百合の烙印(1)
娘のコンスタンスから急報を受けたトレヴィルは、すぐさま銃士十人を率いて出動した。ポールの下宿があるフォッソワイユール街の近くで決闘が行なわれるとすれば、リュクサンブール宮殿の周辺に違いない。そして、ポールたち銃士を襲ったのは誰かもおおかたの予想はついていた。
護衛士ジュサック。あの男は、この数年間で十数人の銃士を殺している。リシュリュー枢機卿も、ジュサックには手を焼いているらしいという噂だ。ならば、この機会に決闘している現場をおさえて、殺人狂の護衛士を捕縛してやろうとトレヴィルは考えたのである。
だが、トレヴィルが決闘の現場に駆けつけたときには、全てが終わっていた。驚いたことに、リシュリュー枢機卿と腹心のロシュフォール伯爵がそこにいたのである。
「ご苦労、トレヴィル君。護衛士たちの亡骸は、我々が回収する。君は近衛銃士の亡骸を手厚く葬ってやってくれ」
アドルフ、アラン、ボドワンら銃士と護衛士たちの死体が、ごろごろと転がっている。
シャルルに腹を刺された護衛士は、まだ息をしているようだが、もう長くはないだろう。
生き残っているのは、呆然と立ち尽くしているシャルルとアルマン、そして、リシュリューの足もとでなぜか気絶しているジュサックのみだ。
トレヴィルは、ひらりと馬から下りると、リシュリューに詰め寄った。
「猊下。まさかとは思いますが、この惨状は猊下の仕業ですか?」
「無礼でしょう!」
ロシュフォールが怒鳴ったが、トレヴィルの眼光に射すくめられ、ぐっと唸って黙る。
トレヴィルという男は多くの顔を持つ人物である。家庭内においては寡黙な父、銃士隊においては温和な上司。そして、国王を凌ぐ権力を持つ宰相リシュリューと対峙するときには、百獣の王に挑みかかる、気性の荒い狼だった。
この世でリシュリュー枢機卿を恐れぬ二人目の人物。それがトレヴィル伯爵なのである。
「そう食ってかかるな。そもそも決闘を禁じているのは、宰相である私だ。全てはこの荒くれが、暴走した結果だよ」
リシュリューは、ジュサックの身体をコンコンと蹴りながら、肩をすくめた。トレヴィルが挑戦的な態度なのに対して、リシュリューはまるで反抗的な親戚の子をなだめるようにトレヴィルと接する。
「ジュサックは猊下を守る護衛隊の所属です。ジュサックが国王陛下直属の銃士たちを殺めた責任はどなたがとるのですか?」
「ジュサック本人だ」
「は?」
「この者はたったいま、護衛隊から除籍した。バスティーユ牢獄に入れて、数日中に斬首する」
リシュリューは赤の僧衣を翻し、栗毛の馬に乗った。
「トレヴィル君。相談したいことがあるゆえ、明朝、我が屋敷まで来てくれ。そこのシャルルという少年を連れてな」
ジュサックの連行と遺体の処理を護衛士たちに指示すると、リシュリューは馬を走らせて去っていった。ロシュフォールも後に続く。
「おい、ちょっと待て、黒マント! 次に会ったときには名乗るという約束だったろう!」
さっきまでリシュリューとトレヴィルのやりとりを大人しく見守っていたシャルルが、黒マントの男に怒鳴ると、馬上の彼はちらりとシャルルを見て、不機嫌そうな声で答えた。
「ロシュフォール」
その日の夜更け。
トレヴィル邸には八十数人の銃士たちが集まり、屋敷内は重苦しい空気に包まれていた。
銃士たちは、トレヴィル邸の一室に安置されているアドルフ、アラン、ボドワンの遺体と代わるがわるに別れのあいさつをし、口々に「畜生、護衛隊め。枢機卿め」と吠え、泣いた。その光景をトレヴィルは、身じろぎもせず見守っている。
護衛士の好戦的な者たちが、死んだ仲間の復讐をするために、ポールの下宿屋を襲う可能性があったため、シャルルとポールはトレヴィル邸で一夜を明かすことになった。アルマンも、シャルル持参の膏薬で、いまコンスタンスに傷の手当をしてもらっている。
シャルル、ポール、アルマン、コンスタンスの四人は、トレヴィルの執務室から少し離れた部屋にいた。
「兄貴、背中の傷が痛むのか」
「いや、あのニコラという少年が、手際よく手当をしてくれたおかげで、だいぶ楽になった。次に会ったときに、お前からも礼を言っておいてくれ」
怪我はもう心配無いと言うポールだが、シャルルはいつも調子者の兄がやたらと消沈していることが気にかかった。親友を一度に三人も失ったのだから、当然なのかも知れない。しかし、もとから色白だった顔が、疫病に罹ったかのように青白く、目に生気が無い。しきりにため息をついていて、兄貴は本当にどうかしてしまったのではないかとシャルルは憂えた。
「トレヴィル殿に相談したいことがあるから、ちょっと行ってくるよ」
コンスタンスに治療をしてもらうと、アルマンがいつも通りのきびきびとした動作で立ち上がり、部屋を出て行った。怪我の後遺症などは心配いらないようだ。
「…………」
シャルル、コンスタンス、ポールはしばし無言でいた。
正直なところ、シャルルは少しだけ心細さを感じている。軍人として立身出世するためには、今日のような修羅場を無数に越えていかねばならないのだろう。仲間が死に、自分も殺されかけて、生き残るために敵の命を奪うのだ。
死んだアドルフたちは、ふざけてばかりの頼りない先輩だとシャルルは思っていた。しかし、本当は、仲間を助けるために命を捨てる勇気を持つ、立派な剣士たちだったのである。そのことを彼らが故人となった後に思い知った。
シャルルに倒された護衛士。虫の息だったが、彼はいまごろ死んでいるだろう。アドルフたちとの戦いで疲れているだろうから、簡単に倒せるとなめてかかって、手痛い目に遭った。生きていれば、剣で多くの戦功をあげられる実力を持っていたはずだ。
(そういった人々の屍を越えて、俺はこれからも生き抜いていかねばならないのだ)
恐れをなして逃げる気は毛頭無いが、できれば心の支えが欲しいとシャルルはこのとき初めて思った。ちらりと、ポールの横に座っているコンスタンスを見る。コンスタンスのように温かい人が、俺をいつも励ましてくれる存在なら、どれだけ心強いことだろう。
「……シャルル。悪いが、毛布を貰ってきてくれないか。少し寒いんだ」
「え? 俺?」
急にポールがそう言ったので、シャルルは我に帰った。
(しかし、なぜ俺に頼む? この家の娘であるコンスタンスがそばにいるのに)
コンスタンスは、じっとうつむいている。いつもの彼女なら、「私がとってくるわ」と言いそうなものなのだが。
変だなと思いつつも、弱っている兄の頼みごとをすげなく断るのも不人情だと考え、シャルルは素直に頷き、部屋を出た。
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