新しい名前なのか?」

「新しい名前というか、偽名だな。父の領地にアトス村という所があるから、そこから取ったんだ」


 昨夜の護衛隊との騒動で、アルマンは護衛士を殺してしまった。アルマンが銃士隊長代理トレヴィルの親族であることが枢機卿側に知られたら、トレヴィルに迷惑をかけてしまう可能性がある。そのため、これからはアトスという偽名を名乗り、トレヴィルの一族とは関わりの無い一介の剣士として銃士隊にいることを決めたのだという。


「ずいぶんと思い切ったことをしたなぁ」

「いや、これですっきりしたよ。トレヴィル殿の権勢に頼らず、アトスという一個の剣士として、私の人生を切り開いていけるのだから」

「お前らしい」


 アルマン、いや、アトスは確固とした人生の指針を持っている。それがシャルルにはうらやましかった。


(俺はただ偉くなりたい、出世したいという漠然とした希望だけだ。俺も、どう生きるかという目標が欲しい。ただ人の真似をするのではなく、俺だけの生き方が欲しい)


 おのれの生きざまというやつを俺はいつ見つけられるのだろう。そう思いつつ、シャルルは顔を上げて、夜空の星の瞬きを見つめるのであった。


「なあ、シャルル。あれはニコラじゃないのか」


 ダルタニャン兄弟の下宿屋があるフォッソワイユール街まで来たとき、アトスがほのかな光が見える方向を指差した。


 なるほど。よく見ると、ニコラだ。ロシナンテに跨り、手には手提げランタンを持っている。シャルルのかつての愛馬は、現主人を乗せ、ゆったり、ゆったりとこちらに向かって歩いて来ている。徒歩のほうが明らかに速い。


「やあ、ニコラ。こんな時間にどうしたんだ。夜の散歩か」


 シャルルが手を振ると、ニコラもこちらに気がついたようだ。


「何が『こんな時間にどうした』だよ。昨日からまったく会っていないから、心配になって、いまさっき君の下宿屋を訪ねてきたところなんだぞ。誰もいなかったがな」

「そうか、心配をかけて悪かった。昨日は兄貴の傷の手当、助かったよ」

「あの膏薬の臭いは、二度と嗅ぎたくない」


 そう言うと、ニコラはロシナンテから下りて、手綱を引きながらシャルルたちのところまでやって来る。


「で、いまから仕事だな」


 シャルルとアトスは顔を見合わせた。こちらは何も言っていないのに、ニコラが自信満々にそう言い当てたのが不思議だったからである。


「別に心を読む魔法なんて使っていないさ。君たち、顔は笑っているが、目が血走っているぞ。これから危地に飛び込むのだろう?」

「相変わらず、ニコラはカミソリみたいな頭をしているな」


 シャルルは笑いながら、(もしかしたら、ニコラなら宮殿に忍び込むための良策を教えてくれるかも知れない)と考えた。ここでニコラとばったり出会ったのも、何かしらの運命が働いているのではないか。


「俺たち、これからリュクサンブール宮殿に忍び込むんだ」

「お、おい、シャルル。任務内容は隊の極秘だぞ」


 アトスが慌ててシャルルの肘を突いたが、シャルルは平然としている。


「まあいいじゃないか。銃士隊以外の人間の知恵を借りてはいけないとは、トレヴィル殿には言われていないぜ。それに、ニコラは俺たちの親友だ。信用できる」

「そう言い切れるのか?」

「信じる者は救われる、だ。神父さんに子どものころに教わっただろ?」

「シャルル。君のお兄さんのいい加減な性格がうつったのか?」


 シャルルとアトスのやりとりをニヤニヤ笑いながら見ていたニコラだが、重大なことをさらりと言った。


「僕という人間が信用できるか否かの論議は別の機会にしておいて、リュクサンブール宮殿への忍び込み方なら、ある人物が知っているはずだぞ。……宮殿のあるじであるマリー太后と、もう一人、リシュリュー枢機卿だ」

「リシュリュー枢機卿だって?」


 シャルルとアトスが、再度、顔を見合わせた。

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